第10話 ✕デー

 その日の夕方、キッチンに行くと、継母と良牙くんが料理や食器をテーブルに並べているところだった。

 平日、絶滅危惧種である昭和サラリーマンの父が、夜九時前に帰宅することはまずない。

 部下が定時で帰る中、上司が遅くまでサービス残業なんてバカらしいと思うのだが、それが父の生き方だから仕方ない。

 いつも通り、三人だけの夕食を摂る。

 食事をしながら、私はさり気なく良牙くんに言った。

「ウチのバレー部、優勝したわよ」

「知ってます。ボクの高校でも話題ですよ。斉藤さんと江澤さんがスゴい人気です」

「良牙くんは応援に行かなかったのね」

 良牙くんは小声で言った。

「ええ、どうしても欲しい新作のコスメがあったから」

 私は納得した。

 良牙くんに、男の姿でコスメを買いに行く度胸はない筈だ。エルサの姿で買い物に行き、そこで父に偶然出会ったというのが、土曜日の真相だろう。

 すっかり謎を解明した気になった私は、それ以上この件について追求することはなかった。

 ただ、「良牙くんが来てくれなくて、二人とも残念がっていたわ。今度デートくらいしてあげたら」と私が言うと、良牙くんはにかんだ笑顔を見せた。



 次の土曜日の午後、良牙くんは学校の友達と会うと外出。

 私は、繋がりのある同人作家さんから、私も推しているマイナーカプのアンソロを出すからと誘われ、迷っていた。

 何しろ、参加者を聞くと名の知れた作家さんばかり。私の様なド素人とは次元の違う神ばかりだ。

 これだけの方々が推しているのに、なぜマイナーなのだろう?

 やはり、古い常識を覆すという事は、人々に恐怖や嫌悪を与えるのか。コペルニクスやガリレオがそうであったように……。

 ということで、マイナーカプであるが故に参加者にも限りがあるようで、私のような枯木でも山の賑わいになればと、最後は参加を引き受けたのだった。

 正直、このメンバーの末席を汚すことを、大変名誉に思った。それに……どんなアンソロにも、しょうもないのが一つや二つあるものだし、それが私だっていいじゃない?

 気が付くとスッカリ外は暗くなっており、今回は小説だけにして挿し絵は誰かに描いてもらおうか、などと考えながら居間に行く。

 良牙くんも父もまだ帰ってきてなかった。

 継母と二人きりの食事だったが、アンソロのことで頭が一杯で、先週の土曜日に斉藤と江澤が見かけたというエルサと父が一緒にいた話など、スッカリどこかに消し飛んでいた。



 こうして同人一色の、忙しくも充実した日々が始まったのだが、Xデーは突然訪れてしまう。

 昼休み、私はクラスで唯一の友人であるシノちゃんに、継母が作ってくれたお弁当を食べながらアンソロに掲載する作品のアイデアについて相談していた。

 すると、クラスカースト上位のギャルが三人連れでやって来た。

「宮里、江澤くんが来てるよ。オマエ、また、その牛みたいな乳でたぶらかしたろ?」

 そう言うと、ウヒャウヒャと下品な笑い方をする。

 私は一度だって男をたぶらかした覚えはないが、後が面倒なので礼を言った。

「ありがとうございます」

 私は食べかけのお弁当にフタをして立ち上がる。

 少し離れると、後で声がした。

「チッ。斉藤くんといい、なんであのブスばっかモテんの?」

「便所女だからだよ。アイツ、4PまでOKらしいじゃん」

「とんでもないビッチだね。江澤くんも斉藤くんも目を覚ましてほしいよ」

 イヤだイヤだ。悪口は、なぜ遠くまで聞こえるのだろう。

 目を覚ますのはオマエらだろ。私は4Pどころか、正真正銘の処女だよ。

 教室を出ると江澤がいた。デカい図体で廊下の真ん中に仁王立ちしているので、他の生徒のジャマになって仕方ない。

「よお、メシ食ったか? ワリイな、どうしても聞きたいことがあってさ」

 何てわかりやすい男だろう。堂々としていたいという気持ちは伝わってくるが、視点が定まらずにグルグルと眼球が動き回り、動揺が伝わってくる。

「大丈夫よ、何かしら?」

「ほら、ダチにH高に行ってるヤツがいるって言ったろ。そいつにさ、エルサちゃんのこと聞いたんだよ。一年にとんでもない美少女がいるだろって」

「ははぁ……」

「そしたらさ、何人か評判のコはいるみたいだけど、エルサちゃんらしいコがいないんだ」

「なるほど」

「それで、宮里って名前のコを捜してもらったんだよ」

「……」

「女にはいなかったけど、男に一人いた」

「……」

「おとなしくて目立たない、小柄なコなんだと。だけどなぜか、一部の女子に熱狂的な支持があるらしい」

 私と同類がH高にもいるのだとピンとくる。良牙くんの卓越した受け属性は、隠そうとして隠せるものではない。

「宮里さん、そのコって……」

「ええ、きっとエルサちゃんね。いえ、男の時の姿は良牙くんって呼んでるけど」

「やっぱり……」

 江澤の肩がガクッと落ちた。

 ただそれだけなのに、いつもオレ様系な江澤が落ち込んでいるレアな姿を見物しようと、人が集まってきた。

 これだから人気者は厄介だ。

 私は江澤の手を引いて人の少ない場所に向う。後で冷やかしの口笛が聞こえたが、構ってなどいられない。

「しっかり歩いてよ。お願いだから」

 力無く歩く江澤の手を、私は懸命に引っ張り続けた。

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