第9話 土曜の夜と日曜の朝

 M本様は私の最推しだ。それはいつまでも、もしかすると死ぬまで変わらないかもしれない。

 M本様の最近の活躍は目覚ましく、それはデビュー当初からのファンである私には、大変嬉しくもあり、少し寂しくもある。

 何しろ、深夜アニメでは毎期、何かしらの作品に必ず出演しているし、最近は洋画の吹き替えまで仕事が広がっているのだ。

 新しいファンの中には、M本様がBLドラマCDの出身である事を知らない者も多いのが悔しい。

 M本様の声優デビューは、BLドラマCDのモブ役だった。それからも、主人公のクラスメイトAとか、立ち寄ったコンビニの店員とか、役名の無い役が続いた。

 文字通りの叩き上げなのだ。

 人気に火が点いたのは、初めて役名が付いた作品に抜擢された時からだ。

 人気コミックのボイスドラマ化で、熱々カプの『攻め』を奪い取ろうとする『肉食系ドM受け』という難しい役を見事に演じ切ったのだ。

 それからは主役、準主役級の『M受け』が定位置となり、やがてアニメ、洋画へと幅が広がって行ったのは説明した通りだ。

 そんなM本様が、である。久々にBLドラマCDに帰郷なさったのである。

 しかも相手役は、何度となくM本様と様々なカプを演じてきたスパダリ攻めの帝王S田さんである。

 これを買わずにおれようか。

 しかも、数量限定の店舗特典は、主役二人のキャラが描かれた二枚組コースターである。これほど貴重な物が、朝少し早く並ぶだけで手に入るのだ。

 申し訳ないが、バレーボールの試合どころではなかった。


 お宝をゲットして家に帰ると、ジャケットや特典を眺めて堪能した後、購入できた歓びをSNSにアップする。

 すぐに「いいね」が付くのが嬉しいし、私も同志の歓びの声に「いいね」を付ける。

 そして、愛用の音楽プレーヤーに取り込む。だが、聞くのは夜までお預けだ。

 正直言うと、若干の不安はあった。

 M本様は有名になり過ぎた。人気に反比例してエロ度が上下するのは、この世の摂理である。

 もし、あの悲鳴のようなあえぎ声が二度と聴けないとしたら、私はもうBLのドラマCDには、二度と手を出さないかもしれない。

 それくらいの危機感が私にはあった。


 この手のCDを買った夜、私は早めにベッドに入る。

 そして、頭から布団をかぶる。

 秘密のBL劇場の開幕だ。

 ああ、M本様の声。その第一声を聴いただけで身体が反応し、アソコがジュンとくる。

 これからどんなヒドい目に会うのかと、思っただけで軽くイッてしまった。

 洋画のように気取らず、アニメのようにヒーローぶってもいない、トークショーの時のような素に近いM本様の声。久しぶりのBLドラマを楽しんでいるのが伝わってくる。

 S田さんもノリノリでスパダリ攻めを演じている。

 だが、ストーリーは意表を突いたものだった。

 一応完結した人気シリーズの後日談なのだが、強い絆で繋がれていた筈の二人に些細な事で亀裂が入り、M田様演じる主人公が二度にも渡ってNTRされてしまうのだ。

 その辺の主人公の流されっぷりときたら、心はスパダリ攻めのカレを愛しているのに、身体は快楽を求めて間男を受け入れてしまう辺りは、筆舌に尽くし難い興奮だった。

 まったく、M本様以外の誰にこんな演技ができるだろう。

 そして、新しいスターの誕生を予感させる新人もいた。二人目の寝取り男を演じた声優である。

 記憶にある限り、初めて聴く声だ。

 出番こそ多い訳ではないが、言葉攻めで主人公を凌辱し、徐々に骨抜きにしていくシーンは、私的には最も興奮する山場だった。当然、私自身も、この日最大の絶頂を迎えることができた。

 最後は誤解も解け、攻めは受けの浮気を許してハッピーエンドを迎える。

「ったく、簡単に他の男にケツ開きやがって。オレのモノだって自覚はあるのかよ」

「ああっ、許して……許して、ショウゴ」

「許さネェ! ちゃんと拡げて中を見せるんだ。クソッ、すっかり形が変わってやがる。今すぐオレの形に戻してやるからな!」

「早く! 早くショウゴの形に戻して……お、お、お!」

「あああ、なんて熱さでオレのに絡み付くんだ。すまない……すまない、トモ。二度と寂しい思いはさせない」

「アッ! アッ! どうしよ、もイキそう……ダメ、イクッ……んふっ!」

「オレも……イクぞ! あああっ!」

 まるで、マイクの向こうで本当にヤッているのではと思わせる臨場感。それでいて感動的。

 仲直りエッチのラストシーンでは、不覚にも泣いてしまった。

 こうして私は、身も心も満足して、次の日の朝までグッスリ眠れたのであった。


 いやいや、別に私は、BLドラマCDをオカズにした手淫のやり方をレクチャーしたかった訳ではない。

 この日は自分のことにかまけていたので、家族との交流も少なかったということを言いたかったのだ。

 バレーボールの試合なんて二の次になっていたし、良牙くんが応援に行ったかもあまり気にかけていなかった。

 結局、応援には行かなかったと聞いたのは、次の日だった。

 日曜の朝、良牙くんは掃除機をかけて、私が洗濯物を干すのがお約束になっている。

 そして、朝食。家族四人が揃って朝食を取るのは、一週間で日曜だけだ。

 朝食のあと、父と義母がテレビのニュースショーを観ていたので、こっそり良牙くんに聞いてみた。

「斉藤くんと江澤くんの応援には行ったのかしら?」

「いえ、やっぱり一人じゃ心細くて……あの数の女子の中に紛れるのは怖いし」

「そう、それは残念。でも、よく考えてみたら、私も一人じゃとても行く気になれないわ。ごめんなさいね、無責任なことを言って」

「そんな、とんでもないです」

 そう言って良牙くんは笑った。

 その笑顔がとても晴々としていたので、何か良い事でもあったのだろうと思った。

 その日は、それから家族四人でショッピングモールに買い物に行ったりして、まったりと過ごした。

 家族で過ごす、ありふれた日常の幸せを感じた一日だった。



 月曜日、私がいつもの時間に学校へ行くと、誰もいない教室で斉藤何某が一人、教卓の上に座っていて驚いた。

 斉藤は、教卓から飛び降りると言った。

「おはよ、宮里さん」

「おはようございます。今から朝練ですか?」

「いや、試合が終わったから、しばらく朝練はないんだ」

「そうそう、結果はどうでした?」

「おかげさまで優勝できたよ」

「まあ、おめでとうございます。しばらくは、学校中がその話題で持ち切りですね」

「それが、いい事ばかりじゃないんだ。江澤のヤツが落ち込んでて」

「何かあったのですか?」

 斉藤は、少しためらって言葉を続けた。

「エルサちゃんさ、もしかしてパパ活とかやってないかな?」

 真剣な表情の斉藤には申し訳なかったが、私は吹き出して笑ってしまう。

「ププッ。いくらなんでも、それはないですよ」

「でも、試合のあった日の帰りに、江澤と見たんだ。駅のプロムナードでオジさんと歩いているの。身体なんてピッタリ密着して、ただならぬ関係にしか見えなかったよ」

「あ……ああ、そのオジさん、一七〇センチくらいで黒縁メガネをかけてなかったですか?」

「んっ? 確か、そうだったかな」

「濃紺のジャケットを着て、茶色のカバンを持っていた」

「なんでわかるの?」

「それ、父ですよ。通勤はいつもそのカッコです」

「お父さん? でも、敬語使ってたよ。親に敬語なんか使う?」

「エルサちゃんにとっては、義理のお父さんですから。私も継母には敬語だし……」

 説明していて気付いた。

 斉藤も江澤も良牙くんは知らない。つまり、良牙くんは女装していたということになる。

 良牙くんは、良牙くんとして父に会っていたのではない。

 エルサとして会っていたのだ。

「なぁんだ、お父さんか。良かった、そうだよな。エルサちゃんがパパ活なんてする訳ないよな。失礼なこと言っちゃた。宮里さん、内緒で頼むよ……」

 それでも斉藤は嬉しそうで、スマホをポケットから取り出した。

「……江澤に教えてあげないと。アイツ、寝込んでしまって、今日は学校休むなんて言ってたからさ」

 常にモテている人間というのは、逆の立場になった時、耐性が無いだけにモロいらしい。

 私がルーティンの掃除を始めると、斉藤が手伝うと言い出したので手を抜けず、かえって時間がかかって有難迷惑だった。

 そしてその時は、良牙くんがエルサとして父に会っていたことを、それほど重大なことだとは認識していなかった。

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