第6話 何某(なにがし)
私のリアルな人間関係は狭い。
それでも高校生だし、学校へ行けば人だけはいる。
ナンパ待ちのような無謀なことをしなくても、学校のどこかに理想の『攻め』が生息している可能性があった。
なにしろ、一説によるとクラスに一人の割合で同性愛者は存在するらしいし、たとえ異性愛者でも夢中になるくらい良牙くんの美しさは完璧だった。
私は、それまで興味の欠片もなかった学校の男子達を観察するようになった。
そんなある日、私は一人の男子から声を掛けられる。
「おはよ。今日も早いね」
これには私も驚いた。その男子が学校一のモテ男だったからだ。
斉藤何とか……下の名前は知らない。
バレー部のエースで、一応存在する程度だったバレー部が県で上位を狙えるようになったのは、この斉藤何某のお陰らしい。バレーの強い高校へ行っていれば、全国を狙えるチームでもレギュラーになれただろうという話だった。
一九〇センチの見上げる身長、なのに頭はサクランボの様に小さく、切れ長のエッチな目と、声優かと思うくらい澄んで良く通る声。
しかも頭も良く、バレーの強豪校に行かなかったのは、将来の夢が弁護士だからとか。
つまり、私が最も苦手とするタイプの男子だった訳である。
しかし悲しいかな、良牙くんの『攻め』としては、最有力候補の一人であることを認めざるを得ない。
「おはようございます。斉藤くんも早いですね」
私はいつも一番に教室に入る。満員電車でのチカンの被害を避けるためだ。
「オレは朝練。ウチの部、朝練多いからさ……だから知ってるんだ。宮里さんが、毎朝みんなの机拭いてるの」
あ、言い忘れていたが、宮里とは私のことである。
机は拭いていたが、別に誰かのためではない。チカンを恐れる小心者であることを知られたくなかったので、キレイ好きな女子を演じているだけだ。
「そう、では今から練習ですね。ケガに気を付けて頑張ってください」
早よ行け、読書の時間が少なくなるやろ。
「いや、ちゃんとキャプテンに断って抜けてきたから、しばらく大丈夫なんだ」
「はあ、そうですか」
「こうでもしないと、宮里さんと話す機会なんてないから」
それはそうでしょう。アナタの周りには四六時中、蚊柱のごとく女子たちが飛び回っていますから。
「あの……さ。知ってるのかもしれないけど、今度の土曜部、市の体育館で試合なんだ」
知っていますとも。クラスの女子が大騒ぎしていました。
学校一のモテ男は、私から視線を逸らすと、人差し指の先で自分の鼻の頭をかいた。
こういった何気ない仕草すら画になり、女子達の胸はキュンキュンと鳴るのだろう。
「良かったら、宮里さんも応援に来てくれないかな?」
なるほど、クラスの女子コンプリートですか。コンプリートで応援に来て欲しいですか。
私は、即答で断ろうとして思い留まった。
待てよ。他校の生徒である良牙くんと、この斉藤何某と引き合わせるチャンスではないか?
私が了解すると、散歩に行く前の犬の様に嬉しそうな顔をした。
この笑顔を女子の一人一人に見せているのなら、モテて当然だなと私は思った。
☆
人があまりにも多いと、私は方向感覚を失う体質だ。
その日、市運動公園は高校のバレーボール大会以外にも様々なイベントがあり、大変な人出だった。
公園には到着したものの、体育館への方向を見失う私を、無事に導いてくれたのは良牙くんだった。
体育館に到着しても、そこは更に凄い人混みだ。
もし私一人だったら、人波に流されて、いつまでもグルグルと体育館の周りを周遊していただろう。
だが良牙くんは、人波をぬって、見事に二階の応援席へと辿り着く。しかも、前方の隅の方に、飛び石状態で席が二つ空いているのを見つける。
良牙くんは私の手を引いて、スルスルとその席へ向かった。そして、空いている席の隣に座っていた男子に向かって笑顔で言った。
「すみません。一つズレて頂けますか?」
「あ……ああ、もちろん」
男子はその隣にいたカノジョらしい女子を奥にやり、自分がそこに座る。私は良牙くんに促されて、男子がズレて空いた席に座った。
良牙くんの一連の男前な行動に、やはり男なんだと思う。
「なあ。あんなコ、ウチの学校にいたっけ?」
隣の男子が、ヒソヒソとカノジョに尋ねた。
「いたよ。確か二年」
「そうだっけ? あんな美人、もっと男どもが騒いでると思うけど」
「騒いでたじゃん。今の二年が入学したばかりの頃。でも、意外と陰キャで、自然と収まった感じ」
「ヘエ。オレ、オマエと付き合い出したばかりで、ほかの女なんて、全く目に入らんかったわ」
「フフフ、もうケントったら」
はいはい、お熱いことで。
でも、二人の話が食い違っていて良かった。男は良牙くん、カノジョは私の事を話しているに間違いない。
これで男の方が良牙くんに「何組?」なんて聞いていたら、めんど臭いことになっていた。
その時、盛大な拍手が起きた。選手たちが入場してきたのだ。
斉藤何某が入って来た時、いたる所で金切り声が起きた。
「うわっ、カッコいい。もしかして、アレがお義姉さんを誘ったクラスメイト?」
「エルサちゃん。そのカッコの時は、私を梨花って呼ぶ約束でしょ」
「ごめんなさい、梨花ちゃん。うっかりしてた」
だが、私は機嫌が良かった。良牙くんは、斉藤何某の外見は気に入ったようである。
斉藤何某が客席を見回した。視線が行った先の女子が悲鳴を上げる。
うるさい事この上ない。
二階を見上げると、こっちに向かって手を振った。
良牙くんが、私を肘でつつく。
「ねえ。あれって、梨花ちゃんに向かってじゃない?」
「それはないわ。あの人がどれ程のモテ男か、私なんて相手にする訳のない人種だから」
「いや、絶対そうだよ。コッチ見てるもん。梨花ちゃん、試しにVサイン送ってみて」
私が人差指と中指を開いて立てると、良牙くんは手首を掴んで前に突き出した。
すると、あら不思議、斉藤何某もVサインになった。
「ほらね」
良牙くんが嬉しそうにドヤ顔をするので、あれはクラスの女子コンプリートのVサインだとピンときたが、敢えて口にはしなかった。
バレーの試合をじっくり観たのは初めてだったが、結構面白いものだった。
周りの興奮がそれを証明している。
良牙くんもまた興奮していた。
「スゴい! あんなスゴい人とクラスメイトの梨花ちゃんもスゴいよ!」
義弟よ。その論法では、三〇数名が何の努力もなく、スゴい人間に分類される事になるぞ。
次の試合に向けて他校の生徒が流れ込んできたので、私たちは慌てて応援席を後にする。
少しだけでも斉藤何某と会話して良牙くんを紹介できないものかと思ったが、ようやく見つけた彼は何重にも女子に取り囲まれていて、近づくのは断念するしかなかった。
仕方ないので帰ろうとしていると、後で大声がした。
「宮里おー!」
驚いて振り向いたら、斉藤何某が両手を挙げて振っていた。
律儀な人だ。みんなに好かれて当然だなと思いながら、私も手を振り返す。
体育館に入った所と違う出入口から出たら、もう自分がどこにいるか分からなかった。
おとなしく良牙くんの後に付いて駅へと向かう。
地下鉄への階段を降りようとした、その時だった。再び私を呼ぶ声がした。
「宮里さーん!」
振り返ると、巨人が二人、私たちに駆け寄って来る。
その迫力は恐怖を感じる程で、思わず逃げ出したくなるのをグッと堪えた。
「斉藤くん……」
「ヒドいよ。待ってくれって、合図したのに」
「ごめんなさい。私にはサヨナラの挨拶に見えたから」
「マジ? でも良かった、間に合って。あのさ、今日はもう解散なんだ。ちょっと、どこか寄っていかない?」
これは渡りに船である。
「喜んで。できれば牛丼以外がいいのだけど」
私は、良牙くんと顔を見合わせて笑った。
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