第5話 レット・イット・ゴー
「梨花? 梨花じゃないか!」
そこにいたのは、紛れもなく父だった。
仕事帰りにたまたま通り掛かったようで、左手にカバン、右手をポケットに立っている。
「お父さん!」
地獄に仏とはこのことだ。
私が応えると、父は鬼の形相で歩いて来た。
「何だ、アンタら! ウチの娘に何の用だ?」
叫んだり、喚いたりするのではない。低くてドスの効いた野太い声で男たちの前に立つ。
その声に驚いた人達が、一斉に振り向いた。
私の腕を掴んでいる男が舌打ちする。
「チッ、マジで親と約束していたのかよ」
そして、腕を放した。
だが、良牙くんの肩を組んでいた男は、父の威圧的な態度にカチンときたのだろう、良牙くんを放して父の方に向かう素振りを見せる。
それをもう一人の男が止めた。
「ヤメとけ。オマエ今、執行猶予中だろ」
「クソッ、あと少しだったのによ」
男たちは、悪態をつきながら歩いて行った。
父は、ようやくいつもの優しい顔に戻る。
「大丈夫か、梨花? そちらのお友だちも」
良牙くんがいなければ、多分ホッとして泣いていたと思う。だが今は、蒼白で震えている良牙くんが心配で、それどころではなかった。
「私は大丈夫。でも、このコはどこかで少し休ませた方がいいみたい」
「そうだな、近くの喫茶店にでも入るか」
「このコの好きなシフォンケーキのお店があるの。そこでもいいかしら?」
「構わないよ。好きな物を食べて、元気を出した方がいい」
私はアイツらが父に復讐に来ないかと後が気になったが、当の本人は気にした様子もなく歩いていた。
父は私の前の席に座ると、ポケットに入れていたマイナスドライバーを取り出し、カバンの中の工具箱へと戻す。
「もしかして、ポケットの中でそれを握っていたの?」
私が尋ねると、父は当然とでも言うように答えた。
「ああ。あの手のチンピラは、ナイフを持ち歩いていることが多いからな」
私は思わず笑ってしまった。
「プッ。ナイフ相手に、ネジ回しで立ち向かうつもりだったんだ」
「バカにしたものじゃあないぞ。素人が振り回すナイフくらいなら、ドライバーで十分制圧できる。戦闘訓練を受けていたら別だが、そうでなければナイフを取り出した瞬間に倒せるよ」
「殺せるってこと?」
「場合によってはね。梨花もお父さんの趣味は知っているだろ?」
「もちろん知ってるけど……」
父は歴史好きだ。特に戦国時代から明治維新にかけて、強い関心を持っている。
そんな歴史研究の中で、特に興味を持ったものがあった。
古武術である。
武士が刀を携帯するのが当たり前の時代、刀を持っていない又は持っていても使用できない状況下において、いかに己の命を守り、時に敵を殺すかということを追求した流派を中心に研究していた。
近代の競技格闘技とは根源が違う、似て異なるものである。
だが、現代にそういった古武術は必要とされない。僅かな流派が国際スポーツへと姿を変えて普及していく陰で、多くの流派が消えて行った。
辛うじて存続している流派も、今まさに滅び行く運命にある。
父は、そういった消え行く流派の伝承者の元を訪ねては、教えを請うていた。
「……だけど、研究だけだと思っていたわ。お父さんの技は実戦に使えるものなの?」
父は事も無げに答えた。
「それは覚悟の問題さ。家族を守るためなら、人の命を奪う覚悟も、自分の命を捨てる覚悟も持つ。そんな覚悟を持つ者が、女のコで一儲けしようなんて連中に遅れを取ると思うかい?」
この時、良牙くんは私の隣にいた。だから、どんな表情で父を見ていたか分からない。
だがきっと、熱い眼差しで見つめていたと思う。
それは、その後の父のキョドった態度で察しが付く。
「しかしまあ、梨花にこんなキレイな友だちがいるとは。はじめまして、梨花の父です」
チンピラ達の恐怖が去ると、次の心配が頭をもたげていた。言うまでもなく、父の目の前にいる美少女が、実は良牙くんだとバレないかということだ。
良牙くんは、恥ずかしそうに俯く。そして、精一杯の高い声で言った。
「はじめまして……あの、助けて頂いて、ありがとうございます」
「いや、当然のことですから。しかし、美人はそこにいるだけで虫が寄って来るので、気を付けてください。これから虫の増える季節なんで、ははは」
「そんな、美人だなんて……」
良牙くんの耳が赤くなるのが見えた。
しかしまあ、バレる心配はなさそうだ。
少し安心して、運ばれてきたシフォンケーキをパクつく。今日は父がいるし、遠慮なく生クリームとアイスクリーム増しを三人分頼んだ。
すると、父が突然言った。
「ところで、お名前は?」
良牙くんが私の顔を見る。
私は慌てた。隣の席の女の子が持っていたプリンセスの人形が目に入り、思わず口にしてしまう。
「エルサよ。エルサちゃんっていうの」
「ほう、キラキラしたお名前だね。雪の女王と同じだ。そう言われると、雰囲気も似ているような気がするな、ははは」
父は口の端に生クリームを付けたまま笑った。
☆
そのあと、私は父と一旦家に帰り、それから良牙くんの着替えを持って近所の大型スーパーで待ち合わせた。
そこで良牙くんを着替えさせる。
メイクを落とす余裕はないので、マスクとサングラスで顔を隠した。まるでお忍びの芸能人の様だ。
とにかく、両親に気付かれずに良牙くんを家に戻すことができた。
そして、その夜のことだ……。
良牙くんが、私の部屋を尋ねてきた。
激エロなBL本を読んでいる最中だったので、慌てて机の中に隠した。
必死で平然を装いながら尋ねる。
「こ、こんな深夜に何の用かしら?」
良牙くんは、思い詰めた様子だった。
「ボク……お義父さんみたいな男になりたいって、ならないといけないんじゃないかって、強く思ったんです。女装なんかしている場合じゃないかもって」
私は驚き、焦った。
「そんな……いきなり、どうして」
「ボクがお義姉さんを守らないといけないのに、後で青くなっているだけでした……覚悟が、ボクには覚悟が足りないんです」
ここで筋トレに目覚めて、ガチムキのハードゲイに向かうのも一興ではあるが、私の理想からは掛け離れてしまう。その手の恋愛は様々なパターンが楽しめるマンガやラノベに任せて、実在する『受け』である良牙くんにその道を進ませる訳にはいかなかった。
私は懸命に口実を考えた。考えながら喋った。
「そうね。良牙くんの気持ち、良くわかるわ。でも、お父さんだって短期間であの境地に到った訳ではないのよ。何十年もかけて、地道な修行と研究の先に今のお父さんがいるの」
良牙くんは、ハッとした顔をした。効いてる、効いてるぞ。攻撃の手を弛めるな。
「お父さんの言う覚悟とは、困難を乗り越える自信の裏付けがある覚悟。諦めるとか、観念する時の覚悟とは意味が違うわ。その事を良牙くんは理解しているのかしら?」
父がそんなに深く考えて発言している訳ではないのはわかっていたが、今は後付けでも言葉に意味を含ませる必要があった。
「背伸びをする必要はないの。今はありのままの良牙くんでいいのよ。慌ててはダメ。一歩ずつ、踏み締めて進むことが大切だから」
私は、精一杯の穏やかな笑顔で良牙くんを見つめる。
「良牙くんが良牙くんを受け入れないで、誰が受け入れてくれるの? 自己受容は人が生きる上で最も大切なこと。ありのままでいることと努力は、決して矛盾しないのだから」
「お義姉さん……」
良牙くんの私を見る目が、再び尊敬の眼差しに変わっていた。あと一押しだ。
「まず、ありのままの自分を好きになりなさい。自分を愛せる人が、能力を発揮できて、人にも優しくできる。自分の個性に自信を持って。光をあびて歩くの、少しも寒くないから」
しまいには、自分でも何を言っているのか、よくわからなくなってしまったが、取り敢えず良牙くんの説得には成功した。
今後も良牙くんの美を追求することで片が付く。
「お義姉さん。ボク、お義姉さんの義弟になれて、本当に良かった」
部屋を出て行く時、良牙くんは言った。
「忘れないでね。自分を好きになるのよ」
私はそう言って見送った。
私?
私は自分が嫌いだ。
気位が高くて、リアルの友だちがいない。BLの世界に逃げ込んで、恋愛どころか片思いの経験すらロクに無い。
なのに、電車に乗るとチカンばかり寄って来て、お尻を撫でられても、胸を揉まれても、怯えるだけで声一つ出せない。
そんな自分が大嫌いだ。
だけど……。
良牙くんといる時、私は少しだけ強くなれる。優しくなれる。
そんな時、私は少しだけ自分を好きになれる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます