第49話 忘れ物

糸雨しゆう


 フォークダンスの円陣を眺めていると、ふいに後ろから声をかけられた。俺を下の名前で呼ぶ声は……。


「かすみさん……」


 黒髪を後ろに一つで縛って、飾り気のない普段着とサンダル姿の女性が立っている。母だった。


「いまの陸郎くん? 大きくなったねえ」


 目の上に庇を作るように、手をかざして、かすみさんは遠い目をする。赤根崎と藤村は近いところまで来ていた。


「見に来てたんだ」


「演劇も観させてもらいました、糸雨は嫌だったかもしれないけど」


 かすみさんは頭をぼりぼりと掻く。


「客席に金髪の背の高い娘がいて、かわいかったな。フォークダンスで糸雨の隣だったでしょ?」


「それが瑠璃垣だよ」


「そっか、彼女が瑠璃垣さん。覚えました。金髪のかわいい娘」


 あれだね、とかすみさんは瑠璃垣を指差す。


「今度、家に遊びに連れてきてよ。お話ししたい」


「息子の同級生相手に、何考えてるんだ」


「やだなあ、お話しするだけだよ。そのあと、絵本に登場してもらうかもしれないけど……それは、彼女次第かなあ?」


 残念ながら、かすみさんは作品のことしか頭にない。極度のワーカホリックで、日常生活のどんなことも絵本に取り入れてしまう。


「今回は文化祭の資料集めに来たの?」


 と俺が尋ねると、かすみさんは一瞬目を見開いて、それから不敵に笑った。


「ふふん、見るべきものは見ました」


 それから俺のお腹をつついて、


「それじゃあ、帰ります」


 と言った。


「伊織は?」


「伊織さんには嫌われてるからね」


 ああ、そういえば、と言って、かすみさんはポケットから、小さな紙袋を取り出した。忘れ物を渡しに来たんだ、と言う。


「あんまり遅くならないように」


 かすみさんは紙袋を押し付けるように俺に渡すと、そのまま帰っていった。


+++


「お義母さん来ていたの?」


 フォークダンスが終わり、一目散に俺のところに駆けてきた伊織は、開口一番にそう言った。


「かすみさんをそう呼ぶな」


「どうして呼び止めておかないの。ご挨拶したかったのに」


「だから、帰ったんだろ」


「……私は、お義母さんに嫌われているからねえ」


 伊織とかすみさんは、互いに同じことを言う。


 俺はそれが何故かを知っている。けれど、俺は伊織みたいにわがままではないから、二人に仲良くなってもらいたいとは思わない。


「伊織、このあと時間ある?」


 俺はポケットの中のものを握り締めた。

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