第50話 緑の瞳の恋人

 時間ある? と尋ねた俺の言葉に、伊織は怪訝な顔をした。


「時間って、そりゃあるけどさ……」


 何が言いたいのか分からないという感じだった。クラスの打ち上げ会まではまだまだ時間がある。


「何か大事な話?」


 伊織は覗き込むように、俺の目を見た。グラウンドの眩しい照明の光が差し込んで、緑の瞳がいつもより明るく見えた。俺は眩しくて、目を細める。


「いや、大したことじゃない……」


「その口調で?」


 口がからからに乾いていた。声が重くなる。ポケットの中のものを握り締める。


「これを渡そうと思って」


 俺は紙袋を、伊織に差し出す。それはポケットの中でくしゃくしゃになってしまっていた。けれど、伊織は無心で俺を見ていた。


「バイトの給料で買ったんだ」


 一瞬、伊織の瞳がきらりと光った。何てことない表情が明るくなり、頬に赤みが増す。


「ぷ、プレゼント……?」


「嫌でなければ、受け取ってほしい」


「君がくれるものが、嫌なわけあるか!」


 伊織は俺に抱き着いてきた。ぴったりと伊織の体温が張り付く。


「君はばかだなあ……。私は君の恋人なんだよ? もっと自信をもちなよ」


 俺は体温が上がるような気がした。


「と、とりあえず、これ」


 伊織に紙袋を渡す。受け取った伊織は、開けてもいい? とわざと間を作る。


「そのために渡したんだよ」


「そうだよね、開けちゃうよ?」


 俺は黙って、頷いた。伊織は紙袋を開いて、中を覗き込む。それから、中身を取り出して、目の高さに掲げた。


「綺麗な青色……」


「藍染めなんだ」


「ふふっ、君の名前と同じ?」


 伊織は小さなアクセサリーを飽きずに眺めている。と思ったら、伊織の瞳が潤んできて、彼女は目元を拭った。俺はどうすればいいか分からなくなって、


「ごめん、こんなもので」


 と言うと、


「……君はほんとうに、分からず屋だな」


 伊織はこれ以上ないくらい眩しい笑顔で言った。


「私が君をどれほど好きなのか、まだ分からないの?」


 伊織を揶揄おうとした言葉が出なかった。泣くほど好きなんだろ? と言おうとして、開いた口は別のことを言った。


「惚れた弱みってやつだよ。ずっと片思いみたいな気がするんだ」


 それを聞いた伊織は、にっこりと笑って、


「私たちは似た者同士だねえ」


 と涙をこぼした。伊織の大切な気持ちが形になったようなその雫があまりに綺麗で、俺は思わず手を伸ばしていた。伊織の頬を手のひらで包み、親指で涙をぬぐうと、伊織は心地よさそうに目を細めた。


「私は、君の瞳が好きなんだよ」


 手のひらにぴったりと頬を寄せて、伊織はまぶたを閉じる。


「君だけが、私の瞳をじっと見つめてくれたから」


 伊織がゆっくりとまぶたを開いていくと、彼女の中の宝石が姿を現して、その美しい光で俺を射抜いた。


「君が好きだ」


 俺は、伊織の言葉をしっかりと受け止める。むず痒いくらい、まっすぐな言葉だけれど、それは不思議なほどすんなりと浸み込んだ。


「伊織は、俺には眩しいよ。だけど、俺は伊織をそばで見ていたい」


 俺も伊織が好きだ、と言った。


「俺は、伊織の瞳に一目惚れしたんだ」


 はじめて伊織に会ったときから、俺は伊織が好きだった――


+++


 文化祭は無事終わり、打ち上げ会もつつがなく済んだ。学校は次の日からいつも通りに始まって、昨日までの時間が嘘みたいに思えるほど、あまりに自然に日常が戻って来た。


 俺たちはまだ浮かれているけれど、直に期末テストがやってきて、いつまでも文化祭気分ではいられない。一つひとつ、文化祭の名残を片付けながら、俺たちは次への準備を粛々と始めていく。


 俺は葉山に許可をもらって、クラスの片付けを抜け出し、図書委員の展示教室に向かう。


 空き教室の前に伊織の背中が見えて、俺は彼女の名前を呼ぶ。


 伊織が振り返ると、廊下が少しだけ明るくなったように感じた。緑の瞳が俺を捉えて、きらきらとした光で魅了する。


「君、遅かったね」


 憎まれ口をきく伊織は、俺の大切な恋人だ。

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緑の瞳の怪物はだれ? 茜あゆむ @madderred

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