平成のラノベをやっている場合ではない

バルセロナに行ったことがある。


4日間ほど滞在した。ガウディさんが設計した建造物を眺めたり、パエリアをしこたま食べたり、喉に詰まったパエリアを白ワインで流し込んだりと、楽しい時間を過ごした。


1日目の旅程を終え、事前にネット上で予約していた宿にチェックインをする。ドミトリー、つまりは相部屋の安宿で、2段ベッドが4つの8人部屋である。1泊1500円ほど。何かしらの基準法に違反してないとおかしい価格設定だ。私は旅宿の選定基準として安さに重きを置いている。ひとり旅の宿なんて(2つの意味で)目を瞑れればそれでいい。それに、旅にはそれぞれ相応しい価格帯がある。青年のひとり旅には安宿がよく似合う。決して資本主義の敗者による言い訳ではない。


受付でスタッフの女性に「予約した水野らばです」と拙い英語で伝え、パスポートを差し出す。バルセロナではまあまあ英語が通じる。パリのように「英語なんか使ってたまるか」という気骨もない。女性は私のカタコト英語に応戦するようにカタコト英語で私を案内してくれた。


ベッドやロッカー、バスルームキッチンの使い方などを教えてもらう。これまたカタコトの英語なので正確にはわからなかったが、まあ常識的解釈でなんとかなる。もしかしたら、キッチンを指して「ここから先はスタッフ専用だ。ここに入ったらお前は食材だ」みたいなことを言っていたかもしれない。


案内が終わり、私は自分のスペースたる2段ベッドの上段にゴロンと横になる。そこで私は思った。


「私、女の子だと思われてない?」


まず、今いる2段ベッドの下のスペースには明らかに女性が寝転がっている。周囲を見渡してみても、おそらく女性だろうと思われる人しかない。そういえば、「ここを使え」と言われたバスルームの扉にも女性用を示すピクトグラムがあった。さらにいえば、カードキーで入ってきたこのフロアの扉には女性専用と書かれていたような気がする。


私は男性にしては比較的髪が長く、体格も小柄である。髭もかなり薄いし、服装も男性性を強く意識させるものではない。大柄で筋骨隆々な短髪の男性が多いバルセロナの人から見れば、東アジアのちんちくりん小娘に見えてもおかしくはない。


ベッドを降り、フロアの外に出て確認してみる。扉には堂々と「Ladies Only」と書かれていた。やはり女性用のフロアだ。完全に女の子だと思われている。なんなんだ。バルセロナに来てまで、こんな平成後期のラノベをやっている場合ではない。どうすればいいのか。3泊あんねんぞ。


心を落ち着けるため、とりあえず自分のベッドまで戻る。ベッドの梯子を登るときに下の住人たる女性と目が合った。ベッドの上に鎮座し、私は思案する。


どうにか男性であることを隠し通さなければならない。前髪を下ろせばある程度顔を隠せるだろうが、限度はあるだろう。メイクとかした方がいいのかもしれない。どうせなら可愛くしたい。あの目元をキラキラさせるやつやってみたい。服装も変えた方がいいのか。そういえば、品のあるハイネックワンピースを着てみたかった。体系的に似合わないからと諦めていたが、今なら着てもいい気がする。


なんだか楽しくなってきたな。


もう、本格的に女の子になってしまって良いかもしれない。


私は心身ともに男性であるが、前々から「可愛らしい存在になりたい」とは思っていた。いい機会だ。髪型も思い切って紫のウルフボブにしよう。大きめのフック式ピアスをつけてもいいし、チョーカーもしたい。デートの待ち合わせ場所に早く来て、手鏡を見ながら笑顔の練習をする可愛らしい女の子にもなりたい。結構かわいいと思う。あとは可愛い女の子アイドルにもなりたい。私の歌とダンスと笑顔でみんなを元気にするのだ。


セーラー服姿の私が放課後の教室で好きな男の子とリプトンのミルクティーを飲みながら喋っていると、扉を開けて宿の利用客らしきラテン系の女性が入ってきた。彼女は私の顔を見て怪訝そうな顔をしている。


結局、受付まで行って「私は男性です。男性フロアにしてください」と伝えた。スタッフの女性は「ソーリー、ジェントルメーン」と言っていた。

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