仲良くなるのに夏目漱石は遠回り

先日、カフェでコーヒーを飲みながらニコニコしていると、隣に男女4人組が座った。彼らの会話が聞こえてくる。どうやら彼らは大学サークルの友人同士であるらしい。ケーキを食べながら、運営がどうの新入生歓迎会がどうのという話をしている。羨ましい限りだ。大学生の頃の私は友人がひとりもおらず、大学の教官とビジネス勧誘の人としか会話をしなかった。私もサークルの友達とケーキを食べたりしたかった。


彼らの話を聞いていて気が付いたことがある。4人のうちのひとり、パーカーの女の子、なんも知らねえ。


彼女はその場で常識とされるような言葉や事柄についてあまり知らず、「それって何?」「どういうこと?」と逐一聞いていた。彼女が質問を挟むことによって会話が途切れ、話がなかなか進んでいかない。私は彼らの空気が悪くなるのではないかと懸念したが、他の3人は彼女の質問に対して懇切丁寧に答えており、楽しげで和やかな雰囲気が続いていた。


ここで私は思った。


「聞けばよかったのかよ」


先述の通り、私は大学生の頃に友人がひとりもできなかった。理由は明白で、人間と喋ることが不得手だったためだ。授業などで誰かと言葉を交わす機会はあるものの、何も発話することができず、下を向いてやり過ごしていた。4回生から所属した研究室のゼミでは、私の社会性が乏しいばかりに、私と教官ふたりだけのゼミが別日に設けられるようになった。そんな感じなので、友人などひとりもおらず、キャンパス内を群れをなして闊歩する大学生を指を咥えて見ていることしかできなかった。


なぜ喋ることができなかったかといえば、周囲の人間の言っていることが理解できなかったからだ。自分の無知が恥ずかしく、また相手の気分を害することを恐れ、「それなに?」と聞けなかった。そして、自分の殻に閉じこもる。しかし、パーカーの彼女を見ていると、私がいかに間違っていたかがわかる。会話を止めてもよかったのだ。知らないことは欠点にはならず、むしろ親しみやさすさにも繋がることもある。「人間と仲良くなるために言葉を知るところから始めよう」と夏目漱石を読み始めたのは遠回りだったという他ない。夏目漱石の著作を読破した頃、友人ができないまま大学生活が終わった。


もっと早く気が付いていれば、違った大学生活、違った人生があったのかもしれない。


私は来月より就職をする。知らないことがあれば、ちゃんとその場で尋ねようと思う。


「水野さん、次のプロジェクトは、まずビジネスアナリティクスに取り組んでいこうと思います。データを収集し、ビジネスインテリジェンスツールを使用して、課題に優先順位をつけるんです。アジャイル開発を採用して、フィードバックを収集しながら進めていきましょう」


「あの、"アジャイル開発"ってなんですか?」


「"アジャイル開発"というのはですね、小さく作って小さくリリースするのを繰り返していくというものです。ウォーターフォールモデルに比べ、開発プロセスがフレキシブルなので、顧客ニーズに対応しやすいのです」


「何度も止めて申し訳ないんですけど、"顧客ニーズ"ってなんですか」


「水野さんって何にも知らないんですね」


「すみません」


「"顧客ニーズ"というのは、まあ、お客さんが満たされていない状態のことですね。言いたいのは、何かしら不満を抱えているお客さんを私たちの商品で嬉しい状態にしちゃおう、ということです」


「あの、ごめんなさい」


「また、わからないところありました?」


「"嬉しい"ってなんですか」


彼女は無言で私を見つめた。問いにどう答えようか考えているようだ。丸い瞳は少し潤んでいる。すると、彼女は静かに私の方へ歩み寄り、そのまま私を抱きしめた。咄嗟の出来事に私は動けずにいる。彼女の体温が身体に滲んでくる。


「どう?」


彼女の腕に包まれ、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「ずっと、こうしていたいです」


「それが"嬉しい"よ」


「コレガ、ウレシイ?」


やりすぎるとアンドロイドになるらしい。



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