森田剛のその先へ
旅行に勝負があるなら、それは荷物の量で決まると思う。
私には「旅行に持っていく荷物が少ないとカッコいい、多いとダサい」という価値観がある。私がリュックひとつで訪れた地の安宿でスーツケースを携えた旅行者がいれば「勝った」と思うし、観光地に手ぶらで来ている人を見れば「負けた」と思う。バックグラウンドの差異は重々承知だが、勝手に荷物の量で勝ち負けを判断している。そういうわけで、旅行の準備をしているときは、どれだけ荷物を減らせるかを考える。
ただ、荷物を少なくするにしても限度はある。荷物を減らせば、必要なものを現地で調達することになる。これにはやはりお金がかかる。普段の生活で使っているものを転用した方が遥かに安上がりだ。100円のカット野菜を2日に分けて食べているような私には全てを現地調達で賄うのは難しい。荷物は減らしたい、しかしお金はかけたくない。荷造りをしているときは、この二律背反が軟着陸できる場所を探している。そうして、膨れたリュックを見て「こりゃ負けたな」とため息をつく。
本当は森田剛さんになりたい。
アイドルグループ『V6』の森田剛さんには、仕事で海外へ行く際、パスポートやら財布やら小物だけを詰めたビニール袋だけを持ってフライトに臨んだという逸話がある。私はこのエピソードを聞いて衝撃を受けた。「海外だろうと同じ地球でしょ」とでも言わんばかりの振る舞い、近所を散歩するように海外へ行っている。あまりにもかっこいい。「荷物が少なすぎて入国審査で止められた」のオチまで完璧だ。私が森田剛さんと一緒に旅行をするとして、空港ロビーにビニール袋だけを手に提げた森田剛さんが現れたら、私はその場で平伏すると思う。私がどれだけ荷物のスリム化に努めようと、彼には敵わない。
ただ、アンダードッグの地位に安住し、いつまでも手をこまねいている私ではない。森田剛さんに勝つ秘策を持っている。
私は森田剛さんの「その先」を見たことがある。
京都で学校教員をやっていた頃、修学旅行の引率をした。ホテルのロビーでわらわらとする生徒たちの中、ある女子生徒に目が止まった。彼女はごく普通のキャリーケースを携え、ごく普通のリュックを背負っている。ここまでは何の変哲もない。しかし、特異な点がひとつだけある。彼女はバスケットボール大のぬいぐるみをふたつ腕に抱えていた。まるまるとした可愛らしい動物を両腕に抱き、ぷにぷにと揉んでいる。
彼女は森田剛さんの『その先』である。
明らかに旅行に必要のないものを持って来ている。もちろん、彼女の主観としては、ぬいぐるみは修学旅行に必要なのだろう。しかし、外野から見れば、旅行にぬいぐるみ、それもバスケットボール大のぬいぐるみをふたつ持ってくるのは、やはり「要らねえだろ」と思わざるを得ない。彼女を見た瞬間、これこそ森田剛さんに勝つ秘策だと思った。森田剛さんの「その先」。今まで、旅行の荷造りはどれだけゼロに近づけるかの競技だと思っていた。そして、ゼロに限りなく近い森田剛さんが絶対王者として君臨している。しかし、マイナスの世界があったのだ。
荷物は少ない方がカッコいいが、不必要そうなものに関しては多い方がカッコいい。
空港のロビーはひどく混雑している。連休の初日だ。どいつもこいつも浮かれている。森田剛さんは今日もビニール袋だけを持って現れるだろう。そして、自分が負けるわけないと高を括っている。それもそうだ。ビニール袋だけを携えて海外へ行くなんて常人にできる芸当ではない。ふらりと彼が現れた。手にはいつも通りのビニール袋。「ふふん」という顔をしている。彼は私の横に転がるスーツケースを一瞥した。彼は勝利を確信したことだろう。自分が孤高であることに寂しさすらを覚えているのではいないか。おれについてこれるやつはいないのか、と。しかし、この後、彼は敗北を思い知ることになる。見せてやるぜ、「その先」をよ。
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