第3話
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放課後。茜色に染まる校舎の中を私―――南雲チセはゆっくりと、そして一人静かに歩いていた。時折、窓から差し込む西日によって影が動き、そして壁に私のシルエットが映し出される。
外からは耳障りな雑音……もとい、他の生徒達の喧騒が聞こえ、それが私の耳に届く。廊下や下駄箱付近では生徒達の姿が見え、そして誰かの笑い声や足音、話し声が反響している。
私はその雑音から遠ざかる様に、静かな場所へと歩を進めた。しばらくすると、本校舎から少し離れた特別棟に辿り着く。ここは用が無ければ大抵の生徒は立ち寄らない場所だ。何故ならここはあまり使われない教室しか無いからだ。
まぁ、美術室やら音楽室やらには授業じゃなくても部活動とかで足を運ぶ生徒もいるだろうけど、視聴覚室だとかそういう何もない所は特に用事が無ければあまり行く事はない。だからこそ、ここに来る生徒はほとんどいない……と思う。
そんなこの学校の中でも特に人が寄り付かない建物の中に、普通の生徒ならまず寄り付かない、足を運ばない様な場所がある。特別棟の三階の隅にある一室。生徒相談室と銘打った小さなその教室。私にとって、とても大切な場所である。
私は生徒相談室の扉の前に立つと、特にノックとか声掛けもせずに扉をゆっくりと開ける。普通なら怒られる様な行動だけれども、別に構わない。だって、この部屋の主と私の間にはそういった事は全く必要が無いのだから。
部屋の中に入ると少し散らかった室内と、それに不釣り合いな程に整理整頓されたデスクと椅子が目に入る。そして部屋の真ん中にある来客用のソファーの上にはこの部屋の主が横たわっていた。
「……先生?」
私はその主たる先生に向けて呼び掛けつつ、彼の傍まで近付いていく。そして間近まで来るとその顔を覗き込む様にしてまた声を掛けた。しかし、反応は無い。聞こえてくるのは呼吸音と微かな呻き声のみだった。
「今日もお疲れ様、先生」
クスリと笑みを浮かべつつそう言うと、私はその場でしゃがみ込んだ後に先生の頬に触れた。スベスベしていて柔らかい先生の頬はとても触り心地が良かった。指先で撫でる様に優しく触れると……先生の体温が伝わってきて何だか嬉しくなる。ずっと触っていても飽きない位である。このままずっと起きなかったらいいのになんて思ってしまうけど、それはそれで困るのでそんな事にはならないで欲しいと思う。
それから私は次に先生の首元へ指を這わせる。細身な印象のある先生の首筋は男性らしく太くてしっかりしている。そして頸動脈辺りに指を移動させると、ドクンドクンと脈打っているのを感じる事が出来た。先生が生きている鼓動を感じられて、私の頬はつい緩んでしまう。
「……ん……ぅ……」
すると、眠っている先生が僅かに声を上げる。触り過ぎて、起こしてしまっただろうか。けれども、先生は起きたりはせずにそのまま眠り続けていた。よっぽど疲れが溜まっているのだろうか。
「……駄目だよ。少しは自分の身体を労わらないと」
自分一人の身体じゃないんだから、大切にして貰わないと困る。先生の身体は先生が思っている以上に脆いんだ。私がいないと本当に何にも出来なくなるんだから、もっと自分の事は大切にして欲しい。
「だから、浮気もほどほどにして貰わないと駄目だからね……」
私は先生の手を優しく包み込む様に握る。その手は暖かく、そして優しい感触がした。その感触を感じている内に段々と先生に触れたい欲求が高まってくる。
「先生は私以外の女に手を出したら駄目なんだよ? 分かってるの?」
寝ている先生へ向けて私はそう言うが、もちろん返事なんて返ってこない。別に返事を求めている訳じゃないからそれはそれで構わないんだけど。私は小さく微笑むと、握った手に少しだけ力を込めてみた。すると先生の手が僅かに動く。もしかして、私を感じたのだろうか。
「ふふっ、可愛いなぁ……」
思わずそんな事を呟いてしまう。今の私を第三者目線で見たら気持ち悪いと思われてしまうだろうか。……でも仕方ないじゃないか。好きな人が目の前にいるんだから。大好きな人が、手の届く距離に居るのだから。我慢なんて、出来る訳が無いよ。
そして私は名残惜しい気持ちを抱きつつも、先生の手から自身の手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。いつまでも寝ている先生を眺めていても仕方ない。
「さて、と……」
私は次の行動に移す為に移動をする。先生が起きる前に、やる事をやっておかないと。
「とりあえず、目星はついているから……」
私はそう口にしつつ、部屋の隅にあるコンセントの近くに移動した。そこにはコンセントタップが差し込まれているが、何も差されていないそれはとても不必要に思えた。
「いらない物は、処理しないとね」
そう言って私はその不必要なコンセントタップを引き抜いた。誰が差し込んだかは目に見えているけど、特にそれを言及するつもりは無い。……ただ、こういう余計な物は少なからず先生の生活に支障をきたすから、私が処理しておかないとね。
そして私はそのコンセントタップをポケットに入れてから、また移動をする。今度は先生が使う仕事用のデスクの前に来ると、そこに置いてあるボールペンの一つを手に取った。
「……また別のに代わってる」
それを観察しつつ、私は鼻元に近付けて臭いを嗅ぐ。安心する様な臭いと違って、敵意を感じる不快な臭い。度々こうやって、先生の私物をすり替えてくる泥棒猫がいる。質の悪い卑しい雌猫が。
私はそれを確認してから自分の鞄の中にペンを入れると、代わりに新品のボールペンを元あった場所に戻した。とりあえずは、こんなところだろうか。他に何か被害がある様なら、その対処もしないといけない。
「本当、いつか絶対に処分してあげないとね」
先生に手を出そうとする泥棒猫なんかには容赦は出来ない。先生は私だけのもの。私だけの先生で、私を救ってくれる人で……愛をくれる人なんだから。だから、私が守ってあげないといけない。
「私のものだって、マーキング出来れば一番良いんだけど……それをすると、文句を言ってくる人もいるかもしれないしね」
だから、今は我慢。だけど、いつか必ず先生の手を煩わせる奴らは皆処分する。先生は私だけを見ていればいいんだ。他の女なんて視界に入れる必要なんてない。だって、私しか知らない先生がいてくれれば、それでいいんだから。
「……ちゃんと見ててよね、先生。私は大丈夫だから」
そんな事を言った後、私は部屋から出ようと扉へ向かう。そして部屋から出る前に、もう一度だけ先生の寝顔を振り返って見つめた。私の脳内にその安らかで愛くるしい表情を焼き付けながら。
「愛してるよ、先生」
以前、遠回しに私に向けて愛していると告げてくれた先生に返す様にして、私は先生にそう言った。面と向かって言うにはまだ恥ずかしいから……今はこれが精一杯だけど。
「絶対に、私が守ってあげるから。私以外の女の所になんか、行かせないから」
これからも先生の側で、先生を守るからね? だからもう少しだけ待ってて欲しいな。私達の幸せの為に。だから今は……ここでお別れ。
「また来るからね、先生」
私は最後にそれだけを言ってから、もう一度だけ先生の寝顔を覗き見ると、部屋から立ち去った。
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