第2話




 ******




『北大路さんって、絡みにくいよね』


『あの子といると、こっちまで嫌な気分になるわー』


『あいつって顔はいいのに、全然笑わないよな』


 無口で無愛想。陰鬱で辛気臭い。可愛げが無い。輪に入れないはみ出し者。それがみんなが私―――北大路エリカに向ける印象の一部。


 私はみんなの輪の中に溶け込めない。私がいると周りの空気がつまらなくなってしまう。私がいては、邪魔にしかならないから。だから……私はずっと孤独だった。でも、それはそれで私は良いと思っていた。


 だって、私が一人だったらみんなに迷惑を掛けずに済むから。私のせいで変な気遣いをさせずに済むから。それに……私だって余計に傷つく事が無く、平穏に過ごせるから。


 そうして私はみんなとの間に見えない壁を作り、誰も傷つけない様にしようとした。何もしなければ、誰かを傷付けずに済むと思ったから。それが最善だって、そう信じて疑わなかった。


 実際、それは正しいのだと思う。だって、私一人が我慢すれば良いだけの話だったから。そしてその壁は上手く機能して、私もみんなも何事も無く過ごせていた。


 ……だけど。ある日を境に私の作り上げてきた平穏を乱す人がいた。余計な事を始めて私に迷惑を掛けてきた人がいた。それが……先生だった。


「北大路さんだって、好きで一人でいる訳じゃないでしょ?」


 私が一人で過ごしているところに、あの人は無遠慮でそうずけずけとやって来てそう言ってきた。私の事情だとか、私の心情だとか……そんな事、先生は知った事じゃないと言わんばかりに。


 正直、ムッとした。何だか私の事を憐れまれた様な気がして……私を不必要に卑下されている様なそんな気分になったから。だからこそ、私が先生に感じた第一印象はお節介な人だった。嫌な人だとも思った。


 なので、そう言ってきた先生を最初は無視していた。これ以上は関わらないで欲しかったし、私は無事に過ごせているのだから。余計な事はして欲しくなかったから。


「ごめんね。ちょっと時間を貰えると、嬉しいかな」


 だけど……そんな私を説得する様に、先生は何度も話し掛けてきた。だから、もっと嫌いになった。私のところへ来る度に無視をして、時には威嚇する様に睨みもした。それでも、先生は諦めずに私に声を掛けてきた。


「何か困ってる事や悩んでいる事があるなら、遠慮せずに僕に言ってね」


 先生にそう言われる度、私の心の中にもやもやとした感情が生まれていく。どうしてこんなにしつこく構うんだろう、とか。何で放っておいてくれないの、とか。……どうして私の事を気に掛けてくれるの、とか。


 それからも先生は私に色んな事を言ってきた。他愛のない挨拶から、少し踏み込んだ世間話まで、私と関わろうとし続けた。だから、私はその申し出を全て無視した。いつしか先生のそのお節介に対して嫌悪感すら覚えてしまった。


 私は嫌われている方が楽だから。誰かと深く関わる事に、慣れていないから。誰も傷つけないで済むなら、その方が良いに決まっている。そう思ってたから。


「ねぇ、北大路さん。これから僕と、特訓をしてみない?」


 けれど、そんな私の考えを嘲笑うかの様に、先生は私へそう言ってきた。正直言って意味が分からなかった。そもそも私は今までどんな申し出にも耳を貸さなかったというのに、それでもあの人は私に向けてそう提案をしてきた。


 そしてその特訓というのも、本当に意味が分からなかった。何の為なのか、何の目的で先生はそんな事を言っているのか、何を企んでいるのかと、そんな風に疑うのが普通だと思う。でも……それでも私は、先生に聞いてみたくなった。


「……特訓って、何?」


「君が学校生活で円滑に過ごせる様にする為にする特訓だよ」


「……どうして?」


「君が素敵な人生を送って欲しいからだよ」


 そう言って、先生は私に向けて柔らかな笑みを見せた。今まで見た事が無い様な笑顔だった。多分だけど、その時に私は先生に対して特別な何かを感じたのだと思う。


 ……だからなのか。私は乗り気じゃなかったけれども、その変な特訓というものに付き合う事にした。そしてその後に、私は理解する。先生が私に対して向けてくれた言葉の全てが……嘘偽りの無い、心からの気持ちだったという事。先生は私の事を本気で考え、心配してくれていた事を。


 私がそれを拒絶していたのは、ただ怖かったから。自分が傷つくのが嫌だから。だからこそ、人との距離を置こうとした。けれども……そんな私に、先生は正面から向き合ってくれた。そして私とちゃんと話してくれたのだ。


 そして先生との特訓を続けていくうちに、私は気付く事になる。私はただ、逃げていただけだった。逃げて、必死に自分の殻に閉じこもっていたんだ。その殻の中は辛くて、寂しくて、冷たくて、孤独だった。誰も私を受け入れてくれなかったから。私は独りぼっちだったから。


 でも、先生は私を見捨てなかった。そして手を差し伸べてくれた。それだけで、どれだけ私は嬉しかっただろうか。


「本当に、変な人」


 先生の事を想いながら独り言を呟いた後、私は口元を手で押さえながら小さく笑う。こんなにも誰かと一緒にいる事が楽しいと思えるなんて思わなかった。誰かと一緒に過ごす時間が心地良いと思うなんて想像もしなかった。


 それから私と先生との距離感は、最初の頃に比べて徐々に近くなっていった。最初はほんの些細な変化だったけれども、今では気兼ねなく話せて、一緒に食事をする事も出来て……呼び方も苗字呼びから名前で呼んで欲しいなんて私から言って、エリカって呼ばれる様になったりもした。


 こんな風になれたのも先生のお陰なんだと思うと、少しだけ心が温かくなる。だから、私はもっと先生と一緒にいたくて、先生の事を知りたくなって……それからも、先生から距離を取る様な行動はしなかった。


 先生との距離感を縮める為に、同じ飲み物を二人で分け合ったりもした。時には使っている私物を交換して、それをお互いに使うなんて事もした。最初は照れ臭さもあって躊躇う事もあったけれど、何度かする内に段々と慣れてきた。というよりも、私のものを先生が使っているのを見たりするのが凄く嬉しくて、気分が高揚した。


 こんな事をするのは、先生が初めてだった。この環境の変化にも驚いたが、それ以上に先生が私の生活の中に溶け込んでいるという事に幸せを感じた。


「私、今が一番楽しい」


 私はその気持ちを先生に伝えた。すると先生は照れ臭そうにしながら微笑んでくれた。そんな先生の表情を見て、私はまた胸が熱くなった。そして気付いたのだ。……ああ、そっか。この胸の高鳴りが……そうなんだって。


 だからこそ、今日も私はその気持ちを噛み締めつつ、先生との距離をまた縮めていく。ここ最近は先生と一緒に夜の散歩に出掛けたりしている。私が星が綺麗だと言ったからか、先生もたまに空を見上げてくれる。同じ景色を共有出来て、更に距離が縮まるのを私は感じた。


「ふふ……♡」


 自分でも分かるくらいに、今の私の口元はニヤけていると思う。先生が私の事を考えてくれる度に嬉しくなってしまって……もっともっと大好きになっていくから。だから、もっと先生には私の事を見ていて欲しいと思うし、もっと私を見て欲しいって思っている。


 だから私は、今日も明日も明後日も、これからもずっと先生に寄り添い続ける。だって、先生と一緒にいる事が私にとっての幸せだから。……いつかきっとこの気持ちを伝えられる日が来ると信じて。そして先生との未来に向かって進んでいくんだ。

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