第4話


「あと、散歩……というのは?」


「そのままの意味。勉強の合間の気分転換に、家の近くを歩いていた」


 エリカがやはり淡々とした口調で答える。


「昨日はね、星が綺麗だったよ」


「星?」


「そう、星。キラキラしていた」


「そうなんだ。それは良かったね。エリカは星を見るのが好き?」


 僕がそう尋ねるとエリカがこくりとだけ頷いて返事をした。僕は笑顔を作りながらそれに相槌を打って続きを話す。


「僕も好きだよ。星が綺麗だと嬉しくて心が躍る気分になるから」


「うん」


「でも、最近は忙しくてあまり星を見ている余裕もなくてね。昨日も帰りは夜だったけど、空を見上げるなんてしなかったな。……うん、たまには夜空を眺めながら散歩をするのも悪くないかもしれないね」


「……」


 僕の言葉にエリカは静かに頷く。彼女の表情は相変わらず無表情ではあるものの、どことなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか?


「……だけど、エリカ。気分転換だとか星を見たいとかの気持ちは分かるけど、夜に一人で外を出歩いたりするのは危ないからね。そこは気を付けてね」


「うん、分かってる。けど、先生。心配しなくても大丈夫だよ」


「ん? それはどういう事かな?」


「だって、一人じゃないから」


 エリカの返事に僕は小さく首を傾げた。その僕の反応に対して、エリカは無表情なまま僕の顔を見つめている。


「私一人じゃないから、何も一人で散歩する訳じゃないよ」


「あ……そっか。ごめん、僕の早とちりだったね」


 エリカの言葉を聞いて僕は慌てて謝罪をした。そして頭を掻きながら反省する。もしかすると、散歩とは言っても親御さんと買い物に行ったその帰りだとかで、彼女が言った通りにエリカが一人で出歩いている訳では無い可能性も十分に有り得るのだから。


「でも、夜は危ないから、本当に気を付けてね」


「うん。先生も、夜道には気を付けた方が良い」


「あはは。うん、そうだね。気を付けるよ」


 エリカが真剣な表情でそんな事を言うので僕は思わず苦笑してしまった。この歳になって生徒にそんな心配をされるだなんて思ってもいなかったものだから。


 けど、エリカにそんな心配をされるという事は、僕は相当に危うい感じでもあるのだろうか。とは言っても、僕みたいな冴えない人間が夜道に襲われるだとか、それこそ強盗だとか事故の可能性しかないと思うのと、何よりエリカと違って僕は大人なのだから、それほどは気にしなくて良いだろうけれども。


「でも、大丈夫だよ。先生が夜道を歩く時は、ちゃんと警戒をしているからね」


「……」


 僕の言葉を聞いてもエリカは何だか納得のいかない表情をしていた。どうして、そんな不安な目で見るのだろうか。


 そんな時であった。ふと時計を見ると、そろそろ昼休みが終わろうとする時間に差し掛かってしまっていた。


「あ、もうこんな時間か。エリカ、今日はここまでにしよう」


「うん」


 僕がそう告げると、エリカは特に不満そうな表情を見せる事もなく素直に頷いた。それから彼女は椅子を引いて立ち上がる。


「先生。今日もありがとう」


「いや、良いんだよ。僕もエリカと話すのは楽しいからね」


「……私も、先生と話すの、好き」


「あはは。そう言ってもらえて先生は嬉しいよ」


 僕がそう返すとエリカは少しだけ小さく微笑んでくれた。それはほんの僅かな表情の変化であったが、エリカの笑顔を見られた事に対して、僕も小さな満足感を覚えていたのだった。


 何かとエリカの事を悪く言う生徒も多いが、僕にとっては言葉と感情表現が少し不器用なだけで、彼女の性格はとても素直で子供っぽさがあり、話している内に微笑ましくなる事も多い。


 なので、早くエリカがみんなと普通に会話が出来る様になって、それで彼女の魅力がみんなに伝われば、彼女の学校生活も今よりずっと良くなるだろう。


 そうした明るい未来を想像しながら僕は彼女の頭を撫でた。すると、彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべるも、すぐに気持ちよさそうに目を細め、僕の掌に頭を軽く押し付けてくる。


 そうしてしばらくの間、彼女の頭を撫で続けているとふと彼女が顔を上げた。僕はどうしたのだろうと思って彼女に視線を向けたのだが、その瞬間、彼女と目が合う。


 じぃっと真剣な目でこちらを見つめているエリカの姿に僕は息を呑んだ。そのまま数秒の間、二人で見つめ合って居たが、不意に彼女が口を開く。


「ねぇ、先生」


「なんだい?」


「また特訓、してくれる?」


「ああ、もちろんだよ。エリカが良ければ僕は構わないよ」


 僕がそう返事すると彼女は嬉しそうに頬を緩ませてから頷いた。


「うん」


 その返事を聞いた僕も自然と笑顔になる。


「それじゃ、教室に戻るね」


「うん。またね、エリカ」


 エリカは最後にもう一度だけ僕の目を見つめるとそのまま背を向けて歩き始めた。僕は彼女が去っていく姿を静かに見送った。


「さて、僕もそろそろ仕事に戻らなくちゃ……」


 そんな事を呟きながら僕は自分のデスクに戻ると、手を組んで頭上に持ち上げて伸びをする。それから書類を取り出して、仕事に取り掛かり始めるのであった。


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