第3話


 そしてエリカがお茶を飲み終えたタイミングを見計らって、僕は自分の湯呑みと彼女の湯呑みを片付けて、また彼女と向かい合う形で椅子に腰を掛ける。それから僕はおもむろに口を開いた。


「さて、それじゃあそろそろ始めようか」


「……」


 僕がそう告げるもエリカは返事をしない。ただじっと僕を見つめているだけである。なので、僕は続けて彼女に指示を出す事とする。


「早速だけど、まずはいつも通りに深呼吸をしようか。それで落ち着いたら、僕の質問に答えて貰うから、そのつもりでね」


「分かった」


 エリカは小さく口を開くと、素直に僕の指示に従ってくれた。ゆったりとした動作で息を吸い、それから時間を掛けて吐くという動作を繰り返す。その間、僕は彼女を黙って見つめていた。


 そしてしばらくすると、エリカは息を吐いて力を抜いた。彼女の様子を見て大丈夫だと判断をした僕は再び口を開いた。


「それじゃあ質問させてもらうよ」


 エリカがこくりとだけ小さく首を縦に振る。それを確認してから僕は早速問い掛ける事にする。


「エリカは……そうだね。昨日はどんな事をしていたのか、話して貰えるかい?」


「うん」


 エリカが素直に返事をして、それからゆっくりと順序を考えながら話し出す。


「昨日は……」


「うん」


「ほどんど、家にいた」


「学校が終わってから、ずっと?」


「うん」


「そっか。じゃあエリカは家でどんな事をしていたんだい?」


 そう尋ねると、エリカは一度目を閉じて小さく息を吸い込んだ後で答え始めた。


「勉強と……散歩」


「そうか」


 エリカの言葉に僕は静かに頷いてから会話を続ける。


「その勉強って……具体的には、どの様な事をやっていたんだい?」


「今度のテストに出る範囲の予習」


「なるほど。エリカは真面目だね」


「ん。ありがとう」


 エリカは僕の言葉に特に反応するでもなく、ごく自然な返事といった感じでそう答えた。こうした他愛もない会話をする事、これがエリカとの特訓の一連の流れであった。


 具体的に言うと、彼女との特訓とは人との対話である。人によってはこれのどこが特訓なのかと思うだろうけれども、エリカにとってはとても重要な時間なのだ。


 彼女は感情が表に現れにくいのと、言葉が拙いせいで他人とコミュニケーションを取るのがとても苦手である。そのせいで彼女は友達と呼べる交友関係を築けず、孤独な毎日を過ごしていた。


 そこで始めたのがエリカとするこの特訓である。同年代の生徒達とは違うけれども、より多くの会話を僕とする事で他の生徒とのコミュニケーション能力の向上を目指しているのだ。


 初めの頃は僕と会話するにしても何を話して良いか分からず、会話らしい会話はほとんど出来なかった。しかし、これまでしてきた試行錯誤の中で徐々に会話が出来る様になり、最近ではこうしてある程度は気の許せる会話が出来る様にまでなった。


 なので、エリカの悩みも近い内に解消が出来るのではないか、と僕はそう密かに期待していたりする。彼女が普通の学校生活を送れる日は、そう遠くないかもしれない。

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