第17話 それでも鳥羽シータは知ることを望みます

 五芒会議は、今日も紛糾していた。


「まったく食人植物には困ったものだ。か弱い我々の感じている恐怖は、強者のお前たちには分からないだろうな!」


 積み上げたクッションの上で声を張り上げる手のひらサイズの鼠は、キュウソのマシロ。


 千年を生きる化け鼠であり、力の弱い厄獣たちが集まる北区の代表者だ。


「ああ、由々しき問題だ。だが慎重に動かねばならない」


 低い声でゆっくりと告げた有角の人型は、ヤト。


 伝承に語られる夜刀神その人であり、厄獣の人口が多い西区の代表者だ。


「そんな悠長なことを言って、お前のところが出所なんじゃないのか! これだから人間の都合を考えない厄獣は!」


 椅子から立ち上がりそうな勢いでまくしたてるのは常世コタロウ。


 トコヨモーター、トコヨ支部の支部長であり、排他的な思考を持つ人間の集まる南東区の代表者だ。


「あらあら坊や、そんなに大声を出さないで? 元気なのはいいことだけれど、限度があるわ」


 穏やかにコタロウをたしなめるのは、ウブメドリのミハネ。


 人間に上位者としての愛を振りまく存在であり、人間と厄獣の共生を最も実現している南西区の代表者だ。


 四者にはそれぞれ、見るからに武力が高い護衛が控えており、この会議がただの懇親会ではないことをありありと示している。


 そんな海千山千の魑魅魍魎たちを前にして、本日の議長を務める安穏ヒルオは目に見えて冷や汗を垂らしていた。


「エー……まずは、北区に関する騒動について、ご報告してもよろしいでしょうか……?」


 恐る恐る議題を切り出すと、北区の管理を担当しているマシロは剣呑な目で安穏を睨みつけた。


「何だ? 俺の不手際を晒し上げるつもりか?」


「い、いえいえいえ、そんな滅相もない。マシロ様は日々、北区市民のために尽力されていますとも」


 慌てて機嫌を取ってきた安穏に、マシロは面白くないという目を向ける。ハムスター程度のサイズしかない厄獣とはいえ、本気になれば安穏の首を一瞬で掻き切ることができる実力者だ。


 無言で圧力をかけてくるマシロに、安穏の後ろに立って控えていたシータは――余計な口を挟まなかった。


 普段の彼であれば、ここで自分の感じたことをそのまま口にしていただろう。だが、ここはトコヨ市の今後の命運を左右する、薄氷の上を歩くがごとき危うい会合だ。


 このトコヨ市を崩壊させたくないのなら、会議中に一切言葉を発するな、と母親のミハネにきつく言い含められている。


 ほんの数秒の静寂のあと、ヤトは何でもないような顔で告げた。


「実際、お前のところの不手際だろう。そこまで市民の生活を管理できないのなら、北区の代表者から降りたほうがいい」


「何だと!?」


 強者の象徴であるようなヤトに言われ、マシロは一気に頭に血を上らせる。それに便乗するように、コタロウは言い放った。


「弱者がいきがるからそんなことになるんだよ! 北区の自治権は返上して、うちに任せたらどうだ? 少なくともお前が統治するより、市民にいい生活を送らせられるぞ?」


 コタロウの申し出に、さっと顔を青くさせたのは安穏だ。


 現状、コタロウの勢力圏は南東区だけだ。もしここに北区が加わってしまえば、二つの区に挟まれている東区が、なし崩し的に勢力範囲に加えられかねない。


 だが、それをそのまま口にすれば、コタロウの機嫌を損ねるのは間違いない。慎重に言葉を選んで安穏が発言しようとしたその時、鈴が鳴るような美しい声でミハネが口を挟んだ。


「あらあら、今の議題はそこではないわ? まずは市役所さんの報告を聞きましょう?」


 やけに耳に馴染むその声に、争っていた三者は一旦刃を収める。


 ウブメドリのミハネ。


 他の地域の伝承では天女や天使と呼ばれることもあった彼女は、加護と舌禍の災厄を同時に発現している。


 彼女自身は穏やかな気性だが、もし怒らせようものなら、神として今でも崇められているヤトですら手こずるだろう。


 そんなミハネにフォローされ、安穏はハンカチで額の汗を拭いながら、タマキによってギリギリのタイミングで届けられた資料を読み上げた。


「東区、サクラマス通りで起きたテン族の暴動は、市役所職員によって収められました。これに伴う死者怪我人は、ともに0名です」


 安穏はちらりとマシロの様子を伺う。マシロは不機嫌な顔を隠さずに資料を見つめていた。


「テン族の族長の要請により、東区は彼らの居住場所を臨時で提供しました。この先数ヶ月かけて、彼らが自活できるように援助を続けるつもりです」


 書類通りの内容を読み上げる安穏に、ヤトはぎろりと鋭い目を向けた。


「市役所。お前たちの行う援助は、当人に要請された場合のみに行われる。その認識は変わっていないだろうな」


「も、もちろんです。部下や同僚たちにもしっかりと周知しています」


 こくこくと首を縦に振り、安穏は付け加える。


「トコヨ市役所は、全市民に福祉と保障を提供します。ただし、他地区の住民にそれを強制することはありません。助けを求められたときのみ、我々は動くことができます」


「ああ、そこを見誤られるとこの町の均衡は崩れる」


「そうねぇ。悲しいけれど、色々な考えを持つ子たちが共存するには、複数の共同体がそれぞれを治めないと成立しないもの」


 ヤトとミハネがそれに同調し、マシロは不機嫌そうな顔のまま頷く。コタロウは瞳の奥底に野心を燃やしながら、安穏の一挙一動から弱みを握ろうと目を光らせていた。


 そんな面々からの視線を一身に受けながら、安穏は会議を先に進める。


「次の議題に移ります。我々市役所は、くだんの食人植物について新しい情報を得ました。お手元の資料の二ページ目をご覧ください」


 安穏は自分も資料をめくり、内心、緊張でがくがく震えているのを覆い隠して声を張る。


「先日、トコヨ市役所は、北トコヨ緑地公園にて無料配布されていたポケットティッシュに、食人植物の種子がおまけのようにつけられていたことを確認しました。その現物がお配りしたそちらです」


 会議の出席者たちは、それぞれの目の前に置かれたポケットティッシュに目を向ける。密封されたビニール袋に入ったそれを、厄獣である三者は興味深そうに観察しはじめた。


「ほう、ポケットティッシュとはこういうものか」


「小さすぎて、わたくしが使ったらバラバラに破いてしまいそうねえ」


「俺にはでかすぎるな。寝心地は悪そうだが、ベッドにできそうだ」


 人間の生活圏、特に庶民の間でしか流通していないものだからだろう。厄獣たちは無邪気さすら感じる物珍しそうな目で、ポケットティッシュを確認している。


 彼らには怪しい素振りは全く見当たらなかった。


 ――唯一、真っ青な顔をしている常世コタロウを除いては。


 安穏はコタロウの異変に気づいていたが、それには触れないまま、粛々と会議を進行しようとした。


「これを配布していたのはスーツ姿の人間でした。現在、トコヨ市役所はこのティッシュの出どころを探って……」


「あら、その必要はないわ」


「え?」


 ミハネの穏やかな声に遮られ、安穏は間抜けな声を上げて固まる。そんな安穏を置き去りに、ミハネとヤトは和やかに話し始めた。


「こうして犯人の手がかりが出てきたのだもの。ここからは各々で対処するべきじゃない?」


「ああ、これ以上大事にするのはよくないだろう。……この意味が分かるな、市役所?」


 その言葉に隠された意図を安穏は察する。


 先程の素振りを見る限り、食人植物の元凶にコタロウが関与していることは明らかだ。


 ポケットティッシュという人間の生活圏でしか使用されないものが媒体に使われており、その上、それを配って回っているのがスーツ姿の人間となれば、自然と疑わしいのはトコヨモーターということになる。


 状況証拠は揃いきっていた。だが、ここでトコヨモーターの責任を追及するのはまずい。


 人間至上主義であるトコヨモーターが、人間も厄獣も無差別に捕食する存在を作り出していたとなれば、人間と厄獣の両者から反発の声が上がる。


 最悪の場合、トコヨモーターが信用を失い、せっかく三十年かけて築き上げてきた厄獣と人間の共生社会があっさりと崩れることになる。


 そこまで一瞬で思い至った安穏は、資料を置いて頭を下げた。


「分かりました。トコヨ市役所はこの件から手を引きます。あとはそれぞれに任せます」


 市役所としての立場を表明した安穏に、マシロは野次を飛ばす。


「はっ! まだ被害が広がるようなら、その時は五芒協定の解釈を見直すことになるかもなぁ?」


「ええ、悲しいけれどそうせざるを得ないかもしれないわ」


 最悪の事態を暗に示しつつも、北区のマシロもこの一件から手を引くことを否定しなかった。


 コタロウだけは青い顔のまま黙りこくっているが、会議の結論は出たようなものだ。


「それでは決議を取ります。食人植物事件について、五芒同盟としては手を引き――」


 安穏が会議を締めようとしたその時、突然、会場の窓から飛び込んできた小鳥がミハネの肩に舞い降りた。


 小鳥に耳元で何かをささやかれ、ミハネは素っ頓狂な声を上げた。


「ええっ、タマキくんが!?」


 思わぬ形で大切な後輩の名前が出てきたことに驚き、シータは何があったのかと口を開きかける。


 無礼に当たらないように素早くそれを手で制し、安穏は恐る恐る尋ねた。


「あの、ミハネ様。うちの部下のタマキに何かあったのでしょうか……?」


「それが……くだんのスーツの集団に、誘拐されたって……」


「ええっ!?」


 驚きの声を上げる安穏に対し、今まで上位者としての余裕を保っていたミハネは可哀想なほど落ち込んでいた。


「小さなあの子が一人でちゃんと帰れるか心配で、わたくしの小鳥を一羽見張りにつけていたの。でも、スーツの集団にワゴン車で連れ去られて見失ったらしくて……」


 おろおろと言うミハネに、安穏は他に情報はないかと尋ねようとする。だがその寸前、事態を静観していたヤトが口を挟んだ。


「だが我々には打つ手はないな」


「うう、そうねぇ、残念だけど何もできないわ……」


「犯人が名乗り出れば、話は変わるかもしれないがなぁ?」


 あくまで自分たちは介入しないと表明する彼らに視線を向けられ、コタロウは荒々しく席を立った。


「一体何を言っているか分かりませんね。そんな男がどうなろうと知ったことではありませんよ! 私は会社に帰ってやらなければならないことがあるのでこれで失礼します!」


 そのまま退出しようとするコタロウを、シータは鋭い声で呼び止めた。


「【待ってください】」


 舌禍を行使され、コタロウは顔を歪めて足を止める。


 無許可の発言に加えて、舌禍の使用。


 控えている護衛たちを含めたその場の全員の視線が、非難の意図をもって一斉にシータに向けられる。


 その場で切り捨てられても仕方のない蛮行を、真っ先に咎めたのはヤトだった。


「加護を受けし人の子よ。ここは五芒会議。協定により、発言権の無い者の発言は禁じられているはずだが?」


 そう言いながら、ヤトはシータを睨みつける。


 人の姿を取っているとはいえ、神に直接睨みつけられているのだ。


 空気が数段重くなったような感覚を覚え、すぐ隣に座っている安穏はうまく呼吸できずに胸を押さえた。


 だがシータは、一切怯まなかった。


「はい、それでも発言します」


 押しつぶされそうなほどの重圧をものともせず、堂々と返すシータにヤトは面白そうに目を細める。


「発言をして何をするつもりだ? か弱く愛しい人の子よ」


「五芒協定15条に基づき、情報開示請求を行います」


 それまでやんちゃな子供を諭すような口調で尋ねていたヤトは、シータの発言に目を丸くした。


 五芒協定15条。情報開示請求権。


 協定の代表者たちのうち過半数の同意があれば、特定の議題に対して得ている情報を全て共有しなければならないという取り決め。


 今まで使われたことのないその権利を行使すると宣言され、ミハネは目に見えて焦り始めた。


「ねぇ、シータ。この世には曖昧なままにしておいたほうがいいこともあるの。責任の所在が曖昧であれば、この町の均衡は保たれる。そうでしょう、トコヨモーターさん?」


 話を振られたコタロウは、言葉に詰まる。ミハネは畳み掛けるように告げた。


「あなたが直接指示を下したわけではないことは分かってるわ。でも、あなたのところから出た膿だということは明らかでしょう? あなた、隠し事が苦手だものね」


「ぐっ……」


 唸ることしかできないコタロウに対し、驚愕に染まっていたヤトの目は、冷たく研ぎ澄まされた重い責任を背負う者の色に徐々に変化していた。


「人の子よ。私たちは人間を愛している。だからこそ、せっかく手に入れたこの町を失いたくはない。騒がしくて、愛おしくて、たくましい生に満ちあふれたこの町を、私たちは愛している」


 ゆっくりと染み込ませるようにヤトは口を動かし、ちらりとコタロウのほうを見た。


「彼が従えるトコヨモーターはこの町の人間社会の象徴だ。そんな彼らがこの騒動の元凶だと公表されたら、人間と厄獣が共存するトコヨ市の均衡は崩される。そのリスクを背負ってまで、どうしてお前は真実を求める」


 詰問じみた圧力とともに、シータは行動の理由を問われる。


 シータはまっすぐにヤトの目を見返すと、いつも通りに自分の主張を述べた。


「東雲タマキは、僕の大切な後輩で、相棒だからです」


 どこまでも素直なシータの言葉は、静かな会議室に響き渡る。そして、その名残が消えたころになって、ヤトは小さく笑った。


「いいだろう。私は情報開示請求に賛同する」


「……わたくしも賛同します」


 続いてミハネが意思を表明し、ちらりとマシロへと目を向ける。話を振られたマシロはシータの言葉を鼻で笑った。


「ばっかばかしい。俺は反対だな。個人の感傷でことを荒立たせようとするんじゃねえよ」


「……俺も反対する。一体何を言っているのかはわからないが、我々としても勝ち目のない争いは望まない」


 続いてコタロウが意見を表明し、残されたのはトコヨ市役所の代表としてここにいる安穏だけだった。


 緊張で気絶しそうになりながら事態を見守っていた安穏は、急に全員から視線を向けられて目を泳がせた。


 自分だって、部下の命は助けたい。だが、こんな強引な手段で真実を追及すれば、町の均衡が脅かされかねない。一人の上司としては同意したいが、この場を預かる責任者として迂闊な行動は支持できない。


 時間はかかるかもしれないが、もっと穏健な方法は――


「安穏室長、お願いします」


 シータは深々と安穏に頭を下げた。


「嫌な予感がするんです。どうか、賛同してください」


 普段の彼では考えられないほどの真剣な声色でまっすぐにそう告げられ、安穏は唇に力を込めて考え込んだあとに、ヤケクソのように叫んだ。


「あーもう分かったよ! トコヨ市役所は情報開示請求に賛成します! だから、うちの子を助けるヒントをください!」

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