第16話 母の愛はとても深いです

 まるで小さな子供に対して言うように、半人半鳥の厄獣は言う。そのどこか歌っているかのような心地よい声に、タマキは全身の力が抜けてしまいそうになった。


「あらあら、疲れちゃったのね。わたくしが抱っこしてあげましょうか?」


 よろめいたタマキの体を易々と受け止め、鳥人は問いかけてくる。その甘い言葉に身をゆだねてしまいそうになるのを、タマキはなんとか堪えた。


「っ、結構です……! 自分で歩けます」


 すんでのところで成人男性としての矜持を保ち、なんとか足に力を入れなおす。鳥人は少しだけ残念そうな顔をして、腕の中からタマキを解放した。


 そして、警戒して距離を取るタマキに、鳥人は心の底から心配しているという表情になった。


「坊や、ここは危ない場所よ? 帰り道はわかる?」


「……お気遣いいただいて申し訳ありませんが、俺は子供ではなく成人男性です」


 ともすれば侮辱ともとれる態度を取られ、タマキはほんの少しのいらだちを込めて、鳥人に反論する。すると、タマキの予想に反して、鳥人は申し訳なさそうな顔をした。


「まあ、そうだったの、ごめんなさい。わたくし、人間はみんな可愛い子供に見えてしまうの」


 そのまましおらしく落ち込んだ様子になる鳥人に、タマキはなんだか悪いことをしたような気分になった。


「……拒絶してしまいすみません。助けてくださったんですよね?」


「あらあら、ちゃんと自分から謝れるなんて、なんて良い子なのかしら! わたくしが頭を撫でてあげましょうね~」


 そんなことを言いながら、鳥人はタマキの頭をぐりぐりと撫でまわす。そこには100パーセントの善意しか込められていない。


 だが、そもそも相手は身長三メートルの巨大な生き物だ。そんな存在がたわむれに頭を撫でてきたら、命の危機を感じるのも仕方のないことだった。


「や、やめてください、首が折れますっ……」


「ふふふ、そんな失敗しないわよ。これでもわたくし、大勢の赤ん坊を育て上げてきたんだもの」


 ほのぼのとそんなことを言いながら、鳥人は満足がいくまでタマキの頭を撫でまわす。一方のタマキは、鳥人の言葉にとある推測にたどり着いていた。


「あの……もしかして貴女は、シータさんのお母様ですか?」


「あら? シータのことを知っているの? もしかして、あの子のお友達かしら?」


 鳥人は嬉しそうに頬を緩め、心地よい声色で尋ねてくる。タマキはいちいちそれに意識がぐらついてしまいながら、なんとか答えた。


「いえ、シータさんはただの職場の先輩です」


「そうなのね。あの子が先輩……先輩!? 何をやらせても一等に出来が悪かったあの子が先輩に!?」


 大げさに驚く鳥人に、タマキは言いづらそうに付け加えた。


「ええ、まあ……。素直に尊敬できる先輩とは言いづらいですが……」


「そうよねえ。あの子が立派な先輩になっている姿は想像できないわ。後輩のあなたに迷惑をかけてばかりなのではなくって?」


 子供を溺愛していそうなこの鳥人にすらこんな言い方をされているシータに呆れてしまいながら、タマキは一応フォローした。


「尊敬できるところもありますよ。何かと気を使ってくれたり、教えてくれようとしたり……結果は伴っていませんが……」


「その光景が目に浮かぶようだわ……」


 鳥人は、子育てに悩むただの母親のように頭を抱える。その気持ちがありありと理解できたタマキは、同様にため息をついた。


「そうなると、もしかしてあなたの目的地は五芒会議かしら?」


「はい。室長とシータさんが会議資料を忘れてしまったので、それを届けに来たんです」


「まあ、それで一人でここまで。頑張ったわねえ」


 再び頭を撫でられそうになるのを、タマキはのけぞって避ける。鳥人は撫でようとした野良猫に逃げられた人間のような顔をした後、タマキに手を差し出した。


「それなら目的地は同じだわ。一緒に行きましょうね」


「あ、ありがとうございます。ですが、手をつなぐのはちょっと……」


 子ども扱いされることに抵抗するタマキに、鳥人は仕方なさそうに言った。


「でも、霧の中で迷子になって、さっきと同じように幻覚に襲われたら大変よ? 行きだけでも一緒に行きましょう?」


「うぐ……」


 悔しそうにうなりながら、タマキは鳥人の手を取る。鳥人はにこりと笑うと、タマキの歩幅に合わせてゆっくりと歩き始めた。


「普段のシータについて聞いてもいいかしら? あの子、一応わたくしから巣立って市役所で働いているけれど、正直とても心配なの」


「お気持ち察します……。シータさんは、やることなすこと全て、少しずつ常識からずれていますし、表情が変わらないせいで真面目な話と冗談の区別もつきづらくて……」


「ふふ、分かるわよ。わたくしもとっても苦労させられたから」


 苦労したという経験だというのに、鳥人の声色は愛おしそうだ。本当に心の底からシータのことを愛しているのだと悟り――タマキはほんの少し、うらやましさを覚えた。


 母親からの愛を取り上げられ、幼いころの思い出も「ただの嘘だった」と否定されてきた自分には、彼女とシータの関係はまぶしすぎた。


 もし、自分の母親が、彼女のように自分を愛してくれていたのなら。


 もし、首都防衛隊に捕らえられることなく、彼女の愛を信じたまま育つことができたなら。


 そんな「もしも」が頭をよぎり、タマキの思考は再び暗い方向へと落ち始める。


 鳥人は陰鬱な表情になるタマキを心配そうに見てから、彼の気を紛らわせるようにお茶目な声を作った。


「じゃあ、坊やだけに教えてあげるわね。実は……シータは嘘をつくときにこうやって顎を触る癖があるの。本気か冗談かはそこで区別がつくわ」


 そう言いながら、鳥人は自分の顎をつまむように撫でた。


 思い返すと、今までもシータは顎を触るようなしぐさをしていたような気がする。


 たとえばそう、あのファミレスで「東雲マドカ」について尋ねた時。




『いえ、存じ上げません。東雲マドカという厄獣について、僕は何も知りません』




 あの時、シータは嘘をついていたんじゃないか?


 ぼんやりとしていた疑念が確かなものとなり、タマキの歩みは遅くなる。鳥人はそんなタマキを気づかわしそうな目で見つめ、さらに話を変えようと口を動かした。


「ところであなたのお名前を聞いていなかったわ。わたくしはミハネ。ウブメドリの族長と五芒協定の一角を務めているの。あなたのお名前は?」


「俺は……」


 タマキは一度言いよどんだ後、ミハネを見上げながらはっきりと答えた。


「俺は、東雲タマキ。東雲マドカの息子です」


 その言葉に対するミハネの反応は驚愕だった。彼女は目を丸くし、それから悲しそうに視線を落とす。


「そう……あなたがマドカさんの息子さんだったのね。言われてみれば、目元がそっくりね」


「っ、母のことを知っているんですか!? 教えてください! 母は今どこにいるんです!? 誰に聞いても教えてもらえなくて……」


 タマキは飛びつくようにミハネに問いかける。ミハネはどう答えるべきか悩んでいるのか、口を何度か開きかけては閉じた。


 そんなミハネの様子に、タマキの表情はさらに曇る。


「俺は、そんなに信用されていないんでしょうか」


「タマキくん……」


 悔しさをにじませて唸るタマキの頬に、ミハネは手を伸ばそうとする。だが、彼女の手がタマキに触れる寸前、聞き覚えのある声がそれを制止した。


「――タマキ後輩」


 顔を上げると、そこにいたのは平坦な表情をしたシータだった。


 彼の無表情はいつものことだというのに、今のタマキにはその空虚さすら疑いの材料に見えた。


「どうしてここに? 事務所で仕事をしていたのでは?」


「シータさん。あなた、ファミレスで俺に嘘をつきましたね」


 問いかけに答えず、タマキは硬い声色で追及する。シータは目に見えて動きを止めた。


「あなたは俺の母親の行方を知っているんでしょう。知っていて、俺に知られたらまずいから、知らないふりをしたんでしょう」


 そちらの嘘はもうすべて暴いているのだと、低い声でタマキは言う。シータはそれに、何も答えなかった。


「……そんなに俺のことが信用できないんですか」


 ぼそりと、タマキの口から疑念が漏れる。


 それは、この町に来てから――いや、外の連中に「保護」されてからずっと燻っていた思いだった。


「あなた方も、俺のことをいいように利用しようとしてるってことですか!? 壁の外のあいつらみたいに……!」


 怒りと悲しみと悔しさがないまぜになり、タマキは涙をにじませながら声を発する。


 ミハネはおろおろとタマキとシータを見比べた後、何かを言おうと口を開きかけた。


「タマキくん、あのね……」


「おかあさん、ダメです」


 ぴしゃりとそれを制止したのは、空虚な表情のシータだった。


 ミハネはそれに従い、口を閉ざす。


 自分よりも息子のシータを優先したのだという幼い嫉妬心が重なり、タマキは血が滲みそうなほどこぶしを握り締めた。


「……もういいです。これ、忘れ物の資料です。俺は帰ります」


 突き放すようにそう言うと、タマキはミハネの手を振り払い、封筒をシータに押し付けて踵を返した。


 自分を落ち着かせようと深呼吸をしながら、大股でタマキは歩いていく。逆に呪いの霧を、さらに肺に吸い込んでしまっていることにも気づかずに。


「はぁ、はぁ……」


 やがて霧が立ち込める場所から脱出したタマキは、人通りの多い交差点にたどり着いて立ち止まる。


 なんとか息を整えようとしたが、呼吸がどうしても浅くなってしまい、胸の奥底にある疑念も消えてくれない。


「……くそっ」


 小さく悪態をつき、タマキは顔を上げる。そして――ちょうど、その視界に入ったとある集団に目を見開いた。


「お願いしまーす、お願いしまーす!」


 それは、公園で見かけたポケットティッシュを配るあのスーツの人間たちだった。彼らが今配っているティッシュにも、不審なおまけがついているようで、ティッシュを受け取った市民たちが不思議そうにそれを見ながら歩いている。


 その姿を見た瞬間、タマキはそちらに駆け出し、リーダー格らしき男の肩をつかんだ。


「トコヨ市役所、生活安全課、厄獣対策室です。ご同行を願います」


 市役所の職員証を見せながら告げると、男は少し考えた後に答えた。


「……分かりました。従います。その前に荷物を車に置いてきてもいいですか?」


 やけに素直に同行に応じた男を不審には思ったが、今は何もしていない市民に暴力的な対応をするわけにはいかない。


 結果的に流されるまま、タマキは男が自分のワゴン車に荷物を置きにいくのに、タマキはのこのことついていってしまった。


 男はワゴン車の後ろを開けて荷物を置くと、不意に声を上げた。


「あっ」


 そのままうつむいたまま固まる男に、タマキはつられて男の手元をのぞき込む。だが、そこには何の異変もなかった。


「……なんだ、何もないじゃないか」


 不審に思ってそうつぶやいた次の瞬間、タマキの後頭部に鈍い衝撃が走り、ふらついたところをハンカチで口をふさがれた。


 どこか甘さを感じる薬品の匂いを吸い込み、タマキは全身を脱力させる。


 しまった。なんでこんな、古典的な罠に。


 薄れゆく意識で閉じていくワゴン車のドアを見ながら、タマキはふっと気を失った。

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