第15話 疑念は増すばかりのようです

 どやどやと騒がしく安穏とシータが外出し、事務所に残っているのはココとタマキだけになった。


 隣接している生活安全課の面々も、現在は離席しており、文字通り二人きりだ。


 タマキは軽く息を吐くと、自分に与えられたパソコンの画面を覗き込み、おぼつかない手つきで報告書を書き始めた。


 そんなタマキを斜向かいに座っているココはちらりと見て、さりげなく話を振ってきた。


「タマキくん、抑制剤の副作用がきついなら、他の種類の薬も試せるからね?」


「えっ、そうなんですか?」


 キーボードをゆっくり押していた手を止め、タマキは顔を上げる。ココは頷いた。


「三大災厄の中でも『飢餓』は一番、悲劇につながりやすいものだからね。いくつかの民間企業が競い合って抑制剤の改良を進めてるんだよ」


「そうなんですね……」


「まあ、もっと有り体に言ってしまえば、それだけ需要があるものだから企業も力を入れて研究してるってだけなんだけどね。崇高な使命感に駆られてる企業のほうが少ないのが現実だよ」


 社会貢献と自社の利益が重なった結果なのだと語るココに、タマキは納得する。タマキとしても、すべての会社が理想を追い求めていると言われるよりは、そちらのほうがまだ理解できた。


「だから、効果は弱くても副作用が少ない抑制剤もあるんだけど、試しにそっちに変えてみる?」


 ココに尋ねられ、タマキは一瞬考え込んだ後にすぐに首を横に振った。


「……いえ。飢餓に飲まれるのは、俺の一番恐れることなので」


 ただでさえ自分は、このトコヨ市に来てから『飢餓』をコントロールできているとは言い難い。それなのに効果の弱い薬に変えてしまえば、自分を抑えられずに暴走してしまうかもしれないと危惧するのは当然だった。


 任務中に飢餓を発現した自分は、壁の外から追放された。


 もう必要ない。どこにも居場所はない。


 夢の中で聞いたかつての上官たちからの言葉を思い出し、タマキは知らずのうちにうつむく。


 ココはそんなタマキの様子を気遣うような目で伺った後、努めて明るく言った。


「そっか。もし気が変わったときは遠慮せずに言うんだよ?」


「はい、ありがとうございます」


 タマキは小さくお礼を言い、自分の仕事に戻ろうとした。


 だが、昼休憩中に見たあの夢がなかなか頭から離れず、仕事は思うように進まない。


 優しかった母親への憎しみと執着。それがまるでコップを満たしていく雫のように徐々に水かさを増していき、タマキはやがてぴたりと手を止めた。


「ココさん」


「んー?」


「その……東雲マドカという名前に心当たりはありませんか?」


 それまでよどみなく仕事をしていたココの手がぴたりと動きを止める。タマキはさらに口を動かした。


「俺の母親なんです。トコヨ市に来ているはずなんですが――」


「ないよ。私達は何も知らない」


 食い気味に否定され、タマキは思わず押し黙った。


 違和感のある言い方だ。きっと、ココは何かを知っているのだろう。


 タマキはさらに追及しようと口を開きかけ――ココがこちらを見ずに職務にあたっていることに気づいて唇を閉ざした。


 今は職務中だ。違和感はあっても、問い詰めるのはきっと間違っている。


 タマキは芽生えてしまった疑念を無視して、自分の仕事を再開させようとした。


 しかしその時、タマキの目は、隣のシータの席に置き去りにされた茶封筒を見つけた。


 そこに書かれている文字列は、「部外秘・五芒会議資料」。


「ココさんこれって……」


 おそるおそる封筒を持ち上げながら問いかけると、それまでどこか冷たい緊張感を放っていたココは、ころりと人懐っこい表情になって大げさに嘆いてみせた。


「え、うわ、あちゃー。これ、五芒会議の資料だよ。二人とも忘れていっちゃったんだね」


「それって……かなりまずいのでは?」


「うん。相当まずい。五芒会議が行われる地区は携帯も通じないし、今日は生活安全課の連中もいないから完全に事務所を空けるわけにもいかないし……」


 ごにょごにょと言いながらココは悩み、十数秒後にびしっとタマキを指さした。


「タマキくん、君に任務を与えます」


「は、はい!」


 咄嗟に敬礼で返したタマキに、ココは笑顔で資料を手渡す。


「室長とシータくんを追いかけて、この資料を渡してきて! 大丈夫大丈夫、ちょっと危ない地区だけど……まっすぐ寄り道せずに帰ってきたら、怪我はしないと思うしさ!」


「り、了解いたしました!」


 不穏なワードが混じっていたが、それには気づかないふりをして、タマキは任務を拝命する。面倒ごとを押し付けられただけなのではという疑いも心の奥で抱いたが、意図的にそれも無視した。


 今は仕事に集中しよう。


 ついさっきココに取られた冷たい態度への違和感を無理やり飲み込み、タマキは資料を受け取った。





 そして数分後、笑顔で手を振るココに送り出されたタマキは、市役所の前でタクシーを呼び止めていた。


 片手を上げると通りがかったタクシーがすぐに減速し、タマキの目の前に停車して後部座席のドアが開く。


「いらっしゃい、市役所の職員さん。どちらまで?」


「中央区までお願いします」


「ち、中央区ぅ!?」


 座席に乗り込みながら目的地を指定すると、タクシーの運転手は素っ頓狂な声を上げた。


「お客さん、中央区なんて行っちゃいけませんよ! 死にたいんですか!?」


「すみません、そこで行われる会議に資料を届けにいかなければいけないんです。行けるところまででいいので、向かってくれませんか?」


 タマキが誠心誠意、運転手に頼み込むと、彼は嫌そうな顔を隠さずにしぶしぶ了承した。


「……分かりました。行けるところまでですからね!」


「ありがとうございます」


 トコヨ市は五つの区に分かれており、それぞれに存在する有力者の集団が区を統べている。


 だがそれは市民が居住できる安全な場所を指しており、一般人は立入禁止区域となっているもう一つの区があった。


 厄獣指定都市となる原因となった現象。


 トコヨ市中央に空いた常世への大穴。


 その周辺は中央区と呼ばれ、人間や力の弱い厄獣に害を及ぼす霧で満ちている、とタマキは聞かされていた。


「大穴の霧については、お客さんはご存知です?」


「あまり詳しくは。……そんなに毒性のある霧なんですか?」


「毒なんてもんじゃない。あれは呪いですよ」


 言葉にするのも恐ろしいと言わんばかりに、運転手はぶるりと体を震わせる。


「心の弱いやつがあそこに入ろうものなら、大穴の霧に惑わされて、幻覚を見るんですよ。そんで最悪の場合、錯乱して帰ってこれなくなるってわけです。……見たところお客さん、飢餓持ちの混じり者ですよね? だったら余計に気をつけたほうがいい」


 唐突に指摘され、タマキは咄嗟に胸元のプレートを手で隠す。運転手は声を上げて笑った。


「ははは、安心してくださいよ。俺も混じり者です。タクシーから放りだしたりしませんって」


 そう言いながら、運転手は自分の口を指で引っ張って、鋭い牙をタマキに見せる。


 一方タマキは、今しがた運転手が口にした不穏なワードが気になっていた。


「混じり者が、タクシーから放り出されることがあるんですか」


「んー? ああ、たまにですよ。特にトコヨモーターの傘下のタクシー会社は、混じり者はお断りって公言してますからね」


 トコヨモーターといえば、ここに来てから二日目に訪れたあの会社だ。次期社長から受けた扱いを思い出し、タマキは納得する。


「そうなんですね……」


 トップがあの様子なら、関連会社全体がそういうスタンスだとしてもおかしくはない。だが、どうしても昼に見てしまったあの夢の記憶が刺激され、タマキは渋い顔になる。


 抱きそうになっている猜疑心と捨てられることへの恐怖が、頭の片隅にこびりついて消えてくれない。


 そうしているうちにタクシーはどんどん進み、市街地の向こう側にあるゴーストタウンへと差し掛かっていく。


 大穴から漏れ出ているという霧は深さを増していき、窓を開けていないというのに息苦しささえ覚える。


「お客さん、こんなことを言うのはなんだが、市役所の舌禍には気をつけてくださいね」


「え?」


 突然運転手に話を振られ、タマキは間抜けな声で返す。運転手は霧の向こうを凝視しながら、口を動かし続けた。


「いるんでしょう? 市役所に飼われてる舌禍が。舌禍っていうのは俺達のような格下相手なら、『死ね』って命令するだけで殺せるんですよ。もしお客さんの近くに舌禍がいるなら、それはお客さんが暴走したときのストッパー役だ。最悪、舌禍で殺せば被害は広がりませんからね」


 彼の言っていることは、事実かもしれない。


 心の奥底で気づいていたことを改めて指摘され、タマキは唇を閉じる。


 飢餓だなんて危うい爆弾を抱えている自分を、ただの職員として運用するのはリスクが大きすぎる。だからシータというストッパーをそばに置いたのだ。


 それでも、いざとなったら殺されるとまで言われると、さすがに反論したい。だが、改めて思い返すと、自分にはそれに反論できる材料がほとんどなかった。


 周囲は親切にしてくれるが、何の意図もなく自分が親切に扱われるわけがない。そんな価値は自分にはない。


 自分という存在が危険だから、暴走しないように優しく扱われているだけなんじゃないか。


 いや、それは考えすぎだ。たしかに壁の外では、自分は大切に運用されたことはない。でも、最後の任務で使い捨てにされた時、やけに周囲は優しく接してきた。


 厄対の面々が自分に優しくしてくれるのは、それと同じなのでは?


 このまま周囲の人々を無条件に信じてもいいのか?


 ただでさえ、東雲マドカについて、何かを隠されているのに?


『いえ、存じ上げません。東雲マドカという厄獣について、僕は何も知りません』


『ないよ。私達は何も知らない』


 あそこまで否定してくるのは、俺が信用されていないからなのでは?


 普段なら絶対に思い浮かばない疑念が頭の中を支配し、タマキはうつむいて黙り込む。そんなタマキの様子に気づいた運転手は、片手で頭をがしがしと掻いた。


「悪いな。余計なこと言い過ぎちまった。やっぱり中央区に近づくと駄目だな」


 独り言のように言う運転手に返事をする余裕もなく、タマキは思考の渦に捕らわれていく。


 運転手はそんなタマキをバックミラーごしに見た後、タクシーを停車させた。


「色々言ってすみませんでした。俺が案内できるのはここまでです。あとは頑張ってくださいね、お客さん」


 そう言うと、運転手は後部座席のドアを締め、タクシーを発信させた。タマキはその後姿を呆然と見つめた後、進むべき道へと振り返った。


 道は一列に並んだ三角コーンで雑に封鎖されており、その中への侵入を強く拒んでいない。


 おそらく、力のない者が悪意を持って中に入ったとしても、そこには破滅しか待っていないということなのだろう。


 タマキは陰鬱な表情のまま、一歩ずつ霧の中を進んでいく。息を吸い込んで吐くごとに、体の中を霧の冷たさが蝕み、疑心暗鬼の自分が増幅されていく。




『もうお前の居場所はない』


『たとえトコヨ市に行ったとしても、お前を受け入れてくれる場所はない』


『トコヨ市の連中も、お前を使い捨てのコマだと思っている』


『お前は、人間からも厄獣からも疎まれる、混じり物なのだから』




 いつの間にか忍び寄っていた黒い人影が、タマキにそう囁いてくる。声を上げてそれを否定しようと思ったが、もしそうしてしまえば本格的に狂気に呑まれてしまうという予感で、タマキは唇を噛んでそれに耐える。


 とにかく、一刻も早く目的地にたどり着かなければ。そうすれば、この忌まわしい幻覚からも解放されて――


「あらぁ? ダメじゃない、坊や」


 まるで襲いかかる幻覚から守ってくれるかのように、タマキの視界は巨大な羽によって遮られる。自分を苛んできた霧の恐怖から一気に開放され、タマキは目を白黒とさせた。


「こんな奥地まで人間が入ってきたら危ないわよ~?」


 小さな子供をたしなめるような甘い女性の声が、真上から降ってくる。


 一体何がおきたのか理解できないままタマキが見上げると、三メートルを超える体躯を持つ鳥人が愛おしそうにこちらを見下ろしていた。


「あっ、もしかしておつかいの最中? 一人でできて偉いわねぇ」

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