第12話 知らない人から物をもらってはいけません
公園には、地方の市民イベントのように、老若男女様々な多くの市民が詰めかけていた。
そのほとんどは貧しい身なりをしており、騒ぎを聞きつけて物見遊山でやってきた野次馬は少ない。困窮という切実な問題を抱えた市民たちだということは、一目見れば明らかだった。
彼らは手に手に容器を持ち、我先にとイベントの中心に向かっている。
「タダで飯がもらえるらしいぜ!」
「肉があるといいなぁ」
無邪気に騒ぎながら自分たちを追い抜かしていった人間と厄獣の少年たちを見送り、タマキはつぶやく。
「本当に、ただの炊き出しのようですね」
「はい。みんな嬉しそうです」
シータの言う通り、集まった市民たちの表情は笑顔で満ちていた。幸せそうにしている彼らを見て、タマキは表情を曇らせる。
「今からこの炊き出しを止めなければならないと思うと、気が重いですね」
「うん。でも、ルールは守ってもらわないと、市民生活はぐちゃぐちゃになっちゃうからね。……どうやら注目されてるみたいだし、先を急ごうか」
ココに指摘され、タマキは周囲をさりげなく伺う。貧しい服装をしている彼らの中で、スーツ姿の自分たちは確かに浮いていた。
「ええ、スーツ姿で炊き出しに来るような人はいませんからね」
声を潜めて答えたタマキに、シータは異を唱えた。
「そうですか? 僕たち以外にも、あちらの方々はスーツを着ているようですが」
シータは無遠慮に、道行く先に立つスーツの集団を指さした。ココは慣れた手つきでそれを下ろさせて、シータをたしなめる。
「こらこら、シータくん。人を指さしちゃいけませんって、何度も言ってるでしょ?」
「すみません。伝達するのにわかりやすいので、つい」
「せめて改善する姿勢ぐらい見せてみない?」
「検討して善処します」
うだうだと話す二人をよそに、タマキはスーツの集団を観察していた。彼らは先を急ぐ貧しい人々に、何かを手渡しているようだ。
「お願いしまーす、お願いしまーす!」
声を張り上げて何かを配る彼らに、市民たちは警戒しつつも、もらえるものはもらっておこうという根性でそれを受け取っては、ポケットの中に入れている。
「……チラシ配りでしょうか」
ココに顔を寄せてタマキは尋ねる。ココは頷いた。
「うん、広告がついたポケットティッシュを配ってるっぽいね。市役所に申請が出てるならそれでいいんだけど……」
考え込むココに、タマキはさらに声を潜める。
「一応、話を聞いてみますか?」
「いや、今は炊き出しの件に集中しよう。ポケットティッシュだけもらっておいて、後で市民課に確認する段取りで」
「分かりました」
タマキはさりげない動きでティッシュ配りたちに近づくと、差し出されたポケットティッシュを受け取った。
「お願いしまーす! 生活に華を添えましょう!」
「ど、どうも……」
やけにテンションの高い男に笑顔を向けられ、タマキは半笑いになりながら彼らから距離を取った。
そのまま戻ってきたタマキの手元を、ココは覗き込む。
「どうだった? どこの集団が配ってるか分かった?」
「いえ……」
ココに促されてティッシュを裏返すと、そこには包装紙に包まれた飴玉らしきものと、手作り感があふれるイラストが書かれた紙が入っていた。
だがそこには、集団の正体を示す名称や連絡先はどこにも書いていない。
「うーん、きな臭いなぁ」
眉を寄せて唸るココに、タマキは頷いて同意する。シータもひょいっと上からそれを覗き込み、能天気に言った。
「それ、飴玉ですか? おやつに食べたいです」
ほのぼのと言うシータに、ココとタマキは呆れた声を上げる。
「シータくんさぁ、知らない人にもらった得体のしれないものは食べるなって教わらなかった?」
「その危機管理能力で、どうやって今まで生きてきたんです?」
口々に非難され、シータは不満そうに言い放つ。
「むっ。ちゃんと母は教えてくれました。僕が守っていないだけです」
「威張るようなことじゃないですよ。お願いですから言いつけを守ってください」
「タマキ後輩がそう言うなら仕方ないですね。先輩として後輩のお願いは聞きたいので。その上、僕たちは相棒ですからね。聞いてあげるのもやぶさかではないです」
ふふんと鼻を鳴らしながら、シータは偉そうな言い方で答える。タマキは笑い混じりのため息をついた。
「はは……。日を追うごとに、あなたと相棒をやっていく自信がなくなっていきますよ」
「そんなに自分を卑下しないでください、タマキ後輩。タマキ後輩は立派な僕の後輩兼相棒ですよ」
「そういう意味ではなくてですね?」
和やかな会話をしながら、一行は緑地公園の中心付近までやってきた。そこにあったのは、緑地の中央にそびえ立つ大樹だ。
三階建てのビルほどはありそうなその大樹を見上げながら、シータはぼんやりと言う。
「大きな木ですね、二人とも。こんなもの、ここにありましたっけ」
「私の記憶が確かなら、こんなの生えてなかったはずなんだけどねぇ」
大樹の枝には、調理済みの食べ物が至る所に実をつけていた。市民たちは命綱もなしに大樹に登り、下にいる仲間たちに食べ物を落としてやっている。絵面としては、さるかに合戦の冒頭のようだ。
木に登っているのは身軽な厄獣が多かったが、中には幼い子どもも混じっている。一つ間違えば、大きな事故に繋がりかねないことは間違いなかった。
ココは大きく息を吐くと、腰に釣っていたメガホンを手に取った。
「こちらは生活安全課、厄獣対策室です! この集会は市役所に申請されていません! 責任者はただちに名乗り出なさーい!」
突然、メガホンによる大音声が響き渡り、耳の良い厄獣は驚いてひっくり返る。木の上の厄獣のうちの一人が、思わず耳を押さえた拍子に足を滑らせ、地面に落ちそうになった。
「危ない!」
とっさにタマキは駆け寄ると、落ちてきた厄獣を腕で受け止めた。何がおきたのかわからずに目を白黒とさせる厄獣を見下ろし、タマキは優しく尋ねる。
「大丈夫か? 怪我は?」
「ひぇっ、な、無いですぅ……」
厄獣は上ずった声で返すと、地面に下ろされた途端にどこかに走り去ってしまった。
驚かせてしまった申し訳なさと、お礼も言わずに逃げられたことへのショックで、情けなく眉を下げていると、シータがとことこと歩み寄ってきた。
「タマキ後輩は罪作りな男ですね。今の女の子、タマキ後輩に一目惚れしたみたいですよ」
「はあ? そんなわけないでしょう。どう見ても怯えていましたよ」
そもそも毛むくじゃらな見た目のせいで女性だと気づいていなかったタマキは、早口でシータの言葉を否定する。
二人がそうやってわちゃわちゃしている一方、メガホンを片手に仁王立ちしているココの目の前には、和服姿の高貴な雰囲気を持つ女性が進み出てきていた。
女性はココの三歩手前で立ち止まり、剣呑な目でココを睨みつける。ココはそれに一切物怖じせずに、堂々と尋ねた。
「オオゲツヒメ様ですね?」
「ええ、あなたは市役所の方ね。一体何の用?」
「あなたには、五芒協定第9条に違反している嫌疑がかけられています。罰則を受けたくなければ、ただちにこの炊き出しを中止してください」
「もちろん断るわ」
淡々とした口調で二人は会話しているが、その内容は緊迫感に満ちている。違反を摘発しに来た公務員と、それを正面から拒絶している首謀者。争いが起こるのも時間の問題だった。
「わたくしはわたくしの意思で、貧しい方々に食べ物を提供しているだけよ。それの何が悪いって言うの? 飢えた生活を続けた厄獣は、『飢餓』を発現することが多いの。『飢餓』が発現したら、周囲の善良な厄獣も人間も危険にさらされるのよ? それなのに、どうして止めなければならないの?」
静かに怒りを込めた口調で、オオゲツヒメは尋ねてくる。周囲の市民たちも、声を荒げてそれに同調した。
「そうだそうだ!」
「オオゲツヒメ様の言う通りだ!」
「お前ら市役所は、ろくに俺達を助けてくれないじゃないか!」
タマキはとっさにそれに反論できず、目を伏せた。
飢えた厄獣は『飢餓』を発現するリスクが高まる。
それがもし本当であるのなら、オオゲツヒメがやっていることは協定違反を犯しているとしても、正義の行いだ。
自分のように『飢餓』で苦しむ市民を作らないためだと言われてしまえば、強く反論する言葉をタマキは持たなかった。
そんなタマキの脇腹を、シータは肘でつつく。
「タマキ後輩、ちゃんと顔を上げてココさんを見てください。交渉事ならココさんがうちの部署で一番強いんです。参考になります」
どこかずれた言い方ではあるが、真っ当なアドバイスを言われたことに気づき、タマキはココに視線を戻す。
ココはいくら周囲からの怒声を受けても、一切揺らいでいなかった。
「オオゲツヒメ様の志は素晴らしいです。ですが、あなたは自分の身を削って、市民たちに食事を提供しているのではないですか?」
ココの指摘に、オオゲツヒメはとっさに自分の腕を隠した。おそらく、そこに自分を傷つけて食べ物を提供している証拠があるのだろう。
市民たちはそんなオオゲツヒメに、不安そうな目を向けた。
「オオゲツヒメ様……?」
「本当なんですか?」
おずおずと尋ねてくる市民の問いにオオゲツヒメは否定できないでいた。ココはダメ押しをするように続けた。
「トコヨ市役所には、飢えた市民のための市民食堂がありますし、要請されれば定期的な炊き出しを行うこともできます。ですが、あなたがたが市役所に相談してくださらない限り、我々はあなたがたが陥っている問題を知ることが難しいんです」
ココは周囲の人々を見回し、誠実な表情で頼み込んだ。
「こちらの力不足なのは全くもってその通りです。でも、どうか我々を信じて、まずは相談してくれませんか。必ず、できる限りの援助は行います」
真っ直ぐな眼差しとともに語られた言葉に、貧しい市民たちは戸惑いと迷いで顔を見合わせる。しかし、数十秒後に彼らから返ってきたのは、頑なな反発だった。
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