第13話 人のことを指さすのはやめましょう
「そんなの、信じられるか」
「お前は人間じゃないか! 厄獣の気持ちがわかるわけない!」
「そうだ! 厄獣がどれだけ『飢餓』を恐れてるのかもわからないくせに、偉そうなことを言うな!」
ごうごうと嵐のように吹き付ける怒声に、ココはふうと息を吐くと、なぜか足元に落ちていた大きな石を拾い上げた。
ココは、手のひらに収まらないほど大きなサイズのその石を、その場にいる全員に見えるように掲げ――次の瞬間、握力だけでそれを粉々に粉砕した。
バキョッという音とともに石が砕け、破片が音を立てて地面に落ちていく。
「ひっ」
小さな悲鳴を上げたのは誰だったのか。
タマキだったのかもしれないし、オオゲツヒメや、周囲の市民たちだったのかもしれない。
ただ一つ確かなのは、一瞬でこの場の支配権はココに握られたということだった。
「出ました。あれが最強の交渉方法、暴力です」
「それはもうただの脅しでは!?」
「ココさんは市役所随一の脳筋ですからね」
聞こえないように小声でタマキとシータは話していたが、ぎろりとココから鋭い視線を受けて震え上がった。
「な、何も言っていません、はい」
「ココさんはすごいなという話をしていました」
「そう? ならいいんだけど」
一応納得した姿勢を見せると、ココは再びオオゲツヒメと向かい合った。オオゲツヒメはココの迫力に気圧されながらも、それでも一歩も引かなかった。
「それでも私は、彼らに食べ物を提供するわ。たとえ自分が苦痛を受けようと、厄獣も人間も、私が救ってみせる。あなたたちは帰ってちょうだい!」
言うが早いか、オオゲツヒメは右手を振り払って、腕の傷から血を地面に飛ばした。直後、血が落ちた地面から猛烈なスピードで植物が生え、ココに襲いかかる。ココは後ろに飛んでそれを避け、声を張り上げた。
「市役所職員への危害を加えたら、討伐対象になりますよ! それでもいいんですか!?」
「だとしても、私は……!」
一步も引かずに、オオゲツヒメは植物を操ってココを追い詰めていく。地面から生えた植物はどんどん増え、周囲の市民たちにすら襲いかかろうとしている。
「きゃああ!」
「オ、オオゲツヒメ様、どうして……!?」
次々と人を捕らえていくその植物の形状にタマキは見覚えがあった。
「これは……食人植物!?」
離れたところにいるココもそれに気づき、オオゲツヒメに向かって叫ぶ。
「オオゲツヒメ様! 早くあれを止めてください! 市民が捕食されてもいいんですか!?」
「ち、違う! あれは、わたくしの力じゃない!」
オオゲツヒメは狼狽しつつも、手をかざして食人植物をコントロールしようとした。
「やめなさい! 言うことを聞いて……! きゃああっ!」
刺激された食人植物はオオゲツヒメをターゲットに選び、彼女めがけて殺到する。
しかしその蔓が彼女を捕らえる直前――その間に滑り込んだココが、代わりに蔓の攻撃を受けた。
「ぐっ……」
「職員さんっ……!」
悲鳴じみた声を上げるオオゲツヒメに、ココは安心させるようなニヒルな笑みを浮かべたあと、自分を縛り付ける蔓を力ずくで引きちぎった。
「ギュィイイイアアア!」
食人植物は苦悶の声を上げて、のたうち回る。ココは攻撃を受けた場所を手で押さえながら、油断なく食人植物を睨みつけた。
「どうして、わたくしを……」
弱々しい声でオオゲツヒメが言う。ココは彼女に背中を見せたまま、力強く言った。
「あなたも、我々が守るべき市民の一人だからですよ」
オオゲツヒメの息を呑む声が聞こえ、ココは苦笑しながらも続ける。
「我々は確かに力不足です。でもどうか、一人で抱え込まないでください。我々トコヨ市役所は、市民の皆さんの味方でありたいんです」
ココの言葉に、オオゲツヒメは黙り込んだ。ココは彼女の言葉を待たずに、食人植物に対して果敢に距離を詰め、その蔓を掴んでは引きちぎり始めた。
拳銃は所持しているが、素手で対応したほうが安全で早い。遠くでは、タマキも厄獣の力を行使して、食人植物の対応にあたっていた。
だが、少しずつでも着実に倒しているというのに、食人植物は一向に減る気配がない。
タマキはカマイタチの風によって、五体目の食人植物を細切れにしながら、顔をしかめた。
「くそっ、どこからこんなに……」
そう言いかけた瞬間、地面に落ちているポケットティッシュがタマキの視界に入った。ティッシュを覆っていたビニールは内側から引きちぎられ、そこから食人植物が発芽している。
「ココさん、ポケットティッシュです! ティッシュに同封されてたのは飴じゃなくて食人植物の種だったんです!」
タマキは交戦を続けながら、離れた位置にいるココに声を張り上げる。ココはすぐさま状況を理解し、避難誘導にあたっていたシータに叫んだ。
「シータくん! 舌禍で回収して!」
その声を受けたシータは、数秒だけ考えたあと、腰に吊っているメガホンを手に取った。
「【ティッシュを受け取った方は、今すぐこちらに持ってきてください。市役所が回収します】」
同じく腰に吊っていたボディバッグから、どこにでもある白いビニール袋を取り出し、舌禍に従って近づいてきた市民たちから次々にティッシュを回収していく。
やがてビニール袋がパンパンになった頃、タマキとココはようやくすべての食人植物の無効化に成功した。
「はぁーー! つっかれたぁ!」
安全を確認した後、ココは地面に仰向けになって大声を上げる。遠くではまだ、シータとタマキが市民への対応にあたっていた。
「あの……職員さん」
「んー?」
全身で疲れ果てているということを表現するココに話しかけてきたのは、オオゲツヒメだった。彼女の顔には、申し訳ないという感情が浮かんでいる。
「本当に、すみませんでした。私の軽はずみな行動で、大切な市民たちを危険にさらすなんて……」
神妙な面持ちで謝罪するオオゲツヒメに対し、ココはやれやれといった態度で答える。
「ホントにね。あなたの力の余波で、下流の東区の水道水がオレンジジュースになってるんだよ? このままじゃ、東区の料理のバリエーションが、オレンジジュース煮の一択になるとこだったって。オレンジジュース煮は美味しいけどさ」
馴れ馴れしい口調でそんなことを言うココに、オオゲツヒメは今までの緊張を忘れて小さく吹き出した。
「ふふ、それは申し訳ないことをしました」
「そうだよ。お詫びにオレンジジュースの消費方法を一緒に考えてくれない?」
冗談めかして言うココに、オオゲツヒメはくすくすと笑う。
そんな和やかな空気が二人の間に流れた後、オオゲツヒメはおずおずと切り出した。
「……今度市役所に行って、あなたたちを頼ってみてもいいですか? あなたのことを信じてみたいです」
「ふふん、それはどうも。市役所はいつだって、市民の方々のご相談をお待ちしてますよ」
会話の末、ココとオオゲツヒメは固く握手を交わす。遠くでそれを見ていたシータは、ココたちを指さしながらタマキに話しかけた。
「ココさんはああやって、交渉相手と仲良くなるのが得意なんです。普段はふざけていますが、市役所職員としては最高の実力を持ってると、安穏室長は言っていました」
「市役所職員として……」
シータの言う通り、ココの言葉がオオゲツヒメに届いたのは、彼女の実力ゆえなのだろう。
自分が間違っているという部分を認めた上で、それでも信じてほしいと彼女は言った。
ルールと現実の板挟みになりながら、それでも市民に信じてもらおうと動き続ける。諦めて思考を止めることなく、ただまっすぐに市民と向き合う。
タマキはそんなココのことを、素直に格好いいと思った。
遠くから尊敬の念を込めて、タマキがココを見ていると、ひょいっとその視界にシータが割り込んできた。
「む。その目はココさんに憧れている目ですね? ずるいです。僕にも憧れてください。尊敬できる先輩である自信があります」
根拠のない自信に満ち溢れた年下の先輩に渋い顔をした後、タマキはずっとココたちのことを指さしていたシータの手を下ろさせた。
「尊敬されたいならまずは、人のことを指ささないようにしてください」
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