第11話 献身は協定で禁止されています

 道ばたに木が生え、そこに果物が成っているというだけならまだ理解できる。シンプルに親切などこかの誰かが植えた木が実っているか、もしくは植物を操る厄獣が木を生やしたというだけの話だ。


 だが、今まさにこの北区に起きている現象はそれでは説明がつかない。


 なぜなら――木に成っているのは果物ではなく、すでに完成している料理だからだ。


「ハンバーガーが成る木なんて初めて見ました。あっちの木にはオムライスも成っています。タマキ後輩、トコヨ市の外では一般的な光景なのでしょうか」


「そんなわけないでしょう。俺だって見たことありませんよ。こんな常識外れなもの……」


 あまりに現実離れした状況に、シータはテーマパークに来た子供のようにそわそわと窓の外に目を向け、タマキもどうやってこの事態を飲み込めばいいのか分からず、ただ車窓からの風景を呆然と見るばかりだ。


 ココはそんな2人に、バックミラーごしに保護者のような目を向けた後、本題に入った。


「犯人について私の中では見当がついているけれど、ここは一度タマキくんの見解を聞かせてもらえるかな?」


「えっ?」


 ハッと我に返ったタマキに、ココは面白そうに目を細める。


「今日は君が中心になるって言ったでしょ? これもまた研修の一環だよ。ほら、思ったことを言ってごらん」


「はあ」


 タマキは戸惑いつつも、常識ではありえない光景に目を向けて考え出した。


「これは、何らかの神の仕業なんですよね」


「うん。私はそう見てる。ちなみに、どんな神様か分かる?」


「すみません、神話や伝説には疎くて……」


 申し訳なさそうに言うタマキに、ココは運転しながらヒントを出した。


「じゃあ、どんな性質を持った神様かって考えてごらん。手がかりは、食べ物を出現させているって状況だよ」


「食べ物を……もしかして、豊穣神ですか?」


 豊穣神とは、古今東西の神話に登場する作物の実りを司る神だ。ココはタマキの推理を引き継ぐように続けた。


「ギリシア神話のデメテル、ヒンドゥー神話のラクシュミー。日本においては、有名どころだとウカノミタマ――お稲荷さんがあるね」


 ハンドルを握っている指を順番に伸ばし、ココは説明する。タマキは重ねて尋ねた。


「では、今回の犯人はそのウカノミタマなのでしょうか」


「いんや、ウカノミタマにはこのトコヨ市の豊穣を管理してもらってるから、多分違うだろうね。結構、決まり事に厳しい性格だから、騒ぎを起こすなら、律儀に市役所に申請を出してからにするだろうし」


 含みを持たせてココはそう言う。タマキは顎に手を置いて考え込んだ。


「では、他国の豊穣神が……?」


「そう結論を急ぐものじゃないよ。日本には他にも豊穣神が存在する。神饌を司るトヨウケ、民に穀物をもたらしたオオゲツヒメ。……さて、タマキくんはどちらが犯人だと思う?」


 なぞなぞのような気軽さで、ココはタマキに問いかける。一方のタマキは困り果てた顔をすると、手がかりを探して窓の向こうに目を向けた。


 町中に実った食べ物を、身なりがあまりよくない人間や厄獣たちが嬉々として食べている。十分な量が確保されているので、食べ物の取り合いによるトラブルも起きていない。


「美味しそうですね。みんな喜んでいます」


「そうですね、本当に……」


 この世に極楽というものが実在するならば、あるいはこんな光景のことを指すのかもしれない。そう思えるほど、町の雰囲気は平和に満ちていた。


 見るからに貧しい見た目をしている市民たちの笑顔を、タマキは複雑な表情で眺めて答えた。


「ココさん、この騒ぎは、貧困に喘ぐ北区市民を救うために起こされたものではないでしょうか」


「うん、ご名答。私も同じ意見だよ。つまり、犯人はどっちかな?」


 推理ドラマのいじわるな探偵役のように、ココは目を細める。タマキはそんなココのことをバカ正直に、バックミラーごしに見つめ返した。


「……犯人はオオゲツヒメ。なぜならオオゲツヒメは、民のための豊穣神だから」


「正解。あとで花丸をあげようね」


 子供を相手にするように、ココはおどけてみせる。タマキは曖昧な笑みで返した。


「真相はこうだ。オオゲツヒメは市役所の許可を得ずに、神通力を使って炊き出しを行っている。その影響を受けて、ただの水道水がオレンジジュースとなり、東区に流れ込んでいた、と」


 すらすらと推理を述べたココに、それまで車窓からの景色に夢中になっていたシータが口を挟む。


「志は素晴らしいですが、はた迷惑な方ですね」


「ホントにね。早いところ事実関係を確認して炊き出しを止めさせないと」


 ため息交じりにそう言うココに、タマキは複雑な表情になった。その顔の変化をめざとく察知し、シータはずいっとタマキに顔を寄せる。


「タマキ後輩、何か言いたいことがあるんですか?」


「え?」


「言いたいことがあるならすぐに口に出すべきです。僕のように」


 ふんふんと鼻息荒く、偉そうにシータは言う。タマキは思わずそれを否定した。


「いや、あなたは言いたいことをすぐに口に出しすぎですが」


「えっ」


「……いえ、そうですよね。言いたいことを口に出すべきなのはその通りです。お気遣いいただいてありがとうございます」


「タマキ後輩、今僕のことを貶しましたか?」


「気のせいでしょう」


「なんだ、気のせいですか。では仕方ありませんね」


 少し心配になるぐらいあっさりと納得し、シータはタマキから離れていく。タマキは気を取り直すと、胸の中に浮かんだ疑問を口にした。


「ココさん、本当にこの行為を止めさせる必要はあるんでしょうか? 確かにオレンジジュースの件はどうにかしないといけないですが、貧しい市民を救えているのなら、炊き出し自体は続けてもらってもいいんじゃ……」


「ああ、それねー……。確かに、公的な市の施策の一環としてやってもらうのも手なんだよ。代償さえ払っていなければの話だけど」


「代償?」


 ココが口にした剣呑な単語をそのまま繰り返し、タマキは眉をひそめる。そんなタマキに答えたのは、シータだった。


「タマキ後輩、オオゲツヒメはどうやって民に穀物をもたらしたか分かりますか? 分からないようであれば説明します」


 しゃくに障る言い方だが、いちいちそれを咎めていては話が進まない。タマキは不満をぐっと堪えると、唸るように答えた。


「……説明をお願いします」


「分かりました。説明します。神話においてオオゲツヒメは、その死体から穀物が生えてきたとされているんです」


 物騒なその答えに、タマキは最悪な推測に思い至ってしまった。


「死体から? まさか……その死によって神通力を発動する存在だとでも言うんですか?」


「はい。つまり、今こうして食べ物を出現させている間、オオゲツヒメは何らかの身体的ダメージを受けていると推測できます。最悪の場合、死んでは生き返るというのを繰り返しているかもしれません」


「そんな……」


 厄獣の中でもとりわけ「神」という存在は、簡単にこの世から消えるものではない。


 彼らの力の源は、人々の信仰だ。たとえ肉体が死を迎えたとしても、信仰さえあれば復活できる。


 だが、苦痛が伴わない死など存在しない。もし本当にオオゲツヒメが代償を払ってこの異変を起こし続けているとしたら、彼女の受けている苦しみは想像を絶するものになるだろう。


「トコヨ市が厄獣指定都市になったばかりの頃は、そういう厄獣の自己犠牲はいたるところで起きてたんだよね。命がけで人間の市民たちを守ったり、自分からすすんで実験体になったりさ。いたるところで悲劇が起きてたよ」


 さらりと告げられたトコヨ市の歴史に、タマキは雷で体を打ち据えられたような衝撃を覚えた。


「自己犠牲って、厄獣がどうしてそこまでして……」


 厄獣とは、人間を害する害獣だ。


 人間の敵。駆除しなければいけない存在。そのはずなのに、どうして厄獣が人間のために自己犠牲をするのか。


 どうしてもそれが理解できず、タマキは迷子の子供のように不安そうな顔になる。それを見て、ココは優しい声色で続けた。


「厄獣ってやつはさ、根本的に人間が好きな種族が多いんだよ。人間が好きだからちょっかいをかけたり、神様として守ってきたんだ。大穴が空いて、厄獣と人間の距離が縮まった結果、個々人の間の衝突も多くなったけどね。それでも彼らは、基本的に人間を愛してるんだよ」


「人間を、愛している……?」


 これまで積み重ねてきた価値観と真逆のことを告げられ、タマキは困惑以外の感情を抱けなくなる。


 だって、今まで自分が駆除してきた厄獣は、道理が通じなくて、ただ人間を害する存在だった。そんな存在が、本当は人間を愛していると言われて、すぐに納得できるわけもない。


 そこに疑念を抱いてしまったら、自分の中で燃え続ける母親への憎しみすら否定しかねない。タマキは渦巻く思考を消化できず黙り込んだ。


 そんなタマキに、シータは淡々と付け加える。


「もう二度とそういった悲惨な事件を繰り返さないように、自己犠牲の伴う献身は五芒協定で禁止されているんです。最初は警告を受けるだけで済みますが、二回目以降は各区に存在する罰則が科されます」


「そう、なんですね……」


 いまだに納得はしきれなかったが、タマキは無理矢理その感情を飲み込んだ。


 まずは今、目の前で起きている自己犠牲に目を向けなければ。


 タマキは深く息を吸って吐くと、己の中にあったもう一つのやるせなさを口にした。


「でも、そのオオゲツヒメという方も、きっと貧しい市民を助けたいだけでしょうに、ままならないものですね……」


「……うん。本来そういった市民を救うのは市役所の仕事だから、いたたまれない思いにはなるよね」


 表情を曇らせながらのココの言葉に、タマキもどう答えたら良いか分からずに口をつぐむ。そんな彼に、シータは顔を向けた。


「タマキ後輩」


 名前を呼ばれてそちらを向くと、そこにはいつになく真剣な顔をしたシータの姿があった。


「市役所は、助かろうと思った市民しか助けられないんです。助けを求められていないのに救おうとするのは越権行為なんですよ」


 淡々としたその言葉に、ガツンと頭を殴られたような衝撃を感じる。


 それと同時にタマキの脳裏には、つい数時間前に目にした少女――チカの姿が浮かんでいた。


「それでも、俺は……」


 厄獣への偏見にまみれ、トコヨ市のこともよく分かっていない新人職員の自分に、救えるものなんて少ないのかもしれない。


 だけどあの時チカは、助けを求められないまま不審な男に連れられていってしまった。たとえ身元がはっきりしていたとしても、あの2人の関係は間違いなく良好なものではない。


 自分本位な正義感による越権行為だとしても、救えるものなら救うべきだったのではないか。


 そんな後悔が押し寄せ、タマキの表情はさらに曇る。


 シータは、そんなタマキの目をじっと見つめたまま告げた。


「だからこそ、より多くの市民が助けを求められるように日々働くのが、市役所職員の仕事なんです。制度を整えて、情報を共有して、市役所のことを信じてもらえるように動き続ける。それが、僕たちがやらなければならない仕事なんです」


 責任感に満ちたその言葉に、タマキは目を丸くする。だが、その発言に感動するよりも先に、シータは自分で格好良さを台無しにした。


「――というのが、市役所職員全員に配られるマニュアルの最初の1ページに書いてあることです。タマキ後輩はもらっていませんか?」


 こてんと首をかしげながらのシータの言葉に、つられてタマキも首をかしげる。運転席でココが、ぼそっと呟いた。


「やっべ、渡し忘れてた」


「え?」


「帰ったら渡すね! それでいいよね! ね!」


「は、はあ……」


「外部からの新人職員なんて滅多にないから色々段取りが決まってなくて! 仕方ない仕方ない! ドンマイドンマイ!」


 勢いだけで押し切ろうとするココを指さして、シータは告げる。


「タマキ後輩、ココさんは都合が悪いとこうやってごまかす癖があるんです。覚えておくといいですよ」


「そ、そうなんですね」


「シータくん、そんな言い方ないじゃんー!」


 まるでコントのように会話する2人に、タマキは落ち込んでいた気分が少しマシになるのを感じていた。


 厄獣への偏見のことも、市役所職員としての悩みのことも、真剣に仕事に向き合っていけばいずれは解決できる。


 そんな確信を胸に、タマキはぎゃいぎゃい騒いでいる2人に呼びかけた。


「シータさん、ココさん」


「はい」


「んー?」


 タマキは深々と2人に頭を下げた。


「ありがとうございます。肝に銘じます」


 数秒の沈黙の後、シータは不意に嬉しそうな声を上げた。


「どうやら、そろそろ僕のことを尊敬できるようになったようですね。先輩呼びはいつでも受け付けています。僕は尊敬できる先輩なので、親しみと敬いを込めてシータ先輩と呼ばれたいです」


 どこかズレた主張を長々と続けるシータに、タマキは冷めた目を向ける。


「そういうところがあるので、先輩と呼びたくないんですが」


「むっ、どういうところですか。僕は世界で一番、愛嬌のある愛され系人間なんですよ。母もそう言っていました」


「そういうところですね……」


 緩い会話が繰り広げられている後部座席の一方で、運転席のココは正面から感謝されたむずがゆさから変な顔になっていた。それに気づいたシータは余計なことを口走る。


「ココさん、面白い顔ですね。もしかして照れているんですか?」


「う、うるさいなぁ。とにかく2人は、渡した地図に異変を書き込んでいって! そしたら、元凶がどこにいるのか分かると思うし!」


 無理矢理話を元に戻したココに、タマキとシータはそれぞれ返事をする。


「はい!」


「わかりました」


 そのまま地図にマークを付けながら北区中に車を走らせ、やがてこの異変の中心部となっている場所が地図に浮かび上がってきた。


「そろそろ目的地に着きそうだよ。2人とも気を引き締めて」


 ココはハンドルを回して、十数台は入る大きな公園の駐車場に車を滑り込ませる。その入口にかけられた大きな看板に、3人は出迎えられた。


 北トコヨ緑地公園。


 普段は穏やかな日差しが降り注ぐ、市民の交流の場であろうそこは、現在、非現実的な異界と化していた。

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