第10話 地方公務員は地道な仕事です

 給湯室に緊急招集された厄獣対策室の面々の前で、安穏はこほんと咳払いをした。


「――というわけで、水道からオレンジジュースが出るようになったわけだけど」


「いや、どういうことですか」


 狂った状況を平然と口にする安穏に、タマキは思わずツッコミを入れる。安穏は乾いた笑いを浮かべた。


「あはは……非日常的な事件が起きるのがこの町の日常だからねぇ」


「そして、それを解決するのが僕たちの仕事ですよ、タマキ後輩」


 シータはそうやって付け加えながら、マグカップを傾けた。中に入っているのはオレンジ色の液体――くだんの水道から出るようになったというオレンジジュースだ。


「美味しいです。多分果汁100パーセントですね」


 ほのぼのと味の感想を述べるシータに、安穏は悲鳴のように叫ぶ。


「ちょっとぉ!? まだ安全も確かめてないのに飲まないでよ!?」


「今確かめました。タマキ後輩もいかがですか? 美味しいですよ」


「いえ、俺は……」


「何故ですか。先輩のオレンジジュースが飲めないって言うんですか」


「パワハラ仕草やめてください」


 ほのぼのと会話を脱線させていくタマキとシータに、安穏は大げさな身振りをしながら割り込んだ。


「そういう問題じゃなくてさぁ! 君に何かあったら僕の首が飛ぶんだからね!?」


 我関せずとマグカップでコーヒーを飲んでいたココがけらけらと笑う。


「アハハ、シータくんのママたちに文字通り首をちょんぎられて、畑の肥料になるでしょうねぇ。成仏してください、室長。南無南無」


「ココちゃんも脱線させないで! 馬鹿みたいな事件だけど、こういうのに限って重要な事件に繋がったりするんだからね!?」


 安穏は憤慨していると体全体で表現したが、彼の話がまともに聞いてもらえるまでさらに数分を要した。


 ようやく雑談を終わらせてくれた三人を前に、安穏は声を張る。


「えー、みんなが静かになるまで四分かかりました! もう! いい加減、話を進めるからね! いいね!?」


「はい!」


「はーい」


「分かりました」


 思い思いに返事をする三人に、安穏は頭痛をこらえながらも話し始める。


「まったく……。今回の事案の情報をまとめると、市役所の水道水が全てオレンジジュースになってしまったという一言に尽きるわけだけど……。そうだな、練習も兼ねて、タマキくんならどうやってこの事案に対応するか考えてみてくれる?」


「えっ、俺ですか?」


 急に話を振られて、戸惑いながらもタマキは考える。


 まだ現場を見たわけではないが、全ての水道からオレンジジュースが出るようになったということは、原因は蛇口にあるわけではなく、市役所の外にあると考えるのが自然だ。


「まずは、そのオレンジジュースがどこから流れてきているか調べるべきだと思います。タンクだとか浄水場だとかを当たれば、原因が分かるのではと」


「うん、その通り。初動の対応としては満点だね」


 タマキの見解を安穏は穏やかに肯定する。素直に褒められたタマキはむずがゆそうに唇に力を入れる。


「まあ、そもそもこういうのは本来、環境課の管轄だから、僕たちは要請を受けるまではいつも通り通常業務をすればいいんだけどね!」


 明るく言い放つ安穏に対し、一呼吸置いてからシータは言った。


「室長、そういうのはフラグと言うそうですよ」


 その時、安穏の胸ポケットからガラケーの着信音が鳴り響いた。安穏は電話相手を確認すると、情けない表情になりながら電話に出た。


「はい、厄獣対策室、安穏です……はい、はい、かしこまりました……いえいえ、不満なんてありません……はい……」


 時間にして二分ほどの通話が終わり、安穏は通話終了ボタンを押す。それから、うんざりとした顔を隠さずに、三人に向かい合った。


「悪い知らせだよ、みんな。オレンジジュースの件で、総合窓口課に苦情の電話が殺到してる上に、本来の担当の環境課はその苦情対応でパンクしてるらしい。その上、僕たち以外の生活安全課は『食人植物』の対応で追われてる。つまり……」


 安穏はそこで言葉を切ると、顔を覆って嘆きの声を上げた。


「水道オレンジジュース事件は、完全にうちの単独の仕事になりました! こんなのばっかりもうやだー!」


 大げさに嘆き悲しむ安穏に、ココは無責任に言う。


「まあまあ、室長。せっかくタマキくんが行動指針を出してくれたわけですし。今回はタマキくん中心でやりましょうよ!」


「えっ」


「それがいいですね。タマキ後輩、仕事が出来るというアピールチャンスですよ」


「えっ?」


 困惑するタマキを完全に置き去りにして、シータもその提案に乗る。安穏は複雑な顔をしながらタマキを見た。


「うーん、確かに練習としてはちょうど良い難易度かもしれないし……生死にもかかわりそうにないし……。タマキくんどうする? やってみる?」


 控えめに尋ねてくる安穏に、タマキは腹の底からやる気が湧き出てくるのを感じた。


 上官に褒められ、期待もかけられている。これ以上嬉しいことはない。


 それが洗脳教育によって植え付けられた価値観だと理性では分かっていても、タマキは反射的に喜びを覚えずにはいられなかった。


「やります! やらせてください!」






 ――と、威勢良く言ったことを、タマキは早速後悔していた。


「お電話ありがとうございま――はあ!? 観葉植物の処分!? ご自宅のお庭で燃やせばいいんじゃないですかねぇ!?」


「オレンジジュースの件ですね。現在、環境課は混み合っておりまして――はあ? 何キレてるんですか。こっちは公僕ですよ!」


「大変お待たせしました……はいはい、オレンジジュース、オレンジジュース! 環境課に転送しますが一生繋がらないと思いまぁす!」


 タマキとシータの二人で手がかりを求めてやってきた総合窓口課は、地獄の様相を呈していたのだ。


 ココと安穏には、浄水場の線を洗ってもらっている最中だが、正直シータを連れてくるぐらいならどちらかについてきてもらうべきだった。


 そんなことを思いながら総合窓口課の様子をうかがっていると、シータが感心した声色で言った。


「タマキ後輩、あそこに突入するつもりですか? 勇気がありますね」


「えっ、あー、うーん……」


 曖昧に返事をしながら、タマキはちらりと修羅場と化している総合窓口課を見る。くだんのベテラン公務員であるキイコと、バチンと目が合った。


「あ? 何見てんだよ、厄対! クソバカオレンジジュースのせいで死ぬほど忙しいのが見てわからねぇのか!」


「す、すみません……」


 あまりの剣幕にタマキは小動物のように縮こまる。


 特殊部隊時代の上司よりもずっと怖い。ただの地方公務員相手にそんな感情を抱いている情けなさにも気づかず、タマキは無意識のうちに一歩後ずさった。


 そんなタマキをちらりと見ると、シータは前に進み出た。


「キイコさん、そのオレンジジュースの件でお聞きしたいことがあるんです」


「聞きたいことぉ!?」


 威圧しながらだがキイコは電話を置いて、こちらの話を聞いてくれる体勢になる。シータはタマキに目配せをして、会話の主導権を譲った。


 タマキは重々しく頷くと、緊張で声をうわずらせながら尋ねる。


「お、お邪魔してしまってすみません、水道からオレンジジュースが出ている場所の分布が知りたいんです。全ての問い合わせが集中しているここであれば、電話の主がどの辺りの住民なのか分かると思いまして……」


「はあ? 電話相手がどこに住んでるかなんて、窓口の私がいちいち聞いてるわけねぇだろうが!」


「うっ……」


 言われてみれば当然のことを告げられ、タマキは押し黙る。そのまま考えの浅さを後悔して俯くタマキに、キイコはマグカップの中身をぐいっと飲んだ後に付け加えた。


「少なくともトコヨ市全域じゃねぇよ。一部地域だけだ」


「え?」


 思わぬ情報にタマキは間抜けな顔になる。止まりそうになった会話を、シータがつなげた。


「どうして分かるんですか、キイコさん? 市民さんから住所をお聞きしてないのでは?」


「はぁ……市外局番だよ。今は外との電話は通じねえが、番号自体は昔と同じものを流用してるんだ。トコヨ市はでけぇからな。市外局番が複数存在してんだよ」


「それで、同じ市外局番から電話が殺到していると」


「そういうことだ」


 やれやれと言いながら、キイコはけたたましく鳴り響く電話に手を伸ばす。


「この市外局番を使っている地区は二つ。市役所のある東区と、その北部に位置するこの世の地獄を煮詰めたような場所――無法地帯の北区だ」






「なるほど、東区と北区ねぇ」


 タマキとシータの報告を聞いたココは、腕を組んで頷いた。タマキは納得がいっていないという表情でさらに尋ねる。


「あの……トコヨ市北区ってそんなに治安が悪いんですか? こう言ってはなんですが、市役所のある東区やモーターのある南東区も相当だと思うんですが……」


「あはは、言うねえ」


 ココはけらけらと笑い、説明を始めた。


「北区の治安の悪さは住民の気質というより、経済状態のせいなんだよね」


「経済状態、ですか」


「うん。北区は厄獣の中でも力が弱い子たちがたくさん住んでてね、それをカバーするだけの主要な産業もないから、シンプルにみんな貧乏なんだよ」


 せっかくココが説明してくれたというのに、タマキはいまいち腑に落ちていなかった。そんな彼のために、シータは付け加える。


「他の区に出稼ぎに行こうにも、働き口がないんです。例えば、小さなネズミは人間サイズのファミレスの給仕をできないという感じです。加えて、人間の言葉を発声できない種族も多く」


「ああ、なるほど……」


 同じ市民だと言っても、生まれ持った性質の差異で仕事が制限されるというのは理解できた。そしてそれは、市役所の掲げる「どんな存在でも平等に市民である」という一言で解決できない問題であることも。


 そんな存在に心当たりがあったタマキは重ねて尋ねた。


「初日に遭遇した、テンたちのような方々ということですか」


「そういうことです、タマキ後輩」


「まさにテンたちが暴動を起こそうとしたのも、北区のいざこざで住む場所を追われたかららしくてね」


 補足したココの言葉に、タマキは居心地が悪そうに目を伏せた。


 あの時、あの瞬間は彼らを助けることができたと思っていたが、自分は問題を先延ばしにしただけではないのか。


 そんな疑念が内心に立ちこめ、タマキの顔はさらに曇る。


 ココは機敏にそれを察し、慌てて付け加えた。


「ああ、彼らは市役所からしかるべき援助を受けて、東区に住むことになったから大丈夫! そんな暗い顔するなって!」


「……そうですか。良かった……」


 ホッと胸をなで下ろすタマキの様子を優しい目で少しうかがった後、ココは明るい声を作って言った。


「で、浄水場に問い合わせた件だけど、こっちは収穫無し。まあ、収穫がないっていうのが収穫なんだけど」


「収穫がないのが収穫、ですか?」


「うん。浄水場は北区の最北部近くにあるんだけど、そこの水はオレンジジュースじゃなかった。ここから考えるに、浄水場から送り出された水が、北区を通過することによってオレンジジュースになり、それが東区に流れ込んでいるってとこかな」


 ココは事務所の壁に貼られたトコヨ市の地図を上から下に指でなぞって、オレンジジュースの軌跡を示す。タマキはやや考えた後に口を開いた。


「つまり……北区と東区の境目付近で、水をオレンジジュースにしている何者かがいるということですか」


「ん、その通り! じゃあここからは足で稼ごっか!」






 笑顔のココに促されるままボロボロの公用車に乗り込み、三人は北区を目指し始めた。


 ハンドルを握るココは、後部座席のタマキとシータに周辺の地図を手渡しながら状況を説明する。


「安穏室長は、先に浄水場に行って交渉中。私たちはこの事件の原因になっている場所を総当たりで探していく。地図に直接書き込んじゃっていいから、まずは総当たりで可能性を潰していこっか」


「はい」


「了解です!」


 タマキとシータは、一緒になって一つの地図を覗き込む。そのまま、ああでもないこうでもないと真剣に話し始める二人をバックミラー越しに見て、ココは微笑ましそうに小さく笑った。


「それはそれとして、タマキくん。そろそろトコヨ市には慣れてきた? 不便に思ってることはない?」


 緊張をほぐすように、ココはタマキに世間話を振る。タマキは少し黙った後に、素直に答えた。


「……正直、まだ慣れていません。ただの水がオレンジジュースになるとか、そんなむちゃくちゃなことが現実で起こるなんて、目の前で見ても信じられなくて」


「ここは現実と虚構の交わる厄獣指定都市だよ。神様と人間が肩を並べて、ぼろい喫茶店でコーヒーを飲むことだってあるしね!」


「むちゃくちゃだ……」


 タマキは知恵熱を出しそうな顔で、額を押さえる。シータは不思議そうにそれを見た後、運転席と助手席の間に首を出して、ココに尋ねた。


「もしかしてココさんは、今回の事件の犯人は神様だと思っているんですか?」


「まあね。先に行った室長からいくつか情報得てるし、動機もなんとなく分かってるかな。多分、オレンジジュースはただの副産物なんだよ」


「副産物?」


 まるで兄弟のように似たような表情できょとんとしているシータとタマキに、頬を緩めながら、ココは前方を指し示した。


「ほら、犯人の本当の目的が見えてきたよ」


 本来であれば、荒れ果てた建物と貧困に喘ぐ人々ばかりがいるはずの北区。そこに広がっていた光景に、タマキは目を疑った。


「……地面から、食べ物が湧いてる!?」

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