【03】無許可の集会はご遠慮ください
第9話 感情で物事は解決しません
夕日から差すあかね色が増していき、残業中のシータとタマキの影を長く伸ばす。シータはタイピング音を途切れさせると、不服そうに言った。
「まさかあそこまで怒られるとは思いませんでしたね、タマキ後輩」
「はい、本当に」
二人が話しているのは、ファミレスの修繕費の件だ。
あの後、請求書を受け取った二人は、のこのこと職場に戻り、ちょうど同じタイミングで戻ってきた安穏を驚きと絶望でひっくり返らせたのだった。
「怒られはしましたが、ギリギリ減給処分にならなくてよかったです」
悪びれもせず平然と言うシータに、タマキはうんうんと頷く。彼ら二人には社会人としての常識が著しく欠けているのだった。
そんなある意味似たもの同士の凸凹コンビが醸し出す緩い空間に、不意に明るい女性の声が飛び込んできた。
「おー、お二人さん。残業かい?」
どことなく食えない雰囲気を醸し出す彼女は、無盾ココロ。タマキとシータの同僚だ。
「ココさん」
「お疲れ様です!」
ぴしっと背筋を伸ばして挨拶をするタマキに、シータは首をかしげる。
「僕に対する態度となんだか違いませんか? 僕もココさんと同じ、部署の先輩ですが」
「あーそれは……」
心なしか拗ねているように見えるシータに、タマキは曖昧な声を上げながら目をそらす。
シータが年下だからというのもあるが、何より彼には尊敬すべき点が少ないので、敬意をなかなか払えないのだ。
「で? 二人は何してるの? パソコン仕事?」
「はい。間抜けにも報告書作成を怠ったタマキ後輩の尻拭いをしています」
「……シータさん?」
しれっと貶してきたシータに、タマキは剣呑な目を向ける。
「それはわざとですか?」
「いいえ? 何のことですか?」
そう言いながらシータは顎をつまむように触る。タマキは大きくため息をついた。
「はぁ……。嘘じゃないですか。拗ねているんですね?」
「はい、拗ねています。僕への扱いに敬意が感じられなかったので。ココさんばっかりずるいです」
「それについてはすみませんでした。尊敬してますので許してください」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう。僕は尊敬できる先輩ですからね」
鼻を鳴らして胸を張るシータに、一連のやりとりを見守っていたココは感心したように二人を見比べる。
「いやー、シータくんの感情をここまで引き出すなんて、タマキくん、本当にシータくんと相性がいいんだね。これが運命の相手って感じ?」
「ええ? 運命って大げさな……」
「いやいや、運命は意外と何でもない顔をして現れるからね。まあ、お互いにトコヨ市の住民である以上、平凡な出会いとは言えないかもだけど!」
「はは……」
ケラケラと笑いながら適当なことを言うココに、タマキは乾いた笑いを浮かべる。ココはそんなタマキを見てさらに笑い、上機嫌そうに提案した。
「ま、それはそれとして! 何か手伝えることはある? 先輩である私も協力してあげようじゃないか!」
偉そうに言い放つココに、怪訝な顔でシータは尋ねた。
「本来、ココさんが書くべき報告書もあると思うんですが」
その隣でタマキも付け加えた。
「本来、シータさんが書くべき報告書もあるんですよ?」
「まあまあ、新人に報告書の書き方を慣れてもらうためだから! ね! 押しつけたわけじゃないって! ね!」
飄々としたココの笑顔で押し切られ、タマキは乾いた笑いを浮かべながら答えた。
「では……事件のあらましの補完をお願いできますか? 今からまとめる事案は、ココさんも立ち会ったものなので」
*
トコヨ市役所の昼は遅い。
正確には町役場の地方公務員というものは、往々にして昼休憩が遅くなりがちだ。その理由は単純明快。
「だーかーらっ! うちで育ててた花が育ち過ぎちゃったから、引き取ってもらいたいんだって!」
「でーすーかーら! うちは生活安全課であってゴミ捨て場じゃないんですって! そういうのは市民課に行くか、地域に定められた集積場所にご自分でお持ちください!」
「はあ!? うちのツっちゃんをゴミ扱いするのか!? この人でなし!」
「なんなんですかアンタ! 処分したいのか処分したくないのか、はっきりしてください!」
こういった面倒な市民の来訪は、お昼時に集中しているからだ。
生活安全課の窓口で騒ぎ立てる市民たちを遠目で見ながら、無盾ココロはのんきに呟いた。
「ひぇー、窓口担当は大変だねぇ」
他人事のように言うココに、タマキは居心地悪そうに囁く。
「あの、俺たちは対応しなくてもいいんですか? 一応俺たちも生活安全課なんじゃ……」
「ハハハ。適材適所ってやつだよ。自慢じゃないが私たちは、接客には向いてないからね」
「ええ……?」
堂々と無能宣言をするココに、タマキはどう答えたらいいか分からずに困惑する。そんなタマキの肩をバシバシと叩いて、ココはさらに笑った。
「とりあえず、今のうちに昼休憩行っちゃいなよ。室長とシータくんが帰ってきたら、また別の厄介ごとが起きるかもしれないし!」
「そうですね。では、お言葉に甘えてそうします」
昼休憩のためにタマキが向かったのは、市役所内にある市民食堂だ。
メニューは豊富とは言いがたいが、市役所職員であれば職員証を提示すれば、無料で日替わり定食を食べることができる。
また、この食堂は一般市民にも開放されており、条件付きではあるが困窮した市民にも安価で食事を提供している。
そんな事情が重なり、市民食堂はいつも混雑しているのだった。
「俺が先に並んでたんだぞ! 横入りすんなよ!」
「はあ!? でたらめ言わないでよ!」
「まあまあまあ、お二人ともそれぐらいで」
注文の列で起きている小競り合いを、居合わせたらしい職員が仲裁している。そんな様子を遠目で見ながら、タマキはどうしたものかと考えていた。
この町に来たばかりのタマキには、給料日まで生きていけるだけの手当が市役所から支給されている。だから、別に食堂ではなくても、市役所から出て外食をしても問題は無い。
だが、つい先日ファミレスで体験したこの町の治安の悪さを考えると、いくら混雑して罵声が飛び交っていても、市民食堂のほうがまだマシだ。少なくとも暴力沙汰で食事を妨害されることはないので。
それでも食事を時間内に取れるかどうか怪しい現状にどうするべきかと逡巡していたその時、タマキの足下から少女の震えた声が聞こえてきた。
「あ、あの、おにいちゃん……」
「うん?」
見下ろすと、そこにいたのは初日に出会ったチカという少女だった。チカは緊張からか、せわしなく辺りを気にしながら、タマキの袖を掴んでこちらを見上げていた。
「君は……チカちゃんだったね。どうかしたの?」
しゃがみ込み、視線を合わせてタマキは問いかける。対するチカは大きく体を震わせて、何かを言おうと口を動かしかけた。
「あのね、わ、私……!」
「ああ、チカちゃん! こんなところにいたんですね!」
わざとらしく声を上げながらやってきた男に、タマキは咄嗟にチカを庇って立ち上がる。
「どなたですか? この子の親族の方ではないですよね」
「親族ではなくても保護者ではありますよ。はい、こちらをご覧ください」
胡散臭い男が手渡してきたのは、一枚の名刺だった。
トコヨ第二製薬、総務部部長、
「うちはトコヨモーターの関連企業でして。ご存じでしょう? あのトコヨモーターですよ」
「……トコヨモーターの関係者だとしても、こんなに怯えている彼女をみすみす引き渡すわけにはいきません」
「おや、怯えているわけではありませんよ。彼女のそれは、ただの【飢餓】の発作です」
「発作? ですが、彼女にはプレートが……」
改めてチカを観察すると、確かに周囲に向けている目が捕食者のそれになっているようにも見える。だが、彼女の胸元には【飢餓】のプレートはつけられていなかった。
そのことを怪訝に思っていることを察したのか、ユタカは大げさな身振りをしながら釈明した。
「ええ、実はこの町に来た時に申請から漏れていたようで。今日はその申請のために、改めて市役所に来たというわけですよ。そうですよね、チカちゃん?」
「えっ、う、うん……」
明らかにつっかえながらチカはユタカに答える。タマキはさらに警戒を強めたが、ユタカは余裕の表情だ。
「ほら、チカちゃん。いつまでそうしているんですか。【飢餓】でその方を食い殺したいんですか?」
「っ……!」
チカは息を呑むと、今まで掴んでいたタマキの袖から手を離し、慌ててこちらと距離を取った。
「ご、ごめんなさい、おにいちゃん、もう大丈夫……」
「でも、チカちゃん」
「大丈夫だからっ……!」
チカは強く拒絶の言葉を吐くと、タマキから離れて、ユタカのそばへと行った。ユタカはそんなチカの手を強引に握ると、軽く会釈をしてから、引きずるように彼女を連れ去っていった。
残されたのは、それを止めることができなかったタマキだけだ。
引き留めようと伸ばしかけた手をだらりと下ろし、タマキは苦い顔で俯く。
間違いなく、あの二人は良好な関係ではないのだろう。だが、今の自分は一体どうすればよかった?
トコヨモーターと諍いを起こすことになるとしても、無理矢理保護するべきだったのでは?
いや、一時の感情のまま動いて、同僚に迷惑をかけたばかりじゃないか。今の自分はただの地方公務員だ。彼女のためにできることなんて――
「ターマキくんっ! そんなとこで固まってどうしたの? お腹でも下した?」
「ココ先輩……」
下から覗き込むように声をかけられ、タマキはハッと正気に戻る。どうやら自然と廊下の中央に棒立ちになっていたせいで、通りすがった職員や市民に怪訝な目を向けられていたようだ。
「もしかして社会人デビューしてストレスたまっちゃった!? そういうときは一応、専用の相談窓口があるから――」
「い、いえ、そうではなく……」
タマキは、今し方あった出来事とともに、胸の中のモヤモヤをココに吐き出した。
それら全てを聞き終わったココは、ふむ、とか言いながら一人で腕を組む。
「あー、なるほど。モーターの関連企業の連中ね。あいつらが身寄りの少ない市民を保護してるのは本当だよ。慈善活動ってやつ。内実がどうなってるのかは分かんないけど、母体がモーターのせいで下手に介入できないの」
「そう、なんですね……」
「でも今の出来事は福祉課に伝えておくよ。そういうのに対処するための協定条項もあるし! そんなに凹むなって!」
「はい……」
バシバシと背中を叩かれて、タマキはよろめきながらなんとか頷く。ココはそんなタマキの中のやるせなさを吹き飛ばすように、さらに何度も肩を叩きながら話を変えた。
「それより、運が無かったね。食堂、臨時休業になったんでしょ? 困るよねー。あーあ、私もどこでお昼食べよっかなー」
「え?」
予想外のココの言葉に、タマキは慌てていつの間にか食堂の前に立ててあった看板に駆け寄った。
本日臨時休業。
理由:水道からオレンジジュースが出るようになったため。
「……は?」
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