第8話 陰謀が忍び寄っているようです
食人植物たちは器用に蔓を使って客を捕まえては、捕食器の中に次々と放り込んでいる。客たちは悲鳴を上げて逃げ惑う者もいれば、好戦的に目を光らせて食人植物に立ち向かう者もいた。
「人間も厄獣もおかまいなしのようですね」
転がってきたお盆で頭を守りながら、シータはぼんやりと言う。
対照的に、タマキはいつでも飛び出せるように身構えていた。その全身には緊張がみなぎり、引き絞られた矢のように少しの刺激で暴発してしまいそうなほどだ。
「あいつら、捕食できれば何でもいいんでしょうね。……どうしますか?」
「静観するわけにはいきませんね。僕たちは市役所職員ですから」
シータは腰に吊っていたメガホンを手に持ち、逆側のベルトに吊っていた拳銃をタマキに手渡した。
「どうぞ、タマキ後輩」
「えっ」
「対象はすでに市民に危害を加えているため、現場判断での殺処分が許可されています。遠慮無くやっちゃってください」
平然と放たれたあまりに物騒な発言に、タマキは渋い顔になる。
「……なんだか、初日とはスタンスが違いすぎませんか?」
「ケースバイケースというやつです。守るべき者は守り、排除すべき者は排除する。そうしなければ、この町の危うい均衡は保てません」
言わんとするところは分かるが、いまいち納得できていないタマキに、シータは少し考えた後、ぎこちなく口の端を上げた。好意的に解釈すれば、挑戦的な笑顔に見えなくもない表情だ。
「それとも、怖じ気づきましたか?」
数秒かけて発破をかけるための言葉を言われただと理解し、タマキはぽかんと口を開ける。
「あなた、意識して挑発もできるんですね。驚きました」
「むっ。傷つきました。謝罪を求めます」
「ははっ、この修羅場を脱したら考えますよ」
緩いやりとりをしているうちに、過剰な緊張がほぐれ、タマキは余裕を持って敵性存在を見据える。
敵は三体。ウツボカヅラのような植物が一体。その左右に、花弁の中央に口を持った植物がまるで腕のように動き回り、逃げ惑う市民を片っ端から捕まえては中央のウツボカヅラの筒の中へと投げ入れている。
司令塔は恐らく、中央の一体だろう。とにかく、市民を捕らえているあの筒をなんとかするのが先決だ。
「僕が【舌禍】で奴らの動きを止めます。その隙に、まずは市民の救出を」
「分かりました」
タマキが頷くのを確認すると、シータは頷き返しながら、自分たちだけに見えるように指を三本立てた。
「いきますよ。三、二、いち――」
最後の指が折り曲げられた瞬間、タマキは食人植物のほうへと飛び出した。やや遅れてシータが立ち上がり、指向性を持たせたスピーカーを通じて【舌禍】を行使する。
「――【動くな】」
【舌禍】を正面から受けた食人植物たちは、その力によって一時的に動きを止める――はずだった。
「あれっ?」
間抜けな声を上げたシータは素早く伸びてきた花に捕まり、宙づりにされる。中央の食人植物に組み付こうとしていたタマキは、予想外の敵の動きにシータを振り返った。
「シータさん!? ぐっ……!」
その隙をつくように、縦横無尽に動き回る蔦がタマキの体を横薙ぎに弾き飛ばす。
一方、シータは逆さまに吊り下げられながらも、再び【舌禍】を使おうとスピーカーを構えた。
だが食人植物はそんなことは一切気にせずに彼を宙に放り上げると、まるでピーナッツを投げて食べるような仕草で、中央の筒の中へと投げ込んだ。
直後に筒の蓋が閉じ、シータの姿は完全に見えなくなる。
「シータさん!」
なんとか体勢を立て直したタマキは、今し方シータを捕食した食人植物へと呼びかける。だが、シータの返事はなかった。
気を失っているのか、それともすでにドロドロに消化されて――
頭をよぎった最悪の想像を振り払い、タマキは目の前の敵を見据える。
折角シータから渡された拳銃だったが、こんな相手には使いようがなかった。様子をうかがう限り、一撃を当てれば倒せるような急所と呼べる場所は見当たらない。
だが、拳銃以外にも自分には厄獣としての能力という武器がある。どこを切れば止まるのかは分からないが、周囲の被害を考えなければ、対象を倒すこと自体は、できる。
でも、とタマキは考える。
まだ捕食された市民たちが生きている可能性がある以上、見捨てることはできない。たとえ人間ではない市民が混じっていてもそれは同じだ。
何より、ここでシータが食べられただなんてことになったら、寝覚めが悪すぎる。
筒の内側で、誰かが助けを求めるように蠢いた気がした。
「……集中しろ、できるはずだ」
食人植物を正面からにらみつけながら、タマキは己の中の厄獣の血を喚起する。【飢餓】を薬で抑え込んだ直後だということもあり、行使できる力には限りがあった。
だが逆に、その方がコントロールが効くというものだ。
タマキは身構えたまま一歩も動かず、大気中に『不可視の刃』を設置していく。
どこを切れば動かなくなるか分からないのなら、一瞬で全体を細切れにしてしまえばいい。ただし――人質たちには一切傷をつけずに。
牽制するようににらみつけてくるタマキを無視して、食人植物は根の部分を器用に使って、どこかに去ろうとしている。
「逃がすかっ……!」
己の中に流れる厄獣の血。
吹き抜け、目にも留まらぬ勢いで対象を切りつける風の刃。
――カマイタチ。
「斬れ!」
タマキの号令で全ての刃が振り下ろされ、食人植物は悲鳴すら上げられないまま一瞬で細切れになった。
植物の中に通っていた体液が風船を割ったかのように飛び散り、タマキを含めて店中が蛍光ピンク色に染まる。
「ひぃぃ!」
「きったないな!」
まだ待避していなかった市民が二次被害を被り、全身ピンク色になる。逃げ遅れたわけではなく野次馬根性で現場に残っていたので、同情の余地はない。
「もっとうまくやれよ、バーカ!」
「そうだそうだ!」
図々しく文句を言う彼らを無視し、細切れになった対象が完全に沈黙したのを確認した後、タマキは慌てて筒状の捕食器へと駆け寄った。
「シータさん!」
攻撃を当てないように細心の注意を払った甲斐があり、筒は無傷のまま地面に転がっていた。タマキはその蓋部分をこじ開けると、中にいた被害者たちを全て引きずり出した。
「くそっ、ひどい目にあったぜ……」
「今日はついてないなー」
そうやってのんきに言いながら市民たちはさっさと帰っていく。この程度の災難はトコヨ市ではよくあることなので。
そんな彼らを無視して、タマキはシータへと駆け寄る。シータは地面に転がったまま、ぴくりとも動かない。
「シータさん、しっかりしてください!」
抱き起こしても、半分だけ開いた目でぼんやりと宙を見るばかりで、生気を一切感じない。最悪の事態が起きてしまったと悟り、タマキは目を潤ませて脱力する。
「シータさん……そんな……」
鼻を小さくすすり、もう一度シータの名前を呼ぶ。
すると、シータの体はびくっと震え、何度も瞬きをした後に口を開いた。
「タマキ後輩、ピンク色でひどい格好ですね。そういうファッションですか? 洗濯をおすすめします」
「なっ……!」
驚きと動揺でタマキはシータの体を落とす。ごつん、とかなり痛そうな音を立ててシータは床に落下した。
シータは頭を押さえて起き上がりながら、そっぽを向いて目元をこするタマキのことを観察し、ぽんっと手を打った。
「僕が死んだと思って泣いてくれたんですか? ありがとうございます」
「ち、違います! 紛らわしいことしないでください!」
「わざとではありません。死んだように寝るのが僕の特技なので」
「嫌な特技ですね、本当に!」
「母にもよく言われました。心臓に悪いと」
飄々と答えるシータに、タマキは助けて損したような気分にすらなりながら、大きく息を吐く。一方のシータは、自分が漬け込まれていた消化用の粘液を不思議そうに確認していた。
「タマキ後輩」
「……何でしょう」
「この粘液、人を消化するにしては即効性が薄いとは思いませんか」
「え?」
何を言われたのか分かっていないタマキに、シータは救出された被害者たちを指さす。
「見てください。捕食された被害者たちは、全員五体満足で救出されています。投げ入れられたショックで意識を失った僕以外、気を失っていた方もいません」
「確かにそうみたいですが……それがどうかしたんですか?」
「考えてもみてください。人間サイズの生き物を捕食するのなら、毒でも使ってその場で仕留めないと内側から反撃を食らいます。加えて、この植物には【舌禍】が効かなかったんです」
重々しく言うシータに、タマキも深刻な面持ちになって話を聞き始める。
「【舌禍】はある程度知能がある存在にしか効果がありません。【舌禍】が効かなかったということは、この植物自体に知能はほとんどないということになります。そんな存在がわざわざ獲物を、健康に生かしたまま捕らえて持ち帰ると思いますか?」
「それは……あり得ませんね、奇妙な習性を持っているのであれば納得できますが」
「僕たち市役所とトコヨモーターが揃って探しても、今までこの植物の正体は掴めていないんです。完全な新種と考えるのが自然です」
「……つまり?」
シータはそこで言葉を切り、タマキに顔を近づけ、声を潜めて言った。
「この食人植物は、何らかの目的で、何者かに品種改良されてコントロールされた植物というのが僕の見立てです」
至近距離で述べられた見解に、タマキはごくりと唾を飲み込む。
「目的、ですか」
「はい。たとえば――生きたまま市民を誘拐するため、だとか」
一層声を潜めて、シータは推理を口にする。それがあまり公に噂されるとまずい情報であることぐらいタマキにも分かった。
タマキは黙ったままシータと顔を見合わせた。
そのまま沈黙する二人の間に割り込んだのは、遠慮がちに背後から声をかけてきた店長らしき男だった。
「あのー、市役所の方ですよね? こちら、お二人が暴れて壊れた備品の請求書です」
「え?」
いつの間に作成したのか、店長の手には備品の一覧とその総額が書かれた請求書があった。少しの沈黙の後、シータは手を打った。
「しまった。警告義務を忘れていました。警告義務を果たさないと、損害の請求が市役所にいくんです」
「え?」
タマキの背に一気に冷や汗が流れる。
請求書に書かれている金額は、到底一般人がポケットマネーから出せるようなものではない。トコヨ市の物価がどうなっているかは分からないが、外と大して変わらないようであれば、借金地獄に陥ることは間違いない。
タマキは震える声でシータに尋ねた。
「経費で、落ちますかね……」
「どうでしょう……」
シータも珍しく動揺した面持ちで請求書を眺めている。
だが、ふと何かに気づいた仕草をすると、シータはあっさりと請求書を店長から受け取った。
「とりあえず請求書は受け取っておきましょう。払うのは僕たちではありませんし」
「それもそうですね」
もし安穏室長が聞いていたら、怒りと絶望と衝撃で内側から爆発しそうになるようなやりとりを和やかに交わし、ついでと言わんばかりにシータは付け加えた。
「あ、お子様ランチ二点の精算もよろしくお願いします。領収書の宛名はトコヨ市役所で」
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