第7話 ファミレスは治安が悪いものです
十数分後、タマキとシータは、一緒になってファミレスでメニュー表を覗き込んでいた。
「タマキ後輩にとっては初めてのお店ですし、オススメを教えてさしあげます。僕の一押しはお子様ランチです。量が少なくて美味しいですよ」
「はあ、そうなんですね……?」
タマキはメニュー表からほんの少し顔を上げて、落ち着かない視線を店内に向ける。その先に広がっているのは、場末のバーよりも混沌とした光景だった。
「おいおい酒が足りねえぞ、酒が!」
「そうだぞ! もっと持ってこい!」
「はあ? うるさいですよお客様。ここはテメェらのような脳漿が酒になってるクズ大人のための店じゃないんですよ。ファミリー向けのお子様ミルクで満足できないなら、さっさとおうちに帰りなクソ野郎」
「ああ!?」
「やんのかコラァ!」
机がひっくり返され、食器が宙を舞う。周囲の客たちは我関せずという顔で食事を続けている者もいれば、有志が胴元になって喧嘩の行方を巡って賭けを始めている者もいる。
吹っ飛んできたスプーンを首を竦めて避けながら、タマキは頬を引きつらせた。
「ち、治安が悪い店なんですね……」
「ファミレスの売りは安価で庶民派なことですからね。こういうこともあります」
「俺の知っているファミレスと違うような……」
「そうなんですか? 外のファミレスはどんな感じなんですか? ぜひ聞かせてほしいです、タマキ後輩」
妙なところに食いつかれて話題が逸れそうになったタイミングで、電話で離席していた安穏がちょうど戻ってきた。
「ひぇー、やっぱりここ客層最悪だよ……」
「室長」
「お疲れ様です!」
上官を目にしたタマキは、反射的に敬礼をする。安穏は苦笑いをした後、そんなタマキの死角から飛来したフォークを、シータが持っていたメニュー表をひょいと取り上げてガードした。
カンッという音と共にフォークは弾かれ、床に落ちる。
「危ないなあもう……食事どころの話じゃないって……。あ、タマキくん勘違いしないでね! トコヨ市はこんな店ばっかりじゃないから! ここは特別治安が悪いんだよ! 誤解しないでね!」
「は、はあ……」
さらりと行われた防御行動に、咄嗟にお礼を言うことすらできずに、タマキはドン引きの表情を浮かべる。安穏は気まずそうに苦笑いをした後、メニュー表をシータの手に戻した。
「ともあれ、お待たせしちゃってごめんね、実は急ぎの用事で呼び出されちゃってさ。昼休憩も兼ねて君たちはここで食べていきなよ。ここの会計は出張経費でいいから」
「えっ」
「わかりました。ごちそうさまです」
「ただし領収書はちゃんともらうこと! 経理に怒られたくないならね! 約束だよ!?」
そうやって何度も念押ししてから、安穏はそそくさと店を後にした。
残されたのは、浮かれた様子でメニューを説明するシータと、状況についていけずに挙動不審になるタマキだけだ。
つい先ほど大きな失態をしたばかりだというのに、その失態を叱責される前に上官がどこかに行ってしまったのだ。居心地が悪いと感じるのも無理はない。
何を言うべきかも分からずに無言のままメニュー表を目で追っていると、隣のシータが不意に店員を呼び止めた。
「すみません、店員さん。お子様ランチ二つで」
「えっ」
「かしこまりました。お子様ランチ二つですね」
「えっ!?」
勝手に自分の分を頼まれたと悟った時には、店員は早足で歩き始めていた。そんな店員の尻をゴロツキが触り、流れるような動きでバインダーで頭をぶん殴られたのを見送り、タマキは浮かしかけた腰を座席に戻した。
呆然としているタマキに、シータは平然と言う。
「タマキ後輩が迷っているようだったので、お子様ランチを選びました。感謝してください」
「か、勝手に決めないでください……!」
店員にお子様ランチを食べたいと思われたという事実と、近い未来に自分の目の前にお子様ランチが運ばれてくるという羞恥に、タマキは軽くシータをにらみつける。
対するシータは、こてんと首をかしげた。
「あまり長居すると命に関わりますので。味は美味しいお店なのですが」
「ぐうっ……」
ある程度、理の通った判断だったと知り、タマキは何も言えなくなって唸る。遠くでまたごろつきが騒ぐ音が聞こえた。
そのまま沈黙が続くこと数分。
居心地の悪さをごまかすように窓の外に目をやると、つい先ほど映画さながらのカーチェイスが起こっていたとは思えないほど、騒がしくも穏やかな町の姿があった。
つまりは、血の気の多い市民たちがギリギリを攻めた運転をするせいで、数秒おきにどこかで小競り合いが起きているという意味だが。
それを眺めているうちにようやく平常心を取り戻したタマキは、シータに向き直って頭を下げた。
「シータさん」
「はい」
「先ほどはすみませんでした。危ないところを助けていただいて……自分が情けないです」
深々と頭を下げるタマキの後頭部をシータはじっと見つめた後、不思議そうに答えた。
「タマキ後輩、そういうときは謝罪ではなく感謝を言うべきですよ。母からそう習いました」
「うっ、そう、ですね。……助けてくださって、ありがとうございます」
言い方のせいで釈然としない思いを抱きながらも、タマキは改めて礼を言う。シータは、ふふんと誇らしそうに鼻を鳴らした。
それを複雑に思いながら、タマキは気になっていたことを口にする。
「先ほど言っていたシータさんのお母様って、もしかして育て親の……」
「はい。育て親の厄獣です。ウブメドリという種族で、捨て子を拾って育てる習性があるんです」
「捨て子……」
想像以上に重い事情をさらりと話され、タマキは思わず口をつぐむ。
その時、ちょうどお子様ランチが運ばれてきた。
「お子様ランチのお客様ぁ」
「はい、僕たちです」
目の前に一つずつお子様ランチを置かれ、タマキは苦い顔になる。被害妄想かもしれないが、店員が含み笑いしているようにも感じた。
店員が去っていくのをしっかりと待ってから、タマキはシータに話を振る。
「……もしかして先ほどモーターの方が言っていた『托卵』というのは、あなたの育て親が厄獣であるという意味ですか?」
「はい。母はそれなりに強くて地位のある厄獣なので、その養い子である僕を傷つけたら、それはもう厄介な事態になるんです。想像はできますね、タマキ後輩?」
確認するように問われたタマキは重々しく頷いた。
ただでさえ危うい均衡の上に成り立っているらしいこのトコヨ市で、厄獣によって息子同然に可愛がって育てられた子供が傷つけられたとしたら、考えるのも恐ろしい事態になるのは間違いない。
シータは甘めに味付けされた安っぽいハンバーグを口に運び、ソースを口の端につけながら続ける。
「僕の母は、自慢の母親です。僕がいずれ人間社会に戻っても生きられるように、人間としての常識も教えて育ててくれました」
「はあ」
「ただ母自身も、人間というものの理解がよくできていなかったので、僕の人間としての振るまいは完璧というわけではありませんが」
「か、完璧じゃない自覚があったんですか!?」
思わず大声で叫ぶと、シータは目に見えて不機嫌そうな顔になった。
「む……。気分を害しました。謝罪を求めます」
「すみませんでした……」
さすがに自分に非があると感じたタマキは大人しく謝罪し、少しためらってから目の前に置かれたお子様ランチに手をつけ始めた。
半分以上、衣でかさ増しされたエビフライをフォークで刺し、口に運ぶ。質の悪い冷凍食品特有の鼻に抜ける異臭に、逆にノスタルジーを覚えた。
まだ自分が厄獣とのハーフだと知らず平和に暮らしていた頃、母が作ってくれたエビフライもこんな味がした。
脳裏に浮かんだ楽しい思い出に、付随する憎しみが喚起されて、タマキは食事の手を止める。
そんなタマキの様子に気づかず、シータは能天気に尋ねた。
「タマキ後輩のご両親はどんな方なんですか? 気になります」
何気なく尋ねられた問いにタマキは一瞬息を呑み、暗い目で唸るように答えた。
「――東雲マドカ。俺を生んだ厄獣であり、父を殺した仇です」
明らかに憎しみが込められた声色に、さすがのシータも異変に気づいて押し黙る。それをいいことに、タマキは言葉を続けた。
「五歳まで、俺は彼女に育てられました。父親は早くに亡くなったと聞かされて……。でも違ったんです。東雲マドカは、『飢餓』によって俺の父を食べていたんです」
今でも鮮やかに思い出せる。
ある日、正体が厄獣であるとバレて、俺と母は首都防衛隊から逃げ回った。何度も深い傷を負って、それでも母は俺のことを庇い続けた。
『――絶対に、ママが守ってあげるからね』
俺は母のことを信じていた。母は無害な厄獣で、母を追うあいつらこそが悪者なんだと。
だが、それは間違いだった。
戦闘の末に母は捕縛され、俺は首都防衛隊に告げられた。
『君の父親を食ったのは、あの女だ』
騙されていた。あいつは悪者だった。ただの憎むべき害獣だった。
己の中にその忌まわしい血が流れていることが確認され、首都防衛隊の一員としての訓練が始まり、そこで受けた教育によって厄獣への憎しみはさらに増していった。
その末に『飢餓』を発現した己は、トコヨ市送りになった。
あの女の末路と、同じように。
「東雲マドカは捕縛されて、トコヨ市送りになったと聞きました。だから、俺はっ……!」
タマキはフォークを握る手に力を込める。あふれ出した感情が荒れ狂い、理性を削っていく。
まずい、と思ったその瞬間、タマキの目の前にピルケースが置かれた。
「抑制剤です。服薬してください」
「っ……、ありがとう、ございます」
促されるまま抑制剤を飲み込み、タマキは長く息を吐く。暴れ回っていた鼓動が徐々に落ち着いていき、感情のコントロールができるようになる。
抑制剤の作用に付属する倦怠感で脱力していると、シータは淡々と尋ねてきた。
「東雲マドカさんを見つけたら、タマキ後輩はどうするつもりなんですか?」
「それは……」
タマキは口ごもり、視線を泳がせた。
復讐したい、と言うのは簡単だ。事実、自分は彼女に憎しみを抱いている。だが、今の自分は市役所に勤める職員だ。そんなことは許されない。
たとえ、目の前に彼女が現れたとしても、我慢するしかない。
「……シータさん、東雲マドカという厄獣に心当たりはありませんか? 生まれた時からトコヨ市に住んでいるなら、噂ぐらい……!」
藁にもすがる勢いでタマキはシータに詰め寄る。
するとシータは顎を摘まむように何度か撫でた後、平坦に答えた。
「いえ、存じ上げません。東雲マドカという厄獣について、僕は何も知りません」
「そうですか……、そうですよね……」
脱力感と苦笑がこみ上げ、タマキは肩を落とす。シータはそんなタマキをじっと伺っていたが、不意にパンッと手を叩いた。
「では、そろそろこのトコヨ市の現状の説明に入りますね。説明不足はよくありませんので」
「は、はいっ」
急に真面目な話になったことに困惑しつつ、タマキは背筋を正す。シータも心なしか真剣な声色で話し始めた。
「トコヨ市には法がないと言いましたが、秩序がないわけではありません。トコヨモーターと市役所とその他三つの団体によって結ばれた、
「五芒協定……」
「トコヨ市は、大きく分けると五つに分かれていて、それぞれが各団体の勢力範囲になっています。僕たち市役所は東区、トコヨモーターは南東区のように」
そう言いながらシータは、テーブルの上に指で五芒星を描く。それぞれの先端に五つの団体がいるということだろう。
「トコヨモーターは人間至上主義の団体で、厄獣を毛嫌いしているのですが……最近起こっている『食人植物』事件解決のために、市役所と共同歩調を取っているというわけです」
次々と口にされるシータの説明に、タマキはなんとかついていって、首を縦に振った。
「なるほど……。その『食人植物』事件というのは?」
「読んで字の通りです。人を食う植物が突発的に出現する事件で、口頭では説明が難しいので実際に見たほうが理解できるのですが――」
その時、激しい破壊音が店内に響き、タマキは反射的にシータの手を掴んで、背もたれを盾にして隠れた。
続いて何者かの咆哮が響き、建物中がびりびりと震える。
タマキとシータは慎重に顔を出し、襲撃者の正体を目にした。
「あれのことです、タマキ後輩。理解できましたか?」
「……はい、よく理解できました」
そこにいたのは、食虫植物をそのまま巨大にさせたような怪物だった。
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