第6話 トコヨモーターは安心安全の優良企業です

 トコヨ市役所は、トコヨ市の中でも治安が比較的マシな東区に存在している。


 とはいえ、市庁舎から一歩出ればそこは、種族のるつぼである無法地帯だ。文字通りトコヨ市にはそもそも法律すらないのだが。


 市役所正門の前では、一国の軍事施設かと思うほど物々しい警備が目を光らせ、酔っ払った数名の市民がそれに絡んでいる。


「おーい公僕! 無視してんじゃねーぞ!」


「そうだそうだ! 言ってやってくださいよアニキ!」


 アニキと呼ばれた方が人間で、もう片方がトカゲに似た二足歩行の厄獣だ。二人とも片手に酒瓶を持ち、時々ラッパ飲みをしながらゲラゲラと笑っている。


「あーもう、また絡まれてるぅ……」


 頭を抱える安穏をよそに、シータはとことこと彼らのもとへと歩み寄っていった。


「市民さん、困ります。市役所ではルールを守っていただかないと」


「げぇっ、厄対!」


「ず、ずらかりましょうぜ、アニキ!」


 シータの顔を見たよっぱらいたちは、顔を青ざめさせてそそくさと去っていった。


 その後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、シータはえっへんと胸を張る。


「どうですか、タマキ後輩。僕のオーラに恐れをなして、破落戸たちが退散していきましたよ」


「は、はあ、そうですか……?」


 少なくともオーラではないだろうという気持ちと、肩書きに怯えて逃げていったのならあながち間違いではないのではという気持ちがタマキの中で衝突し、結果的に少しズレた問いが彼の口から出る。


「先ほど、生活安全課の名前が警察のように扱われると仰っていましたが、もしかして厄獣対策室はそれ以上の扱いを受けているんですか……?」


「察しがいいですね、タマキ後輩。後輩の才能があります」


「はあ、どうも」


「あなたのような後輩を持てて、先輩の僕は嬉しいです」


「恐縮です」


 どこか的外れなシータの返答に、タマキは戸惑うことも訂正することもなく素直に返事をする。


 悪意無く目の前で繰り広げられるぼんやりとしたやりとりに、安穏はたまらずツッコミを入れた。


「いや、どういう会話!? 二人だけで完結しないで!?」


 大げさな身振り手振りをしながら、安穏は主張する。無表情なシータと生真面目なタマキは目を見合わせた。


「タマキ後輩、室長が会話の輪に入れなくて困っています。ジェネレーションギャップというものです。フォローをお願いします」


「すみません、そういった気の利いた対応は苦手で……」


「そうですか。これから慣れていきましょう」


「善処します」


 タマキは真剣な顔で素直に頷く。一方、若者とうまく会話ができない可哀想な中年扱いをされた安穏は、がっくりと肩を落とした。


「君たちいつの間にそんなに仲良くなったの? もう、そういう漫才コンビみたいになってるじゃん」


「そうですか? では、これからはタマキ後輩と漫才コンビとして生きていきます」


「勝手に決めないでください。漫才には詳しくないので無理ですよ」


「あーもう! ものの例えだよ! 息ぴったりの相棒みたいってこと!」


 シータとタマキは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で何度もまばたきをした後、顔を見合わせた。先に口を開いたのはシータだ。


「なるほど相棒。それは良い響きですね。タマキ後輩、僕と相棒になりましょう」


「え……嫌ですが」


「えっ?」


「え?」


 当然受け入れられるものと思っていたシータは驚きで固まる。そのまま石像のように動かなくなるシータに、タマキはほんの少しの罪悪感を覚えた。


「あー……、まだ先輩としても認めていないのに、相棒になるのは難しいということですよ」


「なるほど、そういうことですか。てっきり僕の相棒になって、僕の周りでなぜか起きる厄介ごとを一緒に片付けるのが嫌なのかと思いました」


「いえ、それは嫌ですが」


「えっ」


 ここで説明しておくと、シータという人物は自己評価が富士山よりも高く、自分は全人類、全厄獣に無条件に愛されていると信じている。そして、彼の出生の事情ゆえに、彼に対して明確に完全な拒絶を示すような存在はトコヨ市には存在しない。


 そんな全方向愛され人間だと自認しているシータが、可愛がっている後輩に拒絶されて、無事で済むはずがなかった。


「そ、そうですか……嫌ですか……」


 シータの目が潤み、小さく鼻をすすりながら俯く。


 一方のタマキという人物も、こういったコミュニケーションには不得手だった。


 何しろ幼い頃に特殊部隊に「保護」されてから、戦闘訓練と洗脳教育しか受けてこなかったのだ。同年代の隊員もいたが、学校のような共同体に属したことはない。


 いきなり目の前で年下の先輩が泣き始めた時の対処法など、そんなタマキに思い浮かぶはずもない。


 気まずい空気が数秒立ちこめ、それを吹き飛ばすように安穏は大声を上げた。


「あーあー! じゃあ上司命令ね! 君たちは今日から相棒になりなさい! それでいいでしょ!? ほら、注目集めちゃってるし、早く車に乗って!」


 固まっている二人を強引に車に詰め込み、安穏は運転席でキーを回す。エンジンが吹かされ、車体は滑るように市役所を出発した。






 結局、二人が平常心を取り戻すには十数分を要した。


「そうだね、ショックだったね、でも拒絶されても仕方ないぐらい君が問題を起こしているのは事実だからね、あっ、泣かないでほらっ、タマキくんも何かフォローしたげてっ」


「ええと、その……頑張ってください」


「……ぐすん」


「慰めるの下手くそなのぉ!?」


 そんな騒がしいやりとりをしながら車は進み、約束の時間ギリギリに目的地へと到着した。


 疲れ切った顔で運転席から降りた安穏に対し、シータとタマキはどこかすっきりとした表情をしている。


「では、シータさん。そういうこともあるということで」


「そうですね、タマキ後輩。そういうこともあります」


「ほんっと君たちさぁ……!」


 それ以上しゃべろうとすれば全て面倒な事態に繋がると悟った安穏は、諦めたように深く息を吐いた。


「結局、ろくな説明できずに到着しちゃったから、タマキくんはいい感じに話を合わせてね。シータくんはいつも通り黙ってること! 約束だよ?」


「わかりました」


「了解です!」


 二人が素直に頷いたのを確認し、安穏はトコヨモーターの正面入口に向き直った。そこにいるのは、市役所など比べものにならないほど厳重な警備だ。


 武装した警備員が左右に立っているのはもちろんのこと、いたるところに設置された防犯カメラには重火器が付属しており、少しでも妙な真似をすれば全身を蜂の巣にされるのは間違いない。


 警備員にボディチェックを受けながら、タマキはその様子を密かに伺っていた。


 この場所の空気は、タマキにとってなじみ深いものだった。


 殺意と敵意が満ちた場所。最前線の鉄火場の空気だ。


「……ふん、一応、問題ないようですね。ここで大人しく待つように」


 高圧的に告げられ、三人はその場に放置される。タマキは小声で安穏に尋ねた。


「やけに物々しいですが、ここはトコヨモーターの社屋なんですよね……?」


「うん、ある意味ではこのトコヨ市で最も安全が保障された場所かもね」


「なぜ、ただの企業の社屋がこんな……」


 ぼそぼそと話していたタマキと安穏の会話を遮るように、奥から現れた人物が高らかに言い放った。


「それは――我らこそがトコヨであるからだ!」


 まるで標語を唱えるかのように誇らしげに言ったのは、青色の作業服に身を包んだ痩身の好青年だった。


 全体的な顔つきは爽やかな印象を受けるというのに、その目には苛烈な野心が燃えている。後々で安穏が彼を表して『笑顔で威嚇するタイプのスーパービジネスマン』と言っていたが、まさにその言葉が相応しい存在だった。


 安穏は明らかに年下である彼に、深々と頭を下げた。


「どうも、常世コタロウさん。ご無沙汰しております」


「ああ、まったくだ! お前らのような、どっちつかずの臆病者の顔など、すすんで見たくはないがな!」


「ええ、あはは……」


 いちいち叫ぶように話すコタロウの声に、タマキは自分の声量を棚に上げて眉根を寄せた。


 コタロウはめざとくその表情の変化に気づき、勢いよくタマキをにらみつけた。


「何だ、お前は! 何か私に不満でもあるのかね!? トコヨモーターの次期社長であるこの常世コタロウに!」


「じ、次期社長!?」


 タマキが驚愕したのは、無理もないことだった。


 トコヨモーターは過去の勢いは失ったとはいえ、壁の外で立派に活動している大企業だ。その次期社長がトコヨ市にいるなんて、あり得ない。


 トコヨ市に一度入った者は、原則として二度と外には出られないのだから。


「ふん! 私の顔を知らないとは、新入りのようだな! 世間知らずの田舎者の粗相だと思って一度は許そうではないか!」


「……はあ?」


 苛立ちもあらわにタマキは低く唸る。そんなタマキとコタロウの間に、安穏は慌てて割り込んだ。


「あーあー! まっことに申し訳ありません! 世間知らずなもので! しっかり言い聞かせますので! 何卒!」


 土下座しかねない勢いでペコペコと頭を下げる安穏の頭を見下ろし、コタロウは鼻を鳴らした。


「私は許すと言ったぞ、厄対! 二度も言わせるな!」


「あ、ありがとうございますぅ……」


 情けない声を上げて、安穏は一歩下がる。さりげなくタマキのことを背中に庇いながら。


 このコタロウという人間は、絶対に逆らってはならない人物なのだ。


 安穏の振る舞いでそれを察したタマキは、顔に出してしまっていた苛立ちを飲み込んだ。


「大変、失礼致しました」


 深々と頭を下げたタマキの謝罪にコタロウは返事すらせず、その代わりに安穏に声を飛ばした。


「それで厄対! 用件はこの新入りの紹介か? これはまた随分と臭い男だな!」


「なっ……」


 唐突に悪臭を指摘され、タマキは咄嗟に自分の服をつまんで匂いを確認する。コタロウはそれを愉快そうに眺めた後、大げさな身振りとともに言い放った。


「ああ、臭い臭い! 汚らわしい厄獣の匂いがするぞ! 人の姿をしているだけの下等生物め!」


 タマキは数秒フリーズした後、怒りとも悔しさともつかないどす黒い感情がこみ上げてくるのを感じた。


 侮辱された。厄獣なんかと一緒にされたくない。厄獣を忌み嫌う気持ちは分かる。自分は、厄獣とのハーフだ。罵倒されて当然かもしれない。それでも、許せない。ここまで侮辱されて黙っていられない。


 己の中の厄獣の血が喚起され、喉の奥から獰猛なうなり声が発される。ギチギチと奥歯を噛みしめ、怒りに支配された視界がコタロウを捉える。


 あとほんの数秒でコタロウに掴みかかろうとしたその時――隣にいたシータが一歩前に出て、能天気な声色で言った。


「相変わらず子供みたいな悪口がお上手なんですね」


「……ああん!?」


「おや、丁寧な態度が崩れていますよ。ダメじゃないですか、ビジネスマンなんですからちゃんとした言葉遣いをするべきです」


「ぐっ……このっ……!」


 ずけずけと物を言うシータに、タマキは怒りを忘れて呆然と彼の背中を見る。庇われたのだということはすぐに分かった。


 情けない。こんな単純な挑発に乗るなんて。


 怒りが収まるのと同時に、人間離れしつつあった見た目は徐々に人の姿に戻っていき、一時的な虚脱感でタマキはうずくまる。安穏はそんなタマキのそばにかがみ込むと、小声で呼びかけた。


「タマキくん、落ち着いた?」


「……はい、申し訳ありません」


「謝罪は後でいいよ。まずはここを切り抜けて帰っちゃおう」


 安穏が視線を上げるのにつられて、タマキも顔を上げる。シータは普段通りの無表情で、コタロウと相対していた。


「そもそも僕たちは小競り合いをしている場合ではありません。『食人植物』の件で共同歩調を申し入れてきたのはあなたのほうでは?」


「うるさいうるさい! お前らがちゃんと仕事をしないから『食人植物』が根絶やしにできてないんだろうが! 所詮、厄獣と内通してるような汚らわしい奴らに期待した私が馬鹿だったな!」


「そうやって他を下げる発言をしていると、器が小さく見えるらしいですよ。雑誌で読みました。これは忠告ですが、コタロウさんはトコヨ市を背負う次期社長なのですから、もっと器を大きく持つべきでは?」


「ぐっ、この……! 汚らわしい托卵でさえなければ、お前なんてっ……!」


「事実として僕は托卵ですので、『もしも』ということはありません」


「ぐぎぃ……!」


 ギリギリと歯ぎしりをして悔しがるコタロウは、何故かシータに強く出られないようだった。


 それを好機と見たのだろう。安穏はシータとコタロウの間に滑り込み、早口でまくし立てた。


「お忙しい中、お時間をいただき誠にありがとうございました! お仕事の邪魔をしてしまうのは心苦しいですので、私たちはこれで失礼します!」


 まるで呪文の詠唱のように定型句をぶつけると、安穏はシータとタマキの腕を掴んで社屋の外に転げ出て、二人を公用車に詰め込んだ。


「説教は後! シートベルトしてっ!」


 返事を待たずに安穏はアクセルを踏み込み、三人を乗せた車は急発進する。武装した警備が銃口をこちらに向けて停止を求めてくるが、安穏はさらに加速してトコヨモーターの正門を内側から突破した。


 跳ねるように公道に出た車は、何度も蛇行して背後からの発砲をすんでのところで避けていく。行き交う車たちは慣れた様子で次々と路肩に避難し、突然始まったカーチェイスから身を守っていた。


 シータはタマキを踏みつけるような形で後部座席でひっくり返っていたが、ふと考え込むような仕草をすると、タマキを踏んだまま、運転席のほうへと顔を覗かせた。


「室長」


「なに、シータくん!?」


「反撃しますか?」


「してもいいけど、警告義務は果たしてね!?」


「了解しました」


 平然とした表情で承ったシータは、ふと自分の下敷きになっているタマキを見下ろした。


「タマキ後輩、いつまで寝ているんですか。反撃の時間ですよ」


「はあっ……!?」


 今まさに踏みつけてきている本人にそんなことを言われ、タマキは言葉を失う。


 そんなタマキの様子を意にも介さず、シータは助手席の後ろに備え付けてあったメガホンを手に取ると、ちょうど後部座席の上部にあたるサンルーフを開いた。


「タマキ後輩。今から追っ手の方々に警告義務を果たします」


「は?」


「ちゃんと警告した上で反撃しないと始末書ものなんです。僕が顔を出して警告するので、タマキ後輩は僕が転ばないように支えていてください」


「ま、待ってください、そんな危険なことなら、俺が」


「ではいきますよ」


 タマキの制止を一切聞かずに、シータはかぱっと開いたサンルーフから身を乗り出して、今まさに迫ってきている追っ手に向かってメガホンを向けた。


「こちらは、は――トコヨ市役所生活安全課、か――厄獣対策室です、す、す――」


 よくある田舎の広報車のような反響をさせながら、シータはマニュアル通りの警告を口にする。タマキは唖然とそれを見ていたが、段差を踏んだ車輪が大きく跳ねたのをきっかけに、慌ててシータの体が倒れないように、彼の胴にしがみつくようにして支えた。


「追跡中の皆さん、ん――五芒協定7条に則り、り――これより威嚇攻撃を行います、す、す――なお、この威嚇攻撃で失われたあらゆる財産について、て――当局は一切の責任を追いません、ん、ん――」


 単調なしゃべり方のせいで、録音されたアナウンスのように聞こえる警告を全て終え、しばらく追っ手の出方を伺った後、シータはするりと車内へと戻ってきた。


「ただいま戻りました。風が強くて涼しかったです」


「そんな悠長に言っている場合ですか!?」


 一仕事終えたという顔でちょこんと座るシータに、タマキは焦りから声を荒げる。


「大丈夫ですよ。ほら、後ろを見てください」


「え?」


 バックミラーを指さすシータにつられて、タマキは鏡に目を向ける。そこには、これまで明確な殺意を持って追いかけてきていた車両たちが、次々に退散していく姿が映っていた。


「僕は『舌禍』ですから。僕に止まれと言われたら、彼らには勝ち目はありません。彼らもバカではありませんので」


「ああなるほど……」


 彼らがおとなしく退却していったことに納得し、なんとか修羅場を脱したのだとタマキは息を吐く。


 そんなタマキに、ハンドルを握っている安穏は厳しい目を向けた。


「タマキくん。詳しく説明していなかった僕も悪いけど、こういうのはダメだからね。後でお説教だからね」


「……はい、申し訳ありませんでした」


 タマキは大人しく頭を下げ、バックミラー越しにそれを見た安穏は仕方なさそうにため息をつく。


 しばらく車内には失敗をしてしまった後の重苦しい空気が満ちていたが、お腹を軽く押さえたシータの能天気な一言が、軽々とそれを吹き飛ばした。


「室長、お腹が空きました。お子様ランチが食べたいです。お説教はそこでやりましょう」

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