【02】警告には速やかに従いましょう

第5話 トコヨ市役所はどこも騒がしいです

「――と、大体こんな感じでしたね」


 体験した出来事に私見を添えて、タマキは語り終える。


 機械じみたリズムで叩かれていたキーボードの音がぴたりと止まり、夕暮れのオフィスでシータはふうと息を吐いた。


「なるほど。報告書はこうなりましたが、いかがでしょうか」


 タマキがパソコンのモニターを覗き込むと、お手本のような文章で事件の経緯と所感が、報告書のテンプレートに書き込まれていた。一応その内容を確認していると、シータはほのぼのとした言い方でこう宣った。


「それにしてもタマキ後輩の目から見た僕について聞くのは、なんだか楽しいです。後輩に慕われる素晴らしい先輩である自信が持てます」


「……」


 シータの言葉に、タマキは複雑な表情で押し黙った。何しろ彼には、先輩として世話になったことより、迷惑を被ったことのほうが圧倒的に多かったので。


 タマキは一呼吸置くと、わざとらしい声色で言い放った。


「えっ、アナタ、楽しいという感情があったんですか?」


「……タマキ後輩?」


 目を細めて心なしか拗ねたように見える表情で、シータはタマキの顔を見る。タマキは含み笑いをしながら答えた。


「ふふ、冗談ですよ。揶揄っただけです」


「なるほど、冗談でしたか。では許しましょう。相棒と軽口を叩き合えるようになったことは喜ばしいことですし」


「そうですね。そういうことにしましょう」


 ズレた返答を繰り返すシータを手のひらの上で転がし、タマキはモニターから遠ざかる。


「では、次の報告書にいきましょうか」


「はい、タマキ後輩が二度目に担当した事案といえば――」







 トコヨ市には電話が通っている。


 さすがに壁の外とのやり取りは制限されているが、市内であれば大抵の場所に電話線が張り巡らされているし、全市民のうち三人に一人はスマホを所持しているという統計もある。


 つまり何が言いたいかというと――


「お電話ありがとうございます、こちらトコヨ市役所総合窓口課です。……え? 隣人の育てている植物が羨ましいから欲しい? 直接言うのは難しいからどうにかならないか? お隣の方に直接言えばいいんじゃないでしょうかねぇ! 失礼します!!」


 ――トコヨ市役所は、多種多様なクソ電話がひっきりなしにかかってくるゴミ溜めだということだ。


「見てください、タマキ後輩。ここが総合窓口課。市役所に押し寄せる市民さんたちからの『ご意見』を選別して各部署に振り分ける、いわばフィルターや防波堤のような方々です」


 無遠慮に人を指差しながら、シータは平坦に説明する。それに対して勢いよく立ち上がって反応したのは、つい数秒前に電話をガチャ切りした年配の女性だった。


「他人事みたいに言ってんじゃねえぞ鳥羽シータぁ! テメェにだけは絶対に電話を引き継げないせいで、迂闊に『厄対』に転送できなくて困ってんだぞ!!」


「失礼ですねキイコさん。僕だって電話応対ぐらいできますよ。どうして僕に転送してくれないんですか?」


「テメェに繋いだ案件という案件が全部炎上してるからだろうが! この放火魔!」


「まだまだ伸びしろがあるということですね。褒めてください」


「ぐぎぃいいいいい!」


 地団駄を踏んで悔しがる彼女の迫力に引きながら、タマキはシータに尋ねた。


「あの……あちらの方は?」


 ちなみに現在、シータはタマキに職場を案内している真っ最中である。


 シータは再び女性を指差すと、タマキに彼女を紹介した。


「鉤塚キイコさん。トコヨ市が厄獣指定都市になる前からこの市役所に勤めている生き字引とも言える古株です。困った時は頼るといいですよ」


「シータぁ! まさかテメェ、新入り全員にそう言って回ってるわけじゃないだろうなぁ!? あらゆる部署の新人から相談が来るんだが!?」


「はい。キイコさんは尊敬できる方なので、ちゃんと周知しています」


「シータァああああ!」


 まさしく鬼の形相で声を荒げるキイコに、別の窓口に何かの相談に来ていた様子の一ツ目の鬼がびくっと肩を震わせる。


 本物の鬼をも怯えさせる迫力に困惑しつつも、さすが古株は違う、とタマキは場違いに感心した。


「それではお邪魔しないように、僕たちはこれで失礼しますね。行きましょう、タマキ後輩」


「待てコラてめっ……!」


 追いすがろうとしたキイコの机から、再び着信音が鳴り響いた。


「チッ、はい、もしもしぃ! お電話ありがとうございますぅ!」


 鬼気迫る雰囲気が満ちた総合窓口課を離脱し、タマキはようやく一息つく。


 到着早々体験した、騒がしくも価値のあるトコヨ市の日常を経て、タマキは厄獣に対しての態度を少しずつ変えていこうと決意した。


 だが、壁の外では彼らは単なる害獣。駆除対象だ。


 少なくとも自分は、そう教えられて今まで生きてきた。


 だから何度見ても当たり前のような顔をして、普通の人間のように生活をしている厄獣にはなかなか慣れない。


 今まで自分が何も考えずに駆除してきた厄獣たちにも、こうやって平穏な日々を送るだけの知性があったと見せつけられているようで。


 ――ダメだ。それでも俺は、厄獣の存在を受け入れるわけにはいかない。いくら厄獣が知性的な存在でも、『彼女』に対する憎悪だけは忘れていいはずがない。


 東雲マドカ。俺を裏切った、実の母親だけは。


「……タマキ後輩? 顔色が悪いです。疲れてしまいましたか?」


「えっ?」


 ハッと我に返ると、自分よりも少しだけ上背のあるシータが、腰をかがめてこちらの顔を覗き込んできていた。


 感情が読み取りづらいその顔に浮かんでいるのは、ほんの少しの心配だ。


「……いえ、少しぼんやりしてしまっただけです。ご心配いただきありがとうございます」


「そうですか。先輩ですから、後輩の面倒を見るのは当然です」


 いまいち噛み合わない会話をしながら、二人は生活安全課へと帰還する。


 市庁舎の二階奥に位置する生活安全課は、総合窓口課とはまた違った緊迫感に満ちた場所だ。


 生活上の「お困りごと」を解消するというのが、一般的な生活安全課の役割だが、このトコヨ市においてはその解釈の幅はさらに広がる。


「先ほども説明した通り、トコヨ市には警察もいなければ法律もありません。文字通りのアウトローです。あるのは行政から独立した複数の自警団と、市役所と彼らの間で締結された協定だけです」


「だから、生活安全課は本来警察が行うべき業務も対応しているということですね」


 その情報を知った上で改めて生活安全課を見回すと、彼らの纏う雰囲気はただの市役所職員というよりも、歴戦の刑事のようにすら見える。


 どこにでもいそうな普通のおじさんやおばさんが刑事じみたオーラを放ちながら仕事をするのに感心していると、「普通のおじさん」という概念の塊のような人物――安穏室長が、マグカップ片手に声をかけてきた。


「実際、生活安全課だって名乗れば多少の無理は通るからね。『動くな、生活安全課だ!』ってさ。刑事物みたいでかっこいいよねー」


 そう言って能天気に笑う安穏からは、他の生活安全課の面々が有している強者の雰囲気が一切感じられなかった。


 本当に、どこからどう見ても、ただの冴えない中年男性だ。


「二人ともお疲れ様。市庁舎内の案内は終わった?」


「はい、終わりました。完璧です」


「完璧に頭にたたき込みました!」


 キリッと答える二人に、安穏は苦い顔になる。


「二人そろって完璧と言われると不安になるなあ。まあいいや、二人が案内に出ている間に、タマキくんの机を用意したよ。あとで確認しておいて」


「はい、ありがとうございます!」


「もう少し声量は控えめにね。他の職員もいるんだから。上司相手だからって声を張らないでもいいよ」


「はい! ……以後、気をつけます」


 つい癖で元気よく返事した後、タマキは縮こまって反省する。周囲の職員たちは、ぎろりと険しい目をタマキに向けていた。


 居心地悪そうにしているタマキをまあまあと慰め、安穏は小さなピルケースを差し出した。


「それからこれ、飢餓の抑制剤だよ。定期的に支給されるから欠かさず飲んでね」


「抑制剤……」


 複雑な面持ちでタマキはピルケースを受け取る。


 飢餓を発現し、抑制剤を投与されて、自分はこの町に追いやられた。だが、抑制剤を打っていたのにもかかわらず、自分は初日から飢餓に飲まれてしまいそうになった。


 今、手の中にある小さな錠剤が、本当にあの衝動を抑え込んでくれるのか。


 そうやって無条件に信じることができないのも仕方ないことだった。


「大丈夫ですよ、タマキ後輩。この抑制剤はトコヨ市で開発された特別製です。極端なストレスに晒されない限り、飢餓に飲まれて暴走することはありえません」


「そう、ですか。……そんな薬があるなら、外にも出回っていそうなものですが」


「ああ、それは――」


 シータは何かを言いかけたが、それを遮るように安穏は大声を出した。


「あーあー! それより! タマキくんにやってもらわなきゃいけない一番大事な最初の仕事があるんだけどー!」


 突然の大声にシータは動きを止めると、冷静に安穏に返した。


「室長、うるさいですよ」


「うっ……誰のせいだと……」


 周囲の職員からの冷たい目から逃れるように、安穏は早口でタマキにまくしたてる。


「一番大事な仕事っていうのはね、関係各所との顔合わせだよ。僕たちは人に接するのが仕事だからね。まずはご挨拶に伺って信用を勝ち取らないといけないんだ。というわけで君には今日、一緒にトコヨモーターに行ってもらうね」


「ト、トコヨモーターですか?」


 その会社名は、さすがのタマキでも知っていた。


 トコヨ市に大穴が空く以前、トコヨ市に本拠地を置いていた超巨大製造メーカー、トコヨモーター。


 自動車から大型船舶まで、ありとあらゆる輸送機器を開発していたトコヨモーターは、かつてトコヨ市の経済の七割を担っていたと言われており、国内のみならず海外でも高い評価を得ていた。


 だがトコヨ市が厄獣指定都市となって以降は、その勢いは見る影もない。


 ある意味では厄獣の存在で起こった変化によって、一番のあおりを食らった存在だと、外の世界では認識されている。


「トコヨモーターが、まだこのトコヨ市にあるんですか? ここは封鎖された厄獣指定都市ですよ?」


「タマキ後輩、トコヨモーターなんだからトコヨ市にあるのは当然ですよ」


「それはそうかもしれませんがそういう話ではなく」


 いまいち納得できていないタマキに、安穏は苦笑を向けた。


「まあ、事情については道中に話すよ。多少、込み入った話題だし」

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