第4話 伝えたいことは時に伝わりにくいものです

 ――数分後、タマキとシータは暴徒と化す寸前の群衆の前で立ち尽くしていた。


 群衆を構成しているのは、全て同じ種族のようだ。


 胴が長いイタチのような姿をした厄獣、テン。一般的なイタチ程度のサイズの個体から、成人男性ほどのサイズを誇る個体まで、その大きさは様々だったが、彼らに共通しているのは今まさに自分たちに食いかかってきそうなほど怒り狂っていることだ。


 シータの手には説得用のメガホンが握られており、厄獣対応のプロである彼が上手く使えば群衆を落ち着かせることも可能――のはずだった。


 しかし現実はそう上手くいかず、二人の目の前には怒りに燃えるテンの集団がいるばかりだ。


 タマキは冷や汗を流しながら、目の前の脅威から目をそらさずに小声でシータに問いかけた。


「アナタ、さっき華麗な手腕がどうとか言っていませんでしたっけ」


「言いましたね」


「俺には火に油を注いだだけのように見えたんですが」


「そういう見方もありますね」


 悪びれもせずそう宣うシータに、タマキは口の端を引きつらせる。


 だがそもそも、あれだけ会話するだけで神経を逆なでするような人物が交渉ごとに向かないことぐらい、少し考えれば分かったはずだ。だったら、その愚行を止められなかった自分が悪いのでは?


 少々行き過ぎなぐらい責任感の強いタマキは、最悪の事態を止められなかった自分を責め始める。


 一方、シータは懲りずにメガホンを構えて口を開いた。


「皆さん、【止まってください】」


 シータの舌禍によって、テンたちの動きは一瞬止まる。その静寂を突くように、シータは言葉を続けた。


「無益な戦いは止めましょう。皆さんは弱いんです。ここで暴れ回ってもどうせ皆さんのほうが負けるんですよ」


 淡々と告げられたその内容に、数秒間の舌禍の拘束から解放されたテンたちは、一斉に怒りの声を上げた。


「キギィーーー!」


「キュキィギィーーー!!」


 あちらの言っていることは分からないが、シータが彼らの怒りをさらに煽ってしまったことは間違いない。冷や汗をかいて固まるタマキに対し、シータは肩を落としてぼやいた。


「困りました。舌禍持ちなのに口下手なのが僕の唯一の欠点なんです」


「そんな悠長なことを言ってる場合ですか!?」


 ぼんやりした感想を述べるシータとは対照的に、タマキはすぐにでも始まりそうな戦闘に備えて身構える。


 群衆の怒りはどんどんヒートアップしていき、もはや止めることはできない。


 タマキは深く息を吸い込んで覚悟を決めた。


「もうアナタには頼りません。あいつらは俺が殲滅します」


 余計なことは考えるな。自分は人間でも厄獣でもなく、ただの武器だ。目の前の脅威を排除することだけを考えればいい。それだけが自分の存在意義だ。


 刷り込まれた価値観を自分に言い聞かせ、己の中に流れる厄獣の血を喚起する。


 腕が鎌の形状を取っていき、戦闘開始まであと数呼吸まで迫り――


「ステイです、タマキ後輩」


 シータによって襟首の後ろを掴まれ、タマキはタタラを踏んでよろめいた。


「な、何するんですか!」


「戦闘に移るのはよくありません。あれを見てください」


 彼が指さした先を目で辿ると、そこには集まった野次馬や近所の商店の店主らしき人間たちが、テンの集団に物を投げている光景があった。


「迷惑なんだよ、チビども!」


「商売にならないだろ! よそでやれ!」


「キィーーー!」


 口々に文句を言う人間たちに、テンも声を荒げて反論している。いくら小さな厄獣だと言っても、テンは人間よりも肉体的に強い。だというのに、人間の市民は彼らのことを一切怖がらずに真正面から抗議の言葉をぶつけていた。


「なんでただの人間が厄獣を恐れずに……」


「そうか、新入りだから知らないんですね。それは仕方ありません」


 いちいち腹の立つ物言いをするシータに苛立ち、タマキは眉間に皺を寄せる。


「一体何があるって言うんですか」


「このトコヨ市において人間に危害を加えるということは、人間と厄獣社会の両方を敵に回すということなんですよ」


「両方を敵に回す?」


「人間と厄獣の有力者たちとトコヨ市役所の間で、互いの生活を守るための協定が結ばれているんです。第一条『厄獣は人間を無為に襲うべからず。人間は厄獣を無為に狩るべからず』。これを破った者は両者から一族郎等嬲り殺しにされても文句は言えません」


 厄獣が理性的に協定を結び、それに従っているだなんて、にわかには信じ難い話だ。


 だがシータがここで嘘をつく意味も見出せず、タマキは困惑しながらテンたちを見やった。


「だったらあの厄獣たちは……」


「人間に明確に危害を加えた時点で、両陣営から駆除対象となります。そして、それは僕たちの望むところではありません」


 シータはそう言うと、真剣な面持ちでタマキに向き直った。


「人間であれ厄獣であれこの町にいる以上は行政が――市役所が守るべき正当なトコヨ市民なのですから」


 誓いを立てるように堂々と、シータはその言葉を口にする。


「市民……」


 ただ出会った厄獣を殺して生きてきたタマキにとってそれは、易々と肯定できない価値観だ。だが、郷に入っては郷に従えという言葉はタマキでも知っている。


 自分はもう、ただ厄獣を倒すだけでいい首都防衛隊の捜査官ではない。だから、自分は変わらなければいけないのだ。


 タマキは自分の中で燻る反論を飲み込むと、鎌の形にしていた腕をゆっくりと人間のものに戻していく。


「でも、だったらどうすれば……」


 途方に暮れた眼差しをタマキは群衆に投げかける。すると群衆の先頭にいた、一際大きなサイズの厄獣と目が合った。


「キィ……キュキュイイーーーー!」


 タマキを見て、戦闘態勢を取っていると認識したのか、その厄獣の号令で、テンたちは一斉にこちらに押し寄せてきた。


 あれがテンたちの群れのボスだ。それを理解するのは一瞬だったが、タマキはどう動けばいいのか咄嗟に判断できなかった。


 彼らを攻撃するのは得策ではない。だが、自分には彼らを足止めする方法はない。だからと言って、彼らの突進を避ければ、後ろにいる人間たちに当たってしまう。そんなことになれば、彼らは全員駆除対象だ。


 八方塞がりに陥ったタマキは、身構えた姿勢のまま硬直することしかできない。


 その時――甲高い声を上げて、一匹の厄獣がタマキたちとテンたちの間に滑り込んだ。


「キュイイーーーー!!」


 それは、トコヨ駅で窃盗未遂をしたあの母親の厄獣だった。人間を庇った同族の姿に、テンたちは足を止める。


「キィキィ! キュイ!」


 母親は手に持ったチラシを振りながら、身振り手振りを交えて同族たちを説得している。タマキはすぐに状況を飲み込めず、呆然と呟いた。


「あの時の……どうしてここに……?」


「僕たちの車の後部座席に乗って、ついてきていましたよ。同族が暴れ回っていると聞いて、いてもたってもいられなくなったのでしょうね」


「な、なんで後ろにいると気づいた時に言わないんですか!?」


「害意はないし別にいいかなと思いまして」


「ホウレンソウって言葉知ってます!?」


 シータのぼんやり具合に噛みつきつつも、タマキは説得を試みている母親に視線を戻す。母親のもとには遅れて子供の厄獣がやってきて、ぎゅっと母親に寄り添いながらも声を張り上げていた。


「キィ! キュッキュッ!」


「キュア! キュイ!」


 彼らの言葉はタマキには分からない。だが彼らの持つチラシから、何を言っているのかは理解できた。




『お困りの方は、まず市役所へ!』




 ポップな書体で書かれたその文面の下には、市役所に通じる電話番号が記されている。


「キュイ! キュキュ! キュー!」


 母親は必死になって声を張り上げるも、群衆の怒りは収まらない。不穏な空気が高まっていくのを察したのか、母親は子供を自分の背に隠した。


「キューーーーッ!」


 子供を守ろうと果敢に毛を逆立てる母親。その背中に、タマキは見覚えがあった。




『大丈夫よ。タマキのためなら、お母さんは何でもできちゃうんだから』




 自分を背中に庇い、決死の覚悟で敵と向かい合っていた女性。


 東雲マドカ。自分の母親。憎むべき厄獣。


 だけど、あの瞬間に自分を庇っていたのはきっと嘘じゃない。


 複雑な感情が入り乱れるのをぐっと堪え、タマキは母親の厄獣に歩み寄った。


「……市民さん、こちらお借りします」


「キュイ?」


 戸惑う母親の横を通り過ぎ、タマキは群衆の目の前に立った。つい先ほどタマキが鎌の腕を形作っていたのを見ていたせいか、群衆たちは怯んで動きを止める。


 タマキはそんな彼らの前に、チラシを掲げた。


「市民の皆さん、聞いてください!」


 腹の奥から発したタマキの声は、メガホンを通したシータの声よりも、朗々と辺りに響き渡った。


 群衆たちは舌禍を受けた時よりも長く硬直し、自然とタマキの話を聞く姿勢になってしまう。


 その隙をつくようにタマキはさらに声を張った。


「俺たちはあなたがたに危害を加えるつもりはありません! あなたがたを守りたいだけなんです!」


 タマキの言葉に、群衆たちは顔を見合わせてざわめき始める。


「このままではあなたがたは駆除対象となってしまいます! 本当にそれでいいんですか!?」


 ダメ押しのように問いかけると、群衆はさらに怯んだ。唯一微動だにしないのは、先頭に立つ群れのボスだけだ。


 どういう事情があるかは不明だが、ボスは覚悟を決めた面持ちをしていた。離れて言葉を投げかけただけで、自分一人の力では一歩も譲歩させられないと確信できるほどに。


 だが、そんなタマキとボスの作り出した拮抗を、あっさりとシータは踏み越えた。


「なるほど。窓口が分からなかったのですね」


 そう言いながら、まるで散歩でもするかのようにトコトコとシータはボスに近寄っていった。


「市民さん、こちらのチラシをどうぞ」


「ギィ、キュ」


「こちらのチラシを市役所に持参していただければ、問題解決のお力添えができます」


「ギィ! ギギィ!?」


「はい、もし約束を違えたら、僕たちのことを殺してくださって構いません」


「…………はあ!?」


 遠くで自分の命がついでのように賭けられたことを悟り、タマキは一瞬遅れてから声を上げる。


 だが話し合いをしている二人は、そんなタマキのことなど気にせず、穏やかに話し続けた。


 そして数分後。


 話がまとまったらしいボスは群衆に号令をかけて、彼らを解散させた。


 寄り集まっている時は巨大な生き物にすら見えた群衆たちだったが、解散の号令を受けた途端あっという間に人々の足元をすり抜けて姿を消していく。


 残されたボスはのしのしとタマキの目の前までやってくると、ニヒルな笑みを浮かべて言った。


「キュイ、キュー!」


「え? はあ、そうですか」


 何を言われたのか分からず無難な相槌を打つと、ボスは満足そうに去っていった。ぼうぜんとそれを見送るタマキに、シータは解説する。


「『ありがとな、肝の据わった坊ちゃん』だそうです」


 その途端、タマキの表情は渋いものになった。


 いい歳をして坊ちゃん呼ばわりされたこともショックだったが、それ以上に感謝をされたということを受け入れられなかったのだ。


 彼らを説得した言葉は自分自身の本心ではない。シータに言われたことをそのまま伝えただけの借り物の言葉だ。だから感謝される権利なんて自分には――


「助かりました、タマキ後輩。声が無駄に大きいのはあなたの美点ですね」


「は?」


 だからと言って余計な一言を付け加えて感謝されると、それはそれで腹が立つ。野次馬たちも解散して、公の目から解放されたタマキは、苛立ちもあらわにシータを睨みつけた。


 無言で睨みつけてくるタマキに、シータは小首を傾げる。


「タマキ後輩、もしかして怒っていますか?」


「ええ、あなたの物言いはいちいち腹が立つので褒められた気がしません」


「そうですか。初仕事を成し遂げた後輩を素直に褒めたつもりでした。すみません」


 そんなことを言いながら、シータは目に見えて肩を落とす。


「初めての後輩ができたので立派な先輩として可愛がりたかったのですが、失敗してしまったようです」


 その言葉にタマキは硬直し、今までのシータの言動を思い返す。


 確かにいちいち癪に触る言い方をしていたが、その内容は一貫して立派な先輩として振る舞おうとしていただけのように思える。


 先輩と後輩というのを強調していたのも、弟妹が生まれてお兄ちゃんぶる幼児だと思えば腹も立たない。比較的だが。


 しょんぼりと縮こまるシータを、タマキはじっと見下ろした後、大きくため息をついた。


「こちらこそ、すみませんでした。あなたに八つ当たりをしていました。あなたは俺を案じてくれていたのに」


 自覚はなかったが、トコヨ市送りになったことは自分の精神に多大な負荷をかけていたのだろう。


 それを自覚してしまえば、目の前の年下先輩の配慮に欠けた発言も許せる気がしてきた。


 大人の対応としてタマキがそう謝ると、シータは何度か瞬きをした後に心なしかキリッとした表情になった。


「先輩です」


「は?」


「シータ先輩と呼んでください」


「……」


 どうやらこの幼さを残した先輩は、先輩ぶりたくて仕方がないらしい。


 だが素直にそう呼んでやるのも癪だったタマキは、偉そうに言い放った。


「アナタが尊敬できる先輩だと認めたら先輩と呼びますよ」


 その途端、シータはパァッと花が咲いたような笑顔になった。


「約束ですよ? 僕はとても有能ですからきっとすぐに先輩と呼ぶことになります。その時が楽しみですね」


 上機嫌そうに言ってマイペースに歩き出すシータの背をゆっくり追いかけながら、タマキは小さく笑った。

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