第3話 壁の中にも平穏はあります

 トコヨ駅前のロータリーに停められた厄獣対応室の車を見て、タマキは絶句した。


「……助手席の窓がないんですが」


「はい、ないですね」


「フロントガラスにもヒビが」


「今期の予算をオーバーしてしまって、修理が追いついていないんです。……もしかして意外と物騒な場所で、怖じ気づきましたか? 壁の外はここよりもずっと安全で平和ボケしていると聞きますし」


「は、はあ!?」


「なんだ、違うようですね。では、助手席に乗ってください。運転は先輩の僕がしますから」


「こ、このっ……!」


 タマキは怒りで唸りながらも助手席に乗り込む。遅れてシータも運転席に乗り込み、車のキーを差し込み口に入れて、勢いよく回した。


 地球環境に全く配慮していない旧型エンジンが派手に唸りを上げ、その振動で車体全体が小刻みに揺れる。


「シートベルトはしましたね。では出発します」


 次の瞬間、シータはアクセルをべた踏みし、公用車は急発進した。ギリギリのタイミングでシートベルトの装着に成功したタマキは、咄嗟に座席の斜め上にあるグリップにしがみつく。


「っ……! もっと安全運転を……!」


「外から来たタマキ後輩は知らないと思うので状況を説明しますね。先輩のありがたいお話というやつなのでよく聞くように」


「は、はあ!?」


 スピードをさらに上げた車は、駅をぐるりと囲むバリケードを映画さながらの勢いで通り過ぎ、トコヨ市外縁部の耕作地帯へと入る。


 フロントガラスに照りつける夏の日差しと、開け放たれた車窓から入ってくる土と草の匂い。一面に広がる田んぼと畑、その只中にちらほらと建つ木造民家。


 砂煙を上げて進んでいく車体に、民家の庭に干された洗濯物が揺れ、農作業中の老人たちが何事かと顔を上げる。


「サクラマス通りで暴動を起こしているテンたちは古くはイタチに似た人を化かす妖怪として知られていた存在です。「てん九化け」という言葉もあるほど人を化かすのが上手い厄獣ですが、本来はすすんで他者に危害を加えるような獰猛さは持っていません」


 タイヤが隆起したアスファルトに乗り上げ、車体が一際大きく揺れる。シータはそれでもスピードを緩めず、平坦に話し続けた。


「もし本当に彼らが暴動を起こしているのなら、それ相応の厄介な理由があると思われます。ですが安心してください。タマキ後輩は新入りですから、戦力の数に入れていません。黙って見ているだけで大丈夫です。今回はベテランで先輩の僕が――」


「……その程度の基礎知識、アナタに教えられなくても知っています。こっちは幼い頃から戦闘訓練を受けてきた元捜査官ですよ。何も知らない余所者だと思って馬鹿にしないでください!」


 いちいち一言多いシータの説明を、タマキは乱暴に遮る。シータはできの悪いロボットのように一時停止した後、平坦に尋ねてきた。


「もしかして、タマキ後輩は機嫌が悪いんですか?」


「は?」


 間抜けな顔になったこちらに対し、シータは心なしか心配そうな声色で続ける。


「お腹が空いているとか? 首都からだとすると長旅でしたからね。栄養が足りなくなるのは当然です。ダッシュボードに栄養バーが入っているので食べていいですよ」


 心配そうに連ねられる言葉たちに、タマキはカッと顔を赤くさせた。


「っ……! 要りません!」


 その時、タマキが子供のようにそっぽを向いたのは、今し方のシータの発言に含まれていたのが悪意ではないとなんとなく察してしまったからだった。


 やたらと「先輩」であることを強調してくる意図は分かりかねるが、空腹を案じて声をかけてきたのは多分、本心だ。少なくとも嘘や揶揄いの感情は含まれていない。


 一方的に敵視している相手に心配されたという気恥ずかしさと拗ねた気分で、タマキはそのままムスッと黙り込む。


 気まずい沈黙が車内に満ち、エンジン音と風の音だけが耳朶を打つ。


 シータはそんなタマキを横目で見た後、淡々と言葉を紡いだ。


「【ダメですよ】、タマキ後輩。何か気に入らないことがあるのなら、ちゃんと言葉にしないと伝わりませんよ。子供じゃないんですから」


「っ……!」


 紡がれた否定の言葉が脳に叩きつけられ、タマキの視界が揺れる。シータに舌禍を行使されたことはすぐに分かった。


「タマキ後輩、どうかしましたか?」


「この、厄獣めっ……! 舌禍を使っておいて、よく言うっ……!」


 憎々しげに言うタマキに、シータは数秒黙った後、心なしか落ち込んだ表情になった。


「すみません、無意識でした。まだまだ訓練が足りていないようです」


「……は?」


「僕の舌禍は、とある厄獣の方から加護を受けて後天的に発現したものなんです。遺伝子上、僕の両親はただの人間らしいので」


 意外な告白に、タマキは目を白黒とさせる。


 何しろシータの喋り方や行動は明らかに人間味に欠けていたので。人間のふりをしている厄獣であると言われたほうが納得できる。


 だが、たった今、自分は人間だと名乗ったシータは嘘をついているようには見えない。先入観のせいで失礼な決めつけをしていたのだと気づき、タマキは無性に申し訳なさが込み上げてきた。


「そうだったんですね。……すみませんでした。厄獣なんかと一緒にして」


 タマキは運転席のシータに向き直り、深く頭を下げた。今のタマキにできる最大限の謝罪の姿勢だ。だがシータはそれに対してすぐには答えなかった。


 車は徐々に減速して、市街地へと差し掛かる。周囲に見える家屋や店の密度が増していき、道路の舗装も比較的整備されたものになっていく。


 そこまで時間が過ぎても頭を上げないタマキに、シータは思案した後に口を開いた。


「タマキ後輩」


「はい」


「厄獣であれ人間であれ、この街にいる以上は正当なトコヨ市民です。僕たち、市役所職員はどちらにも真摯に対応する必要があります」


「……は?」


 予想外の返事にタマキは間抜けな顔でシータを見る。前方の信号機が赤色になり、ブレーキが踏み込まれて車体は停止した。


「あなたが所属していた首都防衛隊は、人間と厄獣のハーフで構成されているそうですね。聞くところによると保護という名目で親元から引き離した子供を、洗脳に近い形で戦闘員に仕立て上げているとか」


 アイドリング中のエンジン音とともに、歯に衣着せぬシータの言葉がタマキに襲いかかる。それは、壁の外で駆除対象である厄獣から幾度となくかけられてきた言葉だった。


 ある時は憎しみを込めた罵倒として。またある時は道具のように扱われていることへの憐憫として。


 見て見ぬ振りをしてきたその非道を突きつけられ、タマキは顔を歪めて唸った。


「……同族殺しだとでも言いたいんですか」


「はい、その通りです。タマキ後輩はこれから、人間と厄獣の共生社会という新しい環境に慣れる必要がありますから、最初に自分自身を冷静に認識していただかないとと思いまして」


「っ……!」


「厄獣に対する感情をすぐに変えろとは言いません。ただ、少しずつでも変わっていかないと辛いのはご自分ですよ?」


 そう言いながら、青になった信号に従ってシータはアクセルを踏み込む。ガラスがないせいで開け放たれた車窓からは風が吹き込んできているというのに、車内には重い空気が立ち込めている。


 シータの言っていることは真っ当な内容だと、タマキも頭では理解していた。


 今更何を思おうと、自分はもうトコヨ市送りになったのだ。これからは首都防衛隊の捜査官としてではなく、トコヨ市役所の地方公務員として生きていかなければならないのだ。


 それがたとえ、自分の心の弱いところを踏みにじるような強引な言い方であったとしても、正しいことを言っているのはシータのほうなのだ。


 でも、だからと言ってすぐに受け入れられることでもない。


 どう返したらいいか分からずに口を閉ざすタマキに、シータは平然と付け加えた。


「以上、トコヨ市役所初心者講習マニュアルから引用しました。タマキ後輩は初心者講習を受けていないのでせめてお伝えしようと思いまして。参考になりましたか?」


 手品の種明かしのように言われたタマキは一瞬呆気に取られ、それから釈然としない思いのまま答えた。


「……一応、助言として受け取っておきます」


「よかったです。初対面の相手とちゃんと会話ができました。会話は僕の数少ない苦手分野なので」


 冗談なのか本気なのか判別し難いことを宣うシータに、彼への認識をどうすべきかタマキは決めかねる。


 少なくとも、百パーセント悪意でできているわけではないことは確かだが、彼の言動を全て善意と断じるのには少々抵抗があったので。


「……ああ、見えてきましたね」


 シータの声に前方を見ると、そこには十台ほど続く渋滞の列と、その向こうにできている人だかりがあった。


 路肩に公用車を停め、シートベルトを外しながらシータは宣言する。


「では行きましょうか。僕の先輩としての華麗な手腕を見ていてください」

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