第2話 トコヨ駅はいつだって歓迎ムードです

 窓のない強制連行車両がホームに滑り込み、出口である自動ドアが重苦しい音と共に開かれる。


 その先に広がっていたのは――


 ――満面の笑みで乗客たちを出迎える市役所職員の集団だった。


「せーのっ」


「追放者の皆さん!」


「トコヨ市に!」


「ようこそーっ!」


 10名ほどの職員たちは全員、観光地の案内人のような派手な法被はっぴを着ており、にこにことした明るい表情も相まって、まるでVIP待遇でリゾート地に来たかのような錯覚すら覚える。


 当然、状況が理解できていない乗客たちは目を白黒させるばかりだ。


「え、ええ……?」


「どういうこと……?」


 困惑しているその隙をつくように、職員たちは手慣れた様子で乗客たちを誘導し始めた。


「はーい、まずは戸籍を確認しますー! 戸籍のある方は1番、ない方は2番にお進みくださいー!」


「体調不良の方はこちらでーす!」


「住民手続き後は病院で健康診断と予防接種を行うので、係の者の指示に従ってくださーい!」


「文字が書けない? それではこちらの席へどうぞ! 基礎教育課程の申し込みもしておきますねー」


舌禍ぜっか飢餓きが加護かごのいずれかの災厄を発現されている方は、こちらの列で手続きをお願いしますー!」


 怒涛の如き職員たちの勢いに押し流されて住民登録を終え、無事に『飢餓』の警告マークがついた名札を胸につけられたタマキは、よろよろと人混みから離れて深く息を吐き出した。


「はぁーー……」


 長旅と緊張から来る疲れで、全身の力が抜けてしまいそうになる。目の前で快活に動き回る職員たちのパワフルさに圧倒されたのも一因だがそれは認めたくない。


 仮にも、特殊部隊に所属していた自分が、ただの地方公務員に体力で負けたとは思いたくなかったので。


 それにしても――とタマキは考える。


 トコヨ駅の改札前には、タマキ同様に警告マーク付きの人々が溢れかえっている。こんな風に社会を脅かす危険存在が一箇所に集まるだなんて、外の世界ではまずありえないことだ。


 舌禍。飢餓。加護。


 この三つは強大な力を持つ厄獣に発現する『三大災厄』と呼ばれる性質だ。


 舌禍は、その声によって他の生物を操る。


 飢餓は、その衝動によって他の生物を食い殺す。


 加護は、その愛によって他の生物に力を与える。


 どれか一つでも災厄を発現した厄獣は、単独で社会を脅かすことができる存在とみなされ、問答無用で殺処分もしくはトコヨ市に追放処分となる。


 運良く殺されずにトコヨ市行きとなった厄獣も、こうして首輪代わりに警告マークを付けられて管理されるということだろう。


 人間社会を維持するためには仕方ない対応だとタマキは理解している。その災厄の発現によって、自身がこの地に追放された今になっても。


「きゃあああっ!」


 幼い少女の悲鳴が響き渡り、物思いにふけっていたタマキはハッと我に返る。顔を上げるとそこには、地下鉄で母親と一緒にいたあの少女が、涙目で何かを追いかけている姿があった。


 少女が手を伸ばす先では、二足歩行の小さな獣が自分の背丈ほどもあるカバンを担いで逃げ去ろうとしていた。


「返して! チカのカバンー!」


 その瞬間、タマキの体が動いたのは、幼い頃からたたき込まれてきた戦闘訓練の賜物だった。


 被害に遭っているのが憎むべき厄獣の縁者であるということは頭から抜け、シンプルに目の前の脅威を排除する特殊部隊としての意識に切り替わる。


 人間離れして膨れ上がった脚の筋肉が床を蹴り、タマキはたったの一歩で厄獣へと追いついた。


「キィ……!?」


「厄獣は、駆除する」


 振り向いて驚きの表情を浮かべる厄獣目がけて、刃に変わりつつある腕を横薙ぎに一閃する。小型犬ほどの大きさしかない厄獣はとっさにカバンを盾にしたが、勢いは殺しきれずにその体は軽々と吹き飛ばされた。


「キィーーー……!」


 切り裂かれた荷物の中身が宙を舞い、カバンから手を離した厄獣はボールのように何度も床をバウンドして、ようやく止まる。


 吹き飛ばされた衝撃ですぐには動けないでいる厄獣を、ゆっくりと首を巡らせてタマキは見据えた。


 ――腹が減った。


 発現してからずっと薬剤で押さえ込んでいた「飢餓」が思考を浸食し、目の前の厄獣を捕食対象として認識する。


 ――腹が減った。食べなければ。


 抗えない食欲のまま、一歩、一歩、厄獣に距離を詰めていく。厄獣もまた、自分が捕食されそうになっていることを悟り、恐怖で立ち上がれないまま後ずさる。


 ダメだ。この衝動に――「飢餓」に飲まれたら。


 そんなことになったら自分は捜査官でいられなくなってしまう。


 厄獣と人間の混じり者である自分には、厄獣を狩る捜査官としての生き方しか許されていないのに。




 ――でも、もう自分は、捜査官じゃないじゃないか。




「……はは」


 枷として己に課していた制約がもう意味をなさないのだと自覚し、飢餓の衝動に思考が飲み込まれる。気づくと、厄獣はすぐ足元にいた。


 タマキは正気を失い血走った目で、厄獣を見下ろす。その厄獣は胴体が長いイタチのような姿をしており、もし討伐すべき害悪でさえないのなら、かわいらしいという感想を抱くこともあったかもしれない。


 だが、今足下にいるのは駆除すべき厄獣。人間の敵だ。同情の余地は一切ない。


 タマキはすっかり鎌の形へと変貌を遂げた腕を振り上げ、とどめの一撃を与えようとした。しかし――




「――【ダメだよ】」




「っ……!?」


 脳を直接揺らされたかのような衝撃が走り、タマキはその場に膝を突く。それまで荒れ狂っていた飢餓の衝動が力尽くで押さえ込まれ、その代償と言わんばかりに激しい頭痛に襲われる。


「ぐっ、何、がっ……」


 痛みで顔を歪めながらなんとか起きあがろうとすると、目の前を単調な足取りで通り過ぎていく誰かの足が見えた。


 その足の持ち主は腰を抜かしている厄獣の前に膝を突くと、平坦な声で会話を始めた。


「市民さん、困ります。駅で迷惑行為をされては」


「キッ、キィー……」


「そうですか、ママさんなんですね。お腹を空かせているお子さんのために。そうですか」


「キィー!」


「キュッ、キュキュッ」


 淡々と事情を聞く青年のもとに、幼いイタチの厄獣が駆け寄ってきて、慌てて何かをアピールし始める。青年は小首をかしげながら答えた。


「あれ、あなた方がお子さんですか。命乞いしなくてもいいですよ。窃盗未遂で駆除対象になることはそうそうありません」


「キィー……」


 言葉だけでこちらを無効化し、当然のように厄獣と会話するその姿に、タマキは驚愕をにじませて言葉を紡ぐ。


「舌禍……!」


 そんなタマキの声が届いたのか、青年は振り返る。感情の動きが一切読み取れないその顔は、地下鉄で見せられた映像に出てきた「シータ」という男と一致していた。


 シータはタマキを軽く一瞥すると、すぐに振り向いて厄獣との会話に戻ってしまった。


「困ったことがあれば、このチラシを市役所にお持ちください。僕のように通訳ができる職員も常駐しておりますので」


 完全に無視された形になったタマキは、苛立ちもあらわにふらふらと立ち上がる。


 そんな彼を正気に戻したのは、足下から聞こえてきた少女の声だった。


「お、おにいちゃん、泥棒さん捕まえてくれてありがとう!」


「……えっ」


 上ずった声でお礼を言ってきたのは、厄獣に荷物を盗まれたあの少女だった。胸元にプレートがないということは、厄獣の近親者ではあるがそれほど有害ではないということだろう。


「本当にありがとう! おにいちゃん、かっこいいね!」


 刃によって切り裂かれたカバンを大切そうに抱えた少女に屈託のない笑顔を向けられ、タマキは咄嗟に何も答えられなかった。


 彼女はタマキのことを、荷物を取り返してくれたヒーローだとでも思っているのだろう。


 だがその内実は、自らの「飢餓」をコントロールできなかった愚か者が一人いるだけだ。


 ましてや感謝をされるいわれなんて、自分には――


「私ね、道引みちひきチカ! おにいちゃんは?」


「俺は……」


 自己嫌悪から胸を張って名乗ることができず、タマキは口ごもる。そんな彼の代わりに彼女の疑問に答えたのは、シータの淡々とした声だった。


「東雲タマキ一等捜査官ですよね」


「……は?」


 わざわざ「元」をつけてこちらを呼んだシータを、タマキはきつくにらみつける。


 ぴりぴりとした不穏な空気があたりに満ち、ようやく騒動に気づいたチカの母親が慌てて彼女を迎えにきた。


「ありがとうございました! ……チカ、行くわよ!」


「う、うん……」


 こちらを気にしながら去っていく母娘を視界の端で捉えつつも、タマキは油断なくシータの様子をうかがった。


「厄獣討伐のエリートである首都防衛隊で問題を起こしてトコヨ市に左遷された、東雲タマキ一等捜査官の顔写真と一致していると思ったのですが、違いましたか?」


 人形のように固まった表情で問いかけてくるシータの胸元には『舌禍』のプレートが光っている。


 舌禍。三大災厄の一つ。自分よりも弱い存在を無条件に服従させることができる危険能力。


 その威力は、つい数分前に味わったばかりだ。


 腹立たしいことに自分よりも強者であるらしい彼に、険しい声色でタマキは問いかける。


「……いいえ、その通りです。アナタは?」


 シータは一度まばたきをすると、ロボットのようなぎこちない仕草で一礼した。


「トコヨ市役所、生活安全課、厄獣対策室の鳥羽シータです。僕のことはシータ先輩と呼ぶように」


「はあ?」


「自分はトコヨ市役所の先輩、タマキくんはエリート部隊の一等捜査官であり、年齢としても僕より年上ではありますが、この町では右も左も分からない新入りの後輩です。そのため、僕のことはシータ先輩と呼ぶのが自然かと思います」


「……アナタ、それは俺に喧嘩を売っているんですか」


 わざわざこちらの神経を逆なでするようなことを口にするシータに、タマキは臨戦態勢になった猫のような仕草で食ってかかる。一方、シータはそんなタマキの形相に圧倒されることもなく、不思議そうに小首をかしげた。


「いいえ? 売っていません。それから『アナタ』ではなく『シータ先輩』です。聞こえませんでしたか、タマキ後輩?」


 タマキの眉間に、はっきりと青筋が立ち、シータのことを完全に敵として認識する。しかしいくら凄んでも、シータのぼんやりとしたポーカーフェイスは崩れない。


 そんな一触即発な空気を切り裂いたのは、能天気な女性の声だった。


「はーい、そこまでそこまで。元気があるのはいいことだけど、ここ公共の場だからねー」


「ココさん」


 シータはタマキから視線をずらし、自分がココと呼んだ女性へと目を向けた。


 食えない笑顔を浮かべた低身長のその女性は、二人の間に割って入ると、タマキへと手を差し出した。


「初めまして、東雲タマキくん。私は無盾なたてココロ。厄獣対策室の職員だよ。気軽にココちゃんって呼んでね?」


「コ、ココちゃん……?」


 フレンドリーに差し出されたココの手を、思わずタマキは握り返す。頭の中は困惑でいっぱいだったが、地下鉄の映像の撮影者だということには辛うじて思い至った。


「ココロじゃなくてココって呼んでほしいのは、名字とつなげるとナタデココみたいで可愛いからなんだよね。シータくんもそう思うでしょ? 可愛いよねー?」


「はあ、そうかもしれませんね」


「でしょー?」


 緊迫していた空気は飄々としたココの立ち振る舞いによって吹き飛ばされ、生まれつき頭が硬い方であるタマキは目を白黒させることしかできない。


 そんな状況をさらに一転させたのは、情けない男性の悲鳴だった。


「ええっ!? サクラマス通りでテンたちが暴動ぉ!?」


 素っ頓狂な声を上げてスマホに叫んでいるのは、同じく地下鉄の映像に出演していた初老の男性だった。名前はたしか、安穏だったはずだ。


「一応抵抗してみますけど、それウチの管轄じゃないんじゃ……そもそも集会の許可申請とか市民課に来てないんです? もし来てるなら穏便なデモが誤解されてるだけって可能性も……ああ、来てない……そう……。緊急性と危険度が高いから現場慣れしてるウチに回すと……はい……」


 どうやら電話相手との交渉に負けてしまったらしい安穏は、電話口だというのに情けなく縮こまりながら何度も頷く。


 そしてさらに数十秒の通話の後、電話を切った安穏はバッと顔を上げてシータを見た。


「シータくん! 悪いんだけど、今からサクラマス通りに行って、時間を稼いできてくれない!? ここにいる職員、何人かヘルプで連れて行っていいから!」


 シータは目をぱちくりとさせた後、少し沈黙し、それからタマキを無遠慮に指さした。


「では、彼を連れて行きたいです」


「は?」


 突然話を振られる形になったタマキは、間抜けな声を上げてシータを見る。提案を受けた安穏にとっても予想外の申し出だったようで、安穏は遠慮がちな目でタマキを伺い始めた。


「えーっと……もしかして君が東雲タマキくん? まだ自己紹介も初心者講習も済ませてないのにいきなり実践とかそんな……何かあったら責任問題だし……」


 ぶつぶつと考え込む安穏にどう答えたらいいか分からず、タマキは棒立ちになる。ココはそんなタマキにすすっと近づくと、耳元で囁いてきた。


「この人は、厄獣対策室の室長の安穏ヒルオさん。タマキくんはうちへの配属が決まってるから、君にとっては直属の上司になるね」


 ハッと正気に戻ったタマキは、勢いよく首都防衛隊式の敬礼をした。


「失礼致しました! 本日よりトコヨ市に異動となりました東雲タマキです! なんなりとご命令ください!」


「タマキくんは厄獣討伐のエリートですから問題ありません。もし何かあっても先輩である僕がついていますし。僕は先輩ですから新入りのタマキくんより頼りになります。先輩が後輩を守るのは当然ですので」


 自分の挨拶を遮ったあげく、わざわざ先輩であることを強調するシータに、タマキは苛立ちの目を向ける。安穏は苦笑した。


「シータくん、君ねえ……」


 呆れた顔を隠さずに苦笑する安穏に、タマキは勢いよく頭を下げた。


「室長、行かせてください! ここまで言われて引き下がれません! お願いします!」


「お、おお……体育会系だね……」


 安穏は明らかにドン引きした仕草をした後、大きく息を吐いて二人に向き直った。


「分かった。じゃあここは二人にお願いするね。ただし! 危ないことは絶対にしないこと! 余計なことをして問題を大きくしない! 他職員が到着するまでの時間稼ぎに徹してね! 喧嘩もなしだよ! 約束だよ!」


「はい、分かりました」


「了解致しました!」

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