厄獣指定都市の地方公務員

黄鱗きいろ

【01】お困りの方はまず市役所へ!

第1話 ようこそ、厄獣指定都市へ

 東雲タマキは、市役所で報告書を書いていた。


 トコヨ市役所、生活安全課、厄獣対策室。


 厄獣に関するあらゆる雑務を押しつけられる貧乏くじの集団。荒事が起きたら、いの一番に駆けつけて、「まあまあその辺で」と仲裁をする何でも屋。


 様々な経緯の末に無事、その一員となった東雲タマキという青年は、一連の騒動についてまとめる大役を押しつけられ――否、任されていた。


「タマキ後輩、まだいたんですか」


 突然、上背こそあるが、ひょろっと細長い体躯の青年がタマキの机をのぞき込む。オフィスの窓から差し込んでくる夕暮れの光が遮られ、タマキの手元に影が落ちた。


「ええ、まあ」


「そうですか。残業はいけませんよ。早く終わらせて帰るべきです、タマキ後輩」


 いちいち「後輩」という単語を付属してタマキを呼ぶ彼は、波風シータ。


 タマキが28歳男性であるのに対し、シータは25歳男性だ。つまり、年下の同性の先輩という扱いづらい立ち位置にいる人物だったが、その要素がどうでもよくなるぐらいシータという人物は、癖が強い性格をしていた。


「タマキ後輩、時計を見てください。就業時間は終わっています」


「言われなくても分かってますよ」


「そうですか。では、なぜここにいるんですか? 理由を教えてください」


 出会ったばかりのタマキであれば、このシータの言動をパワハラじみた挑発だと捉えただろう。だが、今のタマキはいささか不本意ではあるが、シータが本当に言いたいことをある程度、察することができるようになっていた。


「……もしかして、俺が帰れない理由を聞いて、仕事を手伝ってくれようとしているんですか?」


「はい、その通りです。タマキ後輩は話が早いですね」


「アナタの話し方が迂遠なだけですよ」


「そんなに褒められると照れてしまいます」


「どこに褒められたと判断する要素があったんですか?」


 軽口を叩きながらも、タマキはおぼつかない手つきでキーボードと格闘する。シータはそんなタマキを興味深そうに眺めていたが、不意にある提案をした。


「タマキ後輩」


「はい」


「僕が代筆しましょうか?」


「はい?」


「察するに、タマキ後輩はパソコン作業に慣れていない様子です。だったらタマキ後輩が口頭で言った内容を僕がパソコンに打ち込めば、効率よく作業が進むのではないかと思うのですが。なにしろ、相棒は協力するものですし」


「なるほど、一理ありますね」


 慣れないデスクワークで疲弊していたタマキは、あっさりとシータの提案を呑んで、パソコンの前を彼に譲った。


「正直助かりました。報告書を溜めに溜めて、今度の全体会議に間に合いそうになかったので」


「そうなんですね。どこから書けていないんですか?」


「……全てです」


「全て?」


「俺がこのトコヨ市に来てから担当した、全ての事案の報告書ができていません」


「全て……」


 シータはらしくもなく動揺から何度もまばたきをして、それから困ったように首をかしげた。


「僕の記憶では、全体会議は明日のはずですが」


「はい。なので焦っているんです。言い訳ではありますが、こういった書類を作ったことがなくて書き方が分からず……」


「そうですか。それは仕方ないですね」


 ツッコミ不在のぼんやりとした会話が、二人しかいないオフィスに響く。もしここに彼らの上司が立ち会っていたのなら、派手なリアクションとともに常識的な反応をしてくれただろうが、残念ながらここにいるのは、世間知らずな堅物脳筋男と、共感性の薄い天然暴言男だけだ。


「では、報告書を書き始めましょうか。タマキ後輩にとっての最初の事案といえば……」


「はい。――あれは、俺がトコヨ市にやってきた当日のことです」







 トコヨ市に向かう地下鉄の車内は、陰鬱とした空気に満たされていた。


 壁に寄りかかって虚ろな目をする男。床にしゃがみ込んで啜り泣く母と娘。他にも十人ほど車内にいたが、彼らの表情も大体似たようなものだ。


 そもそも地下鉄とは言ったが、この列車は公共交通機関の類ではない。車内にはパーテーションはおろか座席すらなく、ろくに整備されていないであろう床や壁は薄汚れている。


 当然だ。そもそもこの列車には片道切符しか存在しない。ここは、トコヨ市に追放される者たちのための強制連行車両なのだから。


「おかあさん、チカたちこれからどうなるの……?」


「……大丈夫、大丈夫よ。お母さんが絶対に守ってあげるからね」


 不安そうな声で問う幼い少女と、震える腕で彼女を抱きしめる母親。


 向かいの壁に寄りかかっていた青年――東雲タマキは、一瞬だけ彼女たちに駆け寄って勇気づける言葉をかけたい衝動に駆られた。


 かつての自分も、そうやって母に優しく抱きしめられたから。




『――絶対に、ママが守ってあげるからね』




 柔らかく懐かしい母の声を思い出し、同時に黒い憎しみが胸の奥底で燃え上がる。


 騙されるな。ここにいるということは、あいつらもんだ。


 駆除されるべき害獣。人類の敵。死に絶えるべき危険な種族。


 その名を――厄獣やくじゅう




『ようこそ、厄獣指定都市トコヨ市へー!』




 底抜けに明るい音声と共に、天井近くのモニターに映像が流れ始め、乗客たちは一斉にそちらを見上げた。


 モニターに映っているのは、へにゃへにゃと情けなく笑う初老の男と、ぞっとするほど空虚な表情の若い男だった。


 彼らが自分たち追放者の運命を決める処刑人か何かなのか。


 そんな緊張が場の全員に走り、タマキ自身、知らずのうちに飲み込んだ唾が喉奥でごくりと音を立てる。しかし数秒の沈黙の後に続いた彼らのやり取りに、車内の緊迫感は一瞬で霧散した。


『……って感じでどうかな、ココちゃん!? 今度は噛んでないし、シャツも出てないし、棒読みでもなかったよね!? もうTAKE13だしそろそろ妥協しない!?』


 カメラを構えているであろう人物に初老の男が問いかける。すると、若い女性の声がそれに答えた。


『うーん、なんというか威厳が足りないんですよねえ。これ、新規トコヨ市民のためのウェルカムムービーなんですよ? 不安で仕方ない皆さんを安心させるパワーが足りないっていうか』


『安心させるパワー!? そんなの一介の市役所職員に求めないでよー! こっちはただの地方公務員だよ!? そもそもなんで僕たちがウェルカムムービー作らされてるのさ!』


 ぷんぷんと効果音が見えそうなほどわかりやすい仕草で怒る彼に、隣の無表情な男が淡々と答える。


『安穏室長が外注のための予算を取ってこれなかったからです』


『もー! シータくんは本当のこと言わないで!』


『わかりました』


 コントかホームビデオのような雰囲気になってきた映像に、乗客たちは揃って呆気に取られる。狙ったのか狙っていないのかはわからないが、その間抜けな映像のおかげで車内に満ちていた悲壮な空気は一掃されていた。


 ひとしきり騒いだ後、このまま録画を続けることが決まったらしく、安穏と呼ばれていた初老の男は改まった顔で咳払いをした。


『えーごほん。新しくトコヨ市民になる皆さん。僕はトコヨ市役所生活安全課、厄獣対策室の安穏です。皆さんは色々な事情でトコヨ市にやってくることになったとは思いますが……念のため到着までに、トコヨ市の沿革について説明しておきます。分かってるとは思うけどちゃんと聞いてね。お願いだからね』


『ここで聞き流すと早死にしますよ』


『シータくん! 怖がらせるようなこと言わないで!』


『分かりました』


『まったくも〜! ほら、ホワイトボード準備する!』


『はい』


 仮にも上司に叱られたはずだというのに、シータの表情筋は一切動かなかった。彼の目には反省も不満も宿っていない。あるのは完全な「無」だけだ。


 ……何なんだ、あいつ。本当に人間なのか?


 タマキはそんな疑念を込めてシータの挙動を観察する。シータはおぼつかない足取りで一旦画面外に出ると、すぐにホワイトボードをガラガラと押して戻ってきた。


 ホワイトボードに貼られたり書きこまれたりしているのは、プレゼン用の資料のようだ。


『えー、トコヨ市は元々、A県北東部に位置する中堅地方都市でした。それが変貌したのは三十年前。トコヨ市中心部に大穴が空き、人間の理解を超えた様々な存在が溢れ出たのです』


 がっつりカンペを読んで説明する安穏の後ろで、シータが指示棒で資料を指す。指示棒で示されているのは、可愛くデフォルメされた鬼のイラストだった。


『人々はそれを、鬼か悪魔か、はたまた神の仕業かと恐れました。実際、昔話に語られる存在のうちいくらかの正体は、大穴の向こう側に住んでいる「それ」なのではないかと言われています。ですが、日本国政府はそれを神でも悪魔でもなく、ただの駆除すべき害獣の区分として『厄獣』と名付けました』


 指示棒の先端が『厄獣』という文字をぐるりと示す。乗客たちは揃って渋い顔になった。身を寄せ合って、怯えた仕草をする者もいる。


『政府は『厄獣』を駆除するために様々な施策を取りました。その中でも最も大規模な施策が、トコヨ市の『厄獣指定都市』化――つまり、トコヨ市を完全封鎖した上で壁を築き、その中に捕らえた『厄獣』やその関係者を閉じ込めてしまおうというものです』


 車内のあちこちから小さな悲鳴が聞こえ、顔を覆って泣き出す者も出てきた。


 そこでカンペの内容が終わったのだろう。安穏は今まで読み上げていた紙切れを折りたたんでポケットにしまうと、申し訳なさそうに頰をかいた。


『だからそのー……ここに来たからにはちょっとの不便は我慢してもらうことになるというかあ……』


『トコヨ市は、追放者たちを閉じ込める事実上の牢獄ですからね』


『シ、シータくん、本当のこと言っちゃダメでしょ!』


『はい』


『はいじゃなくてねぇ!?』


 天丼テンドンのように繰り返される和やかなやり取りに、絶望に染まっていた乗客たちの表情が少しだけ和らぐ。


 一方、画面の向こうの安穏は、ひとしきりシータに文句を言った後、気を取りなおすように大きく息を吐き、真剣な眼差しをこちらに向けてきた。


『新たな市民の皆さん。ここまで脅かすようなことを言ってきましたが、あまり絶望しないでください。この町は確かに流刑地ですが、ちゃんとルールさえ守ればあなた方全員に戸籍と社会保障が与えられます。たとえ、外の世界で戸籍がなかったとしてもです』


 ざわっと乗客の一部から驚きの声が上がる。安穏は真摯な表情で続けた。


『生活が安定するように市役所で職の斡旋も行いますし、最低限の衣食住は確保できるように尽力します。あなた方は人間であろうと厄獣であろうと、正当なトコヨ市民です。……だからどうか皆さん、何か困ったことがあったらトコヨ市役所を頼ってください。我々市役所職員は、皆さんの味方です』


 はっきりとした口調で、安穏はそう言い切る。周囲の乗客たちは動揺しつつも、希望が見えてきたという表情で顔を見合わせた。


 ……そんなはずがあるか。トコヨ市がこの世の地獄を煮詰めた場所だってことぐらい、どんな小さな子供だって知っている。


 こんなものはきっと、新しくやってきた厄獣たちを油断させて管理しやすくするための方便だ。


 タマキは剣呑な眼差しで、油断なくモニターを睨みつける。そうしているうちに安穏はキリッとした顔を保つのが限界になったようで、あわあわしながら付け加え始めた。


『だからそのぉ、何かあったらちゃんと相談してほしいというか……相談してくれれば解決するべく努力できるというかあ……』


『解決できるかどうかは時と場合によりますが』


『シータくん!!』


 またもや余計なことを言ったシータが叱られている映像がゆっくりとフェードアウトし、画面の中央にチープなフォントで『提供 トコヨ市役所』という文字が浮かぶ。


 それが消えた直後、無機質な機械音声が車内に響き渡った。


『次は――トコヨ市、トコヨ市。終点です』

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