小話・2024バレンタイン

 バレンタインが今年もやってくる。どうしよう。

 中学時代からここまで、この時期は散々迷いに迷う時期だ。昔は駄菓子屋に売ってるチョコ菓子でよかった。たまに気まぐれに手作りしてみたりもして。母にお年頃なのねぇ、と揶揄われ、父には父さん以外に手作りチョコを作るのか……、とひどく落ち込ませたプチ事件になったのは、未だに鮮明に記憶している。ちなみにわたしは父にバレンタインだからといって手作りどころか買ったチョコすら渡したことは生涯ないので、あの時の父がどんな幻想を見ていたのかは、今となってもわたしにはわからないままである。ついでに言うなら知りたくもないというのが本音だ。父との仲は決して悪くはないが、言うてそこまでベッタリだったことも一切ない。

 

 閑話休題。

 

 問題は目前に迫ったバレンタインである。別に当日までに用意しなければいけない約束もないのだが、流石に遅れすぎるのはよくない気がする。できれば会社が休みの今日中に決着をつけたい。しかし、策はない。とはいえ、じっとしてばかりではいられない。とりあえずわたしは街に繰り出すことにした。

 

 街に出てふらふらと歩く。特に考えなしに足はそう遠くないデパートへ。案の定というかなんというか、バレンタイン催事が行われており、いろんなチョコレートが販売されていた。工具を模したチョコレート、動物を模したチョコレート……その中に猫をモチーフとするチョコレートがあったが、九木田が食べるのを拒否して部屋に飾るのが目に見えたので、即刻候補から除外した。食べ物を長い時間置き物のように飾られてはたまったもんじゃない。そして奴ならやりかねない。というか前科持ちなのだ。昔、猫の肉球を模したチョコレートをあげたのに、食べずに大事にしだした時にはちょっと引いたし、賞味期限も心配だったので、九木田の目の前で鍋にチョコレートと牛乳を入れて温め、ホットチョコレートにして差し上げた。最初、猫の肉球がどろどろと溶けていくのを見て、この世の終わりみたいな顔をしていた九木田は、甘いものが好きなので、ホットチョコレートの甘い香りがしてくると徐々にそわそわしだして、最終的に嬉しそうにホットチョコレートを飲んでいた。九木田の感情の波が予期できなさすぎて困惑したことを覚えている。

 

「あ、ホットチョコレート……」

 

 わたしは過去の出来事を思い出したことで、ぱっと頭の上に電球が灯ったような気がした。九木田は甘いものが好き。だから比較的なんでもいい。甘くてそれなりにおいしければ。問題は兵賀だ。兵賀は甘いものがあまり得意ではない。決して食べられないわけじゃないが、好んでは食べない。だから、九木田よりも気を遣う。ホットチョコレート向きのチョコレートが陳列された棚を探す。これだけの品揃えであれば甘さ控えめのものもあるだろう。なければあれだ、ここのデパートの中にあるチョコレート専門店に行けばあるかもしれない。兵賀向けのチョコレートを探しているうちに、カカオ成分多めのビター系チョコレートを見つけた。これならきっと兵賀も口にすることができる。わたしは同じ棚の隣にあった九木田用のチョコレートを取った。別になにも考えずに選び取ったわけじゃない。本当だ。奴がどんなチョコレートでも甘ければストライクゾーンが広いというだけで。

 

 チョコレートを買い求めたわたしは、休憩も兼ねてカフェへ入っていた。常に持ち歩いている文庫本を広げ、ホットミルクティーを飲む。結局デパートでは、兵賀用のビターチョコレートと、九木田とわたし用のミルクチョコレートを購入した。どれもホットチョコレートに向いているという謳い文句で販売されていたものだ。わたしは今回のバレンタインをホットチョコレートを飲みながら、映画パーティーでもすることに決めていた。しかし、今年のバレンタインは平日。ましてや水曜日という週のど真ん中である。そんな日に映画パーティーをする余裕はないだろう。というわけで、水曜日にはハッピーバレンタインのメッセージと今年のバレンタインの計画だけ野郎どもに伝えることにした。パーティーは土日のどちらかに実行に移せばいい。わたしはチョコレートが入った紙袋を一瞥して、手元の文庫本に目線を落とした。

 

 バレンタインを迎え、あっという間に休日になった。わたしは前もって約束していた通り、兵賀の家へ向かった。わたしたちは兵賀の家を溜まり場にすることが多い。我らがオカンのお膝元は大変に居心地がよろしいので。そんな訳で、兵賀の住むマンションに着いたわたしはエントランスの自動ドア脇で兵賀の部屋番号を呼び出す。すると、電子音がしてマイクがオンになった気配がした。

 

「ちょりっす」

「あれ、くっきー?先に着いてたんだ。客に名乗らせる前にちょりっすはヤバいと思うよ。そんでもって開けてくれる?」

「ちょりっす」

「歪みねぇな」

 

 そうして招かれた兵賀家。家の中では兵賀が台所に立ち、九木田がリビングで大いに寛いでいた。

 

「三角、来たか。いらっしゃい」

「ひょーちゃん、お邪魔ぁ。お宅のインターホン、ちょりっすしか言わない仕様になってたけど大丈夫そ?」

「お前専用の対応だから心配するな。手が離せなくてな。九木田に出てもらった」

「そんな気はしていた。何作ってるの?」

「昼飯を少しな。三角も食べるだろう?」

「ちなみに俺も食べる」

「ぬるっと入り込んだなくっきー」

「三角、チョコは?」

「ねぇ、九木田くん。そういうのはあげる側から言い出すまで待つもんだよ、普通」

 

 わたしは片手に提げていた紙袋を掲げて見せる。それに目を輝かせた九木田。それを見ていた兵賀が、台所から声を上げた。

 

「それは昼飯の後にな。お前ら、運ぶの手伝ってくれるか」

「はーい、ママ」

「俺も手伝うぞ、ママ」

「刻んで煮込むぞお前ら」

「ホットチョコレート用に牛乳も買ってきたから許してくださいまし」

「今年はホットチョコレートなのか。いいな」

「おっと、ネタバレしてしまった。ここまできたから言うけど、ひょーちゃんのはちゃんとビターだよ」

「ありがとう。気を遣わせてすまんな」

「気にすんな。こっちこそお昼ありがとう」

 

 わたしたち三人は、兵賀が作ってくれた昼食に三人で舌鼓を打ち、わたしと九木田で洗い物をする。兵賀宅で食事をする時のルーティーンをこなしてから、それぞれの専用マグカップにホットチョコレートを作っていく。熱々のそれらをトレーに乗せてリビングでひと足先に寛いでいた野郎二人の元へホットチョコレートを届けた。

 

「ちょっと遅れたけど、ハッピーバレンタイーン」

「ありがとう」

「あざす」

「九木田、ありがとうくらい略さず言え」

「そうだぞ、くっきー、ありがとうございます三角様と言え」

「ありがとうございます、三角様」

「お、おう……なんて素直……甘いものの力は偉大ダナー」

 

 わたしに恭しく両手を差し出して、ホットチョコレートを与えられるのを待つ九木田。わたしはちょっと引きながらマグカップを渡した。早速息を吹きかけチョコレートを冷ましだす九木田を横目に兵賀とアイコンタクトを交わす。

 

 こいつ、ちょろいな、と。

 

 その後、ホットチョコレートをちびちび啜りながらわたしたちはサブスクリプションでなんの映画を見るか、あーでもないこーでもないと言いながら決めて、結局感動のラストに定評のあるアニメ映画を観た。全わたしたちが泣いた。チョコレートはお高いだけあっておいしかった。

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