小話・猫カフェ
兵賀の家でだらりと過ごしている時だった。ソファの隣でクッションを抱えてぼけっとテレビを眺めていた三角が口を開いた。
「くっきー」
「なんだ」
「猫カフェ行くか」
「行く」
「返事が光の速さ」
三角がけたけたと笑う。彼女が猫カフェの話を振ってきた瞬間、俺の口からはすぐに行くとの二文字が飛び出ていた。三角が、ひょーちゃぁんと声を上げる。
「どうした」
「猫カフェ行こうぜ」
「それなら昼を食べてから向かうか」
「お昼なに?」
「うどん。お前らも運ぶの手伝え」
「はーい。行くぞくっきー」
「ああ」
各々が自分の分のうどんと箸を持ってダイニングテーブルにつく。兵賀が手際よく作ってくれたのは肉うどんで、肉と一緒にうどんを口に含むと甘辛く煮付けられた肉の旨味が口の中に広がった。他愛もない話をしながら、うどんを啜る。俺は思考の四分の一程を猫カフェに馳せていた。それを見破ったのか、三角が俺の腕をつついてくる。
「ちゃんと猫カフェには行くから、そんなそわそわしなさんなって」
「……顔に出てたか?」
「顔っていうか雰囲気?見てたらわかるって」
「そうか」
三角とはもう随分長い付き合いだ。なにせ俺の初めての友達だから。二番目に長い付き合いが兵賀、まあ三角と数週間くらいしか変わらないが。
表情が乏しい、感情が読み取りにくいと、周囲の大人や同い年の子供たちに言われ、遠巻きにされ続けていた俺。そんな俺の感情を汲んでくれるこのふたりは貴重だ。特に三角は友達になったその日から、人との距離感の取り方が今ひとつわかっていなかった俺に対して、程よい距離感でいてくれた。兵賀についても、三角がうまいこと繋いでくれたところがある。兵賀は出会いからいい奴だったが、付き合い始めはどことなくぎこちない俺たちを、三角がきゃらきゃらと笑いながら時に冗談を交え、時に真面目に仲を取り持ってくれた。今となっては俺がなにか言わずとも、大体の俺の考えや感情を読み取るようになった三角と兵賀には内心頭が上がらない。
そんなことを考えながら、黙々とうどんを食べていれば、俺より先に食べ終わったらしい兵賀が三角に話を振った。
「今日はどこの猫カフェに行くか決めてあるのか?」
「今日はねー、せっかくだから猫ちゃん抱っこオッケーのところ行こうと思ってる。囲まれるだけでもいいけど、たまには抱っこさせてくれる子いたら抱っこしたいじゃん?」
「抱っこ……」
「くっきーもその方がいいでしょ?」
「抱っこ……」
「ダメだ、九木田くんったら思考が既に猫カフェにトリップしとる」
箸を止め、呟く俺に三角が呆れたように笑う。兵賀も小さく溜め息を吐いて、そんなに行きたいなら早く食えと急かしてきた。俺は器の中に残り少なくなったうどんをかき込む。それを横目に三角も食べ終わったようで、洗い物をすると立ち上がった。兵賀の家で食べる食事は主に兵賀が作ることが多い。三角はそのサポートを行う。そして、三角が洗い物をして、俺はそのサポートを行う。いつの間にか決まった役回り。なぜかふたりは俺に料理をさせようとしない。だから俺は自然と洗い物担当となった。三角がさくさくと洗っていく食器の水を切って拭き上げる。そして所定の位置に戻せば完了だ。今日は食器が少なかったので、手早く終わった。
「腹ごなしにゆっくり歩きながら行きますかー」
三角が間延びした声で言う。上着を取ってくる、そう言って兵賀が部屋の奥へ消えた。三角は自分と俺の上着を持ってきて俺の分を手渡してくる。受け取れば、楽しみだね、とにっと歯を見せて笑った。
兵賀の部屋を出て、冷たい外の空気を肺に取り込む。肺周辺の血管を巡る血液がその温度を下げた気がした。今から行く猫カフェにはどんな猫がいるだろうか。ペット禁止のマンションに住む俺からすれば、こういった機会は貴重だ。と言う割によく三角たちに連れて行ってもらうのだが。ひとりでは行かない。俺が猫を寄せてしまうので、下手するとカフェ中の猫を集めてしまうからだ。三角と兵賀がいれば、その辺は知らぬ間にいい感じに調節してくれる。ありがたい限りだ。三角曰く、俺はモフモフ吸引機らしい。そういえば以前、夏場に外で猫に囲まれすぎて汗疹ができたことを思い出す。あの時は確かに少し困った。痒いのは決して気持ちのいいものではないからだ。
「なに黄昏てんの?」
「具合が悪いのか?」
こてんと首を傾げて問う三角と、眉間に皺を寄せて気遣う兵賀。兵賀の眉間の皺が不機嫌から来るものではないことを俺はよく知っている。目つきが悪いのと、眉間に皺が寄る癖があるだけで人に威圧感を与えてしまうらしいのは兵賀の残念なところだ。最も俺は威圧されたことはないが。おそらくそれは三角も同様だろう。兵賀に対して押せ押せな三角はよく見るが、兵賀に気圧されている三角は見たことがない。
「なんでもない。少し冷えるなと思っただけだ」
「確かに寒いよねー、さすが冬」
「歩いていれば多少はマシになるだろう。それより、猫カフェの場所はわかるのか?」
「わかる!マップアプリが!」
「つまり三角、お前自身はよくわかっていないということだな。この方向音痴め」
「大丈夫、たとえわたしが地図読めなくても、ひょーちゃんが読んでくれる」
「他力本願……」
「ん?くっきーなんか言ったぁ?」
「……三角、じゃれてないで地図を見せてみろ。あと九木田はよく言ってくれた」
兵賀に軽い拳骨を食らった三角が、怒られた……と呟きながら自分のスマホを兵賀へ差し出す。それを受け取った兵賀が慣れた様子で画面を確認する。何度か指で画面上を撫でた後、行くぞ、と先頭を歩き出した。三角はすすす、と俺の隣に並んで歩き出す。兵賀を頂点とした三角形を形成して、時折地図に目を落とす兵賀の邪魔にならない程度に会話を交わす。会社の上司がどうだとか、欲しいものがあるが金額が高くて手が出せないだとか、昨日のテレビでやっていた映画がつまらなくて途中で寝落ちただとか。声に出して会話をするのがあまり得意ではない俺でも、途切れることなく続く会話。短かったり、時に言葉足らずな俺の返事を拾って楽しそうに返してくる三角と、地図をしっかり確認して道案内をしながら器用に話に加わる兵賀。そんなやり取りに心地よさを感じながら道を進めば、兵賀が立ち止まり、ここだな、と一棟の雑居ビルを見上げた。掲げられた看板には猫カフェの店名と猫のシルエットが記されている。
「ひょーちゃん、ご苦労!」
「随分と偉そうだな、お前」
先程よりも若干強めの拳骨を兵賀から食らって三角が頭を抱える。なんだか哀れだったので、拳骨をされた箇所を軽く撫でれば感激したような顔をして俺を見上げてくる三角。その顔がなんとなくイラついたので無防備な額にデコピンをすれば、大袈裟にのけ反り、痛い痛いと騒ぐ。兵賀が呆れたように溜め息をひとつ。
「いつまでもこんなところでじゃれていたら日が暮れるぞ」
「ふたりとも!暴力反対なんですが!わたしの頭をなんだと思ってんの!?」
「行くぞ」
俺は騒ぐ三角の腕を掴んで強制的にビルへと入る。目当ての猫カフェが入居している階へと上がって店の受付兼会計に顔を出す。そこで三人揃って店内ルールの説明を聞き、料金説明も受けてから店内入る。ワンオーダー制だったので、各々好きな飲み物を頼んだ。今回の店は猫を抱き上げることができる。時間帯のせいか偶然なのか、和モダンな店内には、俺たち以外の客は二組くらいしかいない。いずれも女性で、男性は俺と兵賀しかいない。ちらちらと感じる他の客からの視線が若干鬱陶しかったが、俺たちが席につくと猫が数匹寄ってきた。足元まで来た一匹の猫を怯えさせないように気をつけながらひと撫で。
「来たか、
「なに勝手に名付けてんの、その子みんとちゃんだよ」
猫の紹介ファイルをペラペラ捲りながら三角が言う。みんと……彦左衛門の方がよくないか?そう考えているのが顔に出ていたのか、三角がぽんっと頭を叩いてくる。
「みんとちゃん、ね?」
寄って来たもう一匹が、膝に置かれた三角の指先に鼻を近づけている。三角は挨拶がわりにそっと人差し指を差し出していた。
「そいつは太郎丸」
「おはぎ、だそうだぞ。九木田」
今度は呆れたように兵賀が溜め息を吐いた。
「猫たちに勝手に名前をつけるな。混乱して可哀想だろう」
「…………」
もっとかっこいい名前がいいのに。そう思うが、よくないらしい。仕方がない。とりあえず俺は擦り寄る彦左衛門もといみんとを抱き上げてゆっくりその背を毛並みに沿って撫でた。
「可愛いねぇ」
眦を下げておはぎの額をくすぐるように撫でる三角が穏やかに言葉を落とす。兵賀も、ふらりふらりと近寄ってくる猫たちに手を伸ばして、自分の元に呼んでみたり、頭を撫でてみたりと表情こそ大きく変わらないが、それなりに楽しんでいるようだ。
運ばれてきたドリンクを啜って、控え目な声で会話をしながら、猫に囲まれる時間を過ごす。たまに時計を確認しながら退室までの残り時間を逆算。大丈夫だ、まだしばらくはゆっくり過ごせる。可愛いねぇ、可愛いねぇ、と先程から語彙が減っている三角と、猫に気を取られてそもそも口数が少ない兵賀。俺も黙って猫を撫でる。みんとの他にもくるみというらしい猫が寄ってきて俺の足にひたすら頭を擦り付けている。そろそろ三角が言うところのもふ吸引機になっていやしないか、と思うが二匹ならまだセーフらしい。三角に小声で聞いたところ、本格的に吸引し始めたら、他のお客さんのためにも兵賀と一緒に程よく散らすから安心しろと言われた。とりあえず俺はまだリラックスして猫と戯れていていいらしい。
「あと十五分くらいかね」
三角がふと顔を上げた。つられて店内の時計を見上げると、確かに退室予定の十五分前だった。もうそんな時間か、とオーダーしたコーヒーに口をつける。三角も紅茶をほぼ飲み干していた。兵賀に至ってはとっくにドリンクをすでに飲み終わっていたらしい。名前はわからないが、今は長毛種の猫の被毛に指を埋めていた。
「長次郎……」
「長毛からつけただろう。安直だな。残念ながらこの子はしらたまだそうだ」
「しらたま……」
「勝手に名付けて本当の名前知る度にしょんぼりするなよ、くっきー……」
俺も長次郎、ではなくしらたまというらしい長毛種の毛に指を通す。ブラッシングが行き届いているようで、特に引っかかることもなかった。三角もふわふわなしらたまの額をそっと撫でる。人に撫でられることに慣れているのか、俺たち三人に同時に撫でられても動じることなく気持ちよさそうに目を細めている。
「もふもふ……」
「今日はもふもふ満喫できましたか、九木田くん」
「もふもふ」
「どうしようひょーちゃん、くっきーの語彙が死んだ」
「……はぁ、いつものことではあるがな」
「じゃあ今回はこの辺りでお暇しますか」
「もふもふ……?」
「九木田くん、もふもふ、おしまい、わかる?」
「九木田は幼児だった……?」
俺たちは最後の挨拶として周囲の猫たちをひと撫でして、会計に向かった。すると、店員の女がにっこり笑って話し出した。
「皆さん随分猫ちゃんの扱いに慣れてらっしゃるんですね、あんなにいろんな子が一組の客さまに集まることは滅多にないので驚きました!」
「あはは、猫ちゃんに好かれる体質の者がおりまして……」
三角が外行きの笑顔で応じる。店員が体質とは、と不思議そうな顔で会話を続けようとするが、面倒なので終わりにさせてしまおうと、俺が口を開きかけたその時、兵賀が察したのか俺をさりげなく制して店員に話かけた。
「申し訳ない、これから予定がありまして。できればお会計をお願いしたいのですが」
「あっ、すみません、失礼しました。お会計させていただきますね」
店員がそう言ってレジを打つ。滞在時間で計算された会計を、俺たち三人それぞれが払う。最後に三角が店員に、ありがとうございました、と声をかけて店を後にした。
「さて、お二人さん、今回の猫カフェどうでしたか」
三角が言う。
「悪くはなかったんじゃないか?随分人馴れした猫が多い印象だったし」
兵賀が答える。
「もふもふ……」
「ねぇ、くっきーはまだもふもふ語彙制限なの?語彙パケホにはならないの?」
「おい、三角、ちょっと考えてみろ、九木田の語彙に制限がかからなくなったら、それはそれで不気味だろう」
「それはそう」
俺は反射的に三角の頭にチョップを落とした。
「いったぁい!」
「好き勝手言ってくれるな」
「言ったの兵賀!わたし同意しただけ!」
「うるさい」
三角の頬を軽く抓る。不服そうに眉間に皺を寄せて睨み上げる三角。その眉間の皺を広げ伸ばすように頬を抓る逆の手の親指でぐりぐりと押した。
「わたしへの扱い!」
「九木田、面白いのはわかるがその辺にしてやれ。面白いのはわかるが」
「面白いのわかるんかい!」
小柄な三角から放たれる鋭いツッコミ。そして三角いじりにはいつもさりげなく乗り気な兵賀。こいつらの側は中学のあの頃から居心地がいい。
「次は彦左衛門のいる猫カフェをよろしく」
「彦左衛門好きだな?そんなピンポイントなリサーチできるわけなかろうもん」
「ファイト」
「うるせぇ、九木田、蹴っ飛ばすぞ」
「こんなところでじゃれてると日が暮れるぞ……って俺この台詞今日二回目じゃないか?」
猫カフェの入った雑居ビルの前でじゃれ続ける俺たち。外の風は冷たく春はまだ遠いが、この二人と過ごすもう何度目の冬は、やはり悪くないと思えるのだ。
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