第12話 チャットの答え
時刻は17時を回っていた。
オフ会が始まって4時間近くが経過したことになる。みんなそれなりにお酒もすすみ、最初の頃の緊張やぎこちなさはもはや無いに等しかった。
「いやー酔った酔った!」
いかにも、という感じで真っ赤に出来上がったシズネさんはタイガーさんの髪の毛を鷲掴みにしている。見た目が幼いだけに姪っ子に絡まれている叔父さんにしか見えない。たまたま席が近いだけに絡まれているのだろうが、自分に飛び火がこないよう千尋は心の中で小さく祈った。
「だから~!アカネちゃんの続編はでるの!?でないの!?どっちなのー!」
「いや私にきかれてもわかんないです!いてて!あのシズネ氏それは髪の毛、ノット枕!ディスイズマイヘアー!」
「終わったばっかりなんだからまだまだ始まんねーだろ」
この会がひらかれるまで、『オフ会』が具体的に何をする場なのか、千尋は今ひとつピンときていなかった。蓋を開けてみれば何てことのないただの飲み会なのだが、アカネちゃんの話題ひとつでその会自体が持つのか不安だったのだ。勿論メンバーは自分の放送に来てくれる常連リスナーにはかわりないが、仮にも放送主という立場上、自分がどこか仕切らなければという使命感に千尋はかられていた。
「だいじょうぶですか?」
となりに座っているアルさんが口を開いた。
「いや、みんな盛り上がってるなぁと思いまして」
「そうですね。いつもの感じ…いやそれ以上に楽しそう。普段会って話せないぶん、打ち解けるのも早いんじゃないですか」
…なるほど。
東京に来る前、アルさんとのチャットでオフ会の話題があがったことがあった。
臆病で気にしすぎな自分の性格がアルさんにどれだけ伝わっているか分からないが、初めての人たちと会う時の不安について少し話したのだ。
変な話、姿形が見えないネット放送は自分の正体をある程度のレベルまで隠すことができるメリットがある。だが、放送もすすみ、リスナーも増え、こうしてアルさんとも話せる繋がりを持ったからこそ、見えてきたものがある。
もっと『素の状態』で他者と繋がりたい、という欲求だ。自然体とも言えるだろうか。だが、『自分がない』と過去に言われた経験から果たして自分が何をどうすれば自分らしいのか、千尋はわからなくなっていた。
結局アルさんとのチャットはそこでとまり、東京のオフ会の期日になってしまった。
「少し乱暴ですけどね」
はしゃぐタイガーさん達を見つめるアルさんはそう言って少し微笑んだ。思わず黙って見つめていると、アルさんは視線をこちらに戻し、「どうしました?」という風に首をかしげた。
「ああいや、ほら僕、一応放送主なのでその何か、話題とか何か、そういうの提示した方がいいかなー?なんて思いまして…」
「それは…」
「そんなの気にしなくていいんだよ?ぼくらは集まりたくて集まったんだから」
「そうですよー。気ぃ使うことなんてないんですからぁ」
横から先生とヒカリさんが顔を出して言った。ヒカリさんは酔っているのか、初対面の時とは打って変わってかなり口調が荒い。近すぎる唇からかすかにお酒の匂いがする。
「なになにー?喧嘩?チュウ?なーにしてんの?」
二人にはさまれている異様な光景に気づいたモモさんがすかさずツッコんできた。
「なんか、緊張してんだってゴブちゃん」
頬をくっつけたまま先生が返す。
ゴブちゃんって…。
「みんなと会えたのが嬉しいんですよねぇ」
ヒカリさんのつめたいほっぺたが触れて思わず悲鳴をあげる。先生とヒカリさん2人が身体を寄せ、密着してきた。
なんなんだこの絵面は!おじさんと大学生に顔を挟まれている!!アルさん!助けてくれ! あれ、なんですかそのドライな目線は、いや、ぼくは何もしていないんです!
「うわ!!うらやましい!そこ変わって!千尋選手!私とそこ変わって!ほら!ババア幼女とメンヘラマスクあげるから!ね!?」
刹那、目の前のタイガーさんのメガネが吹き飛んだ。シズネさんとモモさんがまるで虫を屠る子供のようにタイガーさんをいたぶっている。
「ごめんごめんごめんごめん(笑)!」
目の前にいるのに、タイガーさんの悲鳴が遠く聞こえる。そういえばモモさんから薦めてもらったエヴァゲリオンにあんなシーンあったな…。
「緊張してんの?」
カウンター席のスネークさんがグラスを片手にやってきた。
「いや、そんなことはないですけど、なんというか仮にも放送主ですし、いつもの感じみたいに何かしたほうがいいのかなって思って」
「千尋くん、放送の時と変わんないな」
スネークさんは笑ったままつづけた。
「え?」
「いや、周りを気にする性格がさ、気を使い過ぎるというか、放送でも感じてたけど、優しいな人柄がでてるよ」
そうだろうか。自分はこれを悪い癖だと思っていたのだけど、周りからはそう見えるのだろうか。
「ほら、チャットで会社のこととか地元のこととか話してもくれて、勝手に千尋くんのことも知ってる気ではいるからさ、まぁ、今日はじめてまともに会ったわけだけど(笑)」
「はい」
「何かをしなきゃっていう使命感抜きにして、俺らは君が好きだし、なんて言うか…今は少なくともリスナーと放送主の関係じゃないだろ。だから、体制、責任気にせず友達として楽しく飲もうぜ」
たぶんきっと、今自分は間抜けな顔をスネークさんに見せているのだろう。それは隣でアルさんがくすくすと笑っているからそう思ったのか、頭の中でスネークさんの言葉を反芻していたからなのか分からない。
スネークさんはアルさんを一瞥し、僕にくっつく先生とヒカリさんを剥がして、おもちゃにされるタイガーさんを助けに行った。
「千尋さん」
アルさんの方を顔を向ける。
「きっと、わたしも分からない経験があったんだと思います」
「…」
「でも、自分をどういうふうにみせるかなんて気にしないでください。言葉なんて気にしすぎることないんです。…わたしなんて日本語もまともにできないんですし(笑)」
「放送からチャット、そして今こうして千尋さんと出会って、お話しして、それでいいんです」
「誰かの評価なんて関係ない。千尋さんと私たちの関わりなんですから。そこに…『千尋さんらしさ』を私たちが感じればそれで…」
「……」
「ね?」
数時間前、アルさんとともに入ったガラス戸から夕焼けの光がみえた。
さっきまで悲鳴をあげていたテーブル席ではタイガーさん達が笑いころげていた。マスクの下でも爆笑しているのがわかるモモさん。グラスを割ってしまったのをごまかすシズネさんとそれに激怒するスネークさん。先生は酔ったヒカリさんに絡まれ、髪が抜けたと何故か爆笑しているタイガーさん。
はじめてみるはずなのに、なんだかとてもなつかしい光景に思えた。
アルさんは吸い込まれるような瞳でじっと僕をみつめていたが、気がつくと目の前のタイガーさん達につられて吹き出すように笑っていた。
そしていつのまにか僕も笑っていた。誰に対してか何に対してか覚えていないが、とにかく笑っていた。
「…人間じゃないからわかんないけどね」
笑い疲れてソファにもたれたとき、隣のアルさんがそうつぶやいた、気がした。
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