スイート・インフィルトレイター

あるかん

その名も「バレンタイン潜入作戦」

 2月も半ばに差し掛かり、ちょっと前まで真っ暗だった放課後の帰り道も大分明るくなった。とはいえ寒さは相変わらず厳しく、時折風が吹くたび思わず身震いしてしまう。

 隣を歩く小林も、寒さに耐えるように身体を縮こまらせながら、手編みのマフラーを巻き直していた。


 「うぅ〜〜、寒いな〜〜……そういえば、明日は雪が降るかもしれないらしいよ?」


 小林は思い出したように言うと、嬉しそうな顔で僕を見上げた。寒さのせいか、頬とボブヘアの隙間から覗く耳の先が赤くなっている。


 「えー、マジで? でも、この時期に降る雪って雨混じりのやつだろう?」

 「どうだろう……今朝の天気予報だと積もるかもしれないって言ってた気がするけど」

 「どっちにしても、勘弁してほしいよなー」


 そう言ってため息をつき、頭上を見上げる。地平線に浮かんだ太陽に照らされ、薄い水色とオレンジが混ざった空には雲一つ見当たらない。

 

 「あれ、長森って雪好きじゃなかったっけ?前にすっごい大雪で学校が休みになった時、一日中外で雪だるまとか作って遊んだよね?」

 「それって小2くらいの時の話だろ?いまさら雪が降るってくらいでそんなはしゃがないよ。むしろ濡れるし寒いし、雪なんて降らない方がいいね」

 「ふーん……私は降ってほしいけどな。だって雪なら明日の体育、持久走中止になるかもしれないし。それに、バレンタインデーに雪が降ったらなんだか素敵じゃない?」

 「えっ?……そっか、そういえば明日ってバレンタインか」


 明日がバレンタインだなんてことはもちろん知っていたけど、つい知らなかったようなふりをしてしまう。悲しき思春期男子中学生の性だ。


 「何そのリアクション。まさか知らなかったの?……ま、たしかに長森には縁のない日かもね」


 そう言って小林はからかうようにケラケラ笑った。彼女のいない僕にとっては縁のない日に違いなかったが、図星なだけに腹が立つ。


 「うるさいなー、そんなこと言うんだったら僕にもチョコくれよ」

 「えー、どうしよっかなー?まあ、そこまでお願いされちゃったら作らないわけにはいかないかなー」


 首をすくめ顔を半分ほどマフラーに埋めた小林が目だけで僕に笑いかける。よほど寒いのだろう、気付けば夕陽も大分傾いてきており、いつもの公園をオレンジに染め、鉄棒が長い影を伸ばしている。


 「別にそこまで頼んでないけど……でも、学校にチョコ持ってきてるのバレたらまた嶋沢にめちゃくちゃ怒られるんじゃないか?」


 忘れもしない昨年のバレンタイン、1年B組の女子たちが昼休みに教室で友チョコ交換会をしていたのがバレて体育主任の嶋沢が激怒し、最終的に学年集会にまで発展したのは我が校の上級生全員の記憶に刻まれている。

 それ以来、嶋沢の過去にはバレンタインに何か強烈なトラウマがあるのではというのが専らの噂だ。


 「なにあんた、嶋沢なんかにビビってんの?」

 「別にビビってないけどさ、2年連続で同じ事件が起きたら今度こそ嶋沢の血管ブチギレるんじゃないか」

 「真面目だなー、まあ、私も怒られるのは嫌だけどさ……そうだ!」

 

 拗ねているような様子で道端の小石を蹴飛ばしていた小林は突然その場に立ち止まった。つられて僕も足を止めて振り返る。


 「なんだよ、寒いんだから早く帰ろうぜ」

 「ふふ、いいこと思いついちゃった……その名も「バレンタイン潜入作戦」!早く帰って準備しないと!じゃあ、また明日!」


 小林は大きな瞳を悪戯っぽく輝かせながらそう言うと、弾むような足取りで僕の横をすり抜け、そのまま公園の角を曲がっていった。

 どうせ小林の家まであと数百メートルもないのに何をそんなに慌てているのか。一体彼女は何を思いついたのか。

 「バレンタイン潜入作戦」……その言葉の響きに嫌な予感を抱きつつ、僕は1人とぼとぼ公園の前を通り過ぎ、帰路を辿った。

 

〜〜


 翌朝、家を出ると冷たい風が顔に吹き付ける。昨日より一段と寒い。空はどんよりとした灰色の雲で覆われている。もしかしたら、本当に雪が降るのかもしれない。

 ウインドブレーカーのチャックを1番上まであげてから歩き出す。いつもの公園を見ると、入り口の車止めに腰掛ける小林の姿が見えた。

 小林は僕に気付くとぴょんと立ち上がり、急かすように手を振った。


 「珍しいな、お前が先に来てるなんて。これは本当に雪が降るかもしれないな……」

 「ちょっと、どういう意味?……まあいいや。そんなことよりさ、持ってきました、手作りチョコレート!」


 並んで歩く横で、小林は得意げに言う。


 「えっ、本当に持ってきたのかよ。先生にバレたらどうすんだ?」

 「大丈夫、絶対バレないから。だからちゃんと受け取る準備しといてね」

 「受け取る準備?お前、どうやって渡すつもりなんだよ」

 「それはまだ内緒。分かってたら面白くないでしょ?でも、当ててみてもいいよ。長森には分からないだろうけど」

 

 小林は僕のことをバカにしたように付け足すと、ニヤニヤ笑ってこっちを見た。そう言われるとこっちだって黙ってはいられない。我ながら単純なやつだとは思う。


 「お前が考えそうなことくらい、大体予想はつくさ。……うーん、絶対バレない方法?……下駄箱に隠しておくとか?」

 「ふふ、それすっごいベタなやつじゃん。長森が言うと面白いね」


 小林はプッと吹き出すとそう言ってゲラゲラ笑い出した。何がそんなに面白いのか分からないが、こんなに笑われるとなんだか気恥ずかしくなる。

 「じゃあ違うのかよ」とぶっきらぼうに聞くと、小林はようやく息を整えて僕の方を見た。目にはうっすら涙が浮かんでいるように見える。

 そんなに面白かったのか。


 「違う違う、本命とかならありそうだけど、あんたに渡すものいちいち下駄箱に隠さないって。それに、下駄箱なんてベタな隠し場所、嶋沢とかがチェックするでしょ」

 「……なるほどな」


 思ったよりちゃんと考えているらしい。確かに、どこかに隠すのは第三者に見つかるリスクがある。

 それでは、小林はどうやってチョコを渡すつもりなんだろうか。本人曰く、「絶対」バレない方法らしいが、学校という衆人環視の状況下、それも今日は特に警戒の目が強くなっている状況で、本当にそんな方法があるのだろうか。

 しばらく黙って考えを巡らせていたが、結局何も思いつかないまま、学校のそばまで来てしまっていた。

 

 「……その様子じゃ、やっぱり当たらないかもね。まあ、楽しみにしてなって。じゃ、また後でね!」

 

 小林はクラスメートの女子を見つけると、僕の肩を叩いてそう呟き、先に行ってしまった。

 

〜〜


 「…………そういえば、今日はバレンタインですが、まさか学校にチョコを持ってきてる生徒はいませんよね?……まあ、いたとしても、先生達のいる前ではしまっておくように……」


 朝のHR、担任の池田が話しているのを聞いて、何人かの女子がそわそわしているのが見えた。

 喉元過ぎればなんとやらということだろうか、嶋沢インパクトは記録には残れど生徒たちの記憶には僕が思っていたよりも深くは刻まれなかったらしい。


 今日の時間割は1時間目から英語、歴史、家庭科、国語、給食、昼休みを挟んで午後は体育、数学。

 小林が何かアクションを起こすとすればやはり昼休みか、もしくは移動教室のタイミングである体育か家庭科か。

 移動教室ならみんなが移動した後にちょっと教室に残って机の中や鞄にチョコを隠しておけるかもしれない。

 なんとなく思いついた仮説だが、中々説得力がありそうだ。チラッと後方に視線を向けると、大きな欠伸をしている小林と目が合った。


 「どう?何か思いついた?」


 HR後、授業の準備をしていると、小林が僕の席に近づいて話しかけてきた。

 さっき笑われた分、ここは強気に言ってやろう。


 「まあな。お前の単純な考えくらい、お見通しさ。3時間目、いや4時間目の休み時間、楽しみにしてるよ」

 「4時間目の休み時間?……本当に分かったの?まあいいや。まだ答えは聞かないでおいてあげる」


 小林は眉間に皺を寄せ、疑わしそうに僕のことを見て言うと、席に戻っていってしまった。

 思っていたものとは大分違うリアクションに僕の自信は若干揺らいだが、他に思いつく案はない。

 もやもやした思いを抱えながら受ける英語の授業はいつも以上に何を言っているのか分からなかった。


 4時間目前の休み時間、急いで教室に帰ってきた僕は机の中を漁ってみたが、やはり移動前と変わったところは無かった。

 それでも諦めきれず、昼休みに自分の鞄を漁ってみたが別段おかしなものは入っていなかった。どうやら僕の予想は外れていたみたいだ。

 

 「お前さっきから何やってんだよ。バレンタインのチョコでも探してんのか?」

 

 僕が鞄の前でがっくりと肩を落としていると、同じクラスの宮前が揶揄うように言ってきた。


 「まあ……そんなところ」

 「マジかよ。お前意外と馬鹿なんだな。チョコ渡すにしても鞄に隠すやつなんかいないだろ。もしいたらそいつ、大分変だぞ」

 「確かにそうかもな……でもいるんだよ。もっと馬鹿で変なやつが……」


 結局、残りの昼休みも小林に呼び出されることなどはなく終わった。

 5時間目の体育、天気は曇りで雪はおろか雨も降っていないため、持久走だ。

 半袖ジャージの運動部達を見ていると、余計に寒く感じる。走っていれば温かくなるなんて言うけど、あんなのは大嘘だ。むしろ風を冷たく感じるし、汗なんてかいたら止まった時に余計に冷える。

 だからといって手を抜いて走ろうとすると嶋沢に檄を飛ばされるので、結局最後は汗だくになって走り終える。

 みんなが水分補給をしている横で汗を拭いていると、ちょうど小林がゴールしてくるところが見えた。ゴールするとそのまままっすぐ校庭の横の水道に進み、倒れ込むように寄りかかると蛇口を捻って水を飲み始めた。


 その姿に僕は何となく奇妙な違和感を覚えた。

 だが、僕がその違和感の正体に気付く前に小林が顔を上げて僕に向かってウインクしてきたので思わずドキッとして、目を逸らしてしまった。

 

 ストレッチが終わったら集合し、号令を終える。

 毎回少し早めに終わるのは嶋沢の授業のいいところだ。早く教室に戻って暖を取ろうとしたその時、嶋沢が僕の名前を呼んだ。


 「おい長森ー、忘れ物してるぞ」


 そう言って嶋沢が手に持ったものを掲げて僕に見せる。


 「あー、すみません……あれ?それ僕のじゃないっすよ」

 「んー?でもこれ、『長森』って書いてあるけどな」


 嶋沢の勘違いだと思っていたがその瞬間、僕の頭に衝撃が走った。


 「あっ!!…………それ、僕のでした!」

 「お、おう、やっぱそうだよな」

 「すみませんありがとうございました!」


 僕は急いで駆け寄り嶋沢の手からそれを半ば奪うようにして受け取ると、驚いている彼を尻目に慌ててその場を後にした。


〜〜


 放課後の帰り道。肉体的にも精神的にも疲れ切った僕の横で、小林が楽しそうに笑っている。


 「あの時の長森と嶋沢、超面白かった〜〜!嶋沢めっちゃびっくりしてたじゃん」

 「なんだよお前見てたのかよ……」

 「一応ね、長森が気付かない時のことも考えてさ。でも、上手くいって良かったー……ね?絶対バレない方法だったでしょ?」


 「……確かに、水筒のホットチョコレートなら絶対バレないな」


 嶋沢が僕に渡してきたのは断熱性のステンレスボトルだった。それも、ご丁寧に僕のネームタグがついたカバー付きの。

 見覚えのない水筒だったため最初は訳が分からなかったが、今日の小林の発言とネームタグの筆跡でなんとか気付くことができた。


 「……でも、バレないかもしれないけど、なんでよりによって嶋沢の前なんだよ。それに、あれだと嶋沢からもらったことになるんじゃないのか?」

 「あはは、そんな細かいことは気にしないでよ。それに、水筒を入れ替えるタイミングはあそこしかないかなって……あ、これ返すの忘れてた、はい」


 小林は鞄の中から僕の水筒を取り出すと、僕の手に渡してきた。体育の号令が終わった後に持ち去ったのだろうか。無駄な手際の良さに思わずため息がでる。


 「それで、もう飲んでみた?」

 「いや、まだだけど……」


 僕が言うと、さっきまでヘラヘラしていた小林の顔色が変わった。急に不機嫌になり、背伸びして僕に詰め寄る。

 

 「はあ?なんでまだ飲んでないの?今飲みなって!」

 「わ、分かったよ……今開けるから」

 

 小林の圧に押されるがまま、僕は水筒の蓋を開けた。

 薄く湯気が立ち昇り、カカオの香りが鼻をくすぐる。ゆっくりと口をつけると、ほんのりと優しい甘さが口の中に広がった。

 

 「……どう?美味しい?」


 そう尋ねる小林の顔はほんのり赤く染まっている。きっと寒さのせいだ。


 「……うん、美味しい」

 「……ふふ、よかった」


 何となく、小林の方を向くことができなかった僕は前を向いたまま小さく頷いた。隣で小林が笑っているのが分かる。

 その時、僕の目の前に小さな白いものが落ちてきた。


 「……あ、雪……」

 

 頭上を見上げると、どんよりとした曇り空が真っ白な雪が次々落ちてくるのが見えた。

 

 昨日より気温はぐっと下がっているはずだが、僕は不思議と寒さは感じなかった。

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