第2話

タクシーで約1時間かかって空港に着いた私たちは、首の座らない乳児がいるからということで優先搭乗で飛行機に乗り込んだ。乳児を抱えたまま、2時間半。途中に授乳しつつ、なんとか飛行機を降り、そこからさらにバスで45分。

着いた後の記憶がほとんどないくらい、私は疲れていた。


翌日はお通夜だった。用意してきた黒のエプロンをつけて、訪問客にお茶を配る。義母はあいさつに回っているので、義母の姉が裏方を仕切っていた。


「お茶の入れ方はこうよ」

「ちゃんと覚えておいてね」


細かく指導が入る。なるべくきびきびとは動くようにするが、私はとても疲れていた。義母の姉や周りの親族は私が秘書検定を持ち、正規のお茶の出し方等を習得していることを知らない。相手の顔を立て、黙って従う。


やがて訪問客は落ち着き、私は小さな子どもたちのお世話を理由にそそくさとあてがわれた部屋に戻った。そこは家族で寝るには狭い、物置化した部屋で、真冬なのに暖房もない。夫が昔使っていたベッドの横にシングルの布団が1枚。小さな子どもと添い寝前提で敷かれており、足元に一つだけ電気ストーブを置いてもらっていた。


ちなみになのだが、近くに住む義弟夫妻には8畳ほどの広い部屋と部屋いっぱいの布団が与えられていたという。義弟夫婦にも小さな子どもがいたが、もし、近くの自宅に戻ってくれていれば、私たちは段差のある狭くて埃っぽい部屋で何日も過ごすことなく、夫婦で高熱を出して何日も寝込むこともなかっただろう。


翌日の葬儀は滞りなく行われた。私はもう体力も気力もぎりぎりで、葬儀の間以外は控室で赤ちゃんを抱えて座っていた。赤ちゃんさえ抱えていたら、用事を言いつけられることもない。通夜の時もそうすればよかったのだが、そこは夫の実家である。通夜とはいえ、集った親族に夫が子どもたちを紹介しており、そのままずっと夫が赤ちゃんを抱えていた。


火葬場まで行く体力もなく、私はその日も涙さえ出てこなかった。


葬儀の2日後に7周忌まで終えて帰るはずが、その翌日夫が熱を出した。寒い部屋で子どもに布団を譲って寝ていたからだろう。その後私も熱があることに気がついた。インフルエンザだと怖いからと寒い部屋にまた閉じ込もるしかなく、子どもたちと2日間寝て過ごした。

とはいえ、子どもの世話はしなければならない。熱があるときの夫は全く動かないので、私も熱がある中、おむつを替え、授乳し、上の子の相手をした。本当に苦しかった。


私はまだ熱があったけれど、やることが変わらないなら気を使わなくていい自宅に早く戻りたかった。夫の熱で2日も滞在が伸びて、飛行機はまたもや変更になった。風邪ではなく疲労からくる熱であることを自覚していたので、熱があることを隠して、飛行機に乗り、1分でも早く自宅に帰りたかった。


自宅に戻って、4日しても熱は下がらなかった。普段は自分から病院に行きたいなんて言わないのだけれど、子どもの世話があるからこれ以上ふらふらしているのは逆にきついと思った。夫が休みの土曜になって、夫に病院に連れて行ってほしいというと、ちょうど休日診療をしているのが、先日救急車で運ばれた病院だった。


病院について、体温を測る。38度5分。診察室に通され、採血をした。栄養点滴を受けた方がいいと医者に告げられ待つように言われたその直後だった。

体が硬直する。また動けなくなったのだ。


すぐにベッドが用意され、点滴を受けるが、硬直する。硬直だけではなく、ものすごいいたみに転げまわる。転げまわる感覚なのに動けない。身体が固まって、痛い。

採血の結果と症状を見て、医師が言った。


「すぐに市で一番大きい総合救急病院へ入院してもらいます。今、救急車を呼んでいるので、救急車が付き次第行きましょう。」


そして、転げまわる私に刺していた点滴を医師は一気に落とした。冷たい感覚が腕に落ちて、私はもう死ぬんじゃないかと思った。


そうやって、私は2度目の救急車に乗った。

救急車に乗る頃には、硬直と痛みは落ち着いてきていたのだけど、心電図をつけられ、また違う点滴をはめられた。心配そうに見る上の子の目が忘れられない。


搬送された先は、救急処置室だった。

私、意識もあるし、しゃべれるのにな。普段ならきっと意識の患者しか入る事の許されない緊急処置室。意識はあっても、交通事故で大けがとか、本当に緊急性の高い人を処置するところだろう。なんで自分はここにいるんだろうか。

 

いろいろと検査をしていた医師が言った。

「生きてますね。」

変な言葉だな、と思った。聞き間違いだと思って私は医師に話しかけた。

「いつ、帰れますか?」

「赤ちゃんに授乳しなきゃいけないんです」

医師はとんでもないという表情をした。

「落ち着いて聞いてください。あなたは生きているのが不思議なくらいなんです。このカルシウム数値でよく動けましたね。意識があるというのが信じられません。」

一枚の紙を見せながら、

「ふつうの人はここ。これ以上、数値が下がると普通は意識をなくします。で、このあたりの数値になると死んでいる人の値です。あなたはここ、死んでいる数値なのに、生きているのが不思議で、こんな事例見たことがないんです。」

「でも、生きていますよ。間違いじゃないんですか?」

「それは3回調べさせていただきました。とりあえず、いつ心臓が止まっても不思議ではないので、ここにいてもらっているわけなのですが、―――平気そうですよね。」

手術室の服装をした医師はここでそんな会話をしたことがないのだろう。本当に不思議そうな顔で見てくる。

「点滴をしてもらったからか、だいぶ楽になりました。あの、授乳したりしたいのですが。」

医師は、小さな子どもに諭すように

「けれど動けないでしょう?」

と言ったが、好奇心に勝てないのか

「こういうことはよくあったのですか?いつから体調が悪かったのですか?」

とどんどん質問をしてくる。

普通に歩いて家事をして、子どもをお風呂に入れてとしていたことを明かすと、

「よく動けていたな。」

と感心された。


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