第3話 真紅の罪
「カイル! なんということを……どれだけの人を傷つければあなたは気が済むのですか!」
厳しく叱責するような声に、哄笑を続けていたカイルがはっとしたように院長を見上げる。
「あ、れ……? 先生……」
「レヴァイン次期侯爵さま、知らせをいただいたにもかかわらず遅れてしまい申し訳ありません。ご無事ですか」
院長はソルの姿を心配そうに見やったが、彼はそれどころではないようだった。
「院長……あなたの力で彼に訂正させてください。彼は……この男は、一連の放火事件を……エステルを殺すための練習にやったと言ったんだ……!」
ソルは、今にもカイルを殴り殺しそうな勢いで睨みつけていた。まるで自らの理性と必死に戦っているような表情に、胸が締めつけられる。
「ここへ入ってくるときの会話で、大体察しました」
院長はカイルのそばに歩み寄ると、震える声で告げた。
「カイル……あなたは、心の優しい子だったはずです。イヴリンと再会してから、あなたは変わってしまった……私は、あなたを正しく導けなかったようですね」
夜間だからか、院長は目もとを隠す包帯を巻いていなかった。その目もとが月影に照らされた瞬間に、はっと息を呑む。
……美しい、赤の瞳。
珍しいその色は、カイルやノーラン伯爵令嬢とよく似ていた。何より、ノーラン伯爵令嬢を呼び捨てにしたことに、違和感を覚える。
「院長……まさか、あなたは」
ソフィアを床の上で抱き起こしたまま、声を掛ける。院長は、鮮やかな赤の瞳で私を捉えると、床に這いつくばるようにして頭を下げた。
「っ院長?」
これにはソルも驚いたようで、慌てて院長を抱き起こそうとする。だが、彼女は頑なだった。
「エステルさま……あなたに、許していただけるとは思いません。私は……この子の共犯者のようなものです。あなたのお屋敷を燃やしたあの火事を防げる人間がいたとすれば、それは私だけだった……」
院長の声は、涙ぐんでいた。訳もわからず、言葉の続きを待つことしかできない。
「カイルが、黒い外套を纏った大人たちと密かに会っていたり、夜に時折抜け出したりしていることはわかっていました。抜け出したその夜に貴族の屋敷が火災に遭っていると気づいても……考えすぎだと言い聞かせていました」
院長の声は、礼拝室の中にどこまでも反響した。顔を見ずとも、泣いていることがわかるほどひどく震えた声だ。
「ある夜、カイルは背中に火傷を負って帰ってきました。すぐに医者を呼ぼうとする私を、彼は止めたのです。『先生、医者は呼ぶな。僕を失いたくないのなら』と……」
先ほどのソルの話と同じだ。誰もが、息を呑んで院長の言葉の続きを待っていた。
「彼は見慣れぬ古びた袋を持っていて……その中には、油のついた小瓶がたくさん詰まっていました。きっと、普段は火をつけた後に処理するところを、怪我をしたばかりに忘れてしまったのでしょう。道端に物を捨ててはいけないという教えを忠実に守って、彼は孤児院までその何よりの証拠を持ち帰ってきたのです」
院長の嗚咽が漏れる。後悔と罪悪感に塗れた、聞いていて苦しくなるほどの声だった。
「私は……それを必死に洗って……咄嗟に院長室の中に隠しました。洗っても洗っても油の匂いは取れなくて……庭へ埋めようにも、子どもたちが掘り返してしまうのが恐ろしくて……。誰かが訪ねてきたら、きっと正直にこの小瓶を差し出そう、そう思って自分の気持ちに折り合いをつけていたのに……それなのに、今日まで誰も私を疑おうとしなかった!」
見つけて欲しかったと言わんばかりの叫びに、胸が痛くなる。院長の穏やかで誠実な性格を考えれば、秘密を抱え続けるのはひどく苦しかっただろう。
「でも、そんなのは自分に都合のいい言い訳でしかありませんね。私があの夜、医者を呼んで、正直にあの小瓶を騎士団に提出していれば……次の火災は――レヴァイン侯爵邸は、燃やされなかったはずなのに」
そんなことない、とはとても言えなかった。
院長の言う通り、そこで彼女が通報してくれていれば、レヴァイン邸も、家財も、お父さまとお母さまの仲睦まじい時間も、私の顔も、燃えずに済んだのだ。
「でも……でも、どうしてもできなかった……! カイルは、カイルは……私の――!」
院長は泣き叫びながら、私に向かって指を組んだ。まるで、精霊に懺悔しているかのような姿だ。
「あなたの火傷の傷は、半分は私のせい――いいえ……あの日間違いを正せる大人は私しかいなかった。ならば、すべてが私の罪と言っても過言ではありません。どうかあなたの手で私を裁いてください。カイルともども、罪を償いますから……!」
「違う! あれは、俺が姉さまのために自分で考えたやったことだ。俺の手柄だ……先生は関係ない!」
カイルは起き上がり、院長を無理やり抱き起こした。常軌を逸したような笑みは薄れ、狼狽えるように院長を見つめている。
「なんなんだよ、その目……その色も!」
「カイル、目を覚ましなさい。イヴリンが本当にあなたを愛しているのならば、このような残酷なことをあなたにさせないはずです」
「うるさいうるさい、姉さまの名前を気安く呼び捨てにするな! 姉さまは、俺の血に住んでいる唯一のひとなんだぞ……! 唯一の、肉親で……」
カイルは震える手から流れる血を見つめ、乾いた笑い声を上げた。
「じゃなきゃ、俺は……今まで、何をして……」
カイルはふらりと立ち上がったかと思うと、ぼんやりと月影を見上げていた。生気が抜け落ちたような彼の姿は、どうにも不穏だ。
そのとき、ふと腕の中でソフィアが動くのがわかった。重たそうな瞼をわずかに開けて、私を見上げている。
「あれ……エステル? サラ、さんは……?」
「ソフィア、気がついたのね……!」
ゆっくりと起き上がる彼女の背中に手を添えて、彼女の体を確認する。見たところ問題はなさそうだ。
ソフィアの声を聞きつけたのか、カイルはソフィアが目覚めたことに気づいたようだった。
そうして、今まででいちばん長いため息をついて、諦めたように笑う。
「ああ……もういいや、面倒だ。――全部、終わらせよう」
そう言い終わるや否や、カイルは壁際で揺れる燭台に向かって走り出した。それを見た院長が、咄嗟に叫ぶ。
「っ逃げて! 彼は神殿を燃やすつもりです。この部屋は……この匂いは、あの日彼が持ち帰った油の瓶と同じだわ……!」
「エステル!」
院長が声を発すると同時に、ソルは私の前に駆け寄っていた。ソフィアは無理やり私を立たせ、ソルと合流しようとしている。
「外に出るんだ!」
ソルは私を抱き上げながらソフィアに声をかけた。ソフィアは迷うことなく扉へ向けて走り始めている。ソルもすかさずそれに続いた。
「エステルさま――」
扉をくぐる間際、院長は月影の中で静かに微笑みながら私に声をかけた。逃げるそぶりなど、わずかにも見せずに。
「あなたのために令嬢たちが練習台として殺されたなんて、真っ赤な嘘です。狙われた順番が、たまたま最後だっただけ。それだけです」
院長は、きっぱりと断言した。まるでそれこそが真実であるかのように。
「――さようなら。あなた方が進む明日に、精霊エルヴィーナの祝福がありますよう」
その言葉と同時に、礼拝室は勢いよく炎に包まれた。
その色はまるで、カイルとイヴリン――そして院長の瞳のような、鮮やかで美しい赤だった。
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