第2話 世界でいちばん美しいひと

 橙色の燭台の光に迎えられ、わずかに目を細める。礼拝室の中は、花のような甘い香りが満ちていた。


 まずはどんな挨拶をしようかと考えていたが、飛び込んできた光景に口をつぐんでしまった。どうやら丁寧な挨拶は不要だったようだ。


 礼拝室の奥、祭壇の上にはぐったりと力なく横たわるソフィアの姿があった。まるで精霊への捧げ物のように、白い花束を供えられ、月影に青白い顔を晒している。かろうじて胸が上下しているのが見えるのが幸いだった。


 そしてその傍らには、汚れひとつない純白の外套を纏ったカイル大神官の姿があった。


「ソフィア!」


 彼女のもとへ駆け寄ろうとした私の手を、すかさずソルが引き止めた。


「ソル、どうして――」


「よく見るんだ。――本当に、神官とは思えない男だな」


 ソルに注意されソフィアとカイル大神官の様子をよく観察すると、カイル大神官は装飾の施された短剣を握っていた。あれは、位の高い神官に支給される守刀だ。


 そしてその切っ先は、眠るソフィアに向けられている。下手な動きをすれば、彼女の首をかき切ると言わんばかりに。


「カイル大神官……? どうして? どうして、ソフィアにそんなものを……。『精霊の微睡』の話を聞かれたことなら、もう解決していますから……」


 夜の礼拝室に、震える私の声はよく響いた。それだけ、周りに音がないのだ。


 離れていても、カイル大神官がふっと苦笑するのがわかる。それは、この十年間見たことがない、まるで普通の青年のような笑い方だった。


「どうして? そんなことはわたしのほうが聞きたいですよ。……エステルさま、どうして、礼拝に来なくなったのです? 写本をやめたのです? そのような格好をして、再び殿下を誘惑するおつもりですか?」


 カイル大神官は笑いながら、責めるように問いかけた。


 私はもう、かれこれ二週間近く礼拝に来ていない。「精霊の微睡」を迎えようとする信者にとっては、致命的な失態だ。これだけで、「精霊の微睡」にふさわしくないと烙印を押されても文句はいえないのだ。


 当然、カイル大神官は私が「精霊の微睡」を止めようとしているのではないかという考えに行き着くだろう。そして、それは間違っていない。


「カイル大神官……私、『精霊の微睡』はやめます。十年も準備してくださっていたあなたには、申し訳なく思っていますが……」


 彼が、私と「精霊の微睡」の儀式を行うためにこの十年私を導いてくれたのは事実だ。罪悪感を抱きながら、彼の返事を待つ。


 静寂に包まれた礼拝室の中で、カイル大神官が吐息まじりに笑ったのがわかった。


「『精霊の微睡』をやめる? ――そんな顔で、まだみじめに生きていくつもりですか」


 カイル大神官とは思えぬ侮蔑の言葉に、理解が追いつかなかった。


 ……え? 今の、カイル大神官が言ったの?

 

 きっと、今の私はひどく間抜けな顔をしているに違いない。そんな私に構うことなく、カイル大神官は畳み掛けるように続けた。


「この十年、本当に耐え難かったのですよ。醜いあなたと毎日のように顔を合わせるのは。いくら神官の役目とはいえ……美しくないものを毎日のように視界に収めるのは苦行でした」


 カイル大神官はこつこつと靴音を響かせて、大きな溜息をついた。


「この世は醜いものばかり。美しいものは、あの方と精霊エルヴィーナの周りにしかありません……」


 夢見るように指を組んで、カイル大神官はステンドグラスを見上げた。


 どんな言葉を吐いていても、彼が纏う清廉な雰囲気は不思議と消えない。まるで言葉を悪く受け取っている私が間違っているような気になってしまう。


「お前の好みの話はどうでもいい。なぜソフィアをさらった。彼女は関係ないだろう」


 ソルは、淡々とカイル大神官に問うた。聞いたこともないほどの、ひどく冷たい声だ。相当怒っているらしい。


「なぜって……この娘はレヴァイン次期侯爵殿の恋人で、エステルさまの友人なのでしょう。この娘が手もとにあれば、エステルさまに交渉しやすくなるかと思いまして」


「私に……? 何が望みなの」


 理由がなんであれ、ソフィアを巻き込んだことは許し難い。警戒するようにきつく睨みつけるが、カイル大神官は痛くも痒くもないようで、ゆったりと微笑んでみせた。


「……わたしの望みはただひとつです。エステルさま。予定通りに『精霊の微睡』を迎えてください。あなたには穏便に死んでもらいたいのです」


 ほんの数週間前の私であれば、その提案に異議などなかっただろう。


 だが、今の私は自分の命を諦めるわけにはいかないのだ。それは、私を大切に思ってくれているソルやソフィアへの裏切りに等しい行為だ。


「カイル大神官、申し訳ないけれどそれはできません。……準備にかかった費用やお礼は、必ずしますから」


「ああこれだから醜い者は嫌になる! なんでも金で解決しようとして思考まで醜い」


 カイル大神官はぶつぶつと呟きながら短剣を持ってソフィアの周りをうろついた。なんだか見ていてひやりとする光景だ。


 内心怯えを抱いた私の震えを押さえ込むように、ソルが繋いだ手に力を込める。そうして、柔らかく微笑んで私に耳打ちした。


「――もし僕があいつを引きつけることができたら、ソフィアを連れてここから離れられるかな。引きずってでもいいから」


 友人を引きずるわけには、と言いたいところだが私の足では抱きかかえて逃げるのは難しいだろう。だが、素直に了承するわけには行かない言葉だ。


「それだと、あなたが危ないじゃない」


「大丈夫、手は打ってある。――頼んだよ」


 ソルは小さく微笑むと、いちどだけ私の頭を撫でた。


 そう言われてしまっては、やり遂げないわけには行かない、こくりと頷いて、無言で了承の意を示した。


 するり、と繋いでいた手を解いてソルは私より一歩前に歩み出た。


「カイル大神官、どうしてそこまでエステルに死んでほしいんだ? 『あの方』の指示か? 精霊のためか? それとも――十年前に殺し損ねたからか?」


 ソルは挑発するように、端正な笑みを浮かべてみせた。声音も口調も、私の知らない姿ばかりだ。すこし怖いけれど、彼にはこのような冷たい顔もよく似合うようだ。


 だが「十年前に殺し損ねた」とはどういう意味だろう。あまりにも不穏な言葉に、思わず縋るようにソルを見上げてしまう。


 ソルはそんな私の視線に気づいたのか、そっと私の腰を引き寄せると、言い聞かせるような穏やかな声で告げた。


「エステル。今から十年前、君が火事にあったころ、幼い子どものいる貴族家ばかりを狙った火事が連続して起きていただろう?」


「え、ええ……」


 結局犯人は捕まらなかったが、レヴァイン邸の火災も、一連の放火事件と同じ犯人による犯行だと考えられている。幸いだったのは、レヴァイン邸を最後に新たな被害は生まれていないことだ。


「……君に言うべきか迷っていたけど、あの事件にはどうやら彼が関わっているようなんだ」


「え……?」


 ソルの言葉なのに、理解するのに数秒の時間を要した。


 ……カイル大神官が、一連の火災に関わっている?


 心の中でソルの言葉を繰り返しても、腑に落ちなかった。精霊エルヴィーナに仕えている神官である彼が、なぜそんなことを。


「まったく、エステルさま。あなたの旦那さまには妄想癖でもあるのでは? 神官のわたしがどうしてそんなことを」


「実家に頼まれたのだろう? ああ、それとも――君の最愛の姉上のお願いだったのかな」


 ソルは殊更にゆっくりとした口調で、カイル大神官を挑発した。ここまで辛うじて穏やかな笑みを保っていたカイル大神官の顔から、すっと表情が抜け落ちる。


「お前……どこで姉さまのことを」


 ぴり、と一気に空気が張り詰めるのがわかった。それほど、カイル大神官にとって触れられたくない話題だったらしい。


 ……でも、カイル大神官は孤児だと言っていなかったかしら?


 この大神殿に併設されているあの孤児院で育ち、そのまま神官になったはずだ。そのようにカイル大神官からも院長からも聞いているが、その生い立ちに姉の存在は登場しなかった。


「密会するなら完全に余所者のいないところですべきだったな。レヴァイン大商会の商人たちは優秀なんだ。金になりそうな商いの話だけでなく、人の秘密も収集して帰ってきてくれる」


 ソルはこつりと靴音を響かせて、私の前にまた一歩歩み出た。先ほどからすこしずつすこしずつ、カイル大神官との距離を詰めている。


「やはり、労働階級の者は卑しいですね。品格というものが備わっていない」


 吐き捨てるように、カイル大神官は笑った。商会で働く人々を貶すような言葉に苛立ちを覚えたが、ソルはかかったと言わんばかりに笑みを深めた。


「その言い方、いかにも貴族の生まれだな。ノーラン伯爵は貴族の中の貴族というような方だから無理もないか」


「ノーラン伯爵……?」


 今や王太子殿下の婚約者である、ノーラン伯爵令嬢の父上だ。社交界でその名を知らないものはいない。元々由緒ある名門貴族だが、このところ着実に勢力を伸ばしており、一人娘のイヴリンさまが殿下の婚約者となってからはその勢いは留まるところを知らないという。我がレヴァイン侯爵家に肩を並べる勢いだと聞いた。


 ……そういえば、イヴリンさまも綺麗な赤い瞳を持っていたっけ。


 燃えるような赤毛の印象が強くて忘れていたが、カイル大神官とよく似た目の色だ。よくよくふたりの顔を観察していれば、気づけた共通点だったかもしれない。人の顔をよく見て話さない癖がこんなところで仇になるなんて。


「不義の子なのかなんなのかしらないが、伯爵家に捨てられたくせにずいぶん令嬢の肩を持つんだな」


「うるさい! お前に何がわかる……姉さまに手を出してみろ。絶対にお前を殺してやる」


 人が変わったようにカイルは殺気立っていた。この反応には、ソルも多少面食らっているようだ。


「なぜ令嬢を害する話になるんだ? 何かやましいことでも――」


 そう言いかけて、ソルははたと口とつぐんだ。


 そうして、わずかに視線を落としてぽつりと私に尋ねる。


「……エステル、ノーラン伯爵令嬢はいくつだったっけ」


「え? えっと……殿下よりふたつ年下だと聞いたから……今年で二十二歳くらいかしら」


「そっか……」


 ソルは痛みを耐えるようにいちどだけ目を瞑ると、再び冷徹にも思えるまなざしでカイル大神官を睨みつけた。


「――安心しろ。そのことでノーラン伯爵令嬢を追い詰めようなんて思っていない。証拠もないしな」


 ソルはまた一歩、こつりと前へ歩み出た。カイル大神官は短剣を握りしめたまま、気が立ったようにぶるぶると震えている。


「放火犯は、アルバーン子爵家への――四件目の放火の際に背中に火傷を負ったという目撃証言がある。逃げる背中に火の粉が散って燃え広がり、ひどく痛がっていたそうだ」


 ソルは、カイル大神官をまっすぐに見据え、静かな声で続けた。


「十一年ほど前、お前も背中の火傷で苦しんでいたそうだな。放火犯が火傷を負った時期とちょうど同じころだ。偶然気づいた院長が医者を呼ぶと言っても、お前はいらないと言うばかりで結局医者にはかからなかったとか……。後ろめたいことがないならば、素直に医者に診てもらえばよかったんじゃないか?」


「そんなの……孤児院に申し訳なかっただけです」


「そうかもしれない。でも背中に傷があれば、騎士団へ突き出す根拠くらいにはなるだろうな。民を慈しむ神官さまだ。まさか、平和のための捜査を断りはしないだろうし」


「うるさいうるさいうるさい! 俺は悪いことなんてしてない! すべては姉さまのためなんだから、どんな善行にも勝る行いに決まっているだろう!」


 カイル大神官は肩を上下させて叫んだ。長い距離を走ったあとのように、息が乱れている。


「……ノーラン伯爵令嬢のためって……どういうことです?」


 私はまだ、カイル大神官が放火事件の犯人だとは信じたくなかった。この十年見てきた彼の姿は、それほどまでに清廉で、私が思い描く高潔な神官そのものだったのだから。


「あなたがそれを言いますか! エステルさま。いちばん目障りだったのはあなたでしたよ。王太子殿下の前に姿を現すなり、ひと目で見初められて……。ぜんぶぜんぶ、あなたが目的だったと言っても過言ではないのに……」


「私、が……?」


 カイル大神官の言うことが、よくわからない。王国で一、二を争う財力を持つお父さまはともかく、どうして当時九歳の私が命を狙われることがあるだろう。


「ああ……姉さまはなんて言ってたっけ? エステルを壊せってことは、心でもいいのかな……

そのほうが、満足なさるかな……」


 カイル大神官は祭壇の周りを再び忙しなくうろうろとし始めた。何かに取り憑かれたかのような行動に恐怖を感じて、ますますソルに縋りつく手に力をこめる。


「そうだ……姉さまに直接聞いてみよう!」


 カイル大神官は名案だと言わんばりにぱっと声を明るくしたかと思うと、おもむろに短剣で自らの手のひらを傷つけた。ぼたぼたと赤黒い血が手のひらからあふれ出す。


「お前、何をして……」


 ソルが私を引き寄せながら、戸惑うように彼に呼びかける。


 だが、あふれる血を月光に翳し、恍惚を覚えたようにその色を見つめるカイル大神官にはソルの声は届いていないようだった。


「姉さま……そっか、心でもいい? なんか、あの子は殺せそうにないや。恋人のほうはやれるかもしれないけど」

 

 カイル大神官はそこにはいない誰かを会話をするように微笑むと、そっと自らの血にくちづけた。血が流れているなんて恐ろしい光景なのに、彼の一連の振る舞いは不思議と神聖な儀式のようにも見える。


「姉さまがいいって言ったから、全部話してあげます。エステルさま。――俺はね、伯爵家と姉さまのお願いを聞いてあげていたんです」


「……お願い?」


 カイル大神官は、自らの唇に付着した血を舐め取りながら、歪んだ熱の浮かんだ瞳を細めた。


「誰より美しく尊い姉さまは、俺に言ったんです。『王子さまを横取りしようとする女の子たちを、みんな壊してほしい』って」


 カイル大神官はいまだにぼたぼたと血を流しながら、酔いしれるように続けた。


「姉さまを前にして他の女に目移りする人間なんていないと思ったけれど、他ならぬ姉さまの頼みですから、俺は実行することにしました。王太子殿下の婚約者候補として名前が上がっている娘や、特別美しく生まれた娘を、大きくなる前に精霊の御許へ帰すことに決めたのです」


 カイル大神官は血まみれの手を目の前にかざして、数を数えるように指を折り始めた。


「候補になっているアデルもジュリアもクレアもヴィオラも、みんな綺麗な子でした。王太子殿下は美しい少女が好きなようですからね。ひとりひとり始末していかなければならないと思っていた矢先に、あなたが現れたのです、エステルさま」


 カイル大神官の血のように真っ赤な目が、私を射抜いた。心臓に矢が刺さったかのような心地で、どきりとする。なんだか、胸騒ぎがした。


「あなたの美しさは格別だった……『精霊の使い』と称賛されるのも納得でした。そして王太子殿下はひと目であなたを見染め、あなたは一日で婚約者筆頭候補となった。あなたが知らなかっただけで、ほとんど決定事項だったと言ってもいい」


 歌うような彼の言葉が、うまく入ってこない。そんな私の様子を楽しむように笑みを深めながら、彼は遠い目をして続けた。


「その報せを聞いたときの姉さまは泣きじゃくって……本当におかわいそうだった。だから、俺は誓ったんです。『その娘は絶対に俺が壊してみせるからね』って」


 誓いをするような口調で、彼は指を組んだ。両手に、赤黒い糸が絡みつくように血が流れていく。


「そこからは試行錯誤の毎日です。どうやって壊すべきか考え、一般には出回っていない特別な油を入手し、屋敷をひとつ燃やすたびに新たな知見を得て、毎日毎日あなたを壊すことだけを考えていました」


 カイル大神官は、いっそう笑みを深めて、再び私をまなざしで捉えた。目を逸らしたいのに、敵わない。これ以上聞きたくないのに、心臓の音でさえも彼の不思議な声を掻き消してくれない。


 ……いや、いや!


「エステル! 聞くな!」


 ソルが、先ほどしたように慌てて私の耳を塞ぐ。


「――他の放火事件なんて、あなたを殺すための練習みたいなものでしたよ。かわいそうなあの少女たちは、あなたのために死んだのです、エステルさま」


 ソルが塞いでくれていたから大きくは聞こえなかったが、それでも、人を惑わせるようなカイルの声は完全には消えてくれなかった。途切れた部分もあったはずなのに、不思議なくらいすんなりと言葉がつながってしまう。


「あ、ああ……」


「っお前、無茶苦茶だ。エステルが悪いところなんてひとつもないだろ!」


 ソルは私を抱き寄せながら、珍しく冷静さを欠いた声で叫んだ。カイルはソルの激昂など聴こえていないとでもいうふうに、月影の中でくつくつと笑っている。


「姉さまを差しおいて、殿下の目に留まるような美貌を持って生まれた時点で罪人ですよ。……レヴァイン邸を燃やした日の姉さまの笑顔は本当に美しかったなあ……。エステルが生きている報せが届いたときには殴られたけど、顔に醜い火傷を負ったと知ったときには『よくやったわ』って抱きしめてくれたんです。……今夜も、また抱きしめてくれるかなあ」


 カイルのぶつぶつとした呟きは、もう頭に入ってこなかった。思わずその場に崩れ落ちそうになる私を、ソルが必死に抱き止めている。


 ……私を、私を殺すために、何人もの令嬢たちが犠牲になったの?


 私が、たまたま殿下の目に留まるような容姿をしていた、たったそれだけの理由で?


「ははははは! 絶望してる? 絶望しているんですね、エステルさま。もっとよく見せてください。……姉さまにも直接見せて差し上げたかったなあ」


 ふらりと、カイルが近づいてくる。頭の中はまるで動かなかったが、この状況でソルにもたれかかっているわけにはいかない。なんとか体勢を立て直して、ふらふらと近づいてくるカイルに向かいあった。


「エステルさま……そんな化粧で隠しても、あなたの顔は醜いままですよ。あなたはこの先、生きている限りずっと、醜い化け物のままです。でも、それがあなたの贖罪ですよね? あなたを殺すために練習台になった令嬢たちへの、償いですよね?」


「そろそろ黙れ、耳障りだ」


 ソルはふらふらと近づいてきたカイルの腹部に思いきり蹴りを入れた。構えていなかったカイルは、簡単に礼拝者用の座椅子のほうへと蹴り飛ばされる。


 ……そうだ、ソフィアを助けにいかないと。


 先ほどソルと打ち合わせたことを思い出し、自分にできる最大の速度で足を動かした。小さな礼拝室だから祭壇までそれほど距離はない。すぐに眠るソフィアのもとへ辿り着き、なんとか彼女を祭壇から下ろした。


 からからと短剣が転がるような音がする。見れば、ソルがカイルの手から短剣を奪い、遠くへ投げているところだった。カイルは武器を失ったにもかかわらず、礼拝室の真ん中で仰向けになったまま哄笑している。


 悪夢のような光景だった。いや、夢であれば、よかったのに。


 先ほど舞踏会でソルのもとへ駆けていったときに壊れた枷が、重さを増して私を絡めとろうとしていた。


 ……そうか、結局、生まれついた時点で私は――。


「カイル!」


 そのとき、礼拝室の扉を勢いよく開けて、ひとりの女性が飛び込んでくる。


 首もとの詰まった黒いドレスを纏い、白髪混じりの髪をきっちりと結い上げたそのひとは、孤児院の院長だった。


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