第3話 新婚夫婦
……うまくやっているみたいね。
優しいソルのことだ。子どもの扱いもうまいのだろう。
建物から出ると、すぐに子どもたちに囲まれているソルが目についた。
太陽の光のもとで、彼の銀髪がきらきらと輝いている。気温が上がってきたからか、上着を脱いで腕まくりをしていた。夜会では絶対に見られないような姿だ。
今は、子どもたちを肩車しているところらしい。順番待ちの子どもたちが、待ちきれないというようにきらきらとした目でソルを見上げている。
……ここには若い男性の職員がいないから、肩車なんて初めてでしょうね。
「ソル! 次はわたしも!」
「ずるいずるい、僕が先だよ!」
「大丈夫、みんな順番にするから、焦らないで」
ソルも、なんだか楽しそうだ。ソルが楽しそうにしているのを見るのは、なんだか嬉しい。
庭の木陰にあった椅子に腰掛け、私はしばらく彼らの様子を見守ることにした。健全で、輝かしい彼らの姿は、いつまでだって見ていられる。聖典のどんな挿絵より、彼らが美しかった。
「あ! エステルさまがもどってきた!」
しばらく経ってから、子どもたちが私の存在に気がついたようだ。軽く手を上げて挨拶すると、子どもたちがわらわらと私の周りに集まってきた。
「エステルさま、ごけっこん、おめでとう!」
院長から聞いた言葉をそのまま発音しているかのようなぎこちなさに、思わず頬が緩んだ。
「ええ、ありがとう」
「これ、みんなで作ったんです! 受け取ってください、エステルさま!」
そう言って、子どもたちの中でも年長のマリーが花冠を差し出してくれた。早速受け取って、ベールの上から被ってみる。
「どんなティアラより綺麗だわ。ありがとう、みんな」
微笑みながら礼を告げれば、子どもたちは満面の笑みを見せた。なんとも可愛らしい。
「あのね、あのね、ソルに肩車してもらったよ!」
「すっごく高かったの!」
みんな、口々に報告してくれる。ソルは私より頭ひとつぶん背が高いから、その彼に肩車をしてもらったら確かにずいぶんな高さになるだろう
「みんな、よかったわね」
ひとりひとりの言葉に頷いていると、女の子たちがきらきらとしたまなざしで私を見てきた。
「わたしたちも、ソルとけっこんしたい!」
「そうだね。申し出は嬉しいけれど、僕の奥さんはエステルだけだから」
いつのまにか、全員分の肩車を終えてソルもこちらに近寄っていたらしい。甘い笑みを浮かべて、じっとこちらを見つめている。腕まくりをして薄く汗を浮かべる彼は、いつもよりいっそう眩しく思えて直視できなかった。
「……そうよ。精霊エルヴィーナは、たったひとりの伴侶しかお認めにならないから、教えに反してしまうわ」
聖典の教えを引用して、子どもたちをなだめる。だが、「たったひとりの伴侶」という言葉に自分で自分の傷を抉るような心地を覚えた。
……彼にとってのたったひとりの伴侶は、私ではないのに。
子どもたちの純真さを目の当たりにしていると、お金で彼の時間を買った自分の醜さが浮き彫りになるようで、息苦しかった。
「そうだ! エステルさまも、ソルさまに肩車してもらってはいかがですか?」
私の微妙な表情の変化を悟ったのか、マリーが名案だと言わんばかりに提案してくる。周りの子どもたちの表情も、ぱっと輝いた。
「楽しかったよ! エステルさまもやってもらいなよ!」
「みたいみたい!」
はしゃぎ始めた子どもたちを前に、思わずくすくすと笑みがこぼれる。
「ふふ、私が乗ったら、ソルの肩が壊れてしまうわ」
肩車なんて、火傷を負う前にお父さまにしてもらった以来だ。それに、今の身長で肩車をされたら、姿勢を崩して落ちてしまうだろう。
「肩は壊れないと思うけど、そうだな……こういうのはどう?」
ソルが呟くなり、力強い腕にふわりと抱き上げられた。
まるでおとぎ話の姫君にするかのように、横抱きで抱えられている。たちまち顔が熱くなった。
「ソル……! おろしてちょうだい」
この距離では、ベール越しにも頬の赤みに気づかれてしまう。小さく抗議の声を上げれば、ソルは悪戯っぽいまなざしで子どもたちを見下ろした。
「みんな喜んでいるのに?」
言われてみれば、子どもたちはこれ以上ないくらいにはしゃいでいる。
「エステルさま、よかったね!」
「きれー!」
こんなに喜ばれては、無理やり離れるのも忍びない。おとなしく、ソルに身を任せることにした。
「エステル――」
ぽつり、とソルが切りだす。視線だけ彼に注意を向ければ、彼は切なげに目を細めた。
「――たとえ精霊エルヴィーナが何人もの伴侶をお許しになっていても、僕の妻は君だけだよ」
ぐ、と熱い息が詰まるような感覚に襲われた。
嘘でも、演技だったとしても、跳ね返せない。それくらい、私にとっては嬉しい言葉だった。
……ごめんなさい、ソルの愛するひと。
今だけは、この言葉に酔わせてほしい。二年が経てば、ちゃんと彼を解放するから。
「用事はもう済んだの?」
私を抱き上げたまま、上機嫌に彼は問う。私はじっと身を固くしたまま、こくりと頷いた。
「じゃあ、そろそろ屋敷に戻ろうか。昨日の疲れがまだ取れてないだろう」
私を抱き上げたまま、ソルは子どもたちに視線を移す。
「じゃあ、僕たちは帰るよ。またね、みんな」
「ソルもまたきてね!」
「ばいばーい!」
子どもたちがそれぞれ手を振ってくれる。マリーが、椅子に置き去りの杖と小箱を私に差し出してくれた。
「どうぞ、エステルさま」
「ありがとう、マリー」
マリーはにこりと微笑んで、子どもたちに向き直った。
「ねえ、次はかくれんぼしよう! 百数える間にみんなかくれて!」
マリーの合図で、子どもたちは庭中に散っていった。その微笑ましい光景を目に収めてから、孤児院を後にする。
「さっきはずいぶん急いでいたようだけど、どうかしたの?」
私を抱き上げたまま、ソルが何気なく問いかけてくる。これには、言葉に迷ってしまった。
……私が双子を救おうとしていることを、ソルに話していいものかしら。
正直、エルヴィーナ教に対するソルの考えがどのようなものなのか、不明な点が多すぎる。どんなに優しく穏やかな人でも、当然のように「双子は殺すべき」と口にするのがこの国の一般的な考えなのだ。
……万が一のことがあるもの。言えないわ。
ソルが敬虔な信者だとしたら、私と院長の活動を神殿に報告しようとしてもおかしくはない。それを責めることは、できないのだ。
「単に、院長との約束の時間を忘れていただけよ。寄付の話をしてきたの」
こういうときは、自分の淡々とした話し方に救われる。嘘をついてもわかりづらい。
「エステルは立派だな。慈善事業を行う貴族は多いけど、大抵は書類上で片付けるばかりで、こうして足を運ぶひとは滅多にいないよ」
「……自己満足よ。ここにくれば、みんな私の相手をしてくれるもの」
褒められたのが気恥ずかしくて、思ってもみない言い訳をしてしまう。
ソルは、私の言葉の裏に隠れた感情を見透かすように、小さく微笑んだ。
「相手をしてほしいなら、僕が一日中君のそばにいるよ。嫌になるくらいずっと。そうしたらもうここにくる理由がなくなるね?」
意外だ。ソルにこんな意地悪な面があったなんて。
思わずふい、と視線を逸らして、唇を引き結んだ。
「……誰かを助けようとする君は美しいよ。君に救われているひとはいっぱいいるんだ。誤魔化す必要はないじゃないか」
私が密かにしてきたことを丸ごと認めてくれるような言葉に、不覚にも目頭が熱くなる。彼といると、感情がくるくると変わって忙しい。
……どうして、このひとはこんなに優しいの。
私に親切にしすぎて、私が「契約を延長する」なんて言い出したらどうするつもりなのだろう。「傷痕姫」と呼ばれる私にとっては彼が唯一の光であることを、彼はよくわかっていないらしい。
いつのまにか孤児院を抜け、神殿の敷地に入っていた。礼拝に訪れた人々が、ちらちらとこちらを見ている。
「……ソル、そろそろ下ろして。人が見ているわ」
「どうしようかな。君が僕の花嫁だって見せつけて歩きたい気分なんだけど」
……そんなことをして、恋人の耳に入ったらどうするの。
ソルの恋人の気持ちになってみれば、ずんと心が重くなる。契約とはいえ、他の女を溺愛しているソルの姿なんて、彼女は知りたくないはずだ。
悶々としていると、ふと、視界に純白の神官服が靡いた。
「これはこれは、レヴァイン次期侯爵殿、エステルさま。ずいぶんと仲睦まじいようで」
不思議な響きのある声に、はっと顔を上げる。目の前には、ひとつに結んだ黒髪を靡かせるカイル大神官がいた。
「カイル大神官……」
神官の前で、抱き上げられたまま会話をするわけにはいかない。ソルを見上げ、ぎゅ、と袖を浮かむと、彼は意図をわかってくれたのか私を地面に下ろした。
「これは、子どもたちと遊んでいたその延長で……お見苦しいところをお見せしました」
「いいえ、夫婦が幸せであることは精霊エルヴィーナもお喜びになりますから」
指を組んで神官らしい返事をする彼を見て、ほっと安堵する。ちゃんと夫婦らしく見えているようだ。
「写本、確かに受け取りましたよ。真新しい冊子は必要ですか?」
「いえ、以前にいただいたものが何冊か残っておりますので、今日は結構ですわ」
「承知しました。引き続き、精霊エルヴィーナへの祈りに励まれますよう」
「はい、カイル大神官さま」
まつ毛を伏せて、ゆったりと礼をする。いつも通りのわたしたちのやりとりだ。
「おふたりに、精霊エルヴィーナの祝福がありますよう」
カイル大神官は清らかな祈りの文句を最後に、神殿へ戻っていった。たまたま私たちを見かけたから、声をかけてくれただけなのだろう。大神官という位についているだけあって、彼は忙しいひとなのだ。
ゆっくりと姿勢を正せば、いつでも柔和な表情見せるソルが、珍しくどこか冷ややかに神殿のほうを見つめていた。視線を辿ってみるも、その先にはカイル大神官の後ろ姿しかない。
なかなか動こうとしないソルに、そっと話しかける。
「帰りましょう、ソル」
「……エステルは、あの神官さまと親しいんだね」
ぽつりとつぶやいた彼の言葉の意図を掴みきれず、ぎこちなく頷く。
「そうね。私が神殿に通うようになってから、ずっと導いてくださっている方なの。大神官でお忙しいのにいつも私のために時間を作ってくださって……清廉で、とてもいい方よ」
本当は「精霊の微睡」を彼に準備してもらっているから特別に目をかけていただいているのだが、そのあたりの事情は話さなくてもいいだろう。すべてはソルと別れた後の話だ。
カイル大神官の後ろ姿を見送っていると、ふいにソルに再び抱き上げられた。小箱と杖を落とさないように、慌てて胸に抱き締める。
「ソル?」
「……やっぱり、このまま帰ろう。新婚なんだし、見せつけないと」
公の場では私の夫として振る舞うこと、という契約条件を誠実に履行しようとしてくれているのだろう。だが、こんなに何度も私を抱き上げていては疲れてしまわないだろうか。
「もうじゅうぶん、周りには夫婦と思われていると思うけれど……」
「いいや、足りない」
……これでも足りないのね。
唯一の恋の相手がソルであるせいで、私は世間一般の恋人たちや夫婦の事情がまったくわからない。このくらいくっついてもなお、新婚夫婦であると欺くには足りないなんて。
「あなたには苦労をかけるわ」
思っていたよりも、私が出した条件を達成することは大変なようだ。一日金貨一枚で足りるのか不安になってきた。
……最後にお礼の気持ちも込めて、もうすこし渡したほうがよさそうね。
「……苦労だなんて思ってないよ」
ソルは私の体を抱き止める手にわずかに力を込めて告げた。どこかもどかしそうにその言葉を絞り出したことが、彼の真意を物語っている。
「あなたは優しいのね」
契約相手でしかない私のことも、傷つけないように気遣ってくれているのだ。本来であれば私など、優しくする価値もない相手なのに。
……許されないことをしているわ。
罪を、またひとつ自覚する。それでも彼を手放せないのだから、やっぱり私は救いようのない悪女だった。
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