第2話 災厄の双子

 翌朝。


 礼拝用の淡い水色のワンピースをまとい、髪を結い上げ、ベールをつける。いつも通りの支度を着々とこなしながら、姿見の前で自分の姿を確認する。ベールと大袈裟な絹の手袋さえなければ、どこにでもいる礼拝に赴く令嬢の格好だ。


 立派な革張りの本を二冊持つのも忘れない。これは、聖典を一字一句違えずに書き写した写本だ。毎日一節ずつ綴り、完成するたびにカイル大神官に納めている。二年後に控えている「精霊の微睡」には必要な準備なのだ。


「奥さま、荷物の中から美しい杖が出て参りましたが、こちらをお使いになりますか?」


 他のメイドの手も借りながら黙々と私の荷物整理を続けてくれていたサラが、白い木でできたあの杖を差し出す。令嬢たちに折られないように大切にしまっていた、ソルからもらったあの杖だ。


 いつもの癖で飾り気のない杖を使うつもりでいたが、今日からは礼拝にソルも付き添ってくれる。たとえ誰かに会ったとしても、ソルの目の前で私の杖を折るようなことはしないだろう。


「そうね……。それを使おうかしら」


 手に持っていた茶色の杖と、サラが差し出した白い杖を交換する。


 使ったことはほとんどないのに、白い杖は不思議と私の手によく馴染んだ。腕のいい職人が作ってくれたというのは本当のようだ。


 サラに見送られ、私室を後にする。玄関広間では、淡い灰色の軽装に身を包んだソルが私を待っていた。


 朝食の席でも顔を合わせたのに、私と会うたび彼は表情を和らげてくれる。まるで心から歓迎されているかのように錯覚してしまうから、すぐに彼から視線を逸らすのが癖になっていた。


「お待たせしたわ」


 ソルは、じっと私の姿を見ていた。普段と変わりのあるところは特にないと思うのだが、一応視線を落として衣服を確認する。おかしなところはない。


「……ソル?」


 重ねて呼びかけると、彼ははっとしたように私の目を見た。そうして、どこか照れたように笑う。


「行こうか、エステル」


 ソルが自然と差し出した手に、右手を乗せる。彼の手が支えてくれるようになってから、以前よりずっと歩きやすくなった。


 それでも、触れ合う手が手袋越しにもくすぐったく感じるのは変わらない。婚約した時点から既に数えきれないほどエスコートしてもらっているというのに、彼と触れあうのはすこしも慣れなかった。


 馬車に乗り込むなり、私から彼の手をするりと手を離した。これ以上手を重ねていたら、熱を帯びて彼に不審に思われそうだ。


 御者に合図を出し、早速馬車は走り出した。向かい側に座ったソルは、ちらちらと私を見ては、どこか嬉しそうに頬を緩めている。


「……その杖、まだ持っていてくれたんだね」


 何度か私を見つめたあとに、ついに彼は切り出した。思えば、彼にこの杖をもらってから使っているところを見せたことはなかったかもしれない。


「壊れるのを恐れて、しまっていただけよ」


「それを今朝から使い始めたのは、何か心境の変化が?」


「ソルがいるなら、折れることはないもの」


 言ってから、しまったと思った。


 彼は以前の杖が折れたのは、私が誤ってバルコニーから落としてしまったためだと思っているのだ。これでは、誰かの故意を疑われてもおかしくない。


「もちろん、心機一転という気持ちも込めて使っているのよ。契約でしかなくても、今日は私があなたの妻になって初めて迎える朝だもの」


 誤魔化すように言葉を重ねたが、なんだか却って気持ち悪くなってしまった。言ってしまえば雇用主でしかない私にこんなことを言われても、不快に思うだろう。


 案の定、ソルは眉尻を下げて困ったように微笑んでいた。見ようによっては痛みに耐えているようにも見える。きっと、恋人のことを想って心を痛めているのだろう。


「エステル。……できれば、ふたりきりのときは『契約』という言葉は使わないでもらえないかな」


 彼を安心させるためにも使っていた言葉だが、しつこかっただろうか。彼がそう言うならば、断る理由も特にない。


「……わかったわ。趣のある言葉でもないものね」


 それを最後に、会話ははたと途切れた。


 いつもとは違う景色を窓越しに堪能しているうちに、馬車は大神殿の前に停車する。どうやら新居のほうが大神殿に近いようだ。


 先に馬車を降りたソルの手を借りて、踏み台に足を下ろし、神殿へ向かう。


 一般的には、信者は週にいちど行われる大礼拝にのみ参加するのが普通だ。私のように時間が許せば毎日通っているような人間は、よほど敬虔な信者か何か目的がある人物だけだった。


 ……どちらかといえば、私は後者だけれど。


 敬虔な信者である貴族の家には「エル」という称号が与えられる。レヴァイン家もその称号をいただく家門であるため、足繁く神殿に通う私も敬虔な信者と思われがちだが、火傷を負うまでは大礼拝に行くのも面倒がっていたような人間なのだ。今だって、「精霊の微睡」と孤児院のことがなければ毎日のように通おうとは思わない。


 写本をカイル大神官に渡してもらうよう神官に頼んだ後、祭壇の前に広がる礼拝者用の席に座って、指を組む。ソルとふたりで座っているからか、周囲からの視線をちらほらと感じたが、いくら「傷痕姫」が相手でも祈りを邪魔するような不届き者はここにはいない。


 いつもどおり、たっぷりと長い時間をかけて祈っていると、ふと隣からも視線を感じた。ソルはもう祈り終えたようで、じっと観察するようにこちらを見ていたのだ。


「……長くなってしまったわ。待たせたわね」


「いいや、気が済むまで祈っていていいんだよ。君が祈る姿をこんな間近で見ることができるなんて、夢にも思わなかった」


「神殿で会ったことがあったかしら?」


 ソルと出会っていたら、いくらなんでもわかるはずだ。見逃しようのない美貌をしているのだから。


 ソルはにこりと微笑んで、それ以上何も言わなかった。ちょうどよく神殿の鐘が鳴って、声が通らないのをいいことに誤魔化されたような気もする。


 そのままふたりで鐘の音に耳を澄ませる。いつもどおりの礼拝なのに、彼が隣にいるというだけですこしだけ鼓動が早い。


 そんな穏やかな時間を堪能していると、ふと礼拝席の周りでひそひそと噂する声が聞こえた。


「ねえ、聞いた? ……南地区で、双子が生まれたらしいわよ」


「まあ、なんて不吉なの……。神殿はもう処理してくれたのかしら?」


 中流階級といった服装の婦人たちが、眉を顰めてひそひそと話し合っている。その言葉を聞いて、思わずその場に立ち上がった。


「エステル?」


 突然立ち上がったことにソルは驚いたようで、彼も慌てて席を立つ。


 だが、今は彼に構っていられない。杖を目いっぱい動かして、神殿のすぐそばにある「エルヴィーナ孤児院」に向かった。


 孤児院の庭では、子どもたちが元気に遊び回っていた。蝶を追いかけたり、お花の世話をしたりと楽しそうだ。


「あ! エステルさまだ!」


「エステルさまー!」


 ベールで顔を隠した私の姿を見て、子どもたちがわらわらと寄ってきた。今すぐひとりひとりの頭を撫でてあげたいが、今は我慢だ。


「みんな、もうすこしみんなだけで遊んでいてくれる? 私は院長先生に急ぎのお話があるの」


「えー! 遊ぼうよ!」


「見て見て、お花の冠を作ったの!」


 すっかり子どもたちに囲まれてしまい、身動きが取れなくなった。私だって彼らの言葉を無視したいわけではないが、事態は一刻を争うのだ。


「――みんな、エステルが戻ってくるまで、僕と遊ぼうか」


 助け舟を出してくれたのは、事情を知らずについてきてくれたソルだ。子どもたちは、新たな大人の登場に期待と警戒の入りまじった顔をしている。


「お兄さんはだーれー?」


「僕はソルだよ。エステルの旦那さんだ」


「エステルと結婚したの!?」


「すごーい!」


 子どもたちが、きゃっきゃと声を上げ始める。「結婚」の意味がいまいちわかっていない幼い子どもたちも、彼らにつられて楽しそうにはしゃぎ出した。


「ソル……」


「行っておいで、エステル。急ぎの用事なんだろう? 僕はここでみんなを見てるよ」


 なんて頼りになるのだろう。ここは彼の言葉に甘えるしかない。


「……ありがとう」


 彼にひと言そう告げて、子どもたちの輪から外れる。


「さあ、追いかけっこをしよう。十数えたら僕が追いかけるよ」


 ソルのよく通る声を合図に、子どもたちのはしゃぎ声が散っていった。うまくやってくれているようだ。


 そのまま私は孤児院の建物の中に入り、院長室を目指した。何度も通っているから、勝手はわかる。


「院長さま!」


 開け放たれたままの院長室の扉の前で、声を上げる。切羽詰まった私の声だけで察したのだろう。院長は、がたりとその場で勢いよく立ち上がった。


 目もとを隠すように包帯を巻き、ぴんと背筋を張った中年の婦人――彼女こそが、エルヴィーナ孤児院の院長だった。


「エステルさま――双子が生まれたのですね」


「ええ、南地区だと噂していました」


「すぐに人を向かわせます」


 院長が机の上のベルを鳴らすと、黒い衣装の男女が何名か姿を表した。


「南地区です。必ず救いなさい」


「御意」


 代表らしき若い男性がひと言そう告げると、黒い衣装の集団は瞬く間に姿を消した。早速南地区に向かったのだ。

 

 あとは、彼らが間にあうことを祈るだけだ。急いだせいで激しく脈打っている心臓を鎮めるように胸に手を当てる。


「エステルさま、こちらへ」


 院長の合図で、お互いにソファーへ向かう。別の女性職員がやってきて、目の前のテーブルに紅茶と簡単な砂糖菓子が並べてくれた。


「いつもありがとうございます、院長さま」


「お礼を申し上げるのはこちらのほうです。孤児院へ寄付をいただくだけでなく、双子の話を聞くたびに知らせてくださって……」


 院長が、わずかに表情を和らげる。つられるように、私も頬を緩めた。


 エルヴィーナ教には、ひとつ残酷な教えがある。


 それは「双子が生まれたらふたりとも精霊のもとへ還すこと」――つまり、生まれた時点でどちらも殺さなければならない、というものだ。


 双子はひとりぶんの祝福をわかちあって生まれてしまったから、足りない祝福を補うために他人から幸福を奪うようになり、災いのもととなる、というのが精霊エルヴィーナの教えだ。神話の時代に、精霊エルヴィーナをひどく傷つけた双子の王族が精霊の怒りを買い、やがて国を巻き込む災いの種となったという逸話がこの教えのもととなっている。


 だが、神話の時代の教えをもとに現代に生まれた双子たちを殺すなんて残酷にも程がある話だ。


 それを憂えた院長のようなひとたちが、双子が生まれるたびにこっそりと救いの手を差し伸べ、殺されないように双子を守り抜いているのだ。


 聖職者である院長の名前で出生証明書をひとりぶんで書き、片方の子どもを遠くの孤児院へ送る。子どもを家族と引き離してしまうことになるが、それでも殺されるよりはましだと院長たちに双子の片割れを託す人は多い。


 かつての私は、この教えについて深く考えたことはなかったし、双子に生まれてしまった者は運が悪い、程度にしか思っていなかった。


 けれど、火傷を負ったあと、療養するためにレヴァイン侯爵領の療養所に通っていたときに、考えが一変する出来事が起こったのだ。


 あれは、精霊エルヴィーナの祝福を思わせる青白い月が浮かぶ夜だった。療養所にかねてからお産のために入院していたある女性が産気付き、子どもを産んだのだ。


 お産という今まで見たことのない出来事を前に、私は同じく療養所に入院していた友人とともにこっそりと様子を見に行った。生まれたばかりの赤ちゃんを見てみたいという、好奇心故の行動だった。


 その日、女性が産んだのは双子の女の子だった。


 その事実を認識した女性は泣き叫んだが、すぐに聖職者がやってきて、双子を無理矢理連れて行った。


 翌朝、療養所からほど近い海辺で、生まれたばかりの赤ちゃんの遺体がふたつ打ち上げられているのを、私と友人は見つけてしまった。


 土地によってはきちんと埋葬する教会もあるのだが、あの地域では打ち捨てるのが習わしのようだった。あまりに残酷な光景を前に、言葉もなかったのをよく覚えている。


 私の唯一の友人は強い怒りを露わにしながら、ぽつりと呟いた。


 ――ねえ、エステル。こんなのは、許されることではないわよね。


 それまで私にとって、許しを与えてくれるのが聖典だった。その教えを「許されない」と表した彼女の強さに、ひどく衝撃を受けたのを覚えている。


 ……そうよね。罪のない赤ちゃんが死ななければいけない理由なんて、どこにもないわ。


 その事件以来、私は院長の手伝いをしている。

 

 手伝いと言っても、こうして双子が生まれた話を院長にすぐさま報告したり、お腹の大きな妊婦の話を聞けば注意しておくように伝えたり、孤児院への寄付から双子を救う活動への資金を捻出することを許可したり、と言った程度だ。


 私に、教えを改めるほどの力はない。大義のために戦う気力もない。ただ、もしも友人に再会したときに、彼女に誇れるような何かをひとつ、続けていたかっただけだ。


「そうだ。順番が前後してしまいましたが、エステルさま、ご結婚おめでとうございます」


 院長は机の上から小箱を持ってくると、私に差し出した。


「こちら、ささやかですが結婚祝いの贈り物です。私が編んだレースなので高級なものには遠く及びませんが、よろしければベールの材料にお使いください」


「まあ……ありがとうございます、院長さま」


 院長は日光のもとでは目を晒せないほど光に弱いらしいが、夜間は別だ。こうしてレースを編んだり、子どもたちの衣服を繕ったりすることもお手のものだった。


 思いがけない贈り物を胸に抱きしめる。じんわりと心が温かくなると同時に、本来は祝福されるべき婚姻ではないことにちくちくと罪悪感を覚えた。


 私は、大切なひとたちを欺いているのだ。


「旦那さまはエステルさまに夢中のようですね。早速噂になっています。仲睦まじいようで何よりです」


 どこか悪戯っぽく笑う院長に、曖昧な笑みを返す。ソルはずいぶん演技が上手らしい。


「カイルも、エステルさまの結婚式の様子を話してくれましたよ。清廉で、純白のよく似合う花嫁だったと褒めていました」


「それは……なんだかお恥ずかしいです」


 カイル大神官は、元はこの孤児院の出身だ。祈りだけに救いを見出し、ひとりぼっちでいようとする彼のことを、院長は殊更に目をかけていたらしい。今でも、時折約束をして会う仲だという。


 ……カイル大神官をはじめ、多くの恵まれない子にとってここは心の拠り所となる家なのね。


 そんな場所をわずかながらでも支援できているのだと思えば、誇らしかった。


 ……そうだ、ソルに子どもたちを任せきりだわ。


 紅茶を急いで飲み干して、ソファーから立ち上がる。


「院長さま、贈り物ありがとうございました。子どもたちの様子を見て、今日は帰ります」


「あの子たちも喜びます。いつも本当にありがとうございます、エステルさま」


 院長の前でゆったりと礼をしてから、小箱を抱えソルと子どもたちがいる前庭へ向かう。一歩進むたびに、子どもたちの楽しそうなはしゃぎ声が響いてきた。


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