千夜一夜

雪羅

千夜一夜


 熱砂の国と呼ばれる小国があった。

 砂漠のただ中にあって水源豊かなその国は、ひとりの若い王がいた。

 しかしその王は暗君で、国は荒廃し、砂山をいくつも越えた小さな村を武力で制圧することを趣味としていた。

 王は退屈していた。

 王は恐怖していた。

 ひとり眠る夜を。

 王は街から女を攫ってきては、明けの明星が昇る前に殺していた。

 一人の女——「語り部」がやってくるまでは。


 ****


「つまんねーの」


 王は血に染まった褥をひどく退屈げに見下ろした。手元の剣は一振りするだけで哀れな女の血が飛び散り、美しい銀の姿をさらしていた。

 惨劇をそのままに紗幕をどかして扉を開くと、世話役が待機していた。

 ひとつ視線をやって「風呂」とだけ言うと「既に」と返ってくる。ここ最近のルーティーン。羽織っただけの寝着とそこから覗く裸体についた血を落とすために風呂へ向かう。「既に」というのは準備が整っているということだ。


 熱砂にあって栄える小国の王であるバイレーンはひどく退屈していた。

 退屈しては、街から女を連れてきて夜を過ごし、朝になったら殺す。

 どの女も姦しく騒ぐだけで、彼の心の洞を埋める者はいなかった。

 かの者が現れるまでは。



「名乗っても、貴方様は朝には忘れてらっしゃるでしょう」

 連れてこられたのではなく、自ら志願してやってきたという女はそう言って名乗らなかった。

「なら何故来た? 一夜語りでもするのか?」

 褥に横になって肘を突いて頭を支える悟は鼻で笑った。すると女は「お望みならば何夜でも」と言った。

「……興が乗った。話が面白かったら生かしておいてやろう」

 さて、何日生きられるかな。

 バイレーンは久々に唇に笑みを乗せて女を見た。


 ****


 別に正義感があってとか、殺されない自信があってとか、そういうことじゃなかった。

 ただ逢ってみたいと思った。見目麗しく、しかし醜悪な心を持つこの街の主に。

 使だけ。


「《剣聖》と呼ばれる、希有な力をもった男がおりました……」


 ****


「——そうして《剣聖》は……」


 それではまた明日、と話が展開しはじめたところで女は下がっていく。毎夜。

「これで十日、か」

 バイレーンはひとりごちた。

 すぐに興味が失せると思っていたが、なかなかに面白い話をする。話だけでなく、抑揚の付け方や、なによりあのアルトの声が耳をくすぐるのが心地よかった。

 芯を持った、とはまた違うのだろうけども。揺らぐことのないすっと通った何かが見えるような声から発せられる物語は、寝入るのに丁度良かった。

 そうしてバイレーンは一人で眠りについた。


 ****


「《剣聖》は『死線』と呼ばれるモノが視えました。生まれ持った力は強大で、のちに『人類最強の剣士』と称されるのです。《剣聖》は力を独り占めしようと縛り付ける退屈になった家を出て、とあるところへ通うようになりました……」


「『ギルド』と呼ばれるそこは、剣を扱う者たち——すなわち剣士たちが通う学校でした。特殊なそこに入学する者は希有で、同級は《剣聖》を除いて二人きりでした。男が一人と女が一人。……男と《剣聖》はのちに、親友となり互いの唯一となるのです……」


「《剣聖》の力は強力でした。強力すぎて、他の誰の手を借りずとも任務をこなすことができました。しかし一度だけ、そう、一度だけ。《剣聖》は親友とともにあたった任務にだけ失敗するのです……」


 ****


 女が来てからとうにひとつきを数えた頃、バイレーンは夜になるのが楽しみになっていた。それを自覚して、吹き抜けの回廊から空を見る。真黒く染まったそこに、点々と輝く星。それが恐怖ではなく寝物語の始まる合図だと思えるようになったのはいつからか。

 熱砂の国の王族において、青い瞳は珍しい。『昼の精』に愛され、『夜の精』に嫉妬される色だからだ。平民は『昼の精』にしか愛されない。だが王族は『昼の精』にも『夜の精』にも平等に愛される。等しく力を与えられるから、国を治められるのだ。

 しかし『夜の精』は自分の持つ空の色よりも明るい青色をひどく憎んだ。だから青い瞳の王が立ったとき、王に呪いをかけたのだ。

 『夜』を恐れる呪いを。

 そうして王は夜を恐怖し、眠らなくなった。昼に眠り政務を放り出す昏君となった。

 語り部が物語るそれを聞くまでは。

 さらりと、青い瞳を夜の風が撫でていった。


 ****


 女には力があった。

 並行世界を視る力。

 女には力があった。

 それを語る力。

 女には力があった。

 その声で、『夜の精』から人を守る力。


 ****


 即位して数年、はじめて安眠を得た王はすこぶる機嫌が良かった。滞っていた決裁は瞬く間に通り、また棄却され、待たされていた商隊たちは商いを許された。

 国が活気を取り戻して数ヶ月。

 女はとうとう物語の終わりを語り始めた。

 終わりの始まりを。


「《剣聖》とその親友は任務に失敗しましたが、《剣聖》は本来の力——『死線』を視る力が覚醒しました。そう……親友と『二人で最強』だったのが、『一人で最強』になってしまったのです。それに思い悩む親友に、気がつくことも出来ずに年月は流れていきました」


 ****


「バイレーン!」

「おードーニエ」

 宴の席でドーニエと久々に会い肩を叩き合った。

「どこまで戦に行ってたんだよ、猪将軍」青い瞳が言う。

「なんでこんなに国が平和になってんだよ、残虐王」黄色い瞳が答えた。

 遠征に行っていたドーニエ将軍は、見違えるように活気を持った王都に文字通り目を見張った。戦勝パレードは潤沢な資金で行われ、国民誰もが領土の拡大を祝っていた。

 いままで疲弊するばかりで実りのなかったこの国に、いったい何が起こったのか。

「バイレーン、朝までいるよね。いなかった間の話を聞かせてくれないか」

「あー悪い。俺は抜けるわ」

「は? 付き合い悪いな。なんだ、絶世の美姫でも見つけたのか?」

「美姫……まあ美姫だけど、違う。語り部だ」

「語り部?」

 ドーニエは眉を跳ね上げた。

「精霊じゃなくて、呪霊ってのがいる世界の話をするんだ。それが案外おもしろくてな」

 すっと杯を置くと、バイレーンは「またな」と言って本当に去って行ってしまった。

「……語り部?」

 残されたドーニエは、疑問を浮かべることしかできなかった。


 ****


 バイレーンとドーニエは乳兄弟として育った。

 二人とも文武に優れていたが、バイレーンは王になるため学問を、ドーニエは王を支えるために武術を極めた。

 熱砂の国に将軍ドーニエありと言われるようになるまで、そう時間はかからなかった。


 だが遠征から帰ってきて数日、感じていた違和は大きくなるばかりだった。

 幼い頃から語っていた領土拡大の夢を、バイレーンは否定するようになった。まずいま治めている地域を豊かにすべきだと。

 また毎夜遊んでは閨言を外に出されては困ると殺していた女を、一切寝所に連れ込まなくなったらしい。すでに一年ほど、バイレーンが言っていた「語り部」のみが通されているようだった。なんでも彼女は、『夜の精』からひとを守る声を持っているらしい。それで安眠を得たバイレーンが、賢王になったのだという。

 ならば、自分にも彼女の力があれば。

 バイレーンのように、強く在れるのではないか。

 彼女の力を、彼女を、奪ってしまえば。

 バイレーンとまた並び立てるのではないか。

 ドーニエは、「語り部」をどうするか考えを巡らせた。


 ****


「自分を置いてどんどん最強に成っていく親友の《剣聖》に、男は戸惑いました。そしてこう考えるようになるのです」


「——自分の親友を誑かす女を殺せばいいのだと」


 ****


 レレニアは女らしく長い髪を鬱陶しげにかきあげ、葉巻を吸いに医務室を出た。先を切り落としたところで、回廊に将軍の姿が見えた。

「よう、猪将軍」

「バイレーンのような呼び方を君までしないでくれるかい」

 レレニアは気にせず新しい葉巻をドーニエに差し出した。

 二人でマッチを擦って火を点ける。

 ふうと煙を何度か吐き出してから、ドーニエはひとりごちた。

「バイレーンが一人で最強になっちゃったんだけど」

「……」

 レレニアは黙って紫煙を吐き出している。

「『ドーニエ将軍』はもういらない?」

 べしっと胸の辺りを叩かれた。横を見る。あきれた目線。

「『二人で最強』の国だろ? オマエが欠けてどうするよ」

「……事実、私が遠征でいない間に随分国は変わった。……豊かになった」

「んなもんたまたまだろ。タイミングだタイミング」

 めんどくさそうに紫煙をくゆらせるレレニアに、ドーニエは肩の荷が下りた思いだった。

「そう、かな」

「そうそう」

 先生、と呼ぶ声が医務室からする。

「まあ、『夜の精』から守る声っていうのもあるだろうけどな」

 白衣をまとった女医は「ん」とまだ大分残る葉巻を国一番の将軍に処分を任せて戻っていった。


 ****


「《剣聖》の親友は、彼が最強に成った原因の任務に遡りました。二人で一緒にあたった護衛任務。護衛対象だった少女は殺されましたが、少女に仕える侍女は生き残っていました。だから親友は侍女にこう言ったのです」


「『お前がいれば私も最強に成れるのだろう?』」


「そうして親友は、《剣聖》が手元で大事に保護していた侍女を連れ去りました」


 ****


「ふうん、『美姫』ねぇ。まあ、確かに醜女ではないね」

 ドーニエ将軍に拉致されて、連れてこられた軍部の一室。「ねぇ」黄色い瞳がかび臭い部屋にあって光る。

「君、軍部の専属にならない?」

「……」

「聞いたよ、『夜の精』から守ってくれる声だってこと」

「……」

「君の力があれば、どんな兵士だって『夜の精』に怯えず昼夜を問わずして進軍できるじゃないか。給金は王の倍だすよ。君は後方で姫君のごとく守られていればいい」

 どうだい、悪い話じゃないだろう?

 黄色い瞳がこちらを見据える。

 ……確かに、悪い話ではなかった。ただ。


「ごめんなさい。私がのは、この国の王ただひとりと決めたので」


 がん、と扉が開いた。

 にやついた顔のバイレーンが扉にもたれかかっている。

「だってさ。悪いな、ドーニエ。こいつはもらっていくぞ」

 あっという間に縄を切られてひょいと抱き上げられた。落ちないように目の前の首にしがみつく。

「……ドーニエ将軍の行動を読んでいらっしゃいましたね」

「まあね。泳がせてたのもある」

「はい」

「ドーニエと、自分と、君を」

 横抱きにされたまま回廊を通って後宮へ向かう。

 すたすたという人を抱いているとは思えないほど軽やかな足音と、頭を下げる侍従たちの衣擦れの音が響く。

「ねぇ、」

 さっと侍従たちによって開かれていく扉は何枚もあって。最奥の寝所までやって来た。薄い紗幕を掻き分けて、寝台に寝かされる。

「君、僕のこと好きでしょ」

「……」

「君の力は『夜の精』から守る声じゃない。物語を聞かせた相手に加護を与えるものだ」

「っ」

「つまりさっきのドーニエ言った言葉は、僕への愛の言葉ってコトでいいんだろう?」

 独り占めにしたい。

 貴方だけに聞かせたい。

 貴方だけを守りたい。

 それは。

「そうですね……」

 並行世界を視て、自分のいない彼らの日常に嘆息するくらいには。

「私は貴方が欲しいです」

 顔を囲むようにバイレーンの両手が突かれた。

「……名前を、教えて」

 吐息で問うて近づいてきた青い瞳に、自分も目を閉じて囁いた。


「シェヘラザード」


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千夜一夜 雪羅 @sela

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