第34話 まどろみの中で

◇◇◇◇◇◇◇◇


 上も下も分からない、昼なのか夜なのかも分からない。

 体は動かない。手は足は? そもそも自分に体があったのかどうかすら分からない。

 全身が痺れ、体の感覚は曖昧だった。

 いや。曖昧なのは体の感覚だけではない。記憶の方もだ。

 |エリーは≪・・・・≫自分がエリーである事すらも思い出せないまま、混濁した意識の中、漠然とたゆたっていた。

 どのくらいそうしていただろうか?

 数分? 数時間? それとも数日?

 ふと気が付くと、どこからか声が聞こえて来た。


「やれやれ。やっと意識を取り戻せるまで回復したか。使徒共も容赦ねえな」


 声はスルリとエリーの意識の中に入って来た。 

 聞いた事があるような、無いような。懐かしいような、そうでないような、何だか不思議な声だ。

 エリーは声に答えようとしたが、思考は空回りするばかりでどうすればいいか思いつかなかった。


「まあなんだ。今回は面白い物を見せて貰ったぜ。お前を治療しているのはその褒美? そういった感じの物だ」


 面白い物?

 何かを思い出せそうだが、記憶は曖昧で、掴もうとするとスルリと抜けていき、どうしても形にならなかった。


「元々、使徒というのは主神が世界を効率良く管理するために作り出した生き物。主神の手足の延長に過ぎねえ」


 この声はどこから聞こえて来るのだろうか?

 声のトーンから考えると、発言者は独り言を呟いているようだが、まるで言葉が直接頭の中に響いているかのようにハッキリと聞き取る事が出来る。


「だから基本、使徒は命じられた事しか出来ねえ。勿論、生き物である以上、経験の差によってある程度の個性も生まれるが、言ってしまえばその程度だ。本質的に自我という物が弱い。つまりは何百年経っても、どんなに成長しても、せいぜい主神アポロディーナの劣化コピーにしかなれねえって訳だ」


 主神アポロディーナ。

 その言葉にエリーの胸はザワついた。


「それってやっぱりつまんねえよな」


 声の主は小さくため息をついた。


「どこまで行っても見えているのは主神の後ろ姿だけ。全ては主神の手のひらの上。主神が作った世界で、主神が命じた仕事を続け、主神の価値観に縛られ、主神の望み通りに生きて死ぬ。その事に何の疑問も不満も感じない。なあ、これって本当に生きているって言えるのか? 命ってのは、生きるってのはそういうモンじゃねえだろう?」


 なぜだろうか。

 声の語る内容は不思議とエリーの胸にストンと落ちた。

 声の主は自嘲気味に「ふん」と鼻を鳴らした。


「まあ、そんな事を考えているから俺は堕天しちまった訳だがな。|地の底≪ここ≫にいる使徒達は、多かれ少なかれみんなそんなヤツらだ。|永遠の彼岸≪あっち≫では俺は逆神の堕天使とか言われているが、なんて事はない。俺は主神の作った枠から外れちまったはみ出し者の――他に行くところのないヤツらの――居場所を作っていたら、たまたまそこのボスに祭り上げられちまった。ただそれだけの存在なのさ」


 声の主は「それを言うなら・・・」と言葉を続けた。


「それを言うなら、勇者ってのも哀れなヤツだよ」


 勇者?!

 その言葉にエリーの意識は一気に覚醒した。

 エリーは体を動かそうとしたが、相変わらず彼女の全身は感覚が無く、指一本動かせなかった。


「主神の言葉に疑問すら抱かず、命じられたまま動く主神の手先。主神の傀儡。

 主神は結局、人間も使徒も同じようにしか考えていないのさ。

 確かに使徒はあいつが作り出した存在だ。そしてそれは人間だって変わらない。だがな、主神が人間の始祖となるつがいを生み出してから数千年。その間、人間はずっと自分自身で自分達の子供を作り続けて来た。こうなればもう、創造主の手を離れた別の存在と考えた方がいい。

 それなのに主神にはそれが分からねえ。数千年前と何ら変わらず、人間を自分の創造物として扱い続けている。人間の可能性を侮り続けている。結局、あいつは自分の価値観でしか世界を見る事が出来ないのさ」


 違う! 違う違う違う!

 エリーは声を大にして言いたかった。声の主の間違いを正してあげたかった。

 人間を侮っているのは声の主も変わらない。

 勇者は――ラルクは、決して主神の傀儡になっていた訳じゃない。

 彼は自分の意志で戦ったのだ。

 勿論、主神の神託が彼の行動を後押ししたのは間違いないだろう。しかし、もし神託が無くても、ラルクならきっと人々を助けるために立ち上がったに違いない。

 ラルクの仲間達だってそうだ。彼らはラルクが神託を受けた勇者だから一緒に戦ったんじゃない。

 誰のためにでも一生懸命で、どこか危なっかしいお人好し。そんなラルクだからこそ、みんな彼の事を放っておけなかったのだ。彼の力になってあげたかったのだ。

 そしてそれはエリーも同じだった。

 そう。エリーはラルクの仲間。ラルクの最後の勇者パーティーの仲間だったのである。


「――さて。俺もそろそろ戻るか。意識が戻ったなら、ここからは俺が面倒を見る必要もねえだろう。これで義理は果たしたって事で。じゃあな」


 声の主はそう言うと、気配が遠ざかって行った。


 待って!


 エリーは激しい焦りを覚えた。


 待って! まだ行かないで!


 エリーは必死に起き上がろうとした。手を伸ばそうと力を振り絞った。

 しかし、彼女の焦りとは裏腹に、彼女の体は全く自由にならなかった。


 ラルク! ラルクに会いたい! ラルクに会わせて!


「ら・・・ら・・・」

「ん? ひょっとして、今喋ったのか?」


 声の主が立ち止まった気配がした。

 ここしかない。エリーは全力で叫んだ。


「ら・・・るく・・・に・・・会い・・・たい」

「おいおい、マジかよ。まだ喋れる状態じゃねえってのに。らるくって勇者ラルクの事か? いや、違うか。お前が契約していたもう一人の勇者ラルクの事だな。

 あのラルクに会いたいって? それはムリってもんだ。あいつの魂は、もう生命の輪廻に組み込まれちまった。ああなったらもうどうしようもねえ」


 声の主は「ううむ」と唸り声を上げた。

 エリーは必死に叫び続けた。


「らるく・・・らるく・・・に会いたい・・・らるくに・・・会わせて・・・」

「だから無理なものは無理なんだっての。――とは言え、主神とあいつの使徒達の前で『褒美に何か一つ願いを叶えてやろうと思ってる』なんて言っちまったしなぁ。これでコイツの願いを無視したら、俺の沽券にかかわるか。かと言って、俺にだって出来る事と出来ない事がある。てか、こんなモン、例え主神だってムリだろうに。さてどうしたもんか」

「らるく・・・らるく・・・ら・・・」

「ああもう、うるせえ! 分かった分かった! 俺に出来る限りの事はしてやるから、もう喋るな! これ以上喋ると最悪、体が崩れて元の姿に戻れなくなっちまうぞ! ・・・全く、変な安請け合いはするもんじゃねえなぁ」


 声の主はブツブツ文句を呟きながら、何やら忙しく歩き回り始めた。

 おそらくエリーの願いを叶えるために、様々な超常の力を振るっているのだろう。

 エリーはホッと安堵すると、その意識は再びまどろみの中に溶けて行った。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 眩しい日の光を浴びてエリーは目を覚ました。

 ここはどこだろう?

 大きく息を吸い込むと、朝の新鮮な空気が肺を満たした。

 辺りには色とりどりの美しい花が咲き乱れている。

 どこかの屋敷の庭園だろうか?

 手の届く範囲には大きな花の花弁が広がっている。

 どうやら自分は大きな花の中央に、いわゆる体育座りで座っているようだ。

 自分がどうしてこんな所にいるのか分からない。

 エリーは軽く混乱していた。


「わあ・・・」


 その時、目の前から子供の声が聞こえた。

 顔を上げると、七~八歳程の寝間着姿の男の子が興奮に目を丸くしてジッとこちらを見ていた。

 初めて会ったその男の子に、エリーはなぜか良く知っているような、懐かしい気配を感じていた。

 彼女は無意識にその名を呟いた。


「・・・ラルク?」

「えっ?!」


 男の子は驚きの声を上げた。


「なんで僕の名前を知っているの?!」

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