第33話 私のラルク

◇◇◇◇◇◇◇◇


 全ての始まりはあの時。

 勇者ラルクの心に、死の間際に浮かんだ望み。


 魔王が滅んで平和になった世界で、平凡な人生を送りたい。


 主神アポロディーナは、自分の愛する勇者の、このささやかな願いを叶えようと思った。

 神の力をもってすれば、因果を操作し、魔王の魔力爆発から勇者の命を救う事など容易だった。

 しかし――

 そこでアポロディーナは躊躇した。

 本当にそれで彼の望みを叶えた事になるのだろうか?


 勇者の望みは平凡な人生。

 仮にこの場で一人だけ生き延びた所で、魔王との戦いで荒れ果てたこの国で、多くの仲間達を失い、果たして彼は心穏やかに過ごす事が出来るだろうか?

 慈悲深い神は本当の意味で勇者の願いを叶える事を考えた。

 それが全ての始まりだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「違う! こんなもののどこが慈悲なもんか! お前はラルクを不幸にしただけよ!」


 エリーは主神アポロディーナに叫んだ。

 この瞬間、彼女は自分の体の痛みを忘れていた。


「貴様! 使徒の分際で主神アポロディーナ様になんたる暴言! 許せん!」

「これだから地の底の堕天の使徒は度し難い! 己が立場を知るがいい、この痴れ者が!」


 主神の使徒達が気色ばんで彼女を地面に押さえつける。

 その衝撃で舌を噛んでしまったらしく、エリーの口の中に鋭い痛みと共に血の味が広がった。

 主神アポロディーナは、怪訝な表情を浮かべている。

 彼(彼女?)は、エリーがなぜ急に怒ったのか不思議でならなかったのだ。

 その主神の戸惑いの様子が、怯みかけていたエリーの心に再び怒りの火を付けた。


「使徒達よ、放してやれ。使徒エリーよ、私が私の勇者を不幸にしたとはどういう事だ?」

「本当に分からないの?! 神なのに?! 全知全能の存在のくせに?! なんで分からないの?!」

「貴様! まだ言うか! いい加減に黙らんと――」

「よい! 放せと言っている!」


 主神に重ねて強く言われ、使徒達は慌ててエリーから離れて、それぞれ膝をついた。

 主神アポロディーナは背後を振り返った。

 そこには戦いの勝利を分かち合う、勇者ラルクとその仲間達の姿があった。


「この光景が見えるであろう? 私の勇者は己が願いを叶えた。これからは仲間と共に、魔王が滅んで平和になった世界で新たな人生を送るだろう。これの一体どこが不幸なのだ?」


 エリーはうつ伏せに倒れたまま、口の端から垂れる血を拭う事無く主神を見上げた。

 彼女の目は主神の手を――いや、その手のひらに乗った小さな光を見つめていた。


「お前が幸せにしたのはこの世界の勇者ラルクよ。その手の中のもう一人の勇者ラルクが犠牲になっているじゃない。これのどこが慈悲深い行いよ!」

「否。誰も犠牲になどなってはいない。どちらも私の勇者。時間が異なっているだけでどちらも同じ魂を持つ存在である。つまりは同一の人間なのだ」

「違う! 違う違う違う違う違う!」


 エリーは髪を振り乱して地面を叩いた。

 

「同一の人間なんてこの世にはいない! 二人のラルクは同じ人間なんかじゃないのよ! あれは違うラルク! この世界の勇者ラルクよ! 彼は彼! 私のラルクじゃないわ! 私のラルクを返して!」


 彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 エリーは泣きながら叫び続けた。


「ラルクは、ラルクはずっと一生懸命頑張って来たわ! 主神の神託を守って! 魔王軍と戦って! 最後は魔王と相打ちになって死んじゃったのよ!

 けど、それで終わりじゃなかったわ! ラルクは死んだ後まで私みたいな逆神の使徒に目を付けられちゃったの! その上、ここが五年前の世界だと分かると、彼は自分は勇者だからもう一度魔王軍と戦うって決めて!

 ラルクはね! ラルクは自分の願い事にはTPを使わないくせに、他人のためなら躊躇う事無く使うのよ! どんなに戦いでボロボロになっても、その体をTPで回復してまで戦うの! それなのに最後は自分のTPを超えたお願いまでして聖剣を求めて、もう一度魔王と相打ちになって死んじゃったんじゃない!

 これのどこが慈悲なの?! あなたも私も、ラルクがお人好しなのに付け込んで、二人して寄ってたかって彼を不幸にしただけじゃない!」

「だが、使徒エリーよ。彼はその結果、自分の願いを叶える事が出来たのだ。それでも不幸と言うのか? これからは魔王が滅んで平和になった世界で――」

「だから! だからそれはこの世界の勇者の話で、私のラルクじゃないのよ! なんであなたは全知全能なのにそんな事が分からないのよ!」


 主神アポロディーナは困惑の表情を浮かべた。

 それは滅多に見せない彼の(彼女の?)困り顔だった。

 

「使徒エリーよ。お前の理論は破綻している。私の勇者は私の勇者。同じ魂を持つ存在だ。なぜそれをわざわざ分けて考えるのだ?」

「――相変わらずだな、主神殿。あんたは何百年経っても変わっていないようだ」


 その時、この場に陰鬱な声が響いた。




「あんたは何百年経っても変わっていないようだ。まあ、永遠不滅の存在には、この世に生まれては死ぬ泡沫の如き存在の心など理解出来なくても当然だが」


 陰鬱な声の正体は、主神に良く似た光り輝く存在だった。

 いつの間にこの場に現れたのだろうか?

 主神の使徒達は、恐怖に目を見開き、ガチガチと歯を鳴らした。


「ぎゃ、逆神の堕天使ルキフェリア――」

「ああん?」


 堕天使ルキフェリアは、今初めて存在に気が付いたといった様子で、ジロリと使徒達をねめつけた。

 それだけで使徒の何人かは腰を抜かして倒れ込んだ。

 主神アポロディーナは意外に穏やかな表情でルキフェリアに向き直った。


「ルキフェリアよ、久しいな。よもやお前が下界に顕現するとはな」

「いや、あんたにだけは言われたかないぜ。これでも俺は|化身≪アヴァターラ≫を使って、割とちょくちょく下界に顔を出しているからな。まあ、この体で顕現したのは、あんたと同じく数百年ぶりだが」


 ルキフェリアはそう言うと自分の体を見下ろした。

 その姿は主神アポロディーナと瓜二つだった。

 ――それもそのはず。かつて主神が自分の姿に似せて作った最も尊く美しい、光り輝く天使。それこそが逆神の堕天使ルキフェリアの正体だからである。


「俺の名で契約したはずの勇者との繋がりが切れたのでな。下界にあんたの光も見えたのでちょっと出て来たって訳だ」

「――私の勇者の魂を奪いに来たというのか?」


 主神アポロディーナの表情が怒りに強張る。


「私の勇者ねえ・・・」


 ルキフェリアはバカにしたように鼻を鳴らした。


「それって俺達のマネのつもりか? そういうのは形だけ真似ても寒いだけだぜ。あんたには全く似合ってねえよ。時代の変化に合わせているつもりかもしれないが、そんなのは自分の神格を否定するだけだ。みっともないからあまりムリをしなさんな」

「ムリなどしていない」

「ああ、確かにムリはしていないだろうな。ただ、あんたらしくない事を言ってるってだけで――」

「ぎゃ、逆神の堕天使! これ以上主神アポロディーナ様を愚弄すると許さんぞ!」


 例の気の短い使徒が怒りに顔を朱に染めて立ち上がった。


「うるせえよ。【斬首】」


 ルキフェリアが鋭く睨み付けると、使徒の首は胴から離れ、まるでロケットのように勢い良く吹き飛んで行った。


「惨いマネは止せ。【替首】」


 次に主神アポロディーナが使徒の首無し死体を指差すと、切断面から新たな首が生えた。

 生き返った使徒は一瞬、戸惑うようにキョロキョロと辺りを見回していたが、主神の姿を見つけるとうやうやしく頭を下げた。

 ルキフェリアは主神の視線から顔を逸らすと小さく肩をすくめた。


「今のはあんたの威を借りて調子に乗ったコイツが悪い」

「はい。今までの私は愚かでした。以後、このような事がなきよう気を付けます」

「・・・いや、何だか性格が変わってねえか。怖えよ」


 ルキフェリアは使徒のすぐそばにエリーを見付けた。


「おっと、アイツが|地の底≪うち≫のモンか。・・・ボロボロじゃねえか。おい、お前。もう少しで主神のお気に入りの勇者の魂が手に入る所だったのに、最後の最後にしくじりやがったな。まあいいや、今回は割と面白いモンが見れたから一応褒めてやるぜ。ホラ、来いよ」


 ルキフェリアが手を伸ばすと、エリーの体はフワリと浮かび上がり、その手の中に納まった。


「ルキフェリアよ。使徒エリーをどうするつもりだ?」

「さてね。だが、俺が今回の件に割と満足しているってのは事実だ。そうだな・・・褒美に何か一つ願いを叶えてやるってのもいいか。あんたの方こそ、その勇者の魂をどうするつもりだ? 要らないってんなら貰ってくぜ」

「そんな訳はない」


 主神アポロディーナは勇者ラルクの魂を頭上に掲げた。

 全員が見守る中、小さな光は主神の手から離れると、天高く舞い上がって行った。


「――見よ。これであの魂は元の時間の輪から外れ、転生の輪に組み込まれたのだ。あの魂は私の勇者としての生を完全に終えた。次に再びこの世界に現れる時、無垢なる魂は新たな命に宿り、新たな生を得る事になる。これが魂の輪廻。終わる事無き命の連鎖なのだ」


 主神アポロディーナが光から目を離し、正面に向き直ると、そこには既に堕天使ルキフェリアの姿はなかった。


「・・・?」

「主神様、御身に話しかける無礼をお許しください。ルキフェリア様は主神様が目を離した途端、すぐに姿を消してしまわれました。主神様はずっと一人で話しておいででした」


 先程首を跳ね飛ばされた使徒が、主神にうやうやしく告げた。


「主神様?」

「・・・何でもない」


 主神アポロディーナは一瞬、ほんの一瞬だけ微妙な表情を浮かべたが、何も言わずに体を宙に浮かせた。

 やがて主神の姿がこの場から消えると、主神の使徒達も三々五々、バラバラにどこかへ散って行った。

 後に残ったのは、半壊した魔王城だけ。

 そして魔王城の外では、勝利を喜ぶ勇者達の声がいつまでも響き渡ったのであった。

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