第32話 主神アポロディーナ
◇◇◇◇◇◇◇◇
半壊した魔王城の跡地。
主神の使徒達は慌ててその場に膝をつき、うやうやしく|首≪こうべ≫を垂れた。
彼らが驚いているのも無理はない。
突如、天から注がれた暖かで清らかな光。
それはまごうことなく、彼らが身命を賭して仕える主、主神アポロディーナから発せられる光であった。
太古の神話の時代以来、この下界にアポロディーナが顕現するのは初めての事となる。
それは正に一つの事件であった。
主神の使徒達は、突然の歴史的瞬間を前に大いに混乱しながらも、表面上だけは静かにその時を待っていた。
やがて光の中に巨大な人影がその姿を現した。
輝く後光を背負った神々しい姿。八対十六枚の白く美しい羽根。緩やかにウエーブを描いた金色の長い髪。
整った顔立ちは、恐れを知らぬ凛々しい青年のようにも、穢れを知らぬ清らかな乙女のようにも見える。
主神は個にして全たる永遠不滅の存在。それ故に男でもなければ女でもない。これは下界の生き物のように繁殖を行わない――つまりは性という概念が存在しない――ためである。
主神アポロディーナは数千年ぶりに地上に姿を現すと、ゆっくりと瓦礫の山に降り立ったのであった。
アポロディーナは、翡翠色の瞳で周囲を睥睨した。
やがて彼の(彼女の?)目はある一点に止まった。
それは小さな光。主神の放つ大きな光に飲み込まれそうになっている、小さく弱々しい魂の光だった。
アポロディーナは、優しく小さな光にその手を伸ばした。
光はまるで両親に呼びかけられた子供のように、スルリと主神の手の中に飛び込んだ。
主神の顔に優しい微笑みが浮かぶ。
顔を伏せながらも主の様子を横目で窺っていた使徒達は、その光景に驚愕のあまり危うく声を上げる所だった。
彼らは偉大な存在が、なぜあんなケチでみすぼらしい魂を求めたのか、そしてあのように慈愛に満ちた笑みを与えられたのか、全く理解出来なかったからである。
次に主神アポロディーナは、地面に倒れたままのエリーに視線を落とした。
先程の使徒による魔法攻撃は、エリーの体に深いダメージを負わせていた。
半死半生のエリーは、逃げる事も隠れる事も出来ないまま、憔悴した顔でぼんやりと主神を見上げる事しか出来なかった。
「使徒エリーよ、ご苦労であった」
電撃のような衝撃が使徒達の間に走った。
彼らの中で主神アポロディーナから声を掛けられた者は一人もいなかったからである。
ましてや働きを労わられる事など望外の極み。
激しい嫉妬と妬みに満ちた視線が四方八方からエリーに突き刺さった。
エリーは激痛を堪えながら無理やり体を起こした。
例え堕天した身とはいえ、創造主を前にして無様に横たわったまま会話をする訳にはいかなかったからである。
「・・・わ、私には主神様がおっしゃる意味が分かりません」
「何?! 貴様! 不敬だぞ!」
先程の短気な使徒が思わず怒りの声を上げたが、両隣りの使徒から「黙れ!」と本気の肘鉄を食らってその場で悶絶した。
主神アポロディーナは彼らのやり取りを気にする様子もなく言葉を続けた。
「ならばこう言い直そう。使徒エリーよ。よくぞ私の勇者の願いを叶えてくれた」
エリーは思わず尋ねてはみたものの、まさか返事が返って来るとは思わなかったのだろう。驚きの表情を浮かべた。
彼女は痛みのためではなく、戸惑いで眉間に皺を寄せた。
「願いを叶えたって・・・私は何も・・・」
私のしたことはラルクの願いを叶えるどころか、むしろ彼にとって酷い事だったのでは。
エリーは先程の光景を――ラルクの魂が使徒達にバカにされている光景を――思い出し、心に痛みを覚えた。
主神アポロディーナはゆっくりとかぶりを振ると、背後に振り返った。
そこにはこちらの様子をおっかなびっくり、遠巻きにしている勇者達の姿があった。
どうやら彼らの目には主神アポロディーナの姿は映っていないようだ。
もし、姿が見えているならば、使徒達がしているように膝をつき、|首≪こうべ≫を垂れているだろう。
「私の勇者の最後の望み。それは魔王が滅びた平和な世界で平凡な人生を送りたい、というものであった」
なぜ、エリー以外に知らないはずのこの話を主神アポロディーナが知っているのだろうか?
しかし、この場にその疑問を抱く者は誰もいなかった。
主神は全知全能。むしろ知っているのが当たり前。そこには疑いや疑問を抱くのはむしろ不敬と言えた。
「その・・・通りです。けど、私はラルクの望みを叶えられませんでした」
エリーはラルクの魂に新たな体を与えた。しかし、ラルクが生き返ったのは、彼が望んだ魔王が滅んで平和になった世界ではなく、彼が勇者として任命されたばかりの世界。
魔王との戦争が始まる直前の――ラルクとエリー、二人の主観では五年前となる過去の世界だった。
「否。それこそが私の勇者にとって必要であったのだ」
「ど、どういう事でしょうか?」
「私の勇者が魔王を倒した際、魔力爆発に巻き込まれたのは、彼一人では無かった。一緒に戦った仲間達も同じように命を落としていたのだ」
「それは・・・確かにそうですが」
その光景はエリーも見ていた。
主神の使徒達が勇者パーティーの仲間達の魂に目を奪われ、仲間同士で奪い合っている隙に、彼女はラルクの魂をまんまと手に入れ、コッソリとその場から逃げ出したのだ。
「勿論、その事を私の勇者は知らない。彼は魔力爆発の中心にいて、真っ先に命を失っていたからである。彼は仲間が自分同様死んでしまった事を、もう誰も生きていない事を知らないのだ。
それに魔王との戦争では数多くの犠牲者が出た。私の勇者は、自分にもっと出来る事があったのではないか、助けられた命があったのではないかと、常日頃から自問自答し、非力な自分に後悔していた」
エリーもそれは知っている。
ラルクはここが五年前の世界だと気付いた時、最初は混乱していた。しかし彼はエリーに、「あなたの勇者としての戦いは、魔王と相打ちになったあの日に終わったのよ」と言われた事で、再び勇者として立ち上がる事を躊躇していた。
そんなラルク気持ちが変わったのは、北の村での最初の戦いの後である。
彼は本来であれば失われたはずの命を救えた事によって、勇者ラルクとしてではなく、一人の人間ラルクとして魔王軍との戦いに参加する決意をしたのであった。
「私の勇者は、かつて自分が救えなかった命を、あるいは救えたかもしれない命を助けるために戦った。その行動のおかげで彼の仲間達は本当なら起きていた悲劇を経験する事無く済んだ。
そして今日。私の勇者は自分の命を犠牲にして、この世界の自分と彼の仲間達の命を救った。
彼の願い通り、魔王が消えて平和になったこの世界で、私の勇者と仲間達は暮らしていく事になったのだ」
エリーは一瞬、主神アポロディーナが何を言っているのか分からなかった。
しかし、アポロディーナの言葉を理解した途端、「まさか・・・」と驚愕の表情を浮かべた。
「まさか・・・まさか私とラルクが五年前の世界に来てしまったのって・・・」
「左様。全ては私によるものである」
衝撃のあまりエリーは絶句した。
ラルクとエリーを巻き込んだ時空間転移の事故。
それ自体はいくつかの偶然が重なった出来事だったが、二人の転移先が五年前の世界になったのは、主神アポロディーナの介入によるものであった。
エリーは驚きと衝撃に絶句した。
使徒達は二人の会話でおぼろげながら事情を理解したのだろう。感動のあまり思わず感嘆と賞賛の声を上げていた。
「何という慈悲深いお心! 流石は主神アポロディーナ様です!」
「つまり勇者ラルクは自らの手で自分自身を救ったのですね!」
そう。ラルクの望みを叶えるためには、彼に体を与えて生き返らせるだけではダメだったのである。
元の世界では、勇者パーティーはラルクを含めて全員が死んでいる。
そして魔王が死んだからと言って、すぐに平和が訪れる訳ではない。戦争の悲惨な爪痕は未だこの国の各地に残っている。
そんな世界で自分一人だけ生き返っても、ラルクは決して心からは幸せになれなかっただろう。
主神アポロディーナはラルクの望みを本当の意味で叶えるために、エリーの時空間魔法に手を加え、彼とエリーを五年前の世界に送ったのである。
全ては彼自身に己と仲間達を助けさせるため。エリーはそのための協力者として選ばれたのである。
主神の予想通り、過去の世界に戻ったラルクは、かつて救えなかった命を救うために行動を起こした。
そして彼は他者の命を救う事で、この世界の自分自身の心を――勇者ラルクの心をも救った。
彼の行動は勇者ラルクだけではなく、本来なら失われるはずだった仲間の関係者の命も。ひいては傷付くはずだった仲間達の心も救ったのだった。
かつてのラルクの仲間達は、今の勇者パーティーの仲間達よりも、もっともっと悲壮感が漂っていた。
それは魔王軍によって大事な家族や部下達、友人や恋人を失っていたからである。
しかし、戦争が終わって平和になった世界で生活を送るためには、そんな悲しみや憎しみは抱えていない方が幸せに――心穏やかに暮らせるに決まっている。
今のラルクは、元の世界の自分程は心に後悔を抱えていない。
そして仲間達も元の世界と違い、全滅していないし、心に深い傷も負っていない。
勿論、戦争なので被害は出ているが、それでも一般人の犠牲者は、元の世界の時よりもずっとずっと少なく済んでいた。
この平和になった世界で、勇者ラルクとその仲間達は穏やかな人生を歩んで行くだろう。
「素晴らしい! 完璧です! 勇者ラルクはアポロディーナ様のおかげで願いが叶い、望み通りの平凡な人生が送れるのですね!」
「この事を勇者ラルクが知らないのが本当に残念でなりません! 彼が知れば、アポロディーナ様の慈悲深さに更なる畏敬の念を抱いたでしょう!」
使徒達は主神アポロディーナの深淵なる叡智と、慈悲深さに心から感銘を受けていた。
彼らは主を湛え、神の偉大さに打ち震えた。
この場の誰もが憧憬と尊敬の眼差しで主神アポロディーナを見上げる中、ただ一人だけ、怒りの形相で偉大な神を睨み付ける者がいた。
「違う! こんなもののどこが慈悲なもんか! お前はラルクを不幸にしただけよ!」
エリーは体の痛みも忘れて叫んでいた。
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