第31話 罰

◇◇◇◇◇◇◇◇


 ここは魔王城の外。魔王討伐軍の義勇兵達は、突如現れた魔王軍――王国騎士団の死体を使って作り出された五千の不死者の軍団――との激しい戦いを繰り広げていた。


「くそっ! 教会の兵士達はどうしたんだ! さっきまで偉そうに俺達に命令していたのによ!」

「んなモンとっくに全員やられるか逃げ出すかしちまったさ! それよりマジでヤバイいぞ、このままだと全滅だ!」

「だからって逃げられるか! 俺達の後ろには――この城の中には勇者達がいるんだぞ!」


 ここで義勇兵達が逃げ出せば、不死者の軍勢は城内に突入し、中にいる勇者パーティーに襲い掛かるだろう。

 いかに勇者パーティーとはいえ、魔王と戦っている最中に背後から襲われれば無事では済むとは思えない。


「ここが踏ん張りどころだぞ! 何があっても持ちこたえろ! テメエら死ぬ気でかかれ!」

「うおおおおお・・・って、あれ?」


 その時突然、不死者の軍団の動きが止まった。

 義勇兵達が戸惑う中、敵の軍勢はまるで糸が切れた操り人形のように次々にその場に崩れ落ちた。


「なんだ? 一体何が起きてるんだ?」

「分からん。が、今のうちにコイツらの首を刎ねちまっとこうぜ」

「首だけじゃダメだ。コイツら首無しになっても襲ってきやがる。手足を切り飛ばして動けないようにするんだ」


 義勇兵達がおっかなびっくり、作業に取り掛かろうとしていたその時だった。

 城の奥からゴオオオオという風鳴りの音が響いて来た。


「――おい、これって何の音だと思う?」

「! あれを見ろ! 勇者パーティーのメンバーだ! 勇者パーティーのメンバーがこっちに逃げて来るぞ!」


 真っ先に飛び出して来たのは戒律破りの常習犯ジェスラン。

 もしも勇者パーティー五傑に”逃げ足”という項目があれば、誰もが彼の名前を上げると言われている男である。

 少し遅れて短槍を持った大柄な女性、天秤抜きのマグリットが後に続く。


「マグリットの姉さん! 魔王は?! 魔王は一体どうなったんですか?!」

「魔王ならアタシらがぶっ殺したよ! ンな事はいいからとっとと逃げな! 死にたいのかい!」


 城の奥から聞こえてくる音は、既に爆音と言ってもいいレベルに達していた。

 そうこうしているうちに、集団の最後に勇者ラルクが幼馴染の剣士シエラと共に現れた。


「勇者様!」

「みんなこの場から逃げろ! 魔力爆発だ! この城は爆発するぞーっ!」

「「「「うわあああああああっ!」」」」


 義勇兵達は慌てて武器を放り出すと、一斉にその場を逃げ出した。

 彼らが走り出した次の瞬間――


 ドゴ――ン!


 轟音と共に魔王城の上部三分の一程が粉々に吹き飛んだのであった。




 瓦礫の山と化した魔王城。

 爆心地の空間が歪むと、小さな影が姿を現した。

 半透明の翼を生やした美女、エリー。

 彼女は自分が所有している別空間――最初にラルクの魂と契約したあの場所――に逃げ込むことで爆発の被害を逃れたのである。

 エリーは爆心地の中央に小さく光る弱々しい魂を見つけると、その場に崩れ落ちた。


「ラルクのバカ・・・魔王の滅んだ平和な世界で楽しみたいって言ってたくせに・・・」


 それは勇者ラルク――この世界のラルクではなく、エリーと共に時空を越えたあの勇者ラルクの魂だった。

 エリーは空中に魔法陣を描くと、虚空から古めかしい羊皮紙を取り出した。

 五年前のあの日、ラルクと交わした例の【ミニオン契約書】である。

 エリーは契約書を手に取ると、軽く魔力を流した。


「・・・何の反応もない。やっぱり失効したのね」


 ミニオン契約書は彼女の上司、逆神の堕天使ルキフェリアの名において交わされている。

 今回は相手が主神アポロディーナお気に入りの勇者という事もあり、どこからも文句のつけようのない、きちんとした形の契約となっている。

 先にエリーがラルクの願いを叶えてから、ラルクの同意の上でTPの譲渡をする事になっていたのもそのためである。

 そして今回、ラルクの魂には既に五万TPしか残っていなかった。

 しかしエリーはそれを知っていながら、本来なら一千万TPが必要な聖剣の複製を引き受けた。

 つまりラルクの支払い能力を遥かに超えた願いを、騙して彼に押し付けたのである。

 これは明らかに契約の内容に反している。

 この瞬間、ラルクと結んだ契約は彼の魂に対する拘束力を失い、契約は失効してしまったのだった。


 エリーは小さな光に――ラルクの魂に、そっと手を伸ばした。

 彼女の指先が光に触れようとしたその時だった。


「おい、そこのお前! 抜け駆けするのは許さんぞ!」


 男の鋭い声が瓦礫の山に響いた。




 エリーを止めたのは、彼女と同様に背中から半透明の羽根を生やした美男美女達。

 主神アポロディーナの使徒、光の天使達であった。


「それにしてもまさかあの魔王と戦って、一人しか戦死者が出なかったとはな。流石は主神アポロディーナ様自らが神託を下した勇者という所か」

「何のん気な事言ってんの。私達にとってはとんだ無駄手間だったじゃない」

「まあまあ、そう不貞腐れるな。王国騎士団の魂なら五千も確保出来た訳だし」

「と言っても、オルファン以外は全員、小粒な魂だったけどね」


 そう。彼ら主神の使徒達は、魔王との戦いで生じる徳の高い魂を捕獲するため――つまりは勇者パーティーから出るであろう戦死者の魂を狙って――ずっと戦いを見守っていたのである。  

 エリーは弾かれたようにラルクの魂に飛びつくと、彼の魂を持って駆け出した。


「バカめ! 逃がすものか!」


 しかし多勢に無勢。

 彼女はあっという間に取り囲まれると、数人がかりで地面に押さえつけられてしまったのだった。

 使徒の一人が怪訝な表情を浮かべた。


「なんだコイツ? 使徒のくせにさっきから全然パスがつながらないぞ? ひょっとして地の底の住人――堕天した元仲間か?」

「ウソ?! それって逆神の大罪人、堕天使ルキフェリアの使徒って事?!」

「そんなヤツを元仲間なんて呼ぶな! 汚らわしい!」


 気の短い使徒が怒りに顔を赤く染めると、エリーの頭を踏みつけた。


「おい、裏切り者! その魂をよこすんだよ!」

「ダメ! 止めて!」


 エリーは必死にラルクの魂を守ろうとするが、魂という存在は現実世界ではあやふやで安定しない。

 主神の使徒が彼女の腕を掴むと、光はあっさり彼女の手から逃れてしまった。


「なんだこれは? 随分とみすぼらしい魂だな。TPは・・・たった数万っぽっちか。盗賊でももう少しは溜め込んでいるぞ。小者中の小者ではないか」

「お前、こんな魂を盗んでいたのか。地の底のヤツは本当に貧乏くさいな」


 使徒達から嘲笑が漏れる。

 エリーは悔しさに歯を食いしばった。


「・・・ラルクを、ラルクをバカにするな」

「ラルク? まさかお前、このショボイ魂を勇者ラルクのものだと勘違いしているのか? オイオイ、一体どれだけ目が曇っていればそうなるんだよ? ここまで来ると呆れを通り越して哀れになってくるぞ」

「ホントよね。恥ずかしい」

「堕天はしたくない物だな」


 例え魂に蓄えられた徳の量が減っていたとしても、使徒の彼らであれば、きちんと向き合えばこの魂が誰のものであるかは簡単に分かったはずである。

 彼らはエリーの事を笑っているが、この場合TPの量で人を計る事に慣れ切ってしまった彼らの目の方が曇っていると言えるだろう。

 先程エリーを踏みつけた使徒が、苛立ちを堪えながら魔法陣を展開した。


「もういいだろう。そいつが盗んだ魂は取り戻したんだ。さっさと始末させてくれ。俺は地の底のヤツらを見るとどうしようもなくイライラするんだ」

「分かった分かった。お前の好きにしろ」


 エリーを押さえていた使徒が場所を開けると、件の使徒は魔法陣をエリーの背中に押し付けた。


「簡単に死ねると思うなよ。これはお前に対する罰だ。我らが創造主たる主神アポロディーナ様を裏切った罪。たっぷりと後悔しながら惨めに死ぬがいい。【ジャスティス・スクエア】!」

「イヤアアアアアアア!」


 エリーの体を灼熱の痛みが貫いた。

 羽根と髪が焼ける匂いが辺りに立ち込める。


 激痛の中、エリーは確かに自分の行いを悔いていた。

 しかし、それは主神の使徒が言うような、創造主に対する罪の意識ではなく、ラルクに対しての物だった。


 本当ならラルクの魂は、使徒達が血眼になって奪い合う程、価値がある物のはずであった。

 彼の溜め込んだ膨大な徳は、誰の目にも明らかな程、彼の魂を美しく輝かせていた事だろう。

 それが今では|徳≪TP≫のほとんどを吐き出してしまったせいで、小者の魂として粗雑に扱われ、誰からも顧みられる事も無い。

 それが本人の欲望を満たした結果なら、自業自得として納得出来るが、ラルクは自分のためには何一つTPを使用しなかった。

 そう。ラルクはあれだけの膨大なTPを、惜しげもなく、全て他人のためだけに使ったのである。

 主神の神託を守り、戦いの中で人々の命を守り、最後は再び自らの命を投げ出して魔王の息の根を止めた。

 本当なら誰よりも評価されてしかるべきラルクの生き方が、自分が彼からTPを奪ったせいで、彼と交わした契約のせいで、盗賊にも劣る小者の人生として嘲笑われている。

 エリーはそれが悔しくて口惜しくてたまらなかった。

 この痛みが罪に対しての罰というならば、それは自分がラルクにしてしまった事への罰だろう。

 エリーはラルクに対しての申し訳のなさで涙を流した。


「今更泣いてももう遅い。お前ごとき存在が――な、なんだ?!」


 その時、柔らかな光が辺りを包んだ。

 光の中、使徒が放っていた攻撃性の魔法が一瞬で霧散した。

 更には周囲に漂っていた魔王の瘴気の残滓すらも瞬時に浄化されていく。


「この清浄なる光! 間違いない! これは|永遠≪とわ≫の彼岸の光!」

「そ、そんなはずが! ――という事は、ま、まさか?!」


 使徒達は驚愕の表情を浮かべると、慌ててその場に膝をつき、うやうやしく|首≪こうべ≫を垂れた。

 誰一人動く者もなく、シンと静まり返った魔王城跡地。

 やがて光輝く巨大な影がゆっくりと天から舞い降りた。

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