第28話 光
◇◇◇◇◇◇◇◇
エリーは人間の事が大好きである。
この場合の好きは、純粋な好意としての好きではなく、浅慮な|小人≪しょうじん≫が自らの欲望に振り回されて右往左往するのを眺めるのが好き、という割と悪趣味なものである。
彼女が人間に期待するのは、いかに愚かな事をして破滅するか。どれ程身に余る欲望に手を出して悲惨な末路を迎えるか。つまりは、彼らが後悔に苦悶し、悲しみに泣きわめく姿であった。
だが、彼女の性格は決して邪悪なものではない。
これらの趣味も、完全な悪意から出たものではなく、刺激を求めての物である。
例えるならば、我々が芸人の罰ゲームを見てゲラゲラ笑ったり、タレントの不倫報道を眺めるような感覚に近いかもしれない。
ましてや天使と人間は別種族。
エリーにとって人間の悲哀は、完全に他人事。自分とは関係の無い別世界の出来事なのである。
そんな彼女が堕天し、地の底の主、逆神の堕天使ルキフェリアの使徒となったのは、当然の成り行きだったのかもしれない。
しかも、そこでの仕事は――契約者を上げて落とす形となるこの仕事は――彼女の趣味とも良くマッチした。
エリーは何人もの魂と契約し、彼らの欲望を煽り、破滅させては自らを満足させていた。
そんな彼女の充実した日々に、大きな変化が訪れる。
今度の契約者は勇者ラルク。
主神アポロディーナから神託を受け、激闘の末に魔王を打倒したという、人類史上においても稀な英雄である。
それ程の人間が、神に愛された人間が、欲望に目を曇らせ、やがては身を持ち崩して破滅する。
そんな未来を想像しただけで、エリーは胸がワクワクして仕方がなかった。
エリーは現在手を付けている全ての契約を同僚に譲り、自分は勇者ラルクの専属になる事を決意した。
相手が滅多に掴まらない大物契約者、という理由もあったが、本当の所は、勇者が次第に堕落していく過程を余すところなく楽しみたかったからである。
勇者ラルクの願いは、魔王が滅んで平和になった世界で普通に暮らしたい、というものだった。
だが、エリーは知っている。人間というのはどうしようもなく欲深いものだという事を。
例え勇者が平凡な暮らしに憧れていたとしても、すぐに現状に不満を覚えるようになり、より上の生活を求めるようになるだろう。
人間という生き物は、何を手にしたとしてもそれで満足する事は出来ないものだ。金が手に入ればより多くの金を。地位が手に入ればより高い地位を。見目麗しい伴侶が手に入れば、より美しい異性を。幸せが手に入れば、より大きな幸せを。
人間とは自分の手に入らない物を一生追い求める、貪欲な生き物なのである。
エリーはラルクも少し欲望を刺激してやれば、容易に堕落の道に足を踏み入れるものだと思っていた。
金に女に美食。世の中には楽しい事や刺激的な物がいくらでも転がっている。
戦場しか知らない世間知らずの若者をそそのかすのは簡単な事のように思われた。
しかし、ラルクは中々手強かった。
貧しい村に生まれ、魔王軍との戦争の時には野宿も多かった彼は、安い宿屋暮らしでも何の不満も感じなかった。
生活の金を稼ぐためにハンターギルドに所属すれば、魔王と互角に渡り合った腕前を生かして、トップレベルのハンターになる始末。
エリーは完全に当てが外れてしまった。
とはいえ、エリーに不満があったかと言えば、実はそうでもなかった。
エリーにとっても、ここまで深く契約者と関わったのは初めての経験だったのである。
今までの契約者とは、呼ばれればその場に現れ、相手の願いを叶えるだけの関係。
彼女にとって人間とは二種類しかいなかった。一つは観察対象であり仕事相手でもある契約者。そしてもう一つは興味の欠片もない|その他大勢≪モブキャラ≫の人間。
エリー自身も気付いていなかったが、こんな風に契約者と一緒に過ごし、人間社会の中で過ごす生活を、彼女は楽しいと感じ始めていたのである。
穏やかで、そしてどこか心地よい生活。
しかしこの日常はある日突然終わりを迎える。
この世界が五年前の世界――魔王軍の侵攻が始まる直前の世界――である事が判明したのである。
ラルクはジッとしていられなかった。
彼は旅の剣士としてこの戦争に裏から参加する事を決める。
エリーは今の生活が終わると知って少しだけ落胆したが、この時はそれ程深くは考えなかった。
そんな事よりも、ようやくラルクにTPを使わせる機会が増えそうだという喜びの方が勝ったからである。
戦いが始まると、ラルクはTPを使用してエリーに助けを求めるようになった。
これぞ正にエリーの思惑通り。狙い通りの展開だった。
しかし、ラルクの願いを叶える度、彼からTPを受け取る度、次第にエリーは喜びよりも辛い思いが勝るようになっていった。
(こんなはずじゃなかったのに・・・)
エリーが見たかったのは、ダメな人間が堕落していく姿。欲にまみれた人間が破滅していく姿である。
自分のためには一切願い事を使わず、他人のためには惜しみなく願いをするラルクを見て、エリーは「これは違う」と感じていた。
どうしてラルクは他人のためにここまで出来るのか。
どうして自分のためには何一つ願いを使わないのに、他の人のためには使う事が出来るのか。
それは彼が勇者だから。主神から神託を受けた人間だから。
だとすれば、あまりにもラルクが可哀想過ぎる。
なぜラルクだけが、これ程までに誰かのために自分を犠牲にしなければならないのだろうか。
「ラルク。もうこれ以上TPを使わないようになさい」
魔王城での戦いの半年程前、エリーはラルクにそう忠告した。
ラルクはエリーの真剣な表情と、彼女の声音から、自分に残されたTPが――自分に残された時間が、それ程残っていない事を察した。
「そんなに僕のTPって残り少ないの?」
「ええ。もう十分の一も残ってないわ。けど、この後全く使わなければ、数十年は生きられる。それでも百年はもたないけどね」
ラルクは「なんだ」とホッとため息をついた。
「それだけあれば十分だよ。ていうか、本当なら僕って何百年も生きられたの? それってとんでもない騒ぎになっちゃいそうなんだけど。けど、分かったよ。今後はTPの使用は控える事にするよ」
ラルクはその時はそう言って約束したが、その後もやはり人の命がかかった場面ではTPの使用を躊躇しなかった。
こうしてその後の半年間。ラルクのTPは着々と減り続けていった。
あれ程膨大にあったTPも今となってはたったの数万。
ラルクに残された時間は十年を切るまでになっていた。
(ああ。やっぱりこうなってしまったのね)
エリーは毎晩、一日の最後にラルクから肉体の維持費用を受け取る度に、小さく減ってしまったTPの残量を見る度に、胸が締め付けられるような痛みを覚えていた。
自分にもラルクに何かしてあげられる事があればいいのに。
それはここ最近、彼女の頭をずっと悩ませている思いだった。
エリーは知らなかった。かつて自分と同じ気持ちを抱えていた人間達がいた事を。
勇者の仲間、勇者パーティー。
彼らは魔王を倒してこの国の人達を救うために、そしてこれ以上、悲惨な犠牲者を出さないために、武器を手に取り勇者の下へと集まった。
しかし彼らは、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも危うい勇者という強力な光を見ているうちに。次第にその光を守りたい、自分達が彼を支えてやりたいと思うようになっていったのである。
五年という年月を遡り、生き返った今のラルクにはかつての仲間はいない。
同じ名前の人間はいても、それはこの世界のラルクの仲間である。
エリーはそんなラルクに生まれた彼の新しい仲間。
たった一人だけの勇者パーティーなのである。
魔王城、玉座の間。
勇者パーティーは全員、力無くその場に崩れ落ちている。
今、この場に立っているのは二人だけ。
身長八メートルの巨体。|百蛇≪ひゃくだ≫の魔王ザンタナと、使い古されたハンター装備の義勇兵、ラージャマウリことラルクである。
――聖剣は・・・折れた・・・これで・・・我は滅びぬ・・・永遠に・・・生き続ける――
魔王の口が大きく弓を描くと、クツクツと低い笑い声がこぼれた。
もうこの世界に、誰も魔王を止められる者はいない。
誰もが絶望に打ちひしがれるその中で、ラルクはエリーに振り返った。
「エリー、僕のTPは後どれだけ残っている?」
エリーはラルクの目を見て、彼が何を望んでいるかを知った。
そしてその願いが決して叶えられない事も知っていた。
ラルクに残されたTPは数万。多目に見積もっても五万程度だろう。
エリーは一度目を閉じると――覚悟を決めた顔で小さく笑みを浮かべた。
「残念ながらもうほとんどないわ。ギリギリ|聖剣一本分≪・・・・・≫くらいかしら?」
――・・・なに?――
聖剣という言葉に魔王が反応した。
魔王の虚ろな目が、この時初めてラルクの存在を捉える。
その瞬間、魔王が初めて動揺を見せた。
――お前は・・・まさか・・・いや、そうだ・・・お前こそが・・・我を――
「そうか、良かった」
ラルクは手にしていた槍をその場に落とすと、エリーに手を伸ばした。
「エリー、TPを払う。僕に聖剣を、聖剣グラスタリミアを頼む」
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