第24話 百蛇の魔王

◇◇◇◇◇◇◇◇


 魔王城は現在、王国騎士団五千の軍によって攻め込まれていた。


「押せ押せ! 後続の勇者軍が現れる前に、何としてでも我らの手で魔王を討ち取るのだ!」

「「「おおおおお!」」」


 魔王城は便宜上、王国側の人間達からそう呼ばれているだけで、本当の意味での城ではない。

 堀もなければ櫓もなく、曲輪どころか門すら存在しない。

 ただ、巨大な石造りの建物がそびえ立っているだけである。

 その形状と、その奥に魔王がいるため、便宜上、城と呼ばれているだけであり、正確には【魔王の住処】とでも呼ぶべき場所なのである。

 防衛という概念を全く考慮されていないその作りは、魔王にとっての自信の現われ――己の居城まで人間ごときが攻め込んで来る訳が無い、という己惚れによるものなのか、あるいは異界の存在である魔王にとってはこれが当たり前。人間にとっては考慮すべき当然の理屈や常識が存在しないだけなのかもしれない。

 本当の所は誰にも分からないが、攻め込む側の王国騎士団にとっては、魔王城の作りが防衛に適していないという点は、明らかに有利に働いていた。

 更には前日の野戦で、勇者ラルクが魔王軍最後の魔人を討ち取っていた事も幸いした。

 彼らは朝日が昇り切る頃には魔王軍の残党を蹴散らし、魔王城の突入に成功していた。


「こ、ここが魔王城だと? 何と不気味な」


 恐れを知らない勇敢な王国騎士団員達の声が思わず震えた。

 魔王城の中は建物の中というよりも、まるで洞窟のようだった。

 いや、違う。これは石で出来た巨大な生き物の体内だ。

 そう考えると、不規則な形で曲がりくねった廊下は、生き物の消化器官のようだし、その表面に浮かんだ複雑な模様は、細かな血管のようにも見えた。


「まさか全てが罠で、俺達は全員、魔王に飲み込まれてしまうんじゃ・・・」

「ば、バカな。そ、そんな事がある訳ないだろう」


 騎士団員達が恐怖に足を止めたその時だった。

 良く通る男の声が不気味な廊下に響き渡った。


「騎士団員諸君! うろたえるな! 魔王はすぐそこだ! 我ら王国騎士団の手で憎っくき魔王を討ち取り、この戦争を終わらせるのだ!」


 声の主はスラリと背の高いハンサムな青年。女たらしの騎士で名高い、騎士団長オルファンであった。

 オルファンは手にした剣を高く掲げた。

 闇を切り裂く白銀の光。

 勇者の象徴。聖剣グラスタリミアである。


「おお~っ!」


 まるで一枚の絵画のような神々しい光景に、騎士団員達からどよめきが上がった。


「そうとも! 俺達が魔王を討ち取るんだ!」

「そうだそうだ! 魔王を倒した栄光は、出自の卑しい勇者なんかより、俺達王国騎士団の方が相応しい!」

「国王陛下のために!」

「おお! 国王陛下のために!」


 騎士団員達は元気と勇気を取り戻すと、高々と拳を突き上げた。

 しかし騎士オルファンは、そんな部下達の姿をやるせない思いで眺めていた。


(出自の卑しい勇者、か・・・。その勇者に俺達が、この国が、どれだけ助けられて来た事か。その勇者を恩知らずにも裏切って、俺達は今ここにいる。これが本当に騎士団のやる事か? こんな抜け駆けのどこに貴族の矜持がある)


 昨夜、大臣から――いや、大臣を通して国王ラファレスから騎士オルファンに伝えられた命令。

 それは教会と勇者に先駆けて彼ら王国騎士団が魔王を討伐せよ、というものだった。

 オルファンは激しく葛藤したが――正確には今も葛藤しているのだが――結局、この命令を受け入れた。

 騎士団団長である彼には、国王からの命令を受ける以外の選択肢はなかったからである。


 彼は副官に騎士団員を集めさせると共に、自分は勇者ラルクのテントを訪れた。

 目的は魔封聖剣グラスタリミア。

 魔王を倒すには、その心臓を聖剣で貫く必要があるためだ。

 幸い、テントに勇者ラルクはいなかった。そしてオルファンが聖剣を持ち出すのをとがめる者もいなかった。

 ラルクは主神から神託を受けた勇者だが、数年前までは小さな村に住んでいた極普通の少年だった。

 そのため、日頃からラルクの武器と防具の手入れや補修は、部隊の中でも最も武具に詳しい者達が――つまりはオルファン達騎士団員達が行っていたためである。


 騎士オルファンは聖剣を手に入れると、部下を集め、陣内の兵士達が寝静まるのを待った。

 兵士達は昼間の戦いとその勝利に浮かれ、泥のように眠りについていた。

 オルファン達は見張りの手薄な箇所――具体的には王国騎士団が担当していた部分――から陣地を抜け出すと、一路、魔王城を目指したのだった。


(魔王城が防衛に適さない作りをしている事は偵察で分かっていた。それに前日の勝利で、敵に残された戦力が少ない事もだ。とはいえ、朝になれば我々がいないことに気付いた勇者ラルクと教会の兵が、こちらを追って来るはずだ。全ては時間との戦いだったのだが・・・)


 どうやら自分達はその賭けに勝ったようである。

 未だにラルク達の姿は見えない。

 しかし、全てが上手くいったというのに騎士オルファンはモヤモヤと割り切れない感情を抱いていた。


(・・・あるいは俺は、本当はラルク達に追い付いて欲しかったのかもしれんな。バカなことをするな、みんなで戦おう。そう言ってこの愚かな行為を止めて欲しかったのかもしれない)


 だが、魔王軍の抵抗は想像以上に弱く、ラルク達の軍はいつまで経っても追い付いて来ない。

 結局、王国騎士団は魔王軍を打ち破り、魔王城への突入を果たしてしまった。

 魔王城の外では、未だに少数ながら敵の抵抗は続いているが、それすらも魔王さえ討ち取れば終わりになるだろう。


(結局、王都の貴族共の望み通りになったという事か。何という後味の悪い終わり方だ)


 あるいは戦争とはそういうものかもしれない。

 本当の勝者は、戦場で実際に血を流して戦っている者達ではなく、安全な後方にいる者達。自らは戦わず、戦いの結果から最大の利益を得る彼らこそが、この戦争における本当の勝利者なのかもしれない。

 そこまで考えた時、騎士オルファンは慌てて頭を振った。


(何を考えているんだ俺は。まだ戦いは続いているというのに、もう戦いの後の話か? これじゃ王都の貴族共とまるで同じじゃないか。今は魔王を倒す事だけを考える。その後の事はその後の時だ)


「団長! あれを!」


 副官の声にオルファンは顔を上げた。

 部下の頭越しに見える巨大な扉。表面に刻まれた不気味な装飾といい、得も言われぬ威圧感といい、ただの扉とは思えない。

 ここにいる全員が直感した。

 あの扉の先に魔王がいる。

 オルファンは聖剣の柄を強く握りしめた。




 果たして扉の奥に魔王はいた。

 そこは一瞬、外に出たのかと錯覚する程の広い空間――玉座の間だった。


 シューッ。シューッ。


 無数の呼吸音。そしてシュルシュルという衣擦れのような音が辺りに響き渡る。


「ば、化け物・・・」

「げっ・・・ウゲッ」


 漂う生臭さ、そして心臓を締め付ける恐怖から、一部の騎士がその場で嘔吐した。

 騎士オルファンは呟いた。


「これが魔王なのか・・・」


 ゾロリ・・・


 目の前の巨大な塊が蠢いた。

 魔王のシルエットは概ねローブを着た人間を思わせる。

 身長は約八メートル。見上げるような巨体だ。

 髑髏のような顔。眼窩は六つ。唇のない口は側頭部まで割けている。

 まるでローブのようにも、鎧のようにも見えるのは、魔王の体から生えている無数の蛇だ。

 そう。魔王の体からは何十匹もの巨大な蛇が生え、体の上を這いまわっているのである。


 |百蛇≪ひゃくだ≫の魔王ザンタナ。


 魔王が初めて討伐軍の前にそのおぞましい姿を現した瞬間だった。


「ふ、【ファイヤーファング】!」

「バカ、止せ!」


 恐怖に駆られた騎士が、衝動的に魔法を発動した。

 次の瞬間、魔法は男の制御を離れ、爆発した。

 魔力による魔法発動への介入、|対抗呪文≪アンチスペル≫である。


「ギャアアア!」

「ラージャマウリからの情報は伝えておいたはずだ! 魔王は膨大な魔力でこちらの魔法に介入してくる! 絶対に魔法は使うな! 武器で戦うんだ!」

「「「「はいっ!」」」」


 騎士達は一斉に武器を構えた。

 旅の剣士ラージャマウリ。言うまでもなくラルクの事である。

 ラルクは魔王について(※旅の途中で知ったという体で)、知り得る限りの情報を騎士オルファンに伝えていた。

 それは実際に魔王と戦ったラルクならではの貴重な知識。

 オルファンはその情報をこの世界の勇者ラルク達と共有し、事前にある程度の対策を練っていた。


「特に厄介なのは上半身の巨大な六匹の蛇と、格子柄の毒蛇だ! 噛まれた者は、用意しておいた解毒剤を即座に使用しろ! 魔王自体は動かない! 危険を感じたら無理をせずに早めに後方に下がれ!」


 ――ゲン・・・――


 その時、魔王は口を開くと、しゃがれた鳴き声を漏らした。


 ――ゼイ・・・ゲン――


 違う。鳴き声じゃない。


 ――聖・・・剣――


 魔王ザンタナの虚ろな目は、真っ直ぐに騎士オルファンの持つ、聖剣グラスタリミアを見つめていた。


「聖剣?! 聖剣だと?! まさか魔王が喋ったのか?! どういう事だ?! ラージャマウリの話では、魔王は言葉を喋るどころか、攻撃されても何も反応しない。自我すら持っていないという話だったのに?!」


 そう、ラージャマウリの――ラルクの知る限り、魔王は全く動かなかった。

 魔王の別名は|百蛇≪ひゃくだ≫の魔王。ラウル達が苦戦したのはあくまでも無数の蛇達の攻撃であって、魔王本体はその場にいるだけ。ぼうっと立ち尽くすだけで目の前の戦いに反応すらしなかったのである。


 ――聖剣・・・ユウジャ・・・痛ミ・・・ゴロス――


 魔王ザンタナは巨大な腕を持ち上げると、痛みを堪えるように胸を押さえた。

 これも信じられない光景だ。

 そしてそこはラルクが魔王に止めを刺すため、聖剣グラスタリミアを突き立てた場所だった。


 ラルクは、そしてエリーも知らなかった。

 二人が空間転移魔法の失敗で五年前のこの世界に飛ばされたその時、それに巻き込まれて一つの魂がこの世界に飛ばされていた事を。

 その邪悪な魂は存在の背理の矛盾を解決するために、過去の自分の魂と融合。

 エリーの場合と同様に記憶の上書きが起こった。


 そう。自我を持たない魔王ザンタナは、ラルクに心臓を貫かれた時、生まれて初めて生命の危機という物を感じ、恐怖という感情を――そして自我を目覚めさせていたのである。

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