第21話 胸の痛み

◇◇◇◇◇◇◇◇


 あれから四年。

 ラルクは旅の剣士ラージャマウリとして、時には仲間を助け、時には傭兵として戦争に参加して魔王軍と戦った。

 勇者としての力を持ち、未来の出来事を知っているという圧倒的なアドバンテージを持つラルクだったが、戦争という大きな流れの中では、あくまでも一人の人間、個の力でしかなかった。

 しかし、ラルクにとってそんな事は最初から百も承知だった。


 かつて戦争という悲劇の中で、失われた数多くの命。

 ラルクの力をもってしても、一人では各地で起こる惨劇から全ての人達を守り切る事は出来ない。

 ラルクは何度も、「本当にこれでいいのだろうか?」「犠牲者を最小限に防ぐためには、自分が表に出て全体の指揮を執るべきなのではないだろうか?」と自問自答した。

 しかし、その度に「これはこの世界の人達の戦いだ」「僕は僕個人が出来る事以上をするべきではない」と考え直していた。


(僕は確かに主神アポロディーナ様から神託を受けた勇者だ。しかし、この世界には僕とは別の勇者がいる。だったらこの世界の事は彼に――過去の僕に任せるべきだ。僕はあくまでも彼のサポートに徹する)


 勇者となった過去のラルクは、教会と国王の後ろ盾を得ていた。

 それ自体は魔王軍との戦いには絶対に必要な物だったのだが、そのせいで軍という組織に組み込まれ、自由な行動が取れなかったのも事実である。

 自分がもう一人いれば、各地で被害に遭っている人達を自由に助けに行けるのに。

 ラルクは常々そう思っていた。


 戦争に勝つための戦いは、この世界の勇者が――五年前のラルクがすべき事であって、自分の役割ではない。

 ならば自分がやるべき事は、かつての自分がやりたくても出来なかった事。

 救えたかもしれない命の救出。助けられなかった人達を助ける事。ラルクはそう考えていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「皆さん、逃げて下さい! じきに魔王軍がこの村にやって来ます!」


 僕は魔王軍の進軍方向にある村へやって来ると、村人達に避難を呼びかけた。

 かつてのルートリアの町やコマイ村の時とは違い、村人達はすぐに僕の言葉に従った。

 今となっては、この国で魔王の恐ろしさを知らない者は誰一人いないからだ。


「エリー! 後で十TP払うから【気配探知】をお願い!」

「分かった」


 エリーが頷くと、僕の視界が二重にブレた。一つはいつもの光景。もう一つはボンヤリとした薄紫色の光景だ。

 その薄紫色の世界の中に、赤や黄色の塊が忙しく動き回っている。これが人間の気配。つまりは逃げ出している村人達だ。


「・・・いた!」


 僕は家の中で横になったまま、ジッと動かない塊を見つけた。どうやら逃げ遅れた人がいるようだ。

 僕が家に駆けこむと、寝たきりのお婆さんの姿があった。


「お婆さん、もうすぐここに魔王軍がやって来るよ! 今すぐ逃げるから僕に掴まって!」


 お婆さんは「私はもう長くないから」とか、「いいからあんただけお逃げなさい」などと渋っていたが、僕は強引に彼女を担ぎ上げた。


「舌を噛むといけないから、もう喋らないで。エリー! もう一度【気配探知】をお願い!」


 僕はザッと村の中を見回したが、残っているのは僕達だけのようだ。

 よし。

 僕はお婆さんを担いだまま、急いで村人達の後を追いかけたのだった。


 逃げた村人達を追いかける事しばらく。

 僕は彼らに追いつくと、お婆さんを預け、再び村に戻って来た。

 そこには馬に乗った味方の騎士達の姿があった。


「村人達はもう避難させたようだな。それにしてもスゴイなお前。まさか馬に乗っている俺達が置いて行かれるとは思わなかったぞ」

「エリーが疲労を回復してくれるおかげですよ。それよりも魔王軍の様子は?」

「川を渡るのに手間取っていたが、じきにやって来るはずだ。俺達も急いで本隊に合流しよう」

「はい」


 敵は少数とはいえ、魔王四将の――竜騎将軍ギルドーダスの部下だ。苦戦は覚悟しなければならない。

 僕は騎士達の後に続きながら、肩の上のエリーに振り返った。


「さっきはありがとう。疲労回復と気配探知を二回だから、百二十TPだね。持って行ってくれていいよ」

「――うん」


 エリーはどこか元気がない様子で頷いた。


「どうかしたの?」

「別に。・・・私ちょっとその辺を見て来る」

「あっ、ちょっとエリー!」


 エリーはふいと肩の上から飛び上がると、そのまま近くの林の中に消えてしまった。


「なんだよ急に。・・・って、トイレかな? すみません! エリーがどこかに行ってしまったので、ちょっと遅れます!」


 騎士達は手を振って僕に応えた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 エリーは林の中を飛んでいた。

 林に入った事に意味はない。少し一人になりたかっただけである。


「――そうだ。TPを貰っとかないと」


 エリーは事務的に契約を処理した。

 以前であれば喜んで行っていたTPの回収も、最近では全く気乗りがしなかった。

 エリーはラルクの残りTPを――ラルクが生前に貯めた徳の塊を――見つめた。


「・・・もうこんなに少なくなってる」


 あれ程膨大な量のTPが、今ではすっかり小さくなって見る影もない。


「ラルクが無駄に使うから」


 ラルクはTPを無駄遣いするような人間ではない。

 自分のために使っているのは、せいぜい肉体の維持費である二十TPだけ。それ以外の目的には全く興味を示そうとはしなかった。

 しかし、彼は戦いのため、他人を助けるためになら、何の躊躇いもなくTPを使用する。

 この数年間で色々と覚えたせいもあって、さっきの村でのように、彼はTPの使用を積極的に行動に盛り込んでいる。

 エリーも最初は喜んでラルクの願いを叶えていた。「やっとラルクがTPを使うようになった」「これで目的が果たせる」。そう思って彼に協力して来た。

 しかしいつからだろうか? 彼女はTPを代償にラルクの願いを叶える度に、小さな痛みを胸に感じるようになっていたのである。


「ラルクも自分が貯めたTPなんだから、少しくらい自分のためにも使えばいいのに。何であんな風に他人のためにばっかり使っちゃうんだろう・・・」


 それは彼が勇者だから。人を救う事を宿命付けられた人間だから。

 そしてラルクは死んだ後になっても、勇者としての運命に縛られ続けている。

 あるいはラルクがそんな人間だからこそ、主神アポロディーナは彼を見出し、勇者としての神託を下したのかもしれない。


「これじゃラルクが可哀想」


 エリーはポツリと呟いた。

 それはかつての彼女なら思いも付かない考えだった。

 そしてエリーは自分の言葉に表情を歪めた。


「私も主神の事は言えないわ・・・。私はそんなラルクを、|下僕≪ミニオン≫契約で縛っている。しかも何も知らない彼にちゃんと説明しないで、騙すようなマネまでして」


 エリーは空中に魔法陣を描くと、虚空から【ミニオン契約書】を取り出した。

 見慣れたはずの古風な契約書は、なぜだか酷く不快で、汚らわしい物に感じられた。

 

 こんな契約、しなければ良かった。


 エリーは今ではラルクと契約した事を後悔すらしていた。


「――でも、魔王との戦いももうすぐ終わる」


 魔王が現れてから今年で四年。

 歴史の通りなら、後半年もしないうちに、最後の戦いが――魔王城での最終決戦が行われるはずである。

 それで魔王との戦いは終わる。

 ラルクが望んだ平和な世界が訪れるのである。


 本来のラルクの願いは、魔王がいなくなった平和な世界で当たり前の人生を送りたい、という物であった。

 それが過去に戻ってしまった事によって、もう一度魔王軍と戦う羽目になったのである。

 ならば魔王さえ滅べば元の生活に――港町ホルヘでハンターをしていた頃の生活に――戻る事になるだろう。

 そうすればラルクはまたTPを使わなくなるに違いない。


 でもそれでいい。


 今ではエリーはそう考えるようになっていた。

 ラルクの減ってしまったTPで、どのくらいの時間が残されているのかは正確には分からない。

 だが、元々が莫大なTP量だったのだ。全く使わなければ数十年。ひょっとしたら百年近くはもつのではないだろうか?

 もしそうであれば、ラルクは普通に長生きと言える人生を送れる、という事になる。


「それくらいの時間なら、ラルクに付き合ってやってもいいかな」


 ただし、この期間は短くなる事はあっても伸びる事だけはあり得ない。

 今後の戦いでラルクがTPを使用すれば使用する程、彼に残された時間は少なくなっていくのである。


「契約上、ラルクに頼まれたら私はその願いを叶えないといけないけど・・・。忠告するくらいなら違反にならないかな?」


 エリーが言ってラルクが聞くようなら、最初から魔王軍との戦いになど参加していないとは思うが、それはそれ。

 ラルクだって自分の命は惜しいはずだ。

 そもそも、生き返りたいと望んだのは彼なのだから。


「そう、そうよね。ラルクの望みは平和な世界での普通の暮らしなんだから。きっと大丈夫よね」


 エリーは自分に言い聞かせるように何度も呟くと、少しだけ心が軽くなったのか、明るい表情に戻った。

 そして彼女は踵を返すと、林の外、ラルクの下へと戻ったのであった。

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