第14話 北の地の勇者

 僕は冷たく硬い床の上で目を覚ました。

 換気だけを目的として作られた窓は小さくて狭い。

 そのため朝とはいえ、倉庫の中は暗く、空気は埃っぽかった。


「あ痛たたた・・・。体のあちこちに痛みが。今ならドレの気持ちが分かるかも」


 老魔術士ドレは、野宿をする度に、やれ腰が痛いの手足が痛いのといつも文句を言っていた。

 僕はそれ程気にならなかったので、「またドレが言ってる」としか思わなかったが、僕も生き返ってからこっち。ずっと宿屋に泊まっていたせいで、すっかり贅沢が沁みついてしまったようだ。

 床に直接寝ていたとはいえ、屋根のある所で寝泊まりをしたというのに、体の節々が痛くて堪らない。

 僕は体を起こすと、手足を伸ばして、こわばっていた体をほぐした。


「よっ、ふっ。あ~、体がだるい。・・・あれ? そう言えばエリーは?」


 辺りを見回してみても、小麦の袋や農機具ばかりでエリーの姿はない。

 どうやら先に目を覚まして、散歩にでも行っているようだ。


「・・・井戸に行って顔でも洗うか」


 ヒゲも剃らなきゃな。

 僕は頬や顎を撫でながら、年寄り臭く「よっこらしょ」と立ち上がったのだった。




 僕は倉庫から出ると辺りを見回した。

 ここは王国最北の地ノースベール。

 そのノースベール最大の町、ルートリアの町から街道を少し北に行った所にある小さな村。

 名前は・・・確かコマイ村だったっけ?

 この地方の言葉で、小さな、とか、つまらない、とかそういった意味のはずだ。

 その名の通り、どこにでもありそうな小さな村である。

 僕の姿を見つけた村のオバサンが声を掛けて来た。


「旅人さん、おはよう。昨日は良く寝られたかしら?」

「おはようございます。おかげさまで」


 僕も村の生まれなので知っているが、小さな村には宿屋なんてない。

 旅行者自体が少ないので商売にならないからだ。

 だったら旅人はどこで寝るのかと言うと、良くて村長の家の土間。悪ければそこらの軒下だ。

 倉庫を使わせて貰った僕は、まだ運が良かった部類に入るだろう。


「井戸を使わせて貰いますね」

「ええどうぞ」


 僕は竿の付いた桶を井戸の底に沈めた。

 小さな村には滑車付きの井戸なんて物は存在しない。大抵、ここのように桶に竿かヒモを付けた物が使われている。

 利用者数が少ない村の井戸に、わざわざ滑車なんて付ける余裕はないからだ。

 僕は冷たい水で顔を洗うと、ナイフでヒゲをあたった。

 手であちこち触って剃り残しが無いか確認していると、エリーが飛んで来るのが見えた。


「おはようエリー。散歩でもして――」

「あーもう退屈! ねえラルク。いつまでこの何も無い村にいるつもりな訳?!」


 エリーは開口一番、文句を言った。


「それなら最初に言っただろ? 僕の話を聞いてくれるまでだって。正確な日にちまでは分からないけど、今年の7の月の月末頃にルートリアの町は魔王軍のアンデッド部隊に襲われるんだから」




 あの日。

 ここが僕にとって五年前の世界である事を知ったあの時、エリーは僕に「何もしなくていい」と言った。

 この世界の魔王と戦うのは、この世界の僕の役割であって、僕の勇者としての戦いは、魔王と相打ちになったあの日に終わったのだと。

 確かにエリーの言う通りだ。僕は本来ここにいてはいけない人間。一度死んで生き返った人間だ。

 幸い、港町ホルヘは王国の南端。北の魔王領からは最も離れた土地である。

 僕はここで平和に過ごしながら、魔王が倒されるのを待っていればいい。

 ・・・そうエリーのように割り切れれば、どれだけ気が楽だったか。


 翌朝、僕は荷物を纏めると、昨日まで泊っていた部屋を引き払った。

 僕は結局、ジッとしている事が出来なかったのだ。

 エリーは文句を言っていたが、彼女の目的は僕が溜め込んだ徳――TPだ。

 最後は折れて僕に付いて来てくれる事になった。


「それでどうするの? 今更、教会に自首する気?」

「人を犯罪者みたいに言わないでくれない?」


 反射的にそう言ってしまったが、実際にあり得そうでイヤだ。

 ここが五年前で、この世界にも僕がいる以上、正直に名乗り出たとしても、勇者の名を|騙≪かた≫る詐欺師扱いされて、捕まってしまう可能性も十分にあるだろう。

 教会が頼れないとなると、一人で動くしかないか。

 幸い、ハンターの仕事の方が上手くいっていたので、当面のお金には困らない。


「それって一人で魔王城に乗り込むって事?」

「いやいや、流石にそこまでムチャはしないよ。大体、僕一人だと魔王城までたどり着く事すら出来ないからね」


 魔王城は結界で守られている。

 魔王四将の守る宝珠を破壊しなければ、近付く事すら出来ないのだ。


「竜騎将軍ギルドーダス、餓狼将軍バルコーン、魔導将軍マルガード、不死将軍メディーガルの四人を魔王四将と言うんだ。仲間のシエラは四天王なんて呼んでいたけど、全員、物凄い強敵だったな。まあ、それでも魔王のデタラメな強さには敵わないんだけど」


 四天王を倒すのはこの世界の僕に任せるしかないだろう。絶対に一人で勝てるような相手じゃないからだ。


「ふぅん。それじゃどうする訳? 義勇兵として勇者パーティーに参加する?」

「・・・それも悩んだけど、今は止めておこうと思う」


 エリーの言った、「僕の勇者としての戦いは、魔王と相打ちになったあの日に終わった」という言葉は、想像以上に僕の心を縛っていた。

 過去の世界の事は過去の人間がどうにかするのが筋だ。本来、ここにいないはずの人間が手を出すべきではない。

 そう考えると、どうしても正式に魔王軍との戦いに加わる気にはなれなかった。


「だったらどうしようもないじゃない。平和に暮らすのもイヤ、魔王軍と戦うのもイヤって、結局ラルクはどうしたい訳?」

「・・・・・・」


 確かに、ジッとはしていられない。

 しかし、このまま魔王軍との戦いに加わるのも何か間違っている気がする。

 結局、僕は自分の気持ちが決められないまま――中途半端な気持ちのまま、この北の地へとやって来たのだった。


「僕にだって何か出来る事はあるはずだ」


 ここが過去の世界であるなら、これから何日もしないうちに、魔王軍がルートリアの町に押し寄せるはずである。

 僕はその事を町の代官に訴えようと思ったのである。

 結果から言うと、僕は代官に会う事すら出来なかった。

 勇者の肩書の無い今の僕は、この土地を訪れたただの旅人でしかなかったからだ。代官が時間を割いてまで僕に会ってくれるはずがなかったのである。

 僕は仕方なく、町の通りでみんなに危険を訴えた。しかし、誰にも話を聞いて貰えなかった。

 それどころか、衛兵を呼ばれて不審者として捕まりそうになる始末だった。

 僕の記憶通り、魔王軍が町に攻めて来たけど、僕は留置所の中にいたので何も出来ませんでした、では何のためにこんな所まで来たのか分からない。

 僕は慌ててその場を逃げ出したのだった。


「それでどうするの? もう諦める?」

「いや、町から少し北に行った所に小さな村があるそうだ。位置関係から考えて、最初に魔王軍の被害に遭ったのはその村なんじゃないかと思う。村長に事情を話して、事前に村人達を町に避難させて貰おう」


 こうして僕達はこのコマイ村までやって来たのだった。




「まあ、ここでも信用して貰えなかったけどね」

「うぐっ・・・村長に話を聞いて貰えただけ、ルートリアの町の時よりはマシだと思う」


 そう。村の村長は僕の話を聞いてくれはしたものの、避難勧告には従ってくれなかったのである。


「この村は捨て石なのですよ」


 村長はそう言った。


「この地方は、昔から何度も東の遊牧民に攻め込まれ、激しい戦いが繰り返されて来ました。ルートリアの町の町を囲む高い城壁は、彼らの攻撃から町を守るために作られた物なのです」

「だったらこの村はどうなるんです? もし遊牧民が攻めて来たら、村の人達はどうなるんですか?」


 この村には城壁どころか柵も堀もない。武器だってろくに揃ってなさそうだ。


「武器なんて村のどこにもありませんよ。旅の人。彼らは私達を殺しません。私達が戦う力を持っていない事を、彼らも知っているからです。確かに家は壊され、作物は奪われるでしょう。しかしそこで彼らは満足して去って行くのです」


 そういう事か。

 僕は最初に村長が自分達の事を、捨て石と言ったのを思い出した。

 仮に遊牧民達が攻めて来たとしても、彼らの武器では、ルートリアの町の堅牢な城壁には手も足も出ない。

 しかし、いくら高い城壁に守られているとしても、いつまでも町の周囲を敵に囲まれたままでは町の経済がストップてしまう。

 そこで町の代官はこのコマイ村を作ったのだろう。

 敵はこの村から略奪を行う事で一先ず納得して引き上げる。つまりこの村は敵の前に撒かれた餌なのだ。


「あなた達は本当にそれでいいんですか? 自分達の――家族の命がかかっているんですよ?」

「良くはないですが、これも厳しい北の土地で生きて行くための生活の知恵なのです。この村は他の土地よりも危険な分、税金は免除されていますし、壊された家の修理も代官様が手配して下さります。遊牧民達もここ十年程はやって来ていませんし、今ではむしろ他の村より裕福なくらいです」


 村長はそう言って笑った。

 僕には理解し難いしきたりだが、こうやってこの土地の人達は、異民族の脅威に向き合って来たのだろう。

 だからそれについて、余所者の僕がどうこう言うつもりはないし、そうするべきではないと思う。

 だが、村長は分かっていない。


(異民族は、民族や生まれた場所こそ違えど、根本的には僕達と同じ人間だ。けど、魔王軍は違う)


 僕はこの村が(※僕の記憶の中の五年前に)滅んでしまった本当の理由が分かった気がした。


(恐らく、この人達は魔王軍がやって来た時も、いつもそうしているように――つまりは異民族を相手にする時のように非武装で――対応してしまったのだろう。そして全員殺されてしまった)


 魔王軍にはこの地域のしきたりは意味を成さない。話し合いも駆け引きもあり得ない。なぜなら魔王軍の狙いは略奪ではなく、人間の命そのものだからである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る