第13話 ルートリアの勝利

◇◇◇◇◇◇◇◇


 ここはラファレス王国の最北の地。ノースベール伯爵領。

 しかし、後年この場所をその名で呼ぶ者は誰もいなくなる。


 魔王領。


 それがこの地に付けられる事となる忌まわしき名前である。


 それは奇妙な集団だった。

 北の大地とはいえ、初夏ともなると辺りは一面、緑の草に覆われている。

 そんな道なき道を進む武装した一団。

 ろくに手入れもされていない古びた鎧。錆びが浮いた赤い槍。顔はまるで死人のように青ざめている。

 中には腕や足を失っているものすらいるようだ。

 しかし、彼らは決して歩みを止める事はない。

 片足を失った者は槍を杖代わりにして、片腕を失った者は残った手に槍を握り、ただ黙々と歩き続ける。

 その人数は約千人。

 しかし、千人もの人間の集団でありながら、彼らからは話し声どころか|咳≪しわぶ≫き一つ聞こえない。

 この一種異様な一団は一体どこから現れ、どこに向かおうとしているのか?

 彼らは答えない。足元の雑草を踏みしめると、ただひたすらに南へ、南へと進んで行った。


 


 ここはノースベール伯爵領最大の町、ルートリア。

 町の外には一面、青々とした小麦畑が広がっている

 領地の最南端に位置するこの町は、ノースベール領の食糧を支える豊かな穀倉地帯でもあるのだ。

 一見のどかに見える光景だが、かつては豊かなこの地を巡り、王国と東の遊牧民が血で血を洗う激しい戦いの歴史を繰り広げて来た。

 町の周囲を取り囲む、高くて堅牢な城壁はその頃の名残である。


 最初にその異変に気付いたのは、城壁の上で見張りに付いていた衛兵達だった。


「おい、あの煙は何だと思う?」

「ああ、畑の野焼きにしては煙の量が多すぎる。そもそもこの季節に野焼きをするのもおかしな話だ」


 町の遥か北。生い茂った林の向こうに、幾筋もの黒い煙が立ち上っているのが見えた。


「あっちは北の村がある方角だな。まさか東の蛮族共が攻めて来たのか?」

「まさか。今はまだ初夏だぞ。ヤツらが来るなら小麦が実を付ける秋か、俺達が収穫を終えた初冬じゃないか?」


 多くの土地では、小麦は秋に畑に種を撒き、冬を越して翌年の初夏に収穫する、いわゆる「冬小麦」と呼ばれる栽培方法が取られている。

 しかし、ここノースベール伯爵領のような北の地域では、そのやり方では小麦が冬を越せないため、春に種を撒き、温かい夏に育て秋に収穫する「春小麦」という方法が取られる。

 冬の前になると、畑のあちこちで小麦のワラを燃やす野焼き――刈り取った植物を焼却する行為――の光景が見られ、この町の季節の風物詩のようになっていた。


「だったらあの煙は一体――おい、見ろ!」


 男が指差した先、北の街道の遥か先に何人もの人影が浮かび上がった。

 時間と共に次第に人影は増えていき、やがては街道を覆い尽くすまでになった。


「旅人にしては様子がおかしいぞ。おい」

「ああ、隊長に知らせて来る」


 この報告が全ての始まり。

 それはルートリアの町を――いや、ノースベール伯爵領を襲う悲劇。その始まりを告げる合図となった。

 そう。魔王軍による侵攻が開始されたのである。




 ノースベール伯爵からの早馬が王都に到着したのは、それから十日後の事だった。

 伯爵から届けられた報告に宰相は眉をひそめた。


「ルートリアの町が魔王軍の攻撃を受けていると?」


 宰相は明らかに報告の内容に疑いを持っているようだ。

 そして、周りの反応も概ね彼と同じ物だった。


「魔王軍ですか。どうでしょうな? 大方、東の蛮族が攻め込んで来たのを、魔王の軍勢と勘違いしたのではないですか?」

「左様、教会が魔王の誕生などと大々的に布告したものだから、そういう早合点が生まれるのです。大司教様にも困った物ですな」


 実はこの時点では、魔王の誕生を信じている者はそれ程多くはなかったのである。

 だが、それも仕方がないだろう。

 ほとんどの者は、勇者と魔王の話は、教会が信者を集めるために(あるいは献金を集めるために)立ち上げた、一種の広告戦略だと思っていたのだ。

 信じる者は救われる。助かりたいなら神の言葉に従いなさい。

 今も昔も変わらない宗教の謳い文句である。

 信仰心の厚い者の中には、教会がこんな事に主神様の名を使うとは、と不快に感じる者すらいた。


 宰相は「とはいえ」と、周囲を見回した。


「ルートリアの町が軍勢に攻撃されているのは事実だ。町が落とされる前に援軍を出さねばなるまい」

「確かにそうですな。敵軍の戦力はいかほどなのでしょうか?」

「千から千五百といった所だそうだ」

「ふむ。それなら三千も送れば十分でしょう。ルシエル将軍の部隊が良いのではないですか?」


 ここで宰相の部下が発言を求めた。


「あの、魔王軍というのであれば、教会に――勇者殿に知らせた方が良いのではないでしょうか?」


 すると宰相達は一斉に苦虫を噛み潰したような顔になった。


「・・・勇者か。陛下の酔狂にも本当に困った物だ」

「おかげで我が国は諸外国の笑い物だ。先日も隣国の外交官から、『魔王ですか? おたくの国は大変ですなぁ。そうだ、もしもわが国にも魔王が現れたら、是非、その勇者とやらをお貸しください』と嫌味ったらしく言われてしまいましたぞ」

「まさか陛下が大司教の言葉に従って、あのようなどこの馬の骨とも分からぬ輩を勇者などと大々的に告知なされるとは」


 それからも勇者と大司教に対しての文句が出るわ出るわ。

 発言をした宰相の部下は、非常に肩身の狭い思いをするはめになったのだった。


「・・・もういいだろう。これ以上、愚痴をこぼしていた所でどうしようもない。それでは諸君、援軍の手配を頼む。ルートリアの町自体は守りに適しているが、外の農地はそうはいかん。あの町の小麦が全滅してしまったら、ノースベール伯爵領の民が冬を越せなくなってしまう。援軍は出来るだけ急いだ方がいいだろう」

「分かりました」


 こうして急遽、王都から三千の軍が援軍として派遣される事となった。

 しかし、大司教に対して不信感を抱いていた宰相達は、この情報を――魔王の軍勢が現れた事を――教会と共有しなかった。

 教会側がこの件を知ったのは、援軍部隊が出発してから半月程過ぎた後。

 ルートリアの町の外に魔王軍が現れてから、およそ一ヶ月経った後の事だった。


「勇者ラルク。行ってくれますね?」

「かしこまりました。大司教様」


 勇者ラルクは教会が集めた五百の兵士達と一緒に、王国の北、ノースベール伯爵領を目指した。

 そこで彼を待っていたのは、無数のアンデッド兵――変わり果てた町の人間達の姿だった。

 既にルートリアの町は全滅。

 王国の援軍はアンデッド化した市民を相手に、絶望的な戦いを繰り広げている最中だったのである。


 ラルク達は王国軍と協力し、アンデッド軍団との激しい戦いに突入する。

 そしてこれが歴史に残る勇者ラルク初めての戦いとなる。

 ここルートリアの町での勝利こそが勇者ラルクの栄光の第一歩。

 この後、何年にも渡る魔王軍との戦いにおける、最初の勝利となるのである。


 しかし、ラルクは憧れの目でこの戦いの話を聞かれる度に、申し訳なさそうに断ったという。


「確かに僕達は戦いには勝ったけど、それは負ける訳にはいかなかったから。自分達の命を守るために戦ったというだけ。誰かを助けられた訳じゃないから」

「けど、勇者様が勝利してくれなかったら、恐ろしいアンデッド達に私達も殺されていたかもしれないんですよ?!」


 ラルクは胸の痛みを堪えながら小さく微笑んだ。


「その恐ろしいアンデッドも、元々はルートリアの町の人達だったんだよ」


 ルートリアの勝利は、勇者ラルクの英雄譚を語る上で、欠かせないエピソードとなっている。

 しかしラルク本人はこの戦いを勝利とは考えていなかった。


 自分は主神アポロディーナ様の神託を受けた勇者だ。それなのに結局、自分は守るべき人達を誰一人守れなかったじゃないか。


 とはいえ、これはラルクのせいではない。

 ラルクがこの町に到着した時、町はとっくに滅ぼされ、町の人間は全員アンデッドにされていた。

 どうやってもラルクが間に合う方法は無かったのである。

 全ては初動の遅れ。王城側が情報を信じず、教会に対して連絡を怠ったのが原因であった。


 しかし、この国の人間が全員彼を擁護したとしても、やはりラルクは自分自身を許せなかっただろう。

 勝利のために戦うのではなく、戦いの目的はあくまでも人々を守るため。

 それがラルクという少年――主神が選んだ勇者なのだ。

 こうしてこの戦いはラルクの心に消せない傷跡を残すのだ。

 これがラルクにとって、今から五年前の話。

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