第12話 オードワール歴16年 

 ここはハンターギルド。ゴンズは満足そうに頷くと、大きな爆弾を落とした。


「どうやら何も知らなかったみたいだな。勇者の名前はラルクなんだってよ。ラルク、お前と同じ名前の勇者だぜ」


 教会が新たに認定した勇者。

 その名前はラルクだという。

 まさか僕と同じ名前を使うなんて。

 僕は教会の意図が理解出来ずに、激しく混乱してしまった。


「ラルクって・・・。 僕の――いや、前の勇者の名前もラルクだったんだけど、なんで同じ名前を?」

「前の勇者? おいラルク、お前何言ってんだ? 教会が勇者を認定したのは今回が初めてじゃねえか。何でも遥か北の土地で魔王ってのが誕生したんだってよ。その魔王をぶっ倒すために教会が選んだのが勇者だって話だ。これは国王様も認めてる事なんだとさ」


 どういう事だ?

 ゴンズは勇者どころか、魔王の事すら知らないようだ。


 僕は慌てて辺りを見回した。

 彼らの顔には純粋な好奇心が浮かんでいる。

 僕はこんな顔で魔王の話をする人なんて見た事がない。

 誰もが魔王の話をする時は、不安と怒り、そして絶望から来る諦めの表情を浮かべていたはずである。

 魔王というのは、それ程までにこの国の人達――いや、全世界の人間にとって恐怖の象徴、忌むべき存在だったのである。


(確かにこの町は北の魔王領からは遠く離れている。だとしても、世界を滅ぼそうとした魔王を誰も知らないなんて事があり得るのだろうか?)


 考えられるとすれば魔王の呪い。それくらいしか思いつかない。

 みんなは魔王の呪いなり魔法なりで、記憶から魔王の存在を消されてしまったのではないだろうか?

 だが、そんな事をして魔王に何かメリットがあるとは思えない。とはいえ、相手はあの魔王だ。僕達人間の理解を超えたねじくれた思惑があったとしても何ら不思議ではないだろう。


 ――いや、待て。

 僕はハッと目を見開いた。

 それだと、教会が新たに任命した勇者の名前が、僕と同じラルクという理由が説明出来ない。

 ただの偶然? その可能性は確かにある。ラルクというのは別に珍しい名前ではない。僕の仲間の中にもラルクという名前の仲間がいたくらいだ。


「おい、ラルク。どうしたんだ?」


 余程険しい表情をしていたのだろう、ゴンズは心配そうに僕の肩に手を乗せた。

 僕はその手を払いのけようとして、彼の背後、壁の張り紙に気が付いた。

 指名手配の賞金首の張り紙に混じって、良く目立つ、真新しい白い高級紙が貼られている。

 瀟洒な飾り枠で縁取られたそれには、勇者の認定がなされた事と魔王の復活について書かれている。おそらく教会から配布された告知文なのだろう。

 しかし、僕の目を引きつけたのはそこではなかった。文章の最後。司教の名前の横に書かれた日付の部分――


「オードワール歴16年6の月・・・」


 僕は一瞬で頭の中が真っ白になってしまった。

 忘れる訳がない。

 僕が魔王と相打ちになって死んだのはオードワール歴21年。

 オードワール歴16年6の月はその五年前。僕が教会から勇者として認定された日であった。




 どうやって宿屋まで帰ったのかはまるで覚えていない。

 部屋に入り、鍵をかけた途端、僕はエリーに詰め寄った。


「エリー! 一体どういう事なんだ?! ここは本当に五年前の世界なのかい?! ここにはもう一人の僕がいる! ならこの僕は一体何者なんだ?!」

「ちょ、ちょっとラルク何を言ってるの? 五年前の世界? もう一人の僕? 私にも分かるように説明して頂戴」


 エリーは僕の剣幕に戸惑いの表情を浮かべた。


「君が仕組んだ事じゃないのかい?!」

「仕組んだって何をよ? 全く人聞きが悪いわね。いいからちゃんと説明してよ」


 僕は順を追ってエリーに説明した。

 今がオードワール歴16年である事。

 僕が魔王城に攻め込んだのは――僕が死んだのはオードワール歴21年。つまりは今から五年後の未来である事。

 オードワール歴16年の6の月は、僕が教会によって勇者に認定された日で間違いない事。


「誰も僕が勇者って事を知らないばかりか、魔王の存在すらも知らない様子だった。そして教会が勇者ラルクを認定したという事は、王都には勇者ラルクが――僕がいるという事になる。だったら僕は何者なんだ? まさか僕の方が勇者ラルクの偽物なのかい?」

「落ち着いてラルク! あなたはラルク! 勇者ラルクよ! それだけは絶対に間違いないわ!」

「だとすると、今、この世界には勇者ラルクが二人いるって事になる。これっておかしくないかい? あっ! 僕がもう一人いるって事は、エリーももう一人――君とは別に五年前の世界のエリーがいるって事になるんじゃない?!」

「それは――確かにそうなるわね。ちょっと待って、調べてみる」


 エリーは少し考え込むと忙しく手を動かした。

 彼女の動きに合わせて、空間に魔法陣が生まれていく。

 どうやら魔法を使って何かを確認しているようだ。

 残念ながら僕が知っているのは攻撃魔法だけなので、彼女が何をやっているのかは分からない。

 僕は固唾をのんでエリーの作業を見守った。


「・・・ふう。どうやらこの世界の私はここにいる私だけみたいね」

「そうなんだ。だったら次はもう一人の僕について調べて――」

「そっちはムリ。実際に本人を見てみないと確認出来ないわね。私が一人しかいないと分かったのは、私が契約している諸々のパスが全て私自身に繋がっているのが確認出来たからなの。あなたとの契約もその一つだわ。だからあなたは絶対に偽物なんかじゃない。少しは安心した?」


 そうか、僕は勇者ラルク本人で間違いなかったのか。

 僕は少しだけホッとした。

 それはそうと、僕はこの世界に二人いる(らしい)のに、エリーは一人しかいないという。これは一体どういう事だろうか?


「う~ん、これは推測だけどいいかしら?」

「それで今の状況が少しでも理解出来ようになるのならお願い」

「分かったわ。まず最初に大前提として、ここが私とラルクが生きていた時間で――私達の体感時間で五年前の世界であると仮定して話を進めるわね。その際に考えられる状況は二つ。私達が五年前へと戻ったのか、私達以外の世界が五年分、時間が巻き戻ったのか。要は観測点をどちらに取るか――どちらが主でどちらが従になるかという話ね。ここまではいい?」


 ・・・どうしよう。いきなり難しそうな話になったんだけど。

 僕は頑張ってエリーの話について行こうとした。


「う、うん。続けて」

「私達以外の時間が巻き戻ったのなら、この世界に私が一人しかいない理由は考えるまでもないわ。なぜなら観測点である私達は動かずに、周りの時間の方が動いた訳なんだから。この場合、なぜラルクだけ二人になっているかだけど・・・これについては後で説明するわ。

 そしてもう一つの可能性。私達二人が過去の世界へと移動した場合だけど、その場合はこの世界には未来の私と過去の私、二人の私が存在する事になってしまう。しかし、それは存在の背理と言って理論上はあり得ない事とされているの」


 エリーの説明によると、同一の存在は同じ時間の中に存在できないそうだ。


「ちゃんと理解しようとすると結構大変だから、今は『そういう事は主神が許さない』とでも思っておけばいいわ」

「許さないって、じゃあこの世界の――五年前のエリーはどうなっちゃったの?」

「多分、存在の矛盾を解決するために一体化したんでしょうね。この私には当然、五年前の私と全く同じ記憶と経験があるし、今から五年後までのそれもある。いわばこの世界にいた私の上位互換になる訳だから、完全な上書きになったんじゃないかしら?」


 エリーは「そう言えば何年か前、この町に来た事があった気がするわね」と言った。


「ひょっとしたら私の同一化が原因になって、ラルクの蘇生地点が魔王城ではなく、この町の近くにポイントされたのかもしれないわね」

「エリーが一人しかいない理由は一先ずそれでもいいよ。けど、どうして僕はエリーと違って二人いる訳?」

「それなんだけど、さっき言った二つの可能性。そのどちらの場合でも、ラルク、あなただけは矛盾する事なく二人同時に存在出来るのよ。

 ラルク、あなた忘れていない? あなたは本当は死んでもうこの世にいない人間なのよ。その身体は私が八百万TPで作った元の体の複製なんだから」

「あっ・・・」


 そうだった。

 その瞬間、今まで僕が抱えていた疑問の数々が氷解した気がした。

 一つの時間に二人の人間は同時に存在できない。そのため過去と未来の二人のエリーは合わさって一人のエリーになった。

 しかし僕は既に死んでいる人間だ。この体だってエリーがTPを使って作った偽物である。そのため、今の僕はこの世界の僕とは似て異なる存在――新たに生まれた別の存在扱いになった、という訳だ。


「そんな・・・じゃあ僕はこれから一体どうすれば」

「別にどうもしなくていいんじゃない?」

「えっ?」


 エリーはあっさりと言い放った。


「今まで通り、この町でハンターとして生活を続けて行けば? この世界にはもう一人ラルクがいるかもしれない。けど、それがどうしたって言うの? そんなの今のラルクには全然関係ないじゃない」

「そ、それは・・・あっ、そうだ! ここが五年前の世界という事は、まだ魔王は滅んでいないんだよ! 勇者として魔王を放っておく事なんて出来ないよ!」


 五年前の僕が教会に勇者として選ばれたという事は、この世界では北の大地に魔王が復活しているという事である。

 勇者として魔王の存在を見て見ぬふりは出来はしない。


「それこそ、だから何? この世界の魔王と戦うべき勇者は、五年前のラルクであって今のあなたじゃないわ。あなたの勇者としての戦いは、魔王と相打ちになったあの日に終わったのよ」


 それは・・・

 その通りだ。僕はエリーの言葉に何も反論できなかった。


「だからさ、今まで通りで別にいいんじゃない? あっ、そうか。それだと、魔王のいなくなった世界で平和に過ごしたい、っていうラルクの本来の望みは叶わなくなるのか。まあでも、ここって魔王領からも遠いし、平和な生活って部分は何も問題ないわよね」


 エリーは腕組みをするとウンウンと頷いた。


「そんな・・・けど・・・僕は・・・」


 エリーの言っている事は理解できる。

 確かに僕はこの世界ではイレギュラーな存在だ。

 本来は存在していないはずの、存在してはいけない人間だ。


 けど、それで本当にいいのだろうか?


 今後、魔王軍の脅威は確実にこの世界に襲い掛かって来る。それを知っていながら、「これは僕の戦いじゃないから」と、見て見ぬふりを続ける。そんな事が僕に出来るだろうか?

 そしてそんな生活が、僕の望んだ平和な生活であると本当に言えるのだろうか?

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