第11話 オードワール歴21年

◇◇◇◇◇◇◇◇


 話は少しだけ遡る。

 オードワール歴21年4の月。

 王国北の最果ての地。永久凍土に覆われた険しい山頂にそびえ立つ禍々しい黒い城。

 通称、魔王城。

 ここでは勇者ラルク率いる勇者パーティーと、魔王ザンタナとの戦いが最終局面を迎えようとしていた。


 終わる事のない死闘が繰り広げられる玉座の間。

 しかし、そこには魔王も勇者達も知らない第三の勢力が存在していた。

 魔王の魔眼ですら見抜けない不可思議な存在。

 それは主神アポロディーナの生み出した天使達――つまりは神の使徒達であった。




「おおっ! 流石は主神様が御自ら神託を与えたもうた勇者! 人の子とは思えぬ見事な活躍ぶりではないか!」

「ああ、確かに中々のものだ。あの魔王相手に卑小な人間の力でこうも対抗出来るとは」

「今の剣さばきを見たか? まるで剣舞のようだったじゃないか。思わずため息がこぼれてしまったよ」


 無邪気にはしゃぐ神の使徒達の姿は、まるで演劇やスポーツを見ている観客のようだ。

 人間と魔王の互いの生存をかけた血まみれの死闘も、彼らにとっては滅多に見られないイベント――珍しい見世物に過ぎないのかもしれない。

 そんな騒ぎに興味を引かれたのだろうか? 時間と共に神の使徒達の姿はどんどん増えていった。

 もし、この場にいる人間(魔王でも)が、神の使徒の姿を見る事が出来たなら、きっと自分達の頭上をビッシリと覆う天使達の姿に驚きの声を上げただろう。


 いつまでも続くかと思われた魔王と勇者との戦いだったが、とうとうクライマックスを迎えた。

 勇者ラルクは手にした聖剣を魔王の胸元に深々と突き立てた。


「やった! 勇者が魔王に止めを刺したぞ! 勇者がやりおおせたのだ!」

「いや、まだ分からない。魔王は聖剣グラスタリミアで心臓を貫かれない限り死を迎えないのだ。聖剣は確かに魔王の心臓に刺さっているのか?」

「どうだろう? 魔王は苦しんでいる様子だが・・・」


 全員が固唾をのんで見守る中、突然、魔王の体から黒い光が溢れ出した。


「何だこの禍々しい光は?!」

「呪いの暴走だ! 魔王は自分で自分の体に呪いをかけていたのだ!」

「そうか。呪いはそれが破られた時、呪いをかけた者の所に跳ね返って来る。自分で自分に呪いをかけた魔王は、その代償を我が身で受ける事になってしまったのか」


 暴走した呪いは魔王のコントロールを外れ、膨大な魔力を生み出していく。

 やがて魔王の体が増え続ける魔力の圧力に耐えられなくなった時、押し込められていた魔力は魔王の体を突き破り、一気に解放される。

 魔力による瞬間的な破壊作用、魔力爆発である。

 

 勇者ラルクも、危険を感じたのだろう。必死に逃れようとしている姿が見える。

 しかし、彼がいる場所は膨大な魔力の奔流の中心部。外へと広がろうとする魔力と中心に吹き込もうとする呪いとが拮抗して生まれた、いわば空白地帯。

 逃げるどころかその場から一歩も動く事が出来ないようだ。

 彼の仲間達も、異常事態に気付いているが、自分達の身を守るだけで精一杯。ラルクを助けに行くどころではなかった。

 今まで呑気に観戦していた神の使徒達も、思わぬ出来事に顔をこわばらせた。


「マズい雰囲気だぞ。一体どうなるのだ?」

「魔力爆発だ。このエネルギーの量だと辺り一面吹き飛ばされるぞ」

「魔王の魔力だからな。ただ事では済まないだろう。我々も退避した方がいいんじゃないか?」

「違いない」


 使徒達は翼をはためかせると、慌てて全員城の外へと逃れた。

 いや、違う。

 一人だけ物陰に隠れて密かに様子を窺っている使徒がいる。

 長い黒髪に吊り上がり気味の大きな目。胸元の開いたドレス。半透明の一対の翼。

 逆神の堕天使ルキフェリアの使徒、エリーであった。


 次の瞬間――


 ドーン! という耳をつんざく轟音と共に、魔王城の大きな楼閣が木っ端みじんに吹き飛んだのだった。




 魔王の死をきっかけに発生した魔力暴走は、魔王城の楼閣を粉々に吹き飛ばした。

 神の使徒達はあまりの爆発の大きさにしばらく呆然としていたが、直ぐに我に返ると楼閣の跡地へと殺到した。

 砂煙に覆われた、楼閣の跡地。

 人間の目には何も無い空間にしか見えないが、使徒達の目には光り輝く小さな塊が映っている。

 爆発に巻き込まれて死んだ死者の魂である。

 一人の使徒が素早く手近な魂を確保した。


「やった! これは大盾の騎士ガレットの魂だ! 流石は聖騎士! TPの量もかなりの物だぞ!」

「コイツは・・・パパスか。TPは・・・まあこんなものだろうな」

「あそこに浮かんでいるのは魔王の魂か。悪逆の限りを尽くした魔王だけあって、見るからに汚らわしい姿をしているな」

「そんなものは放っておけ! それよりも勇者の幼馴染、剣士シエラの魂はどこだ?! 私はずっとあの娘に目を付けていたんだぞ! こんな事で取り逃がしてたまるものか!」

「これは破戒僧ジェスランの魂か。戒律破りの常習犯だからあまり期待していなかったが、かなりTPを溜めているじゃないか。意外と言えば意外だが、彼も勇者パーティーの一員なんだからそれも当然か」


 使徒達は先を争うように、光の塊を――今の魔力爆発で死亡した勇者ラルクの仲間達の魂を――捕まえて行った。

 そう。彼らが集まっていたのは、単に勇者と魔王の戦いを見物するためだけではない。

 彼らの目当ては、この戦いの中で死んだラルクの仲間達の魂。

 徳を積んだレアな魂を手に入れ、彼らの|主≪あるじ≫、主神アポロディーナに献上するためだったのである。


 使徒達は少しの間、魂に群がっていたが、すぐに最も貴重な魂が見当たらない事に気が付いた。


「勇者は?! 勇者ラルクの魂はどこに行ったんだ?!」

「そうだ! 勇者の魂はどこだ?! 例え勇者と言えども所詮は脆弱な人間だ! あの爆発の中心にいて無事でいるなどあり得ない!」

「その通り! どこだ?! 勇者の魂はどこにある?!」


 使徒達は目を皿のようにして辺りを見回した。

 彼らは既にラルクの仲間達の魂には目もくれない。勇者ラルクの魂は、この場にある魂を全て集めたよりも遥かに高い価値があるためである。

 その時、一人の使徒が遠ざかりつつある使徒の姿を発見した。


「見付けた! あそこだ! あそこにいるヤツが勇者の魂を盗んだんだ!」


 それは堕天使の使徒エリーだった。

 彼女はあの爆発の中、どのような方法を使ったのかまんまと生き延び、勇者ラルクの魂を自分の空間に確保する事に成功していたのだった。


「あれは堕天使の使徒だな! 汚らわしい地の底の住人め! 主神様が神託を与えたもうた勇者の魂を、我々の目の前でかすめ取るとは!」

「断罪だ! 我々の手で勇者の魂を取り戻すのだ!」


 使徒達はエリーに向けて一斉に攻撃性の魔法を放った。

 これ程数の使徒から攻撃を受けては、エリーもひとたまりもない。

 彼女は慌てて事前に準備していた大規模魔法を発動。この場からの逃走を計った。

 魔法の構築が始まると同時に、彼女の周囲に大きな魔法陣が展開。使徒達からの攻撃を防いだ。


「なっ! あれは時空間魔法! 前もって逃亡用の跳躍魔法を準備していたというのか?! クソッ! なんて小賢しいヤツだ!」

「諦めるな、まだ間に合う! このまま攻撃を続けるんだ!」

「そうとも! おめおめ逃がしてなるものか!」


 魔法の発動は魔法によって干渉可能だ。|対抗呪文≪アンチスペル≫の原理である。

 エリーの跳躍魔法は数十人の使徒から放たれる膨大な魔力によって、大きく歪められ、書き換えられていった。

 しかし、運は彼女に味方したようだ。

 目もくらむ閃光と共に、彼女は姿を消した。

 エリーの魔法は成功したのである。


「・・・くそっ。逃げられたか」

「くっ。主神様に何と報告すればいいのだ」


 使徒達は悔しさに歯噛みした。

 そんな中、ただ一人だけエリーが消えた空間に目を凝らしている使徒がいた。


「諸君、逃げられたと決めつけるのは早計かもしれないぞ。あれを見たまえ」


 彼の指差した場所には小さなノイズが走っていた。


「魔法が干渉を受けた形跡だ。跳躍魔法は時空間魔法――すなわち時間と空間を操る魔法だ。大雑把に言えば、跳躍魔法は空間に干渉して距離間の移動を、時間に干渉して移動の際に必要とされる時間を限りなくゼロに近づけるという、二つの効果を実行する魔法だ」


 この場にいるのは全員、神の使徒である。わざわざ説明されるまでもなく、魔法の原理など生まれた時から知っている。

 使徒の一人が耐え兼ねたように口を挟んだ。


「それがどうした。要点だけを言いたまえ」

「つまりだ。我々の攻撃は跳躍魔法自体の発動と空間転移は防げなかったが、時間干渉の部分には多大な影響を与える事に成功したという訳だ」


 予想外の指摘に、使徒達の視線が一斉に空間のノイズに集まった。


「――確かに、この者の言う通りだ。時間干渉の変数が見た事も無い数値を表している。これは・・・虚数化しているのか? 現実でこんな現象が起きるなんて信じられない」

「いや、我々の魔法だけでこのような事が引き起こせるはずはない。今、この空間は魔王の魔力暴走によって、人間界ではかつて観測された事がない程に魔力が満ちている。おそらくはその影響もあったのだろうよ」


 エリーの行った大規模魔法に、数十人の神の使徒達による攻撃魔法。それに空間に満ちていた膨大な魔力が加わった事で、誰もが予想もしない事態が起こってしまったようだ。


「この結果を信じるなら、堕天使の使徒は数年前の過去の地上に移動した事になる。信じ難い話だがな」

「数年前の過去か・・・。完全に逃げられたという訳ではないのがせめてもの救いか」

「どうだろうな。勇者の魂が我々の手の届かない所に行ってしまったという意味では同じ事になるんじゃないか? 地の底のヤツらは本当にロクな事をしない」

「全くだ。今度どこかでヤツらを見つけたら、何かをしでかす前に必ず俺が始末してやる」


 神の使徒達はそれぞれ文句を言いながらも手を動かし、勇者の仲間の魂を集めると、この場を後にしたのだった。




 こうしてエリーと勇者ラルクの魂は時空間魔法の書き換えによって、過去へと遡る事となった。

 二人がたどり着いたのはオードワール歴16年5の月。

 魔王城での決戦があった日、オードワール歴21年4の月から見て、ほぼ五年前の世界となる。

 しかし、当の本人達は――ラルクは当然だが、エリーすらも――自分達を襲った事態に気が付いていなかった。

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